再開したとは言え中々コンスタントに更新できずに・・・

 

で、建国記念日って事で4日あたりにまつわる話を書こうかと思って、ウィキでチトアメリカの事を読んでみたら、コレが長い長い。

世の中知らないことだらけ(笑)

 

実は、ウェブの情報を駆使して(笑)アメリカのアパレル史について書こうかなって思い、そりゃ当然ブルックスブラザースから始めなくちゃって、そういえば200年の歴史のあるブルックスにしたって無くなっちゃう時代なんだなって考えてたら何だかむなしくなっちゃって。

まぁ、名前だけは残ってるからソコントコは微妙っちゃあ微妙だけど、とにかく寂しい。

 

で、そんなところから指向を変えて書いてみることにする。

そんな歴史あるブルックスは当然日本のファッション界に与えた影響も大きく、当時゛日本オリジナル゛って思われていた節もあるVANだって後からいろいろと知っていけばブルックスやJプレスのパクリ(ゴメンナサイ・・・)だったわけでボタンダウン(ポロカラー)にしたってブレザーにしたってほとんどの物がブルックスに代表されるアメリカのメーカーを模倣したもの。

 

自分が丁度服に興味が出てきたころに倒産したVANの後に色々なドメスティックブランドが勢力を拡大して同時に本家アメリカブランドも日本に続々と入ってきた・・・って話はチョイチョイしているんだけど、それ以前にもアメ横で売られていたりしたアメリカ物ってのは、ヤッパリ当時の若者の憧れだった。

VANしか知らなかったところに、本場の物を知る、着られる機会が急激に広まったんだから、こりゃもう楽しくて仕方がなかった。

何時の時代にも新しいカルチャーが現れて忘れられたり定着したりするけど、インターネットなんか無かったあの時代の自分で苦労して掘り下げて行ったりしてた楽しみなんてのは、絶対に今じゃ味わえないと思う。

苦労して手に入れた物も、それだけ大事にしたしね。

 

そうして、VANと言う鳥かごから放たれた鳥たちは一気にアメリカへと飛び立って

「アメリカの物最高!」を知ってしまった訳で、そうなったらもうアメリカの物、アメリカ製しか受け付けなくなっちゃったんだ。

だから、特に昭和中期生まれあたりのオッサンってのは

「アメリカ製じゃなくちゃダメだ!」と言うこだわりが強い。

これはもっとさかのぼれば、戦争に負けてその後多くの物が輸入され、日本が豊かになった1つの感覚的な物なのかもしれないと思う。

コンプレックスと憧れの両方を持ち合わせた世代でもあるから・・ってあながちこじつけでも無いと思う。

 

そんなこんなの背景もあって、多くの?一部の?オッサンたちには未だに゛アメリカ製至上主義゛が根付いているんだと思う。

ただ、コレは潜在的な物でもあるから自分では何故かがわからない。

「アメリカのブランドなんだからアメリカ製じゃなくちゃ」とか

「やっぱりアメリカ製は味があるよね」なんて言う単純な漠然として根拠じゃなくて、本質的にどうしてアメリカ製が良いのかっていう根拠は中々言葉にするのが難しい。

 

たまに若者でもアメリカ製に心酔・・・と言う変態もいるけど、それもおそらくは年配者の影響だろうし、どう教わったのかは知らないけど、

「なぜアメリカ製が良いの?」って聞いてしっかりと理論的に答えられるオッサンはそうそういないと思う。

 

で、ここまで読んで

「そんな事どうでも良いよ」って人はここでさようなら~だけど、

「言われてみたら、そりゃそうだ」ってオッサンはここからじっくりと読んでほしい。

 

話はチトそれるけど、アメリカのアウトドアブランドの代表としてノースフェイスがあるでしょ?

現状人気度マックスだけど、じゃ果たしてアジアで大量に作られてファッション化しちゃったものがノースなのか?

いやいや、ヤッパリこの間亡くなっちゃった、あのおじさんが実際ミシンを踏んでたんじゃ無いかって思われるような時代の物が正真正銘ノースって呼べるんじゃないか?

