記
今が苦しくても、やがて楽になるか?
来る希望のために今を耐えるか?
いったい“いつ”のために今を耐え忍んでいるのだろうかと思うことがある。
それは本当に来るのか?
というか
本当に今、それに向かって進んでいるのか?
もっと言うと
それは本当にあるのか?
という考えがどうしても渦巻いてしまう。
“いつか”と言う日など来ないということは既に知った。
それは蜃気楼のように同じ場所にあり、歩めど、同じ今が延々と続く。
求めているものは何か?
それが蜃気楼ならばまだマシかもしれない。
進むという行為自体に価値を見出す 余地がある。
しかしそれが、今というものからの逃避であるならば、悲劇だ。
諦めきれず求めようものなら、選択は限られる。
しかもその選択は、多分どれも正しくない。
来る希望のために今を耐えるか?
いったい“いつ”のために今を耐え忍んでいるのだろうかと思うことがある。
それは本当に来るのか?
というか
本当に今、それに向かって進んでいるのか?
もっと言うと
それは本当にあるのか?
という考えがどうしても渦巻いてしまう。
“いつか”と言う日など来ないということは既に知った。
それは蜃気楼のように同じ場所にあり、歩めど、同じ今が延々と続く。
求めているものは何か?
それが蜃気楼ならばまだマシかもしれない。
進むという行為自体に価値を見出す 余地がある。
しかしそれが、今というものからの逃避であるならば、悲劇だ。
諦めきれず求めようものなら、選択は限られる。
しかもその選択は、多分どれも正しくない。