RIPstick -3ページ目

夢記

何度同じ日を繰り返したか知れない。
エンドオブブレイドに胴体は打ち付けられていた。
背中と背中を合わせるように
二つの体は鉄の杭によって一つとなる。
人々の幻想の中に剣士がいた。
剣の終わり。
彼から先、ブレイドを名乗れるものは存在し得ない。
彼は心を病んでいた。
唯一つのアイデンティティであるブレイドに人生を捧げ
結果、彼はブレイドの分野に限り誰よりも強くなった。
一つに特化し、あるボーダーを越えたものは幻想となる。
終わらない命を得、しかし彼の討つべき敵はもうどこにも存在しない。
彼に与えられた世界はブレイドの法則に支配される。
例え魔王であろうと、このルールに従うならば彼に勝利する可能性はゼロとなる。
彼の心が直接振動を与えてきた。
向こう側の体に剣が突き刺さり、やがてこの体もその冷たい刃先に貫かれる。
何度同じ日を繰り返したか知れない。



心には波があり
上と下の平均に
如何に早く近付けるか。
その方法、手段を
たとえば創作と呼ぶ。



今が苦しくても、やがて楽になるか?
来る希望のために今を耐えるか?

いったい“いつ”のために今を耐え忍んでいるのだろうかと思うことがある。
それは本当に来るのか?
というか
本当に今、それに向かって進んでいるのか?
もっと言うと
それは本当にあるのか?
という考えがどうしても渦巻いてしまう。
“いつか”と言う日など来ないということは既に知った。
それは蜃気楼のように同じ場所にあり、歩めど、同じ今が延々と続く。
求めているものは何か?
それが蜃気楼ならばまだマシかもしれない。
進むという行為自体に価値を見出す余地がある。
しかしそれが、今というものからの逃避であるならば、悲劇だ。
諦めきれず求めようものなら、選択は限られる。

しかもその選択は、多分どれも正しくない。



日曜日のラジオで伊集院光が
ゲストの人とすごく楽しそうに
自殺はしない方が絶対にいい
といったことを言っていた。
周り全てが敵に見えても、
また、実際に敵だらけでも
それを笑える日が必ず来るのだと言う。
それらは間違いなく自らの糧となり、武器となるらしい。
そう言いながら笑いあっている声を聞いていると
これから死に向かう人にとってどんな真摯な説得よりも
心にしみこんでいくのではないかと感じた。
それは
彼らの言葉が綺麗ごとなどではなく
生々しいほどに真実であることを伝えるからだった。

暗く、狭い場所にいると思い込んでいる今を笑える日が来るだろうか
などと
ぼんやり思った。


筒がある。
それは傾いている。
ずるずると落ちる。
蜘蛛の巣や、落ち葉を掻き分けながら
落ちていく。
向こう側は見えないが
それが筒であることを知っている。
だから今ここで踏ん張ることを無意味とする。
筒は
ひどくやわらかく
おまけに温かい。
その気になって爪を立てれば
破れ
恐らく向こう側にたどり着く前に外に出られる。
しきりに障害物が体中にぶつかる。
突き抜けるだけの力が無ければ
進めないものなのかもしれないと考える。
目の前はこんなにもいっぱいのもので埋め尽くされているのに
がらんとしているのは
紛い無く穴が突き抜けているからに他ならない。
落ちる落ちる。



世の人々
人間の集まりによる体温
生きるための決まりごと
それらに貢献しているといった顔で
その実邪魔しかしていない人間が
冗談を言おうが悟った振りをしようが
特に何も変わらないという。
人が人と寄り添う
ただそれだけが生きる手段であり
それだけに苦しくもある。

わずかでも
未だ命に未練があるか。

人と人の距離は近い。
近くなければ生きられないのだから当然だが
その距離ゆえに
好むと好まざるとに係らず
例えばにおいを感じたり肘が触れたりすることがある。
それが不快だったとして
未練があるならば聞き分けなければならない。
あるいはそれを幸福と感じる日が来るかもしれない。



良い音楽をたくさん聴けてよかった。
羨んでばかりだったけど、きれいな絵をたくさん見られてよかった。
身に余る幸福も感じられた。
きっと僕は自分で思う以上に護られていた。
僕を取り巻くもの、僕が嫌悪しているものにさえ
すべて。



世界は人々に希望を強要するものだと思っていた。
夢を持ちなさいと教育されてきた。
何一つ持てなくてもそれを捏造させられてきた。
狂っている。
夢を。希望を。目標を。
持てない奴は死ね。
生きる価値などない。
そう言われているようだった。
が。
もしかしたら
たぶんそれは
憐れみに似たものだったのではないかと
最近は思う。
救いの手に怯え逃げる小動物。
世界が歪んで見えたのは
自分自身が歪んでたから
だとしたら。



いつからか全身の力が抜けてしまって
何かを作り出すためのエネルギーというか
そのエネルギーを貯めるタンクの容量が小さくなってしまったように感じる。
無制限に伸びることができた枝葉は枯れ落ち
中心の生命を維持するためにこれ以上伸びることを止めてしまった。
そんな感覚。
どんどん視界が色褪せていく中で
絵と音楽だけが束の間の潤いをもたらしてくれている気がする。

夢も希望もなくても幸福を感じることができる。
幸福 を 感じる ことができるのは、既にその枠の外にいるからだということが良くわかる。

何が幸せか?
それを追い求めるために命を費やすか?
逃れられぬ苦痛から逃れるために命を焼き捨てるか?
幸せはどれだ?

どこまで行けば死んでいい?



夢のような
絵に描いたような幸せを見た。
日が照り、開けた場所に草と木があり、子どもたちの姿があった。
同じ場所に立っていることが何かの冗談のように
そこは幸福に満ちていた。
蝶を追い、犬と走る子どもたちは踊るように
全力で今という時を体中に巡らせていた。
いつから自分はこちら側にいたのか。
距離も溝も時間も、今なら簡単に越えられる。
本当に夢のようだった。
自分がここにいてはいけないのではないかと思うほど。