美しい言葉には

 そこを安泰にさせるちからがある
 
 そんな理念を冒頭にいつも上げている、少し変わったSNSサイトがあった。そこは精神疾患の当事者を家族に持つ者たちの相談の場所としてつくられたのが始まりだった。立ち上げた管理人自身も、そんな家族を持つ親の一人だった。だからこのサイトには、大分規模を大きくした今でも、その項目の一番下には友達募集や地域交流や恋愛、学校、家庭などの相談掲示板に混じってメンタルヘルス専用の場所が存在していた。
 他の場所と違い、そこは比較的静かで投稿数も少なく、それだけに荒れることも少なかったので、まだサイトのトップページに理念の言葉がかろうじて残っていた。
 
 その日の朝、滅多に光ることのない通知ランプが珍しく点滅しているのを見て、浦島はロックもかけていないスマートフォンを手にとってメールを確認した。
 あのサイトに新着メッセージが届いていることを知らせるメールだった。
 
 未読1件
 ユキムラ 27歳/関東
 
 送り主の名前を見て、浦島は少しだけ開くのをためらい、郵便受けから今日の朝刊を取り出してきて部屋の机の上で広げた。
 一面の隅の方に小さく「舞弦市で月光柱観測」という見出しが出ていた。写真はなかった。詳しい記述もなかった。もちろん、列車のトラブルに関する記述もない。浦島は少しだけ意識に負荷をかけてメッセージを開いた。
 
 例の件で話がある。
 次の日曜、したまち九の白星にひとまるで。
 
 浦島は「わかった」とだけ書いて返信ボタンを押した。サイトの一番上には「ごりあて応募要項」と書かれたお知らせがでていた。
 このSNSサイトでは毎年、暮れになると利用者から自作の歌や詩などを募ってその中のいくつかが年末に発表される。
 何年か前にメンタルヘルスの方に登録されたあるアカウントから一つの作品が選ばれた。
 
 「人生が 景色で終わる 精神病」
 
 投稿者は二十代の女性で、複数の精神疾患を抱えており、仕事も結婚も、友達と遊ぶことも、恋愛をすることも、人と話すことさえも上手くできず、道行くそれらすべてが遠い景色で、触ることはできないと語った。
 毎日症状を相手にし、ただ一つだけ他の人と同様に与えられた一人前のことは、死だけだと言った。
 
 毎年、暮れになると、ユキムラから連絡が入る。ユキムラはその女性と密かに連絡を取り合い、ある場所で少しの間、一緒に過ごした。その女性は後に、超越瞳線を持っていることがわかった。
 浦島は、ときどきこのユキムラから相談を受けることがある。内容は主に精神疾患についてだった。おそらく今回もそれに関してだろうか。だが時期が少し早い。ごりあての作品もまだ発表されていない。
 
 浦島は服を着替えて、朝食をとらずに外に出て車のエンジンを温めた。精神科医は朝はそんなに早くはない。それでも病院に泊まりこむことも多い浦島には休みがほとんどなかった。だけどこのユキムラに関してだけは何とか都合をつける必要がある。いつもそうしていた。あまり他人にはよりどころを求めない浦島だったが、ユキムラは少し違っていた。仕事柄どうしても受け止めることの多い浦島は、だいたい生活の中でも同じようになっていた。患者たちと一緒に悩んで自分を深めることを続けていると、そんなこととはあまり縁のないように見える俗世はどうしても浅く感じてしまって、それなら自分の知らない深さを持っている患者の方が相手にしたいという気持ちは強かった。だがどこまで自分を深めていっても、あのユキムラだけはその少し先を行っている感じがして、その姿はやっぱり自分よりもいつも大きく見えた。
 そんな話を一度だけしたときにユキムラは、
「それはいいことかどうかわからない。それだけ私はそういう人生を歩いてきたのだろうから。でも生きているからいい。反動をつけたゴムはどんな柱だって本当は折ることができるんだ。悲しいのは反動をつけるだけつけられて耐えられずに切れたゴムだ。どんなにつよくても切れたゴムは何もできない」
 そう言ってたくさんのゴムを見守ってきたのだろう。切れたゴムもたくさん見てきたのだろう。浦島がこういう気持ちを抱いた人間はこれまでに二人いた。でも一人はもういない。
 お前もまだそんなゴムの途中なのだから
 そう言いかけて、浦島は言葉を引っ込めた。
 
 十二月の冷たい空気にさからって、ようやく冷却水の温度が上がったみたいだ。そんなに気を使うほどの車ではないけれど、電魔の受容体を持つ浦島には、無生物への愛着もすでに染み付いてしまっていた。
 
 それもほどほどにした方がいい
 
 ユキムラのそんな言葉が心に浮かんできた。
 あいつもきっと同じことを言うのだろう。
 冬の空の下で、少しだけ寂しくなった。
 大事なものが、みんな先に消えてしまうような気がした。