何度も何度もくどいようだけど、とにかくファッション界に危機感を感じる。

「ったく今はよ~」なんて、良くあるオッサンの愚痴って言われかねないけど、決して自分の若かった頃の良い時代を思い出しているだけの懐古趣味ではなく、確実に衰退しているのは紛れもない事実だ。

 

一本筋の通ったモノづくりと、その信念を守った販売。

こんなものはとっくに忘れ去られたように感じるのは何も自分だけじゃないと思う。

60年代のVANに始まり、その後の海外ブランドの進出や、タケノコ、DCブランドの台頭、ハマトラにサーファーブーム、ハウスマヌカンがもてはやされたり・・とたどり経済の状況と共にファッションの世界もやがて衰退していくこととになった。

極一部の限られたブランドの流行なんかはあるけど、ヤッパリ長続きはせずに、また次の゛何か゛にとってかわられる世代交代の早い、そんな世界。

 

こうして長年、しかも日本でのファッション界の中でも特に変化が激しい時代、世界をその時の自分の立場から眺めていて、そう思えるわけだ。

まぁ、偉そうなことを言ってみても、実際にモノづくりの立場としていたことは全然ないから、実はそんなに上から目線で偉そうに言えないけど、逆に素直に冷静に見てこられたところもあり、そんなこんなでやっぱり現状はひどい物だとかんじざるを得ない。

 

で、日本の草分けであるVANに携わっていた当時ペーペー(失礼)の人にしても、軽く70を超え流石に殆どが引退している。

で、来週還暦を迎えちゃったりする自分も含め60前後が次の世代になる。

で、今のアパレルを実際に動かしているのは40台なんだろうか?

 

第一世代と勝手に呼ばせてもらうけど、当時のジイサン達はVANやメンクラが゛先生゛であり、そして、先生が言うことは絶対、絶対だから服従しなければいけなかった。

ブレザーは3つボタンの上2つ掛け、パンツはカフ付きで・・・

で、これはルールだから絶対服従(くどい?)

ルールを守らないヤツは村八分であり、要はオシャレじゃなかった。

 

今、思うとココントコに日本のファッション後進国の原点があったんじゃ無いかと思う。

トラディショナルウェアのルール・・・これはあくまでもルール、と言うか基本であって、ファッションじゃなかったのに、それをファッションとして、それこそVANやメンクラがファッションとしちゃったのが間違えだったんじゃないだろうか?

勿論、ファッションの前提としてTPOや、それに沿ったルールがあるんだから別物と言うには無理があるけど、ルールにのっとったファッションと言うプロセスがなく、ルールがそのままファッション、結局はルールを守ることがオシャレって勘違いを生んじゃったんじゃないかな?

 

だから、その世代のジイサンはファッションが進化したり新しいブランドが登場しても、ルールから少しでも外れていれば、オシャレではなく受け付けなかったのかもしれない。

そして、ソレはそのまま次の世代(60前後)に引き継がれ、古いものと新しい物とのはざまや上からのプレッシャーで、やや困惑していたのかもしれない。

「新しい物を受け入れたい、でも伝統的なルールに縛られて中々素直に受け入れられない・・・」

 

VANが倒産し、巣立っていった人たちを中心にポストVANたるブランドが次々と登場して、そんな中アメリカなんかから゛自由な発想をもったトラディショナルブランド゛が輸入される時代に若かったのが自分たちの世代なんだけど、この世代はまさに楽しくもあり辛くもあった世代だ。

゛こうじゃなくちゃダメ゛って育ったのに゛こうじゃなくてもいいんだ゛って言われてもホイホイと受け入れられもしないし、逆に少しは解放されたような複雑な、迷える若者だった(笑)

 

で、そこからいきなりヨーロッパ方面に行ったりDCに行ったり頑なにVANの精神を踏襲したり分かれて行った。

と言う自分は、当然ラルフ・ローレンの影響もあり゛自由なトラディショナル゛と言う無難な路線に落ち着いたって訳だ。

 

これが、DCの方に行ってたり・・・って思うと今がまるて゛想像出来ないし、今になってつくづく結果オーライって思える(笑)

しかも、丁度釣りとかキャンプを始めた頃でライフスタイルに沿った服選びってのを地でやってたし・・・って

「どうだ、俺って凄いだろ、ワイルドだろっ」になっちゃったけど、まぁそんなベースがあっての日々の若者に対しての説教に役立ってるってことで、感謝しろよ!ってどこまで上からなんだよ(笑)

