わたしは
ずっと専業主婦だったことや
性格、環境、時代、運命などもあり
自分のやりたいことに集中したら
一切周りが見えなくなる
というところや
子どもをニュートラルに
眺めているところもあったが
子育てや
母親という役割を
物凄く楽しんだが
背負いすぎているところもあった
そして
第三子の息子が
2歳で障害を負い
さらには
導かれるように
世界一の脳障害のリハビリを
過酷すぎる環境の中
始めたとき
家族だけで
リハビリをするのが
無理だと判断したわたしが
何十人ものボランティアさんに
お手伝いをお願いしたことや
傷ついた息子だけでなく
研究所が〝親こそ最良の医師〟だと呼ぶ
親としての自信が一切無くなった
わたしたち両親や
共に生きる戦友の娘たちの
存在も能力も常に尊重してくれる
その研究所との時間は
地上天国で
それは
「ああ、一人で頑張らなくていいんだ…」
と思った瞬間だった
そしてそれを3年続け
そこに限界を感じ始めたとき
ふと
「子どもを幸せにするのも
子どもと共に幸せに生きるのも
わたしが子どもたちに
何をしてあげるかも大切だが
わたしが幸せかどうか…
わたしがどう在るか…
わたしがリラックスしているかどうか…が大切なのではないか…」
と思い
わたしは
重い重い扉を突き抜け
自分を
無限に幸せにする、愛することを
改めて始めた
そして
リハビリを終えて
息子は幼稚園に通い始め
それに付き添い
園庭で息子を
静かに見ていたとき
何もできず
お世話になるばかりだと
思っていた息子が
ただ
息子の、その存在だけで
人を癒し
皆と共に生きる世界を
目の当たりにしたとき
涙が溢れ
それはその後も
こういうことが起こるたびに
「ああ、もう、
一人で頑張らなくてもいいんだ…」
と、わたしの肩の力は抜けていった
そして
リハビリが終わってから
今度は
「この子には何か
世界に通用するような
無限の才能がある気がする…」
と
まるで
宇宙の中で
コンタクトレンズを探すかのように
その、気が狂いそうな時間を
過ごしてきた結果
息子は
特別支援学校高等部一年生の
息子が16歳になる直前に
息子の爆発的な絵の才能が現れ
わたしはそのときも
「ああ、出会った…
もう、一人で頑張らなくてもいい…」
と思った
迷子猫?の新入り新ちゃんは、あの日から(※)、顔を合わせるのはたまにだけど、毎日ご飯は食べに来ていて、今日は初めて触ることができて、性格も愛嬌があって、とっても可愛い子で
ぬいぐるみ感、モフモフの犬感が、もう、とっても可愛い
そして
その息子がいない間
いないからこそ
二人の娘と
たっぷりの時間を過ごせ
今、彼女たちも
自由に自分の世界を広げ
羽ばたき始めていて
「ああ、三人の子どもたちに
何も言う必要が無くなった…」
と思い
「ああ、わたしは
〝子育てをする〟という世界から
〝子どもと共に生きる〟という世界へ
完全にシフトしたな…」
と思い
これが
子育ての原点で、ゴールで
手放したからこそ
ここからがどの子とも
真の始まりだと
思っている