RIPstick -4ページ目

安定した状態などあり得ない。

この意識が求める故郷

恒久の安定とは虚無に他ならない。

生という不自然な状態に在る限りそれを求め続け、

決して手が届くことは無い。

と同時に終わりが約束されているとは言え

刹那故の身体、変化の連続は少し骨が折れる。

だが無明の闇、数えた数が意味を失う程の時、

有限と無限、永遠の境界が揺らぐ場所において

それはまるで白い瞬きのように、何の因果か

こうして目を覚ました。

何かをせよと意識が語りかけている。

やがて求めていた場所に戻る日は必ず来る。

だから今、動ける身体、感じられる心は

この今という財を用いて何かを成さなければならない。

困惑し、恐怖し、心を削られるような思いをし、

悪意と疑心に苛まれながら世を妬み呪う。

例えばたったそれだけでも構わない。




踏み出せぬ足に何の意味があろうか。

選択とは可能性を切り落としてゆく作業であるから

己の持つ要素をすくい取られるのを待っている。

目の前だけを見る者には壁が。

目を閉じる者には深い穴が待つ。

歩みを止めた者には何も無い。

それを平穏と取るか絶望と取るか。

ここは深い森である。

あなたに与えられたものは身体一つ。

それは常に痛みを訴えている。

意識を保たせるために。

痛むのは足。

何故ならここは森で、あなたは裸足だからだ。

靴を履けば痛みは消える。

意識を保たせていた痛みは消えてなくなる。


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今日僕は死んでいた。

まるで生きていなかった。

傍で誰かが囁いていた。

「美しい」とは「生き難い」ということだと。




脳の分泌物や電気信号によって

吐き気がする絶望感や

歩くのさえ楽しくなるような希望がもたらされる。

自分はその程度のものと認識しようと思う。

どんな感情も物理的なもの。

しかしその事実は、絶望するものではない。




単色は軽い。

描く時の感覚が軽いし、かかる時間も少ない。

ファイルサイズも小さくなるかもしれない。


色はゆっくり塗らないとダメになる。

僕の場合は。

根が怠け者だから途中で面倒になってしまう。

色を塗るには体力が必要になる。




死について思うことがあった。

但し、今日のそれは他人の死について。


死を迎えた人間は、その時から人間でなくモノに変わると考えていた。

だから本当はモノとなった死体に、人間と同じ敬意を払う必要は無い。

でも生きている人間にとって『故人』を表すものはその人間の形をしたモノしかない。

だから生者は死体を貶めてはならない。

と、頭では理解しているつもりだった。


仮に魂というものがあり、肉体がその器であるとする。

10年か、80年か、あるいはもっと長いか短いか。

どちらにせよ生を得た人間は確実に、その肉に魂を埋めていた。

そしていつか肉体が死に、魂が抜け出す。

そこに残った肉体に、僅かほども魂の名残、残響が無いと言えるだろうか、と

そんなことを思った。

心の部分で肉体を疎かにできずにいる。



今日はいじめ殺したクラスメイトの棺を覗いて笑い合う者達のニュースを読んだ。

頭の中が冷たくなるような感覚を覚えた。




もう間違えない。

もう囚われない。

振り返る度、何度思ったか。

今も僕は間違えている。

今もこの視点は凝固しているだろう。

振り返る度に僕は正しくなる。

気付く度に僕は修正し続ける。

そうして体中が収縮して動かなくなるまで

大切なものを零しながら生を得る。

失うものはいつもと同じ。

また呼吸が浅くなる。




脳は忘れるべくして忘れる。

大切なことも、忘れたくないことも

今生きるのに不要ならば忘れていく。


どうか思い出してください。

忘れられた人がいます。




死を思えば思うほどその恐ろしさに体が震え

元来自分が恐がりだということを思い知らされる。

ごく稀に、何の前触れも無く突然差し込むように、

純粋な消滅に対する恐怖を感じることがある。

自分がいなくなる。

至ってシンプルなそれは、吐き気を催すほどに恐ろしい。

恐らく、これが本当に死を思うということ。

逃避のために思考する死とは別格だと感じる。

かつて自らを殺し切った多くの人たちは、どちらだっただろうか。




正直に言うと、僕は絵を描くのが恐い。

理由は絵の拙さにある。

あれこれ理由をつけて回避しているが、

決定的な力不足、

絵に込められるものの少なさ、

これらは抗い難い事実であり、それを直視するのがとても恐い。

全部とは限らないが、

しかし僕の絵の多くは、パサパサに乾いた現象に過ぎない。

無味。線が、色が、紙を通過しただけのもの。

それはきっと、伝えたいこと、絵に込めたい気持ちというものが無いために。

ただ、

何も無い場所に色が落ち、絵ができていく様は見ていて楽しいし、描いていて楽しい。

何かを生み出す時に感じる悦びは、未だうまく理由付けできずにいる。

そしてそこに気持ちを込めようという意思は無い。

僕が絵を恐がりながら、しかし描くのを止めないのは、ここに理由がある気がする。