 

で、そんなころから日本経済はどんどん強くなっていって大リーグのオーナーになったりニューヨークのビルを買っちゃったりする日本企業も出たり、要はイケイケだった。

当然ファッション界も活気づいて高い物もたくさん売れ多様化していった。

そうなればますます、基本なんか無視、そんなの知らなくても問題無しって感じの、オッサンから言わせれば邪道の物も多くあらわれた。

そして、この辺からは思い出せる人も多くなってきたと思うけど、例のバブルの崩壊からの長い長い経済低迷とリーマンショックでデフレデフレを引きづったまま現在に至るって流れだ。

 

アパレルも、少ない予算の中、何とか人を引き付けようと面白い物を作ろうとしたけど、中々消費者は乗ってくれず、最終的には普通っぽい物、最最最終的には゛コスパ゛になっちゃった・・・

 

過激なタイトルになっちゃった、今日のブログだけど案の定長くなっちゃってるんで、続きは次回にって事にするけど、例によってまとまらない可能性大なので全然違う話にもなりそうで・・・

まぁ、そんなわけで前半の今日は半世紀の流れってことで。

 


 

昨日書いてる途中に時間切れになっちゃったんで、今日はまずコッチのブログからスタート。

 

もうすぐ梅雨明け。

まぁ、クソ暑いの仕方がないとしても少なくとも天気は安定してある程度は安心安全な釣りが出来るようになる季節がやってくる。

 

特に、朝一の渓流釣りなんかはそこに身を置くだけでも気持ちの良い物だ。

 

ところで、釣り人は゛釣果最優先゛派と゛釣果二の次゛派に分かれるんじゃないかと思う。

「行くからには絶対に釣らなくちゃ、だからその為に最新のタックルを揃えて万全の態勢で!」

「いやいや、遊びで行くんだからガツガツしないでのんびりと気に入った道具で。釣れたらなお良いけど自分のスタイルで!」

で、あなたはどっち派?

 

えっ、自分?

そうね、どっちかって言えば海なんかは前者かな、でも淡水は後者だな。

 

って訳で、これはロケーションによるところが大きいと思う。

例えば船に乗って行ったなら、釣ること以外に何もすることないし釣船代、元取らなくちゃってのもあるし(笑)

でも、川とか湖は周りに遊ぶものが沢山あるし、一息ついてだらけるってのも良いしね。

 

そんな訳で、更には゛海水派゛と゛淡水派゛にも分かれることになってきてちょいと複雑になっていくんだけど、それもこれも釣るための基本が身に付いてから言えるって事で、最低限釣れるためのメソッドが備わっていなければ、まずは釣果優先にならざるを得ない。

 

釣りを始めたいんだけど、何をどうしたら良いのかなんて最初はサッパリだよね。

特にルアー釣りともなれば道具もルアーも千差万別で、沢山並んだ竿やルアーなんか何を選べばいいのかなんて全く?だと思う。

勿論便利な時代だから、指南動画もたくさんあるだろうけど、

じゃあ、どれが正解かなんてのも事件は現場で起きるわけだから

やってみなくちゃわからない・・・

もっと言えば現場に行ってみても答えは見つからない。

 

そんなわけで、一番良いのはエキスパートって言われるような人に連れて行ってもらうのがベストなんだろうけど、身近にいなかったらどうしようもないし、情報があふれてる時代とは言っても最初の1匹にたどり着くまでは結構大変なものだ。

釣り堀って手もあるけど、アレはアレで特殊な釣りになっちゃってる感があるし、普通の川なんかにはあまり通用しない。

 

で、いつだかに書いた、キャンプの話と同じで最低限そろえてトライ&エラーを繰り返して行くってのが結局は一番の近道なんじゃ無いかと思うんだ。

生き物が相手で、自然条件にも影響される遊びだからキャンプなんかよりもっと大事かもしれないし。

 

多くのルアーメーカーはこうして初心者にも、一通り知っちゃったエンスーにも受けがいいような新型ルアーをどんどん出してくる。

゛押しの強い流れに対して負けないようなヘビーウェイトミノーはやる気のあるパワフルなトラウトに強烈にアピールして食い気を誘う」

って言われても、

「えっ何、どういうこと?」でしょ。

「よりナチュラルなリアルベイトを意識したカラーは今年の注目!2021年限定カラーで釣果アップ!」

って言われたら、じゃ去年のじゃダメなの?って。

 

ってこんな文句、実は洋服のコメントに似てない?

