Welcome to world of mine. -4ページ目

silent.



手が付けられない程に増えてしまった雑誌の中から流行通信が出てきて、流行通信からは長谷部さんのかつての連載が出てきて、そっと捨てない方の雑誌の山へと戻す、みうらじゅんもカズオイシグロも昔に読んだんだ。

胃腸の調子は良くない方向に進むばかりで、どんどん置いていかれる、みんなの言っていることが分からない、理解は出来なくても受け容れる、つもりでは居るんだけど、波長と相性は越えられない壁なんだろうか、社会と個の距離の取り方なんてずっとわからないままここまできてしまった。
open my mind 、誰に対しても平等に。
ダークサイド、アウトサイド、哀愁サイド、i miss you サイド、そうやって簡単に左右されていくのも馬鹿馬鹿しい。

「本能に対峙できると思ってるんでしょう。」




『ロスト・イン・トランスレーション』はソフィア・コッポラらしい、雨上がりの彩色が物悲しさとメランコリーに包まれていた、『ルナシー』は気持ち悪い方の性と食、肉、『フィッシュストーリー』は重層だった。


今週末は東京に行く、時間は消費する為にある。



gone.




街に出ると新年の律儀さは何処へやら、相変わらず社会はタフだ、みんな歩いている。
半年に一度の腹痛に襲われながらも金曜日のMEN's館では多分最期のnumber(n)ineを拝むことになる、高橋盾氏の「解散」という表現が全てを物語っている。
深紅のカーテンをバックにカリスマ性、ピンポイントがストライクで、どうしようもなく立ち尽くしてしまう、その後は上の空で寒空の下、かつて存在した隣のクラスの気になるあの子よろしく肝心なことは案外何にも覚えていなくて、同じ気持ちになるのは一瞬、しかし舞い上がったりはしない私は私が思っているよりも頑丈にできていた。
ファン心理とやらはどうやらお約束で、そんな奴は数知れず、星の数程ではないにしても兎に角沢山いるものだから私はもっと乾いているべく露わにはしない、リアルは効用、安っぽいが頑張ろうと思った。



今外出用にはYOUのエッセイを、ベットの上ではジェイムズ•ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を読んでいる。
『フィネガンズ・ウェイク』は噂に聞いていた通り難解中の難解。
全く意味が解らなくって、解らなさ過ぎに加えて当て字だらけで意味も掴めなものだからイマジネーションが全然追い付いてくれない、擬音語だらけだし。
古い洋館の一番高級な椅子に座って、若しくは年季の入った紙の匂いがする古本屋の片隅に体育座りしながら読みたい、ホテルの一番高い部屋だって悪くはない。
しかし意味は解らないけれど、センスの良い素敵な造語が沢山でてきてそわそわする、こんなことをあの分厚い本二冊分も続けていられるなんて、作者はマッドサイエンティスト並みにファンタジック且つキテレツな方だったのだろう、そんな上質な言葉を目の前に私は完敗だ、意味を理解できないのが何とも悔しい上もう既に最後まで読み抜く自信すら失っている。
理想は原作と並べて読むこと、翻訳者のセンスが問われる文章。
そして遂にYOU女史が言ってしまった、私が薄々勘付いていたことを。
「いろんな目に遭って、テンション高いばかりじゃなかったはずだし、ガーンと目の飛び出るほどのショッキングな落胆を味わい、それでも男の子といたいのはそうゆうことなのかなあ、」と。
多分、そういう女子たちはフェミニズム云々とかそういう社会的で戦略的なことではなくって、もっと本能的なレベルで女を楽しんでいるし、女であることが大好きであり、アイデンティティの重要な部分としてとてもポジティブに能動的に意識している。
困ったなあ、チルの「自分を愛せない子どもは他人のことも愛せない。」よろしく、それじゃあもうそこにはナルシシズムしか存在しないのか、他者愛を還元していくと結局自己愛しか残らないんだろうかということになる。
ラジカルにフィジカルには絶対に必要なんだけど、そればっかりじゃあ味気ないし余ってるスペースがないとドラマチックもロマンスもブルースも生まれない。
クーンもファイヤアーベントも然り、きっと色んな分野の沢山の偉大な学者たちは問題を提示するだけ提示して無責任にも死んでしまったから、生き残された私達はどうすればいいのか、肝心な答えは見えないままだ、それで何を信じてどうするかは個人のレベルで考えてくれということなんだろうか、この調子だったらまた後世に持ち越される。
電車を並んで待っていたら、後ろにいた外国人の背の高い伯父様が「ユーキャンキャッチナップ」と何の脈絡もなく呟いた(そう聞こえた)ので反射的に振り返ったらノリにノっていた、ジャパニーズならただの変態だ、その違いは何なんだろう、一般常識に振り回されてはいけない。


"you can't catch up."
追いつけない、か。何に。















sun set.




元旦は毎年恒例に母方の祖父母の家に行く。
叔父叔母、従兄弟たちと殆ど一年振りに逢う。
以前も書いたけれど、うちの祖父はとてもファンキー、息子の叔父もまた祖父の血を直血で継ぐ者だけあって、祖父同様お酒はべらぼうに強く42歳だというのに昔と変わらずまだまだ少年のような無邪気さだ。
それぞれが大体決まった量のお酒を呑み、従兄弟たちと懸けるものを決めてUNOやビンゴをしたりする。
約束もしていないのにいつも決まった時間に富美ちゃん(祖母の知人)がやってきてお年玉を手渡して一方的に記念撮影をして帰って行く。
そんな毎年お馴染みの景色が今年は何だか特別貴重なものに感じて、この人たちが親族で本当に私は幸せ者だと思った。
自分の心境が変わると見える景色も変わるものだ。
こんな日は自分が変わるのか、世界が変わるのか。
そしていつもさよならは嫌いになる。
親戚たちが愛おしいと思う度、大袈裟かも知れないけれどもしも結婚しても旦那の墓には入れないと思う。




2010年が始まったけれど、特に新しい気持ちにもならないし、敢えて今年の目標を立てることもしていないしするつもりもない。
クリスマスと元旦と誕生日が普通の日になったのはいつからだろう。
クリスマスも元旦も誕生日も、それだけの理由では私にとってさして重要ではない。

1日の早朝、ふらふらと歩いて初日の出を見に行った。
と言っても私は日の出よりも、そこから見える景色の方が見たくて出掛けた。
しかし、いざ雲間から少しづつ露わになる太陽を、その経過を時間を掛けて眺めていると、こんな私でも自然と前向きな気持ちになった。不思議だ。


Welcome to world of mine.

  


cut off.



決めた、明日はoff lineの日。
電源は入れない。

現実的現実味。






circle.




じっと私の手の平で崩れるフルーツ。

雫より先にたくさんの本を読んだ天沢聖司の気持ちが今ならわかると思った。
なんだ雫にぞっこんなのは天沢聖司の方じゃないか。
駆け引きは嫌い。


『重力ピエロ』読了。
遺伝子のことをもの凄く考えていた時期と色んなことを忘れていることを思い出した。
フィクションの様な気がしなかった。
そう、忘れっぽい私は今日も そんな景色を切り取って 机の奥仕舞うんだけど フィクションの様な気がしない。

恋するメカニズムはシンプル、恋愛の眉唾加減も心得ている、しかし恋愛感情の行くその末と理由を考え抜くのは困難だ。

いつだって大事なことは目に見えてくれない。