いやいや、超ご無沙汰で・・・
さて、今日のタイの紹介がらみで思い出話等をしてみようかと思った。
その前に、まずはおさらいから始めてみる。
未だにタイの織ネームに
"RALPH LAUREN"と"POLO RALPH LAUREN"の2つが何故あるのか?って質問を多く聞くけど、これは商標の問題で日本だと"POLO"の商標をポロは持ってなくて、正確に言うと他の会社が持ってるから使えないって事だ。
ブルックスブラザースが世界的にボタンダウンのシャツでポロの商標を持ってるからポロのボタンダウンに"POLO"が使えないのと同じで、だから日本製のタイには"RALPH LAUREN"のラベルが付いてる。
だから、あくまでもブランドはポロであってるって事だ。
で、ライセンスの日本製って今あるのか全然知らないけど25年位前からは゛田中栄光堂って会社が作ってた(作ってる?)って、例の"CHAPS"も一緒だ。
えっ25年前?、もっと前からあったでしょ?って、その前は今日紹介したタイのように゛菱屋゛って会社でライセンス生産をしていたんだけど倒産しちゃって、その後を(考えてみたら物凄い社名!)田中栄光堂が引き継いだ。
皆さん、このラベルを見たら95~96年以前の物って事だから結構古いぞ(笑)
おそらく今はイタリー製ばっかりだと思うけど、アメリカ製の物はこうなる。
そんな訳で、自分がポロに入ったのが90年ごろだから当然ライセンス生産のタイは菱屋製って事になる。
ただ、どういう事情やら何やらか分からないけどたまにアメリカ製の物もあったりして、当時゛アメリカかぶれ゛の自分としてはアメリカものの方が良いに決まってるじゃ無いかって事で良くソッチを選んでいたような記憶がある。
どっちかって言うと、アイコニックなプリント柄に多かったような気がするけど、今思えばただの偏見だったと反省しております、はいっ(笑)
菱屋と言えば、遥か昔には゛パンチでデート゛(古っ)のメインスポンサーをしていたし、それこそタイと言えば菱屋!って位の位置づけだったろうし、もちろん会社員はもれなくタイを締めなくちゃいけない時代だった。
ちなみに78年位にポロ社が日本でライセンスビジネスを始めた時からタイは菱屋って事で品質も間違いなかったはずだ。
そうして日本のトラディショナルブームもあり、タイにとどまらずに"GEORGE KENT"って言うブランド&ショップで洋服なんかも展開した、そんな会社だ。
所が、コレがまずかったらしくて25年前に・・・って話を大分前に誰かに聞いた覚えがある。
ポロだと、他の洋服なんかとは違ってシーズン前に数を出してその枚数が入ってくるんじゃなくて、シーズン初めに一通りお任せで店に並べて週一で営業が補充しに来るってスタイルだった。
確か銀座の店だと月曜の朝一にI君がタイを何十本か詰め込んだアルミのケースでやってきては売れた物を補充してた。
30年も前の事なのに、なぜかそんな点の記憶があるのも不思議なんだけど、どうしてかって言うと・・・
その後、RRLの準備で銀座の店を離れちゃったから、自分がいてI君が営業で店に来てた期間、要するに付き合いがあった期間は大体3年くらいで、それからRRLでクソ忙しくなりポロのタイの事なんか微塵も頭に無くなって、そう丁度そのころに菱屋が無くなっちゃって、そんな出来事もチラッと聞いたくらいだった。
ところが、何年後かにI君が銀座の店に自分を訪ねてきたことを聞いて・・・っていきさつがあっておそらく記憶に残ってるんだと思う。
時は流れて、日本製の(ライセンスの)物が殆ど無くなりポロばっかり作っていた重衣料の工場も無くなっちゃったし、おそらく「あーだのこーだの」なんて言う切磋琢磨も無いんだろう・・・
多分想像するに、与えられた仕事を粛々とこなすって言うような今なんだろう?
゛役割分担゛って意味じゃ凄く効率的で良いんだろうけど、店単位でいろんなイベントなんかもやったり、当時はクレームが怖くてやってなかったオイルクロスを無理言って輸入してもらったり、思い出すと中々楽しかったな~なんて感傷に浸ったりする還暦って訳で、ココは1つ四半世紀ぶりにI君にも会いたくなっちゃった今日この頃だ。
もしも万が一、十万が一、いや百万が一コレを読んでたら是非ともご一報を!