「この丈感は涼しげな足元をアピールして好感度アップ」とか

「今年注目のカラーはコレッ!」とか・・・

何時だか書いたかもしれないけど、要は魚を釣る為じゃなくて人を釣るための文句って事だよね。

 

湖にピクニックに行ってたまたま水に落としたスプーンに魚が食いついてきた・・・みたいなスプーンの話だったり、疑似餌の起源ってのは色々とあるけど、太古から生き延びてきた魚が実際の餌以外の人工物で釣れるってわかってから数百年。

それから進化に進化を重ねてからの2021年限定カラーは21年時点で最も釣れるルアーなのかもしれない。

ってそんなことは絶対にないと思う。

「おおっ、こんな色見たことないぞ新色か?旨そうじゃ無いか!」

なんて気が付く魚だったらとっくに人間滅ぼされてるだろっ!

 

で、ルアー初心者に必ず

「これだけは買っとけ」ってスプーンがあるんだけど、もうかなりのベーシックで多分30年くらいは売られ続けてるはずで、別に新しくもなんともない。

それで実際、釣れてるし、釣りなんてそんなものだ。

 

勿論魚も結構賢くて、俗に言う

゛スレ゛ってのがあるから同じところで同じルアーや色を使ったら釣れなくなるけど当然21年新色で釣れず50年前のルアーで釣れたってのも当たり前にある。

 

どういうことかと言えば、とにかく最初は基本をマスターして、それが出来上がったらそこから自分なりにルアーのローテーションを作り上げたりしながら気に入ったルアーを見つけるのが大事って事だ。

基本を何も知らずに

「ヘビーウェイトのミノーが釣れるんだ」って言ったところで根掛かりして無くしちゃうのが関の山だ。

 

って、またまた洋服と似た話でしょ?

流行ってようが、イケテルって言われようがトレンドだって言われようが、何だろうが基本が出来て無けりゃそんなの着こなせるわけがないって事。

 

とにかく、何事も基本が大事って事だ。

 

 


 

 


 

 

4日を引っ張って今日も・・・って事でパッチワークについて書こうと思った。

パッチワークと言えば、コレを読んでる人の多くはポロやRRLの凝ったのを連想すると思う。

確かに、クレージーマドラスに代表されるパッチワークはとてもアメリカっぽくて、ジャケットにパンツやその他多くのウェアに取り入れられている。

で、そのルーツをたどっていくと゛アメリカンキルト゛にたどり着くはずで、開拓→建国→生地の輸入、生産・・・と生地が増えて行けばいくほど端切れも増えてアメリカンキルトのバリエーションも豊富になって、アメリカの1つの文化にもなっている。

古いキルトなんて物凄い金額で取引されているようだし、こうなっちゃうとどうなんだろう?とも思うけど、とにかくアメリカの歴史の1つにもなっているようだ。

 

そんなわけで、パッチワークの始まりはアメリカって思ってる人もたくさんいるかもしれないけど、実はそのもっと昔から存在していたらしい。

そりゃそうだよね、世の中に生地ってものが出来れば当然端切れは出るわけで、勿体ないと思うのも当然で、そしたらそれをつなげてまた何か作ろうかってのも当然の話。

まさに、大昔からサスティナブルの精神があった・・・てのは後付けで、そんな時代は、ただ貴重なものを無駄はしたくないって純粋な精神だったはず。

色々な生地を工夫を凝らして1針1針縫って作り上げるパッチワークには温かみがあるのは言わずもがなって所だろう。

それが今じゃ(とは言ってもここ何十年だろうけど)リサイクルな物では無くてパッチワーク用にデザインされた生地の1種類になってる。

ツイル、、ヘリンボーン、ダック、パッチワーク・・・って具合に。

工程にしても、よくわからないけどおそらくプログラミングすれば相当複雑な柄でも機械がやってくれそうだ。

当然、クオリティは高くて縫い代が裂けちゃうなんてこともあまりないだろうし着るには都合が良いのかもしれない。

 

ただ、ヤッパリそこに愛はあるんか、愛は?

じゃなくって、手作りの暖かさだったりぬくもりは何1つないと思う。

思う、じゃなくってないよね。

それじゃ、ビンテージの生地を使った手縫いのもの以外着るな!って事になっちゃう、極端な話。

 

って、それじゃあまりにも悲しい(笑)

じゃ、どうすれば良い?

