今回は、「律令国家における農民の暮らし」について考えてみたいと思います。
みなさんは、『続日本紀(しょくにほんぎ)』という歴史史料を知っていますか😊❓
古代国家は歴史史料の編纂を命じ、合計6つの史料を完成させました。
これらは「六国史(りっこくし)」と総称されています。
『続日本紀』は「六国史」の2番目の歴史書で、奈良時代の歴史の基本史料になります。
ちなみに1番目の歴史書が、『日本書紀』です。
この『続日本紀』に次のような文章が掲載されています。
「養老元年五月丙辰、詔して曰く、率土の百姓、四方に浮浪して課役を規避し、遂に王臣に仕えて、或は資人を望み、或は得度を求む。王臣本属を経ず、私に自ら駈使し、国郡に嘱請して遂に其の志を成す。茲に因りて、天下に流宕して郷里に帰らず。…(略)…。」
現代語訳してみます😊
「西暦717年5月17日、天皇(当時は女帝の元正天皇)のお言葉として伝えるには、全国の人民が、自らの本籍地を離れ、様々な場所に逃げて税を納めない状況である。王族や上級貴族に仕えたり、出家(しゅっけ:僧となること)したりして、税の負担を逃れている。また王族や上級貴族が、役所を通さずに、国司や郡司などの役人に直接頼んで、人民を勝手に自らの配下に入れている。こういう現状があるため、人民は郷里に帰ることなく、他所で生活している。…」
…❓❓
人民が本籍地を勝手に離れて、逃げている…❓❓
しかも現在の感覚で言えば、国民の義務ともなっている納税の義務を放棄している😲
ここで、国家と人民の関係を掘り下げてみます。
国家→口分田→人民
国家→ 租税 ←人民
上記の簡略な図は、班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)を示したものです。
口分田は、国家から全ての人民に貸し与えられる土地です。
公地公民制に基づいて、口分田が国家の所有地である以上、死亡したら口分田を国家に返却しなければならないことになります。
では班田(土地を分けること)収授(土地を回収したり分配したりすること)は、どのくらいの周期で実施されるのでしょうか❓
その周期は、「6年ごと」に実施されることになっています。
班田収授を6年に1度実施するために、6年に1度「戸籍」が作られることになります。
口分田は、「6歳以上」の全ての人民に配られるのですが、6歳になったらすぐにもらえるものではありません。
班田が実施される年に6歳でなければ口分田はもらえません😢
班田の年に5歳だった場合は、次回の班田、つまり11歳の時にようやく口分田をもらえるようになるわけです。
さて、口分田をもらうと税の負担が生じます。
これが「租(そ)」です。
租は口分田の収穫から3%程度の稲を納めるもので、税負担としては決して重いものではなかったと考えられ、口分田の分配は国家として人民の最低限度の生活を保障するための政策であったと考えられています。
稲で納める税には、「租」の他に「出挙」と呼ばれるものがありました。
この「出挙」という漢字を読むことができますか❓
授業で高校生に同じ質問をするのですが、結構読めなくて困ってしまいます😅
「出挙」は「すいこ」と読みます。
出挙は、国家が春に稲を「強制的に」貸し付け、秋の収穫時に利息とともに徴収する、という税でした。
出挙は、地方の重要な財源でした。
利息の上限は5割です。
私は高校生にこのような説明で、この重さを実感させています😊
「春に国家から100万円を貸し付けられて、今年も頑張って仕事をするように❢と言われる。そして秋になったら、頑張りました❢と言って150万円にして返すようなもの。」
生徒は、
「相当、厳しい…😓😓😓」
という反応をしてくれます。
では、もし返済できなかった場合はどうなるのでしょう❓
その場合は、役身折酬(えきしんせっしゅう)、つまり労働という形で返済しなければなりませんでした…。
この他にはどのような税負担があったのでしょうか。
このお話は次回にしたいと思います。