鞆の浦二千年の歴史を紐解く“鞆の浦研究室”/Discovery! 鞆の浦 -8ページ目

沖浦吉郎兵衛・瀬戸内海の「佐倉宗五郎」

沖浦吉郎兵衛 功徳碑
沖浦吉郎兵衛 功徳碑 posted by (C)鳶眼

【沖浦吉郎兵衛】
嘉永五(1852)年生ー明治三十三(1901)年没

◎出生:鞆平網元の家
◎渾名:瀬戸内海の「佐倉宗五郎」

明治十七(1884)年8月25日、吉郎兵衛32歳の頃、北海道・沖縄を除く九州から東北まで、日本全土に甚大な被害をもたらした巨大台風が発生。全国での死者数1992人にまでおよぶ。
鞆の浦もその例外ではなかった。平地区の波止場は怒濤の大波により破壊された。


住むさとの末たのもしく思ひなば 
こころ一つにつくせ皆なびと


<住む里の、末、頼もしく思いなば、心をひとつに、尽くせ、皆人>

※波止の復旧作業と整備に奔走した『沖浦吉郎兵衛』が詠んだものと言われている句



明治二十年代には、鞆後地村漁協を発足。その組織のリーダーとなる。
当時、燧灘は、鯛・鰆(サワラ)などの好魚場として、鞆の漁民だけではなく、広島・岡山県はもとより、対岸の四国は愛媛県の漁船で賑わっており、江戸時代から魚場争いも絶えなかったという。

明治二十二(1889)年、ついに、岡山県(笠岡・真鍋島など)の漁業者と、鞆・走島の漁業者との間で紛争が勃発。その時、吉郎兵衛が仲裁に入り卓越した交渉力で調停した。そのお手並みに感じ入った岡山県知事は、吉郎兵衛を表彰したという。

明治二十六(1893)年4月、愛媛県の漁業者と広島県の漁業者との間で紛争が勃発。
これを『燧灘紛争』と呼び、両県の漁業者約3,000人・約300隻が海上での大乱闘となる。
ことの発端は、愛媛県側の県境に沿い、ほとんどの海域は愛媛県側の漁場、「燧灘に入るな」と広島県側の漁業者に主張。生活を懸けた広島県側の漁業者にとって納得いく理由ではなかったのである。
この紛争では、国が仲裁に入り、魚場に入る広島県側の漁船数を制限。という形で休止する。

吉郎兵衛は交渉を続けるが・・・
明治三十三(1900)年、永眠する。

その三年後、
明治三十六(1903)、燧灘紛争の集結は、広島県側漁業者の条件を有利にし終結した。

昭和三(1928)年11月10日、吉郎兵衛の功績を讃え、平地区住民により『沖浦吉郎兵衛 功徳碑』建立。


上記写真は、淀姫神社(明神山)のふもとに実在する『沖浦吉郎兵衛 功徳碑』


【沖浦吉郎兵衛 功徳碑】
昭和三(1928)年11月10日建立
この功徳碑は、明神山(淀姫神社)の麓にある。
◎高さ:2.3m
◎幅:1.5m
裏面の漢文は、鞆平が生んだ無類の漢学者・表述吉 書。住民の生活を守った吉郎兵衛の功績を讃える銘文が刻まれている。

◎外部ブログ:鞆の浦検定ブログ参照
沖浦吉郎兵衛/住むさとの末たのもしく思ひなば・・・
http://ameblo.jp/thinktomo/entry-10540402028.html


沖浦吉郎兵衛 功徳碑
沖浦吉郎兵衛 功徳碑 posted by (C)鳶眼



より大きな地図で 淀姫神社 を表示

西條八十、野口雨情「鞆の津小唄」

西條八十、野口雨情、中山晋平は当時の童謡や歌謡曲、新民謡のヒットメーカー。
現在のようにCMなどで鞆が宣伝される時代ではないが、
鞆の風景に寄せる関心は強かったと思える。
八十と雨情は詩を書き残している。