 

なるべく素朴なものが良いんじゃ無いか?

織り方や色をいかにも計算して見栄えを良くしたようなものは、それはそれで良いのかもしれないけど、やっぱりパッチワーク本来の温かみや風合いは無いと思うんだ。

 

もはや、手でミシンで縫ったのなんかあるわけないけど少なくとも素朴な味があってシンプルな物を選ぶのが良いと思う。

そこがパッチワークの本質だし、そこんとこを楽しむのが本来の選ぶ基準のはずだから。

 

とは言っても・・・

そんな事言ってたら、そんなもの何時になったら見つかるかわからないし、そんな感覚ばっかりで物を選んでたら゛世捨て人゛みたいになっちゃうから、ここは1つ物選びの参考までにって位のスタンスで。

 

それにしても毎回毎回口うるさいオッサンだ(笑)

 

 

 

再開したとは言え中々コンスタントに更新できずに・・・

 

で、建国記念日って事で4日あたりにまつわる話を書こうかと思って、ウィキでチトアメリカの事を読んでみたら、コレが長い長い。

世の中知らないことだらけ(笑)

 

実は、ウェブの情報を駆使して(笑)アメリカのアパレル史について書こうかなって思い、そりゃ当然ブルックスブラザースから始めなくちゃって、そういえば200年の歴史のあるブルックスにしたって無くなっちゃう時代なんだなって考えてたら何だかむなしくなっちゃって。

まぁ、名前だけは残ってるからソコントコは微妙っちゃあ微妙だけど、とにかく寂しい。

 

で、そんなところから指向を変えて書いてみることにする。

そんな歴史あるブルックスは当然日本のファッション界に与えた影響も大きく、当時゛日本オリジナル゛って思われていた節もあるVANだって後からいろいろと知っていけばブルックスやJプレスのパクリ(ゴメンナサイ・・・)だったわけでボタンダウン(ポロカラー)にしたってブレザーにしたってほとんどの物がブルックスに代表されるアメリカのメーカーを模倣したもの。

 

自分が丁度服に興味が出てきたころに倒産したVANの後に色々なドメスティックブランドが勢力を拡大して同時に本家アメリカブランドも日本に続々と入ってきた・・・って話はチョイチョイしているんだけど、それ以前にもアメ横で売られていたりしたアメリカ物ってのは、ヤッパリ当時の若者の憧れだった。

VANしか知らなかったところに、本場の物を知る、着られる機会が急激に広まったんだから、こりゃもう楽しくて仕方がなかった。

何時の時代にも新しいカルチャーが現れて忘れられたり定着したりするけど、インターネットなんか無かったあの時代の自分で苦労して掘り下げて行ったりしてた楽しみなんてのは、絶対に今じゃ味わえないと思う。

苦労して手に入れた物も、それだけ大事にしたしね。

 

そうして、VANと言う鳥かごから放たれた鳥たちは一気にアメリカへと飛び立って

「アメリカの物最高!」を知ってしまった訳で、そうなったらもうアメリカの物、アメリカ製しか受け付けなくなっちゃったんだ。

だから、特に昭和中期生まれあたりのオッサンってのは

「アメリカ製じゃなくちゃダメだ!」と言うこだわりが強い。

これはもっとさかのぼれば、戦争に負けてその後多くの物が輸入され、日本が豊かになった1つの感覚的な物なのかもしれないと思う。

コンプレックスと憧れの両方を持ち合わせた世代でもあるから・・ってあながちこじつけでも無いと思う。

 

そんなこんなの背景もあって、多くの?一部の?オッサンたちには未だに゛アメリカ製至上主義゛が根付いているんだと思う。

ただ、コレは潜在的な物でもあるから自分では何故かがわからない。

「アメリカのブランドなんだからアメリカ製じゃなくちゃ」とか

「やっぱりアメリカ製は味があるよね」なんて言う単純な漠然として根拠じゃなくて、本質的にどうしてアメリカ製が良いのかっていう根拠は中々言葉にするのが難しい。

 

たまに若者でもアメリカ製に心酔・・・と言う変態もいるけど、それもおそらくは年配者の影響だろうし、どう教わったのかは知らないけど、

「なぜアメリカ製が良いの?」って聞いてしっかりと理論的に答えられるオッサンはそうそういないと思う。

 

で、ここまで読んで

「そんな事どうでも良いよ」って人はここでさようなら~だけど、

「言われてみたら、そりゃそうだ」ってオッサンはここからじっくりと読んでほしい。

 

話はチトそれるけど、アメリカのアウトドアブランドの代表としてノースフェイスがあるでしょ?

