前回は速報記事をアップしましたので順番が前後しますが、今回は日付を戻して、12月11日(土)のアクティビティの話です。
前週のナイロビ国立公園に続いてアウトドア。この週は、ナイロビ郊外にあるンゴング・ヒルズ (Ngong Hills) をハイキングすることにしました。私の住んでいるカレン地区と同じ西方角にありますので、タクシーで約40分、約600シリング(1シリング=約1円)と極めて手近な所にあります。
南北に走る山で、最高地点は「第7の丘 (7th Hill)」の2,460メートル。ただしハイキング出発点のメインエントランスが既に2,140メートルですので、標高差は300メートル程度です。
しかし、数十メートルのアップダウンを幾つか越えなければなりません。延べではかなり――500~600メートルくらいか――を上ることになり、結構疲れます。
こちらがメインエントランス。入園料(現金払い不可)は、私のように居住者(大人)は464シリング、非居住者は696シリングと、やけに細かいです。それにカメラ持ち込み料が1,160シリングもかかりますが、私は野鳥の写真撮影も主目的の一つでしたので、払わざるを得ません。
派遣機関の安全担当者からの情報で、野獣が出て来て危ないので、銃を持った護衛をつけることを強くお勧めする、と。初めてでもありましたので、前日に電話予約をしました。第7の丘までの往復なら1,500シリング、山を縦断して抜けるのであれば2,000シリングです。私は第7の丘で折り返しましたが、チップを200シリング付けて1,700をハイキング終了時に現金で彼に直接支払いました。
護衛は迷彩服を着ています。私に充てられたのは、エドウィンという名の青年。後で聞いた話だと、2011年からこの仕事をしているのだそうです。
彼の話では、バッファローや、夜間ならヒョウ、ハイエナも出るそうで、特に一人歩きは危険だから護衛を付けるように、と。
ただ、この日は晴天の週末で、たくさんの人で賑わっていました。恐らく1,000人は目にしたのではないかと思います。高校生の集団もハイキングをしていました。エドウィンの話だと、土曜日が一番混むらしいです。護衛を付けていた人は、1組か2組だけでした。
なので、全く危険を感じません。本日に限っては、護衛料は無駄になった気もしました。まあ、初回なので仕方がありませんが。
では、出発。
どのくらいの時間がかかるかエドウィンに聞くと、「速い人なら第7の丘まで1時間半。あなたは健脚そうだから、そのくらいかも」と。「いやいや、もっとかかる。野鳥観察なんかもして立ち止まることも多いから、2時間以上はかかるはずだ」と私。
結局、登りはじめが9時半、エントランスに再び戻ってきたのが14時前でしたので、登りも下りも2時間強の見当でした(第7の丘で撮った写真のデータは11時40分を示していました)。一辺倒に登って一辺倒に下るわけではなく、アップダウンを繰り返すので、行きも帰りも所要時間はさほど変わらないのです。
その所要時間から言っても、下にお見せする景色・眺望から言っても、アクセスの良さから言っても、ナイロビ在住者にはうってつけのハイキングコースです。
3回に分けて掲載することにして、今回は、その景色・眺望を、次回は花々を、最後には動物をお見せします。
メインエントランスのすぐ上は、ご覧のように風力発電の一大プラントになっています。カレン地区で馬上散策した時には、これらを下から眺めています。
本日は風がやや強く、発電には良いでしょう。しかし一定以上の速さでは回転しない、とエドウィン。確かに速すぎると、力学的な原因で発電機が故障する恐れが出てくるかもしれません。
風の強いのは発電には向いていても野鳥観察には向いていません。果たして鳥を見ることができるかどうか。
風力発電機群を通り抜けると、このような草地になっており、爽快です。左手にはナイロビ、右手には広大なサバンナや農地が広がり、ハイキング気分は否が応でも盛り上がってきます。
早朝は曇り空でしたが、だんだん晴れ渡ってきました。実はこれは最近の天気の傾向から予想していたことで、だからこそ朝起きてどんよりした空を見ても、「よし、これはきっといい日和になる。行こう」と思ったわけです。案の定、絶好の天気になってきました。
むしろ日差しの強さが気になります。何てったって標高2,000メートル超えですから、光線も強いわけです。
奥の丘が「第3の丘 (3rd Hill)」。
