piano.
そうやって、もうどうしようもないことも、どうにもならないことも、時間が経てば忘れていってしまうことも、もう経験として知ってしまっているのだ。
雪枝は言った。「愛されると人は強くなるのね。」と。
強いというのは、泣かないとかへこたれないとかというのとは全然違う。
強いということは、戦えるかどうかだと思う。
思いわずらうことなく、愉しく生きよ。
meet in secret,in secret...
じわじわと湿気が身体に纏わり付くような日々が続いている。
最近は何だかすらすらと出来事が通り過ぎていくみたいだ、流動的とはまた違ったやり方で。
女子会と銘打って友人二人とロビンソンでランチ。並んだ。
昔から恋に事欠かなかった友人からはどろどろした恋愛模様が窺えるんじゃないかと危惧していたのだけれど、学生時代に醸し出していた疲れた感じの影がすっかりと消え去っていて、身構えて行ったのに何だか拍子抜けした。
結論を言えば、高校時代は多かれ少なかれみんな病んでいたのだ。きっと。
問題はあれど幸せそうで何よりできっとあの日は私を含め三人共絶対にいい顔をしていて、昼下がりに道行く人達を横目に取り留めもなくだらだらと喋っただけのただのランチと化した女子会はピースフルに幕を閉じた。
私のためなんじゃないかと思ってしまう程の運命としか思えないような衝動的で正しい買い物をした後の密会マニアは密会から。
能動的に能動的にと意識的に、プラスチックのコップに入った烏龍茶を片手に瞬間瞬間の空気中の分子を出来るだけたくさん取り込もうとしてみた。それでもぼんやりとしてしまったのは貪欲さが足りなかったからかも知れない、勿体ない。最近こんな調子だ。
初めて見た時から田村京子はずっと年齢不詳だ。40歳くらいに見える瞬間もあれば、少女に戻ったみたいな無邪気さで26歳くらいに見えるときもあって、勿論実年齢(30代前半)にだって見える。
「年上の女は無邪気だ」という台詞は東京タワーで繰り返し何度も登場するけれど、「一度行って、帰ってきた無邪気さだね。」と、帰り道に妹が言った台詞はなかなか言い得ていると思った。
キョウコさんが歌えばどんな曲だってキョウコさんの歌になってしまうから不思議で、何だかすっかりその場の空気を全部自分たちのものにしてしまう力を身に付けてしまっていた。
相変わらず、ねっとりと絡みつくリバーブが何ともグルービーで、しかも艶っぽくて。それであんまりこういうこと、思っていても口にはしないんだけど、あーなんていい女なんだと思った。久しぶりに、思った。
誰かの干渉を上手に交わしておいで
許される範囲で 当たり障りのないやり方で
つまり密会とはそういうことだ。秘密を共有したいのだ。
秘密は相手との関係を深くする。
mid night.
ここ数日、絶賛五月雨中だ。
そうは言ってもまだまだ暦通りに地球は周っているんじゃないかと、四面楚歌よろしく日増しに上昇していく太陽に比例するような心底憂鬱な気持ちと、名残惜しくもだらだらと冬服を仕舞い始める未練がましさもちゃんと吸収すべきなのだ。
しかし1日でも早く夏が終わって欲しいと毎年、夏の予感だけで既にそう思ってしまっている始末。
五月雨っていう言葉の響きが好き。
画板とばれいしょに続いて割と声に出して言いたくなる日本語だと思う。
そろそろ色々一新したい。
部屋も身なりも。
マックイーンの後任が決まって、養老天命反転地へ行こうと思っていた矢先に荒川修作さんが亡くなって、絶対に友達にはなれないタイプなのだけれど相変わらずYOUの著書は時間の差を感じさせずタイムレス且つ先輩的であり貴重なアイテムの一つで、岸田繁の美徳だと思うオタク気質とジャストな頬の筋の具合を含めるちぎれそうな立ち振舞いは観る毎同じくらいざわざわと感激するし、やっぱり「食べるものは身体を造り、文化は 精神を造る」というのはまんざらでもないのだ。
先々週の汗まみれでは鈴木さんがテレビ局の人たちと対談していた。
多分、若い世代は鈴木さんたちが思っている以上にもう多様化してしまっていて割とメディアなんて当てにしていないのだ。
情報発信の媒体が多様になるのと同じ分だけ、個々人の思考も多様化して主流なんてあって無い様なものだと思う。
ものの判断はもっと主観的にされるようになる、というより多様化が主観的にならざる得ない状況を後押ししていくのだろうとも思う。
そんなことだから「テレビを観ないと鬱が治る」なんて囁かれたりするのだ。
まあその理由は自分を相対的に見る機会が必然的に減るからというわけで、私は何だかここ数年でめっきりテレビを観なくなって、それはそれで凄く楽なんだけど、世の中のことがいまいち上手く掴めなくっていつもタイムリー感とか皆無で、全部別の次元のことみたいで、それも含めた上で楽で、そのことに関して思い患うことは何も無いのだけれど、相槌ですらギリギリだ。
知らないことが多過ぎる。とたまに思ったりする。
消費と生産について、日本というレベルで見ても、個のレベルに還元して見ても、割と岐路だと思う。
どんな形であれ、ものを造るならば見て過ごせぬ議題だ。
サルトルさながら「実存は本質に先立つ」わけで、多分私たちは選び続けなければならない宿命なのだ。
鈴木さんのライフワークは裏も表も人情的であり叙情的で、いつもぴったり手品のように的確で、そういうの親しめるかどうかは別として嫌いじゃない。
歴史に残る人なのだろうと思う。
いつか、恐らく私が生きている間に無情にもいづれその時は訪れてしまうのだろうけど、彼らがいなくなった日本を想像するのは辛い。
franticvenista.