現状人気度マックスだけど、じゃ果たしてアジアで大量に作られてファッション化しちゃったものがノースなのか?

いやいや、ヤッパリこの間亡くなっちゃった、あのおじさんが実際ミシンを踏んでたんじゃ無いかって思われるような時代の物が正真正銘ノースって呼べるんじゃないか?

 

こんな話を前にしたと思うけど、まさにソコントコがキモなんじゃ無いかって思う。

 

それから何年か前に登場したイタリア製(企画?)のウールリッチなんかもそうだと思う。

昔ながらのウールリッチ好きにとってみりゃイタリアのウールリッチなんてのは完全に邪道扱いでしょ?

だって1830年にアメリカでスタートした、言ってみれば゛ザ・アメリカ゛ってメーカーが何でイタリア?って話だから。

 

ってここまで軽く読んでみて何となくわかったと思う。

 

大事なのは

゛アメリカ製゛と言うどこで作られた、では無くて゛アメリカを感じられる゛ことが大切って事。

だから、ファッション寄りにかなり振られたウールリッチはもはやアメリカを感じられないから真にはアメリカンじゃないって事になる。

逆にアメリカ製じゃなくても、伝統を感じられるアメリカンなものであれば受け入れても良いんだ。

だから例えば、アメリカンなデザインの日本ブランドがあってアメリカっぽい物を作っても一生本物にはなれない。

そこで、結果としてアメリカブランドのアメリカ製が本物だって言う1つの指標になる。

ココントコは大事だと思うけど、でもあくまでも指標だ。

 

バーボンウィスキーってのはトウモロコシ原料のケンタッキーで作られたものだけを言うでしょ?

仮に、他の地で同じものを作ってもバーボンって呼べない。

でも味は一緒じゃんって訳で、でもせっかくなら本家本物の方が良いよね。

要するに、本物が良いか、ポキャ良いかって話だ。

だから日本ブランドの作るアメリカっぽい物だったら、せっかくなら本物を選びたいよねって事で、それがアメリカ製だったらなお良いじゃんって位のスタンスが良いんじゃないかな?

 

何となくわかったかわからないか、それが良くわからないかもしれない(笑)と思うんで更に突っ込んで・・・

 

そうは言っても、今まで゛MADE IN USA゛なケアラベルに頼って来た人達には゛アメリカン゛な物を選べって言われてもそう簡単じゃないと思う。

 

そこで話はクルリンパと戻って、最初に書いたウィキ。

まぁ、ウェブの情報なんて・・・って細かいところはここでは置いといて、洋服じゃないところの、もっと言うとバカデカイ歴史なんかを知っていくと良いと思う。

何年ごろに何があって、こんなことが起きて・・・そんな歴史を調べた中に洋服や自分の嗜好をはめていくと面白い。

ブルックスの操業は1818年、

「へぇ、独立から42年後なのか」とか

「ウールリッチの操業は1830年、ゴールドラッシュが始まったのが1848年だからそのころはさぞかし儲かったんだろうな?」

なんて想像したりすると、そこから

「じゃどんな物を着ていたんだろう?」

「どんな着方をしてたんだろう?」なんて想像が出来る。

まぁ501なんてのが典型なんだろうけど、そうすると徐々にアメリカ製が大事なんじゃなくてアメリカの生活や当時の環境なんかを感じ取るのが大事な事なんじゃ無いかって気が付くと思う。

 

そうすれば、当然必然的にウールリッチがウールリッチたる物、ブルックスがブルックスとして存在していた頃のボタンダウンに結果行き着くことになる。

で・・・そう、そんな感覚と感性で選んで行くと結果として勝手にアメリカ製になっちゃう、かも?

