「韋駄天街道」(昭和19年)江戸からやってきた風来坊はえらく役に立つ男! | 三条河原町のブログ

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昭和30年ぐらいまでの娯楽日本映画は、
普通の人たちの生活を実感させてくれる
タイムトンネルです。

「おもかげの街」「霧のよばなし」「ぼんぼん」考えようによっては「韋駄天街道」も時代の流れに翻弄されながら商家を守る、守れなかったというテーマです。長谷川演じる若旦那はどれもとてもいい。

「韋駄天街道」江戸の大店の苦労知らずの若旦那は、親父が死んで初めて店の現実を知り、お店の立て直しを願う番頭を振り切って一人中山道の旅。

時代は幕末。須原宿の手前でふと目にした、駕籠かき同士の争い、一人は足の悪い客を山中まで来たことをいいことに駕籠賃をつり上げようとし、もうひとりがそんな人の弱みにつけ込んでは、お客に申し訳ないと喧嘩している。若旦那は見過ごすが、一人の駕籠かきが仕事を放棄し、山を下り始めるのを見て、「俺が代わりに担ごうか?」と駕籠を担いで須原宿までやってくる。

なんか知らないが気のいい、その駕籠かきといると、街道で出会っていた馬子が、「番頭さんがあんたを捜している」と番頭さんをよびに行こうとする。ところが、買ったばかりの馬を盗まれてしまったと泣いてもどってくる。ここで番頭に江戸へ連れ戻すのを、諦めてもらうためにも、持っている金をすべて馬子に「いい馬を買うんだよ」とやってしまう。

若旦那自身も、これで決心がついたんだろう。駕籠かきに「これで、御覧の通りの一文無しになりました。わたしを駕籠かきにしてください」と頼む。相棒がいなくなり、こまっていた駕籠かきはこれで仕事を続けられると大喜び。

一人の風来坊が須原宿にいつくことになった。

いついてみると、なんか自分のやることでみんなに喜んでもらえる。すごいことができるとほめてくれる。「何もかもかじりましたが、みんな中途半端で・・・」と若旦那。

それでもみんな、役に立つ男だと、問屋場(✐)の取りまとめ役までが、ぜひ問屋場で働いてくれとやってくる。 番頭までが、「もうお店を再興してくれとは申しません、皆様のために働いてください若旦那様」とまで言ってくれる。 しかし、味方が出来れば敵もできる。

維新前夜の騒ぎで、運送業はあわただしく、人足が足らなくなり、問屋場に人が集まらず、給金のいい親分のほうに荷物も集まりだし、ピンチに陥る。すると、あの馬子が仲間を連れてやってきてくれた。あの駕籠かきも、問屋場の取り締まりも、代筆してやったお米さんも、あの番頭までが、若旦那とともに働きだす。ついには祭りの采配まで任される。

これで、自然と若旦那は自信を取戻し、求められれば、頼りにされれば頑張ります。
江戸で若旦那がかじっていた、知識や技が、ここでは本当にみんなの役にたつ。

江戸から来た若者が村の役に立つ、信頼できる男にそだってくれた。

江戸から明治に時代が動いた時、若旦那は、創設された村の郵便局の局長となっていた。

これこそ長谷川一夫にピッタリの役です。

江戸へ、東京へと、野心に燃える若者が、競争し、勉学にいそしみ活力ある日本を築き上げていったと同時に、あまり語られないが、この映画のように、江戸から、心やさしい若者が、学者が、地方に求められ住みついていった。この双方向の動きが、日本の繁栄のエネルギーとなっていたのではないだろうか。

この話は、現代にもつながる話で、いつまでも、親元にいたのでは、この若旦那のように何もわからず、親が死んで初めて、店の現実を知り、店はつぶれてしまったとなってしまう。 今では、親が死ぬ頃には、息子の人生も半ば以上過ぎてしまっている。

みんな長生きをする現代、15歳を過ぎたら、大学で勉強を本格的に始める前に、一度は親から離れて生活してみたほうがいいのではないか、この若旦那のように役に立つ、いいやつだとしたわれ、その責任を果たしていく力を手に入れることができる可能性も出てくる。これからは、都会と田舎の両方の生活力を身につけた若者が日本をひっぱっていくようになるのでは。

都会の人間だけの競争社会では、ハラも胆も据わらない文化の衰退がはじまるんじゃないかと・・・


✐問屋場:
問屋場は宿場でもっとも重要な施設です。問屋場には大きく2つの仕事がありました。一つは人馬の継立業務で、幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する際 に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶというものです。
もう一つが幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務で、継飛脚(つぎびきゃく)といいます。
宿場を円滑に運営するために、宿役人が存在していた。この宿役人が業務を行うために詰めていたのが問屋場(といやば)である。