 

こんな話を前にしたと思うけど、まさにソコントコがキモなんじゃ無いかって思う。

 

それから何年か前に登場したイタリア製(企画?)のウールリッチなんかもそうだと思う。

昔ながらのウールリッチ好きにとってみりゃイタリアのウールリッチなんてのは完全に邪道扱いでしょ?

だって1830年にアメリカでスタートした、言ってみれば゛ザ・アメリカ゛ってメーカーが何でイタリア?って話だから。

 

ってここまで軽く読んでみて何となくわかったと思う。

 

大事なのは

゛アメリカ製゛と言うどこで作られた、では無くて゛アメリカを感じられる゛ことが大切って事。

だから、ファッション寄りにかなり振られたウールリッチはもはやアメリカを感じられないから真にはアメリカンじゃないって事になる。

逆にアメリカ製じゃなくても、伝統を感じられるアメリカンなものであれば受け入れても良いんだ。

だから例えば、アメリカンなデザインの日本ブランドがあってアメリカっぽい物を作っても一生本物にはなれない。

そこで、結果としてアメリカブランドのアメリカ製が本物だって言う1つの指標になる。

ココントコは大事だと思うけど、でもあくまでも指標だ。

 

バーボンウィスキーってのはトウモロコシ原料のケンタッキーで作られたものだけを言うでしょ?

仮に、他の地で同じものを作ってもバーボンって呼べない。

でも味は一緒じゃんって訳で、でもせっかくなら本家本物の方が良いよね。

要するに、本物が良いか、ポキャ良いかって話だ。

だから日本ブランドの作るアメリカっぽい物だったら、せっかくなら本物を選びたいよねって事で、それがアメリカ製だったらなお良いじゃんって位のスタンスが良いんじゃないかな?

 

何となくわかったかわからないか、それが良くわからないかもしれない(笑)と思うんで更に突っ込んで・・・

 

そうは言っても、今まで゛MADE IN USA゛なケアラベルに頼って来た人達には゛アメリカン゛な物を選べって言われてもそう簡単じゃないと思う。

 

そこで話はクルリンパと戻って、最初に書いたウィキ。

まぁ、ウェブの情報なんて・・・って細かいところはここでは置いといて、洋服じゃないところの、もっと言うとバカデカイ歴史なんかを知っていくと良いと思う。

何年ごろに何があって、こんなことが起きて・・・そんな歴史を調べた中に洋服や自分の嗜好をはめていくと面白い。

ブルックスの操業は1818年、

「へぇ、独立から42年後なのか」とか

「ウールリッチの操業は1830年、ゴールドラッシュが始まったのが1848年だからそのころはさぞかし儲かったんだろうな?」

なんて想像したりすると、そこから

「じゃどんな物を着ていたんだろう?」

「どんな着方をしてたんだろう?」なんて想像が出来る。

まぁ501なんてのが典型なんだろうけど、そうすると徐々にアメリカ製が大事なんじゃなくてアメリカの生活や当時の環境なんかを感じ取るのが大事な事なんじゃ無いかって気が付くと思う。

 

そうすれば、当然必然的にウールリッチがウールリッチたる物、ブルックスがブルックスとして存在していた頃のボタンダウンに結果行き着くことになる。

で・・・そう、そんな感覚と感性で選んで行くと結果として勝手にアメリカ製になっちゃう、かも?

 

そういう、いわば訓練をしていくとこケアラベルに頼ることなく、こだわることなく゛アメリカン゛な物を選べるようになって、どこ製の何も書いてない雑貨なんかも感覚的に古いアメリカの物なんてのも識別できるようになってく。

 

そう、これが本当の

゛アメリカものにこだわる゛満足感と言うことだ。

 

で、更には゛ファッション゛ではない本当の自分の゛スタイル゛が最終的に確立できる。

 

最後に・・・

絶対にアメリカ製しか着ないってのはとても心が貧乏になる。

なんでかって言うと、持つものに偏りが出てコーディネイトに無理が生じて窮屈な組み合わせになりがちだし、せっかく柄が気に入ってもアメリカ製じゃなくちゃ買わないなんてのはそれこそ心が寂しくなっちゃうでしょ?

 

どう?

「アメリカ製じゃなくちゃダメだ」って根拠のない拘りから解放されたかしら?