 

そういう、いわば訓練をしていくとこケアラベルに頼ることなく、こだわることなく゛アメリカン゛な物を選べるようになって、どこ製の何も書いてない雑貨なんかも感覚的に古いアメリカの物なんてのも識別できるようになってく。

 

そう、これが本当の

゛アメリカものにこだわる゛満足感と言うことだ。

 

で、更には゛ファッション゛ではない本当の自分の゛スタイル゛が最終的に確立できる。

 

最後に・・・

絶対にアメリカ製しか着ないってのはとても心が貧乏になる。

なんでかって言うと、持つものに偏りが出てコーディネイトに無理が生じて窮屈な組み合わせになりがちだし、せっかく柄が気に入ってもアメリカ製じゃなくちゃ買わないなんてのはそれこそ心が寂しくなっちゃうでしょ?

 

どう?

「アメリカ製じゃなくちゃダメだ」って根拠のない拘りから解放されたかしら?
 

 

※編集して投稿しようとしたら、先月に・・・

読んだ人はスルーしてくださいね。

 

梅雨入りした。

例年よりも少し遅い梅雨入りらしいけど、本当に毎年毎年鬱陶しい季節だ。

で、何がってとにかく犬の散歩がままならない。

たまたまうちのは中でも外でもおしっこ、う〇こが出来るしチッコイから外に出なくてもそんなに苦労はないんだけど、雨が降ろうが槍が降ろうが散歩に行かなくちゃならないってのは大変だと思う。

そして梅雨が明けたら、って言うかもうそんな日も十分あるけど強い日差しで暑くなったアスファルトはきついと思うし、とにかく3か月くらいは犬にとっても人間にとっても大変だ。

 

で、近況なんだけどどっちも元気で外でも部屋でも屈託なく無邪気に過ごしてる。

ちなみに、最近犬の壁ドンが流行ってるようでコレは、

犬を持ち上げて壁に近づけた時に、ちゃんと足を出して突っ張れば賢い犬、顔からベチャンと言っちゃえば賢く無い犬らしくて試しにまつこもくにもやってみた。

 

両方に会ったことある人は大体予想が付くと思うけど、って自分もそうだけど、コレがまた見事に予想的中って訳で、まつこはしっかりと足を出したけど、くには顔面壁ドンだった(笑)

 

こうして、晴れの日も雨の日も楽しく過ごしてる・・・とは言え何度も言ってるようにまだ少し気管虚脱が心配なくになんで留守番が普通になっちゃってる。

で、帰った時に凄いことになってコレは是非とも動画にとって見たいと思ってるんだけど、物凄いエズラになる事間違いないんで間違っても公開なんかできやしない(笑)

一応言葉で説明しとくと、獲物に群がるハイエナって感じで顔をめがけて突進して、コッチはもうなすすべがない。

一体飼い主をなんだと思ってるんだ(笑)

なんて言っておいて、コッチもそれが至福の時だったりするから・・・ってただののろけかよっ!だよね(しかも犬・・・)

 

そんな日々を送ってる訳だけど、ここ最近微妙な変化がたまにある。

 

犬ってのは飼い主が帰ってくるときに物凄く遠くでもわかるって言うでしょ?

まぁ、もともとうちの2匹は゛その気゛があまりなくて玄関のかぎの音でようやく気が付くくらいなんだけど、部屋を開けるまでまつこが気が付かないで寝てるって事が。

 

勿論、気が付けば「トリャ~!」って感じでとびかかってくるんだけど、飼い主チト寂し・・・

って別に耳が遠くなった訳でも無いし鼻が利かなくなった訳でも無くて、良いように解釈すれば、一言落ち着いてきたって感じ。

 

思い出せば、小さいころなんかどれくらいの紐をちぎってどれくらいのおもちゃやスリッパなんかを破壊したか?。

それが5歳を過ぎ、いやいや大人になったな~なんてつくづく思う。

犬を飼ってる人なんかは当然知ってると思うけど単純に人間の6~7倍らしいから、すっかり三十路、アラフォーって事で、逆に落ち着かない方が変なのかもしれないけどで、今思えばクソやんちゃだったころから5年以上も経ってるのがなんだか短すぎて、まぁ自分も年取ってるんだけど、もう40前か・・・って思っちゃう。

 

今時の平均寿命から計算するとあと10年くらいはご健在なはずで、まだまだだななんて思うけどたまに見せる素っ気なさとか、些細な変化を感じると、ついついあと何年?って考えちゃったりする。

勿論本人はそんな事考えてるわけもなく、考えられるわけもなく1日1日をめいいっぱい生きてる。

そんな風に思うたびに、日々を大事にしなくちゃいけないなって改めて感じちゃうんだ。

 

おそらく、あと10年なんてのはあっという間に来ちゃうんだろうから・・・