今週からついに頭領が務める会社でも、勤務中はマスク着用!という業務命令が出たそうで、その会社から、いくつか支給された使い捨てマスクを持って帰ったのを見たRieruです★
てか、なんでそんなに大量にあるのでしょうか?まさか・・・巷で噂の、“買い占め”じゃないでしょうね。
イテテ
(てか現在の巷では臨時休校の方がおおごと!)
あ〜、早くマスクのいらない季節にならないかなぁ〜と思っている女は、昨年の山陰旅行2日目に、島根県出雲市にある『出西窯(しゅっさいがま)』に行ってきました。
窯も見学(定休日以外)出来るそうですが、今回は販売ブースに。
△ ディスプレイに影響を受けてしまいました☆
今回3人で旅行したい場所の中に『出西窯』が出てきたわけですが、一体どういう経緯で造られたのでしょうか?HPには・・・
昭和22年、出西窯は5人の若者の
真っ直ぐな志から始まりました。
柳宗悦先生をはじめとする
民藝運動のメンバーに指導を仰ぎ、
日常を彩る、健全で美しい
暮らしの器を作り続けています。
郷土の原料を大切にし、
職人の手仕事による
実用的な「用の美」が息づく器。
それは日々少しずつ姿を変えながら、
現代の暮らしにも静かに寄り添い、
毎日を心豊かに過ごせる
道具となることを願っています。
ちなみに5人とは、多々納弘光・井上寿人・陰山千代吉・多々納良夫・中島空慧で、全員農家の三男坊。そして幼なじみだったそうです。
それが昭和22(1947)年のこと。
それから72年後に訪ねてきた私たち。
屋根が石州瓦の出西窯さんで、数々の素敵な器と出会うことに。
・・・牛乳がこぼれるじゃん。
イテテ
(当たり前ですが、用途が違いますから穴が空いていても良いのです!)
作品(商品)を見ていると、自然に顔が綻びます。
それにしても、郷土の原料・・・土って、どちらのものなんでしょうか?
調べてみますと、石見水川(大田市)・加茂三代(雲南市)・出雲大津西谷(出雲市)の土だそうです。
旅行の終盤で、もうあまり持ち金が無いので、慎重に「これこそは!」という器を選びたいところであります。
“集中”して吟味したいので、彼女らとは別行動。
器だけではなく、置かれている全てのものが素敵過ぎて、結局友人らに、「ねぇねぇ、アレ素敵♪」なんて声を掛けてしまう迷惑な女。
こちらの建物のメインは、この個性的な階段でしょうか?
大きなお皿が飾られていて、迫力があります。
・・・大丈夫、米俵が上っても揺れませんでしたから。
2階も販売ブースのようでしたが、並べられているものは器だけではありませんでした。
これまた、魅力的ないろんな民藝品が
美しい藍染。
モチーフのうさぎも個性的。
見上げると、凧が!
出雲市にある『高橋祝凧店』さんの凧で、赤い方が『鶴』、黒い方が『亀(龜)』だそうで、出雲大社に関わりの深い千家家が『鶴山』、北島家が『亀山』を表徴されているのだとか。
元禄の頃、両家に祝い事があると、村人たちが稲佐の浜でこれらの凧があげられたそうです。
壁には、陶芸家 河井寛次郎氏が書かれた『泥風火雨』が掛けられていました。
河井寛次郎氏・・・彼は例の5人に陶芸の指導をされ、柳宗悦氏やバーナード・リーチ氏たちとも繋いだのだとか。
柳宗悦氏といえば、ある日 窯を訪ねた工芸家 金津滋氏から、柳氏の本を渡されて、大いに影響を受けたそうです。
ほ〜、こちらカトラリー・・・あれ?
作者の方のお名前が、柳宗理(そうり)氏・・・柳宗悦氏の長男で、食器、家具、電化製品の他、橋にいたるまで、数多くのデザインを手掛けられたのだとか。
代表的な作品は、東京オリンピック(1964)聖火トーチホルダーや、札幌オリンピック聖火台、関越自動車道・関越トンネル入り口、バタフライスツール(天童木工)など。
家具・・・家具にも目がいきますね。
同じ用途で日々使うなら、より自分の好みで、しかも扱いやすいものを選びたいですよね。
私、すっかり、この濃いめの釉が掛かった器に魅了されてしまいました。
山陰で濃いブルーに逢う・・・この色を、『山陰ブルー』と呼びましょう。
・・・もう、『出西ブルー』って名前が付いていますよ。
アイタタタ
(“出西窯”の“ブルー”か・・・2枚ほど出西ブルーを購入しました)
女3人山陰旅2日目
木綿街道→宇美神社(平田天満宮・金屋子神社)→宇美神社(燈籠と楼門 一式飾)→宇美神社(狛犬・平田稲荷)→來間屋生姜糖本舗→岡茂一郎商店→本石橋邸→一式飾とは?→鶴華 波積屋→『出西窯』→しめ縄飾り→ル コンションドール出西→島根のお土産★