【自劣回廊】

 自尊感情が傷つけられることで陥る。

【我酔】

 自我、自己の力、自尊感情などを自己エネルギーと呼び、それが極度に高まった状態を精神陽圧と名付ける。
 逆に低くなりすぎた状態を精神陰圧と呼ぶ。
 陰圧の状態が続くと、他者の視線が気になる、突き刺さるようで怖い、徒党を組んだ群れにおびえてしまう、などという感じられ方が現れてくることがある。
 陰圧の状態から抜け出せないのが自劣回廊だ。

 うつ状態にも入りやすい自劣回廊だが、この自劣回廊には、ごく稀に固く閉ざされた扉が存在していることがある。この扉は自劣回廊に長くとどまることで発見される場合もあるが、今までに開いたものは一人もいない。

 この扉を持つものを私は我酔とよんでいる。ある場所では時烈ともよばれているようだ。

 どうやら私もその一人らしい。

 

 17


 新学期を迎えたばかりの四月。明け方まで降っていた雨に濡れた路面には、桜の花びらがまだ残っていた。
 黄色い帽子をかぶった子供たちが、並んで歩く姿が見えた。いつもよりだいぶ遅くなってしまったようだ。

 紺次はこのとき八十庭高校の三年生で、趣味は詰め将棋と読書。友だちも自分からはつくろうとはせず、周りの学生同士の会話にも、興味がないふりをしながらいつもどこかで冷笑していた。

 紺次は少し変わった考え方をする生徒で、最近になって偶然にも読む機会のあった宮本武蔵の「五輪書」について、紺次はその原文の内容を理解するだけでなく、一部をおおまかにではあるが会得するまでに至っていた。そう自分で確信していたのだ。
 剣道で実践されることはなかったが、その代わり、その内容の一部をときどき学生を相手にして使っていたのだった。紺次は「常の身」に関して、全身に余計な力は入れず、重心を低くとることを大事にしていた。人の意識には二つあることにも気づいた。「閉塞」と「展開」とそれぞれを呼び分け、使い分けることもできるようになった。そしてその展開の対象になったものは、目を合わせるとほとんどが身を屈めて視線を逸らしていった。そんなことを繰り返しているうちに紺次は優越感の他にうまく言い表せない恐怖感を覚えるようになっていた。もし何かあったときに自分を助けてくれるものはもうどこにもいなくなってしまう、そんな恐怖感だった。
 紺次は次第に一人の世界を強めていった。もう誰も、ここには入ってくることはできないと思った。

 沢辺衣香は、紺次と同じく市内の高校に通う三年生だった。そして、衣香は統合失調症だった。その症状のためか衣香は好き嫌いが少し極端で、それに対して体は嘘がつけなかった。買い物や外食に家族で出かけたときにも、好きなもの、欲しいものの前で止まってしまう。それが自分でもわかることもとても苦しかった。
 あのときも、紺次の方に目を向けると自分をコントロールできなくなるので、どうにかして憚ったのだ。こんな性格のおかげで、学校も休みがち、家にもこもりがちだった衣香は、中学生のときには同級生から「黒蟻」と呼ばれていた。
 好きでやっているんじゃない
 でも、どうしようもなかった。そんなどうしようもない気持ちは、ほんの少しだけ、今朝のすれ違う紺次の姿で忘れることができた。
 

 偏った人間は、偏った世界へと追いやられてしまう。

 わかっているのに、もう戻ることのできなくなってしまった忌み枝のようだ。

 落とされた枝を見ればそれは、他の枝と同じふつうの枝だ。

 落とされる前は忌み枝だ。なにが違うのだろう。


 春の陽光の中を旗を持った大人のあとに続いて、黄色い帽子たちがあてもなく揺れていた。