「星を数ふれば七つ金の燈台は九つ
 岩かげに白き牡蠣(かき)かぎりなく生まれど
 わが恋はひとつにして寂し 昭和三年秋」
西條八十


「秋の夜長に人里遠く草の葉陰で虫が鳴く」野口雨情


古来から有名な文人墨客が鞆の風物に魅せられて数多く来訪した。
明治中期ごろ福沢諭吉一家も静養に来た。
頼山陽が書いた保命酒の賛も残ってある。

数多くの文人墨客が鞆について書き残している詩歌、小説や随筆、
書や絵画や音楽などの芸術文化への関心度は低い。
これらの文献資料など整理研究して集大成すれば、鞆独自の文化史になるだろう。

潮待ちの港として機能し発展した歴史や景観のみならず、
芸術文化による鞆再発見も貴重な課題なのだ。
1934年3月、鞆を含めた瀬戸内海国立公園が決定した。
その2年前に内定の情報が入ったため、記念の唄を作ろうと声が挙がり、
33年ごろ「鞆の津小唄」が完成。

「備後鞆の津 絵のよな港 霞む白帆は夢心地 
 海は瑠璃(るり)色 緑の島よ
 娘島田で(父(とと)シャン母(かか)シャン)
 舵(かじ)をとる」


歌詞全曲は西條八十「鞆の津小唄」
_____

「鞆の津小唄」の歌詞は鞆の名所や風景など織りこんだ
御当地ソングで作曲法はミファラシド5音を基底にした日本の陰(いん)旋律的な民謡調歌謡曲。
山内惣十郎という作曲家についての資料は未確認。

風土と歴史から生まれた小唄ではないが、鞆が鞆らしく輝いた光源だったと感じる。
だが今では、この小唄が忘れ去られているばかりか、
町を挙げて唄い踊った鞆の主体的誇りとエネルギーもまた喪失の危機にあるのではないだろうか・・・。


【野口雨情(のぐち うじょう)
1882(明治15)年5月29日 - 1945(昭和20)年1月27日)
詩人、童謡・民謡作詞家
本名/野口英吉
茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)出身

廻船問屋を営む名家(楠木正季が先祖と伝えられているが不明)の長男として生まれる。
東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し、坪内逍遥に学ぶが、1年余りで中退、詩作を始める。
1905年(明治38年)処女民謡詩集『枯草』を自費出版。
1907年(明治40年)三木露風、相馬御風らと共に早稲田詩社を結成するが、
その後暫く詩作から遠ざかる。この時期、雨情は北海道に渡って新聞記者となっていた。
『小樽日報』に勤めていたときには同僚に石川啄木がおり、交友を結ぶが、啄木が先に退社したため、
席を並べたのは2ヶ月ほどであった。
やがて雨情も1909年(明治42年)に北海道を離れ、いったん帰郷した後再度上京する。
1919年(大正8年)詩集『都会と田園』により詩壇に復帰、
斎藤佐次郎により創刊された『金の船』より童謡を次々と発表。
藤井清水や中山晋平や本居長世と組んで多くの名作を残し、北原白秋、西條八十とともに、
童謡界の三大詩人と謳われた。
他方童謡とともに盛んとなった「新民謡」(創作民謡)にも力を注ぎ、
1935年(昭和10年)には日本民謡協会を再興し、理事長に就任している。
日本各地を旅行し、その地の民謡を創作した。
また同じ年の1月、仏教音楽協会も設立され、雨情は評議員に推薦される。
仏教音楽の研究に加え、新仏教音楽の創作や発表、普及にも力を尽くした。

代表作は
『十五夜お月さん』
『七つの子』
『赤い靴』
『青い眼の人形』
『シャボン玉』
『こがね虫』
『あの町この町』
『雨降りお月さん』
『証城寺の狸囃子』
『波浮の港』
『船頭小唄』
など

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【中山 晋平(なかやま しんぺい)

