記
ずっと夜ならいいと思ったことがある。
何も起こらないけど、確実に何かが膨れ上がっている
静かで閉じた時間が好きだった。
死んだ時間の中にしか心が生きられないなら
その中に埋もれてしまいたいと思った。
記
日常には幸福が転がっている。
転がっている程度の分量。
それらが据えられた土壌は果てなく不安定に広がり
しかも粘度の高い油の如く、重く緩く
膝まで浸かった身はもはや緩慢に足掻くことに疲労を覚えるのみ。
真っ黒な大地に星空の如く、幸福が散っている。
手を伸ばしても届かないが
見渡せば一面にそれはある。
記
最近は時間が加速するというよりも、断片的に飛ぶような感覚になっている。
気付けば一日が終わっているが、しかしその中の苦痛は確実に記憶としてある。
それらを客観的に眺めるような空白が一日の終わりとはじまりにあるということか。
なにかを忘れている。
記
絵を描くために生きる。
ああそれは本当に、心から羨ましいことだと思う。
今僕は生きるために生きている。
だからよほどのことがなければ明日も生きられるだろう。
でも絵を描くために生きるということは、生きることを削って絵を描くということ。
食べ物の代わりに絵の具を買う。
比喩でなく本当に命を削る日々なのだろう。
もしかしたらそれこそが、いつか夢見た、絵に魂を込めるということなのかもしれない。
生は恐ろしくしぶとい。
たとえば
今日こそは首を切って死のうと思い帰るとその手には何故か今夜の食事と甘い菓子があり
服を脱いでうがいをしてそれらを頬張る頃には、包丁に手を伸ばすことをくだらないとさえ思う。
生を振り切り、それを絵に費やすことの苦しさと突き抜けるような加速感を想像し
生きるために生きている僕は震えるほどに羨ましいと思う。
記
今朝も露草は枯れていなかった。
排気ガス、腐敗したゴミ、人と埃のにおい。
変わり映えしない不快な朝と青い花の似合わないことといったらない。
僕が一日に手に入れる情報は少なく、かつ偏っている。
その中で絵に移せる分量はどのくらいだろうかと考える。
僕には目的がない。
だからたぶん、これ以上絵の技量は上達しないだろう。
目指すべきゴールがないのだから、進むべき道も無い。
闇雲に同じ場所を歩き続けている。
ぐるぐると。
絵を描くことに対するリターンは無い。
それなのになぜ未だに絵を描いているのかもよくわからなくなってきた。
だんだんと、いろいろなことが白く飛んでいく。
記
ちょっとした世界が僕の中で生まれたり消えたりしている。
入り口だけの世界。
ひとつの場面だけがあって、奥はあるようでない。
それらの多くには、もしもそのまま外に出る機会があるとすれば
いわゆるパクリという呼び名を賜るであろう要素が詰まっている。
せっかく外部から取り入れた材料の加工がものすごく甘い。
困ってしまっている。
絵
目を閉じて
適当に選んだツールで描くことにした。
それが何であっても描かなければならないと決めて。
例え消しゴムでも、きっと。
目論見通り、知らない色で知らない線を描けた。
僕に必要なものは乱数だ。