cream cream cream.
とても刺激的でいい夜だった。
アドレナリンが出る。
何年も前のことと、最近のことと、その間のことと、全部違う場所からやってきて、あたかも普通の出来事の様に一日に纏まってしまうから不思議。
こういうこと、何が故にと考えたら偶然でも運命でもなく、因果だなあと思う。
そんな因果が嬉しい。
5年ほど、私も生きていたんだなあと思った。
使い残したエネルギーと、春の夜の温い居心地の良さで、どこまでも歩きたい気分。
牧場に行く。
こういう遊び方、最高だと思う。
春の光をたくさん吸収して健康に。
日焼けがぎりぎり気にならないくらいの微妙な安心感が良い。
「人間は食べる物で形成される」というのは多分嘘じゃない。
小さな子どもたちは表現の仕方がいちいち新鮮且つグルービー、頭をくしゃくしゃにしたくなる。
小さな子どもと一緒に暮らしてみたいと思った。
Rumpelstilzchen.
祖母から手紙が届いた。
フィクションが現在に浸入するような奇妙な感覚だった。
こういうことが起こると時々、分からなくなってしまう。
街に散らばる断片の所為で境目はいよいよあやふやになる。
ときにイマジネーションは「今」の境界を危うくする。
go do.
私が敬愛する人達は皆、マルセイバターサンドが好きだ。
無論、私もマルセイバターサンドが好き。
不謹慎だけれども、アイスランドがニュース番組で頻繁に見られて嬉しい。
最近、少なくとも私の知っている人達はみんな、本当にみんな幸福だ。
たとえ大地震が起きても火山が 噴火しても、どうにか大丈夫な力を人類はもう手にしてしまったんだと不意に思った。
そしてこれから先、もっと大丈夫になって行くんだろうとも。
生き易さを追求するということ自体には、きっと罪は無いんだろうな。
lilikoi.
jonsiの新しいソロアルバムが本当に良い。
タワレコで試聴して、下らない言い訳を考えている場合じゃないと思った。
こういう類の選択は殆ど絶対に近い確率で正しい。
jonsiは今までになくエネルギッシュでポジティブで溌溂として振っ切れている。
それでいて確実に濁っているのだ。それも美しく。
聴き入るとか、夢中になるとかでは無くて、もう吸収されてしまう。
それらを全部ひっ包めた質感は絶妙で、ぞくぞくしながらろ過されている気分になる。
私の中のsigur rosのイメージは「沈殿した透明感」、そして決まって「湖」を連想させる。
アイスランドの人たちはどうしてああいう音と声を作り出せるんだろう、本当に。
どういった思考回路を通過しているのかまるで見当もつかない。
「培われた民族性」なんかが関係するのだろうか、やっぱり。
遂に村上春樹を読んだ。
今まで何度か試みはしていたんだけれど、いつも最後まで読めないでいた。
でもやっぱり、私にはちょっと男性的過ぎると思った。
内容はとても面白くて、続きが気になって仕方がなくてついつい読んでしまう類、のものだったけれど、決して「好きではない」と思う。
随所見え隠れする男性的な視点がどうも馴染めなくて、自分の中で良くない方へ分類されてしまう、私が粋だと思うロマンスとはズレが生じていた。
やっぱりどこか威圧的で猛々しいのが否めない、小説自体は本当に面白いんだけどね。
最近「そういうの」が分かってしまう(見えてしまう?)ような気がしている、ちょっと敏感になり過ぎな気がしなくもない、私生活まで支障をきたしそうだ。
その点、伊坂氏もjonsi氏も腰が柔らかだなあ。
無論、「フェミニン」とか「中性的」とか、そういう言葉で済ませてしまったらそれまでなんだろうけれど。
総括的な言葉で一括りにしてしまうのは勿体ない。
事は多様で繊細、そっと扱いたい。
多分、もっと根源的に、「戦っているもの」の対象が違うのだ。
分類されてしまったとき、あくまでその結果としての「フェミニンさ」であったり「中性さ」であったりするだけのことで。
彼らはフェアなのだ、おそらく。どんなパラダイムの上に立ったとしても。
そういった意味でのそういった工程をきちんと踏んで「フェミニンさ」や「中性さ」に至った人間性こそ、私が今やもう他人事とは思えず、尚且つ時にどうしようもなく色っぽいと感じずにはいられないものの正体なんだろう。
日没は今 猫の足どり
忙しい人は今日も階段越し
そして重いドアを押して 別れるときにはきっと
「ああ、すっかり外は暗いね」なんて。
なんて笑う。
hu hu hu.
客観的だったけれど、それがいいのか悪いのかは分からなかった。
絶対的な最高、の存在を疑わざるを得ない、こんな気持ちはきっと正攻法じゃないのに所有欲は意識の届かないところまで貪欲だ。
友人の不埒さに不穏を感じるのは私の思い上がりなんだろうか、本当、私ときたらこういう時だけ自分のことは棚に上げて、隠せ。
言霊の力を思い知る。
私は私の在るべき温度を示唆してくれるような、有能な人たちが紡いだ沢山の言葉に出逢ってきたけれど、それを同一ベクトル上で裏返せば、暮らしていく上でぶつかる折り合いの付かない欲望と現実との矛盾を上手く自分の中に取り込むためのオブラートのようなもの、なのだと。
なかなか言い得て妙、の世界だけれど、そういうのを文字通り言霊と呼んできたのではないだろうか。
多分ずっと躊躇い少し不安に思っていた、借り物の言葉を
盾にすることが怠惰にはならないかと。
そうなる、のではなく、時にもどかしい現状を飲み込むのを後押ししてくれるオブラートだと考えるのは見た目は同じでも意識に限っては全然違う、そう思って少し釈然とした。
現実をサバイブする上で護り神は多い方が有利。
表向きは寡黙な神々。
言葉を使うことに意識的で在りたいと思う。
今日はgrafでナタリア。
終始ピースフルな空間で居心地も良くて、とても素敵なイベントだった。
そう言えばgrafのイベントはいつも後味が良い。
ピースフルな手触りが、寝て目覚めても残るんだ。




