Welcome to world of mine. -9ページ目

きのうから悪魔のこえがきこえる、 どうかわたしをそそのかさないで。




江國さんの『いくつもの週末』読了。
取り敢えず、読了。
んー、悩まされるなあ、まだまだ消化しきれないなあ。
私たちは恋愛感情の眉唾加減をどこかで心得ているんだ、なのに、なのにね。

悲しいという感情は、嬉しいことと紙一重だと思った。
悲しいことが嬉しかったりする。
悲しいから涙が出るんじゃなくて、涙が出るから悲しいと思ってしまうんだ人間は、生物学的に。
だから悲しくなったり切なくなることを、幸せだと思おう、悲観的になる必要性なんてない。




身体に悪いと分かっているのに止められない食べ物のことを英語で、"Devil's food" と呼ぶらしい。(アルコールとか甘いものとかジャンクフードとか。)
江國さんは、それじゃあ私にとっての"Devil's person"は夫だ。と脚注で言っていた。

"Devil's person"と一つ屋根の下に暮らすのは、きっと死んでもいいくらい幸せで、同時に死んでもいいくらい苦しく、悲しいことなんだ。
それでも結局、結婚というものは希望的観測を含めそうあって欲しいと思うし、夫が"Devil's person"になり得ないとしたらきっと、第一に退屈だし、絶望的だ。


ああ、Devil's food、Devil's person、Devil's music、Devil's voice!!!


もう声は鮮明過ぎるぐらいに思い出せるから。

極彩色剥き出しのものたちは身体に悪いの。



Welcome to world of mine.





EVEN IF I'M ALONE...



関西に帰ってきたらこっちもすっかり日没が早くなっていて、もう何もかもセンチメンタルだ、秋が来ている。
時間刻みでどんどん濃厚になってゆく金木犀の匂いの所為なのか、秋はいちいち何でも感傷的でいちいち突き刺さるように悲しく、なんでもない小説の一文に、ヘッドフォンから零れるいつもの歌声に、涙腺が緩い。
初春のそれに比べれば毎年、それはもう浮足立って鼻歌交じりで、手を伸ばせば届く冬に想いを馳せながら、喜んで秋に身を投じているのだけど、今年は何だか躊躇うものがある、時間の流れは残酷で私を置いて行く。


10月6日、快晴、気温摂氏10°、札幌郊外のモエレ沼公園では頭の中で「世界の終わり」ってフレーズが何度も飛び交って、死んでも大丈夫だと思わせてくれた、こうやって一つづつ死ぬ準備をしていくのかもしれないなあ、人間は。
HIDAMARIはラピュタを、丸い芝生はもののけ姫を連想させるし、圧倒的な広さと自然を目の前にしたら、思考回路は停止して、何も考えられない、ただただ見てしまう、もう全部どうでもよくなる、ポジティブに、どうでもいい。

HIDAMARIの屋上で空以外に視界に入るものが無い位置があって、そこでは不本意にも空に浮いてるみたいだと思わず声にしてしまったこと、人知れず鼻の奥が痛くなったこと、写真じゃなく頭の中に記憶しておきたい。
忘れてしまうことはあっても、頻繫に回想していれば、鮮明に思い出すことは可能なんだろう。


札幌は大都市という表現がぴったりよく似合う。
碁盤の造りと駅前のモダンさは京都駅を思わせ、何でもあるという点では大阪のミナミっぽいけど、規模が圧倒的に違う。
都会はどこまで行っても都会で、山はどこまで行っても山、平野はどこまで行っても平野で、空は本当にどこまでも続くんだ。
気の所為か、札幌は親切で丁寧な人が多い、人がいい。
DA:TEの店員さんが嫌味じゃなく、話やすかったこともあって、いつかこの街に住むのも本当に悪くないなと思った。
神戸よりも大阪よりも、多分東京よりも私の求めているものがそこにはある気がして。


Welcome to world of mine.


Welcome to world of mine.


Welcome to world of mine.


Welcome to world of mine.





アリストテレス、あなたもその矛盾に、科学的根拠のなさに、気付いていた筈でしょう。でも今は21世紀、正しさなんて問題じゃない。
地球は丸い。

Welcome to world of mine.


Welcome to world of mine.




一人で行かなくてよかった。





圏外



晴天、気温15℃。
今、車は帯広を抜けて夕張辺り。
今、野生の鹿がいた。

もう何もかもが圏外だ。
全部綺麗に置いてきた。
まるで現実味がないけど、これが10月7日の15時の私の現実だ。
世界の終わりを何度も見たから、いつだって死ねる気になる。


あなたじゃないと駄目なんです。

my name is you.



