暖房の送風の音だけが聞こえていた。
 少しあとに時計の秒針も反対側で鳴っていることに気づいた。
 夜子は床の上で俯いていた。そして、そのまま暗がりの方へと沈んでいくみたいにだんだんと引き込んでいった。
 とても大きなことが起こった。その収拾が自分の中でもつけられず、さらに広がっていくような気がした。
 たくさんのものや人たちに影響を与えてしまった。そして、初めて人の前で泣いてしまった。家族でも友達でもない、とても非日常的な場所で初めて会った全然知らない人の前で。
 夜子は、これまでずっと身の回りで起きたことはできるだけ自分の手が届く、その小さな世界におさめて生きていくように心がけてきた。それは病気の発症でより顕著なものとなっていた。でも昨日の出来事はあまりにも大ごとすぎて、自分では落ち着かせることができなかった。思い出すだけで怖くて受け入れることもできなかった。
 学校が始まっている。木葉が気を失った原因もわからない。眠っている時間としてはあまりにも長すぎる。このまま目を覚まさなかったらどうしよう。何か障害が残ってしまったらどうしよう。
 床に手をついたまま涙がこぼれてきた。
 私は病気で、よわくて、何をやってもうまくいかない。
 泣かないでいて、自分の小さな世界だけは守ってきた。その世界の壁に穴が空いてしまった。窓が割れてしまった。風が吹いてきた。いろんな人が中をのぞいてくる。私は、もう私をやりたくない。
 最後に残した言葉も、私の中でとうとう壊れようとしていた。
 私は、もうここにいたくない

 気がつくと木葉が、音もなく起き上がり、私のことを見ていた。雪どけ水のようにつめたく、静かで、透きとおった目で、私のことを見ていた。ベッドの上で、少し着崩れたままの制服で、今までに見たこともないような眼差しで私を見ていた。まわりの世界が揺れようが燃えようが、そんなことには興味がないというような目だった。
 私が見ても、木葉はずっとその目で私を見ていた。
 壊れていった私の世界や、私自身をずっと支えさせてきたあの言葉も、私はいつの間にか見てなかった。
「ごめん」
 私は言った。涙声のままだった。

「許す」
 笑って、そう言った。
 いつもの、やわらかい木葉の目だった。

 私は、まだしばらくのあいだ、そのまま泣いていた。
 暖房の送風の音と、時計の音と、私たちがそこにいる音だけが、いつまでも部屋に聞こえていた。