1887(明治20)年3月22日 - 1952(昭和27)年12月30日)
作曲家
長野県下高井郡新野村(現・中野市)出身

多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残した。
多くの作品が、現在も抒情歌または日本歌曲として歌い継がれている。
日本語の詩に最もマッチした曲をつける作曲家といわれる。
「證城寺の狸囃子」を作曲する際、
冒頭の「證城寺、證城寺」を無断で「しょ、しょ、證城寺」に改変し、
作詞者の野口雨情から抗議を受けたが、
「しょ、しょ」のおかげでかえってヒット曲になったという話が残っている。
長調の曲はほとんどがヨナ抜き音階で書かれている。
また、童謡には「兎のダンス」や「蛙(かはづ)の夜回り」のようなピョンコ節がかなりある。
2007年7月、生誕120年を記念して出身地である長野県内の有志が中心となり
晋平の数奇な人生を忠実に再現した映画「ララ、歌は流れる-中山晋平物語」(長野映研製作)が作られ、
長野市権堂の映画館「相生座」にて約2週間一般公開され、同月、文部科学省選定作品に選定された。

童謡
『シャボン玉』
『てるてる坊主』
『あめふり』
『証城寺の狸囃子』
『こがね虫』
『あの町この町』
『背くらべ』
『鞠と殿様』
『砂山』
『肩たたき』
『雨降りお月』
『兎のダンス』

流行歌
『カチューシャの唄』
『ゴンドラの唄』
『船頭小唄』
『波浮の港』
『当世銀座節』
『この太陽』
『東京行進曲』
『銀座の柳』
『燃える御神火』
『神風だから』
『建国音頭』
『瑞穂踊り』

新民謡
『波浮の港』
『出船の港』
『三朝小唄』
『東京音頭』
『大島おけさ』
『天龍下れば』
『さくら音頭』
など、およそ3000曲

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鞆郎くん
 『鞆の浦いいもの再発見!/Discovery! 鞆の浦』メモ
 本みんなで考えよう官民一体のまちづくり
 走る人一人百歩の前進よりも、百人一歩の前進を!*
馬
 鞆の浦のための「まちづくり書籍」一覧
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かに座◎「ゼロ・エミッション」
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割り箸◎環境にやさしい「無洗米」の提議
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食パン◎「地産地消」産業
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「ユニバーサルデザイン」としての「鞆の浦検定」



全国一斉 鞆の浦検定の理念=ユニバーサルデザイン
<ユニバーサルデザインの七つの法則>

【公平性】Equitable use
誰にでも使用でき入手可能なこと

【自由度】Flexibility in use
柔軟に使用できる・自由度が高いこと

【単純性】Simple and intuitive
使い方が容易にわかること

【わかりやすさ】Perceptible information
使い手が必要な情報が容易にわかること

【安全性】Tolerance for error
間違えても重大な結果にならない・危険につながらないこと

【省体力】Low physical effort
少ない労力で効率的に、身体への負担なく楽に使えること

【スペースの確保】Size and space for approach and use
接近や利用するための適切な広さがある・または確保すること


全国一斉 鞆の浦検定



無論、この7つの法則『ユニバーサルデザイン』が、パレートの法則と対局にあるということは言うまでもない。

◎トモマップ(鞆地図)無料ダウンロード
トモマップ拡大版(渋滞場所を表記)
トモマップ拡大版(渋滞場所を表記) posted by (C)鳶眼

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>>>以下、Think鞆の浦が提唱するアイデア<<<
◎鞆の浦サステナビリティ
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◎鞆の浦検定が協賛金品を募集しない理由
◎鞆の浦新聞/制作までの記録
◎日刊 鞆の浦新聞/「“軸”の絶対化と相対化」




greenz.jpサステナブルコミュニティ サステナブルなアイデアは自然界から学ぶ。バイオミミクリのオンラインデータベース「Ask Nature」
http://greenz.jp/2009/02/10/biomimicry/;