久しぶりに土砂降り。
電車の中で可愛い小学生の女の子2人組がうろ覚えのOverDriveをあーでもない、こーでもないと言いながら楽しそうに、必死に口ずさんでる。
なんかそーゆうのが嬉しいじゃない。
いつかあの時の、本当も嘘も興味がないのよはYUKIだったんだと知る日が来るんだろうなと思うと微笑ましい。
電車に乗っていて目に付くこと、最近の女子高生はみんな垢抜けていて可愛い子が多い。
私立の制服は清楚で萌えるし、公立は溌剌としていて馴染み易さがある、どっちもいいしみんな着こなしが上手だ。
所謂ギャルって雰囲気の品の無さは消え去っていてみんなちゃんと可愛い平成生まれ、とか思っている私は何だか完璧に昭和の女だ。
ふと以前BLOGで長谷部さんが、若い子のファッションは精神だ、と、書いていたことを思い出した。
うんうん、本当に。早く、みんな、分かって欲しい、みんなが分かれば、きっともっと生きやすくなるんだ。



6年目の7か月振りに美容院に行く。
トアウエストのいつもの場所でいつもの人に前髪だけカットしてもらう。
いつもの人とは絶対に趣味も、聴いている音楽も観ている映画も違うけど、伝わる、ちゃんと伝わってる、私の言ってることを私が思っていることと同じに理解してくれる、そんな彼の誠実さが私には理解できるし、だから信用できる、不思議だ。
血液型占いはもう100%完全に眉唾だと3日前に確信に至ったところだけど、私が誠実だと思う人はみんな共通してA型だ。
フィーリングと呼ぶのか第六感と言うのか分からないけどそういうの、存在すると思う。
理論を学ぶことで解決する人生の問題の数は計り知れず、私なんかがちょっと疑問に思うことは紀元前何百年前の地中海でギリシャでアテネで同じように疑問に思った人がいて、それで地道に星を観測した人達の積み重ねが解決してくれるんだ。
それらの恩恵を受けないわけにはいかず、しかしそれが理由で人間の脳はきっとどこかを曖昧なラインを境に退化していってるんじゃないかと思っている私の脳の一部は18の時から変化していない。




YOUのエッセイ、2冊目読了。
年上からは学ぶ、その精神、胸に留めさせてもらいます。




Suger cane train.



日曜日、『宮城野』を観に行く。
おそらく、人より振り幅が少ないれど、どうやらそういう波が来ているらしく、ふわふわしている内にカーテンコールだった。
草刈さん、すごく美人だ。
艶かしくてドキドキしてしまう。
隣の客の一言に興ざめ。
「興ざめ」って声に出して言いたくなる言葉ね。
宮城野、宮城野、宮城野・・・。
宮城野。
突き動かされること、宮城野、事実と真実の違い、切ない。
上手く言語化できないけど、色んなもの、ちゃんと家に持って帰ったよ。


今YOUのエッセイを読んでいる。
テレビ全然観ないし、芸能人も芸能人という理由だけじゃ興味が無いから私、本当に何にも知らないんだけどYOUさん、アナタ には興味があるのです。
だって上腕二頭筋は今まで見た誰よりも美しいし、内容はどうであれ、書く言葉の選び方と文字のリズムがいい。
そして私は東京80's世代(と勝手に名付けている)の疲れてもヒールが折れても、アルコールで朝まで踊って、それが原動力で、どこまでいっても付いてくる本質的なタフさがやっぱり好きだ。
何だか最近、世代による文化の違いがはっきり目に見えるようになった気がする。
特に若い人たちを見ていると、って言ってもそこで線引きはしないけど、ネット上の文化がもう明らかに確立していてデジタルでサイバーだ。
スプーもニコニコもやくしまるえつこもしょこたんもけいおんもポストyoutube世代もそれなりに娯楽として楽しませてもらっているけど、どんどん新しいものが生まれちゃってるスピードには不安も焦燥感もあって、止まれと思ってももう気付いたときには止められいのが時代なのかも知れない。
目まぐるしくも簡単に何人か首相が代わって、STOP温暖化と掲げただけで車使ってエアコン使ってたら地球の温度は上昇するばかりだし、公民の授業ではほぼ有り得ない事柄だった政権交代が現実になって、偉大なロックスターが死んじゃって、それと同じ日にあの人が入籍して、それでも世界は周り続けるんだ、と思った。

この数か月、今までの穴埋めをするかの如く色んな舞台を自分の足で観に行って、映画もちゃんと映画館で観て、見た目で判断するのは止めて音楽を聴いて、小説もエッセイも漫画も読んでいるけど、深く知れば知る程いいものが多くて、好きなものや人が急激に増えちゃって、それも中途半端に、あ、なんかいいかもってレベルじゃなくて、どれも私の質量を遥かに超しているものばかりで、ほんと困惑しちゃってる。
このまま増え続けていったら、いつか持ちきれなくなる日が来てしまう。
私じゃ足りないんだ。
人間が記憶していられる量に限界はあるのだろうか。
人間は忘れるから生きていられるんだったらインプットとアウトプットはいつだって背中合わせで同時進行だ。
何だかiphoneの容量のメーターを見て、あと何曲入る。って目分量で計算しているときの気持ちと似ている、打算的で嫌な感じだ。

忘れてしまうのは怖い。
だから私はいつでも思い出せるように物に執着しているのかも知れない。
岡崎京子が書き、YUKIが歌っていることの本当の意味が漸く、共感を以って理解出来た気がする。
本当の意味での理解とは私はある程度の共感を要するものだと思っています。
消えてゆくものにだけ悲しい気持ちになるメカニズムは立証されているんだろうか。
忘れてしまうのは怖いけれど、刹那的であることは嫌いじゃなくて、寧ろ好きな部類。
決してネガティブな感情ではなく、刹那が故の趣というものがちゃんとある。
私の執着も刹那が故の執着かも知れないな。



iphone用に使っていたイヤホンが急に壊れてしまったので、巷で噂のKOSSを購入。
日本の商品じゃないので不安も多少はあったけれど、噂通り低音がいい仕事をしていてもう既にKOSS愛好家になりそうだ。





揺れる、この感情。
賞味期限は2年。