第3の丘は結構大きく、登りもしっかりとあります。ひと疲れする場所です。
第4の丘を越えたところで撮ったナイロビ市街方面。ただ、市の中心は遠方に霞(かす)んで辛うじて見える程度です。
これがピークであり本日の目的地である第7の丘。かなり疲れてきたところに来て最後にやや急な斜面が待っているので、気持がややげんなりしてきます。
こちらは峰の南西側の眺望。山の名をエドウィンに聞いたら、「知らない」と答えましたが、後でグーグルマップで調べたところ、奥の山はオロルゲサイリ山 (Mt. Olorgesailie) のようです。ウィキペディア(英語版)によると前期旧石器時代の遺跡があることで有名だそうで、観光名所の一つにもなっています。ケニアの滞在期間が長ければ是非訪れてみたいところですが、多分、行けないでしょう。
これがンゴング・ヒルズ最高地点、第7の丘からの眺望。ブッシュに隠れている部分も多く、景色を愉しむなら他のピークや道中の方がいいでしょう。
しばし休んで、自撮りをして、エドウィンが写真を撮ってあげるというから撮ってもらって、そのカメラを念のため消毒液で拭いて(彼はしばしば鼻水をすすっていましたし)、それからまた一休みして、では下山。
その間、数十人の人がこの場で休んだり、通過したりしました。数人の中国人の集団も通過しました。私はここから引き返します。
帰路では、紫色のTシャツを着た女子高校生100人くらいの大集団ともすれ違いました。アライアンス女子高校 (Alliance Girls' High School) の生徒たちだそうで。後でウィキペディア(英語版)で調べたら、ケニアで最初の女子高校で、ナイロビ郊外にある全寮制の学校だそうです。
2011年の中等教育修了国家試験では全国3位の名門校。勉強は優秀なのかもしれませんが、体力は別物。音をあげている生徒が目立ちました。
比較的元気な生徒が、私に向かって「ハバリ・ヤコ? (Habari yako?)」と言います。この、実は基本中の基本であったスワヒリの単語を知らなかった私は、どう受けるのか分からずに何も答えませんでしたが、しばらくしてエドウィンが別の生徒に同じ言葉を言って、彼女が「ムズリ・サナ (Mzuri sana)」と答えたので、これは「I'm very fine」という意味だと知っていた私は、最初の言葉は「お元気ですか?」という意味だと悟り、今度はまた別の生徒に対して使ってみました。すると、「ムズリ・サナ」と。
こんな程度のスワヒリ語会話も今まではできなかったのです。お恥ずかしい。いかに今まで仕事の相手やタクシーの運転手、レストランの従業員など、限られたケニア人との間で、ほぼ英語しか使ってこなかったかということです。
空気が少し澄んできたので、ナイロビ市街の中心方面が見えてきました。そのすぐ手前の緑の部分はンゴング森林自然保護区と我がカレン地区、中央右部を横に走る町はオンガタ・ロンガイ (Ongata Rongai) という名の町だと思われます。
そうだとすると、あらためて、カレン地区は緑に囲まれた環境の良い所だということを認識します。
高層ビル街も――写真は大修正した結果ですが――かなりくっきりと見えました。中央やや右寄りの先端が塔になっているビルが、現在ナイロビで最も高いブリタム・タワー (Britam Tower)。方角的には、そのすぐ膝元のあたりに広がっているのが、ケニア最大のスラムであるキベラ (Kibera) 地区ということになります。
帰路の、第3の丘を越えてからエントランスに戻るまでは、こんなに距離があったのかと思うくらい、長く感じました。疲れていたので歩くペースも落ちていたのでしょう。
それもそのはず。これほどまでに歩いたのは、しかもアップダウンのある山道を歩いたのは、ケニアに来て1年近くで初めてです(昨年は盛んに長岡の里山を歩きましたが)。自宅に戻ってからも、さすがに全身に疲れを感じます。
翌日に少々筋肉痛が出ましたが、これはリハビリ運動に通ってトレッドミルでウォーキングをし、自転車を漕いでいる成果でしょうか、軽くて済みました。むしろ顔面や首回りがヒリヒリします。久し振りに日に焼けたということです。
コロナ禍でずっと籠(こも)りがちな生活を続けてきましたが、ここにきて、ようやく本来の健康的な生活が始まったという気がします(後日追記:その後すぐにコロナの新規感染者数が急増し、再び籠りがちな生活が始まってしまいましたが)。