この世の中には全部差し引いても格好良い人というのが存在してしまうということ、最近よく目の当たりにする。
小説の中の人みたいだ。
五月雨の真只中、ワンダーランド3D鑑賞、志村について、相槌で誤魔化す、家路は朦朧、四畳半神話大系。
不思議の国のアリスについては宇野亜喜良さんがメルヘンティータイムという詩集の中で、
「ミシンのようにショパンを聴くや微熱少女」とか「啓蟄茶会裸体参加可午後三時」とか、センスの良い五七五を残しているのでもう十分。
言うならば、立体かどうかは選択制にして欲しいってこと。
観たい映画が溜まってきている。
もう深刻振るのも被害者振るのも止めにして欲しい。
止めにすればいいのに。
友人に子供が産まれてから一年が経った。
妊娠したという報告をもらったとき、感動とか嬉しいとかそういう感情ではないところで訳も分からず一遍に途方もなく涙に暮れてしまったこと、一体あれは何だったのかと思いを巡らせてみる。
日常が華やぎ、生きる幸福が胸の奥から湧いて出る。
結婚はどうやら愉しそうだ。
spring summer.
ジャミパン。
挿し絵が宇野亜喜良で点数上乗せ2.5倍。
やっぱり江國香織が良いのだ、最近。
昔は読み易いからという理由だけで深いことは考えず読んでいたけれど。
ああそうか。
江國さんの描く執着や嫉妬は「大人のもの」なんだ。
だから高校生のとき読んでもいまいちしっくりこなかったのだろう。
今はあの、「病的さ」が堪らない。
「たいした女じゃないじゃない。」
プルキニェ現象の起こる夕暮れは心が不安定になるらしい。
目が悪くなった気がするのも多分プルキニェ現象の所為。
もうすっかり、夕暮れが温い。
匂いまでも既に夏の夜だ。
昨日は知人の家にお邪魔させて頂いた。
部屋の一番大きな窓から吊り橋と線路と山積みのテトラポットと瀬戸内海から大阪湾にかけてが一望できる素晴らしい立地条件。
個人的に潮風のベタつきと気怠ささえ気にならない体だったら実際、住んでもいいと思っていたと思う。
彼女は今はもう現役ではないけれど、昔は何十回と日本と海外を行き来していたという仕事柄。
頭の良い人の理系的な明晰性や合理性には何も誤魔化せないといつも思う。
そのくせ、「あの小説の雰囲気が良くてスコットランドに行ったの。」なんて台詞も嫌味っぽく無くさらりと言ってしまって、そういう世界で生きてきているということ、とても魅力的だった。
まったく終始ウイットにとんだ物言いに感激。
帰り際に心理学の本と、ことばについての本を頂いた。
小難しい内容なのでそういう気分のときに読もうと思う。
次は真っ昼間のジャズを聴きに行きましょう、と約束してエレベーターのボタンを押す。
魅力的だと思う人からは遠慮せずに学べばいいのだ。
美輪明宏のツイートが凄い。
憧れの三十代男前女子たちがこぞって「美輪様」って呼んでるの、今更ながら理解。
考えれば考える程、何か根本的に破壊されておかしくなってしまいそうなので、あまり深入りはしないでおこう、と。
美輪様の素晴らしい一句。
「まだ足りぬ 踊り踊りて あの世迄」


