tale.
金曜日、コムサカフェ×猥談。
土曜日、月とキャベツ。
日曜日、料理。
昨日、伯父から喪中の葉書が届いていた、もう12月だ、喪中の葉書きなんて私には直接馴染みが無い、年賀状ですらショップと美容院以外からは届かなくなった、私が伯父の歳になる時には年賀状なんて文化はなくなっているんだろうな、なんてことをガスストーブの前でぼんやり思った。
今月のcutは宮崎駿と鈴木敏夫のロングインタビュー記事。
1時間半集中しても読み切れなかったくらいロングなので詳しい内容は割愛するけれど、その分読み応えがあるので読んでみて欲しい。
私は以前から鈴木さんのことが好きで『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』をFMと、リアルタイムで聴けないときはpodcastで聴いるのだけれど鈴木さんの何気ない言葉はよく私の頭に留まる。
藤巻さんという存在を『汗まみれで』知った、藤巻さんというそれはもう温すぎるキャラクターと、それを罵る鈴木さんの掛け合いがとてもいい。
ジブリは製作者ではなく、もう既に物語そのものが語り始めていると思う、言葉以上に何かを伝え得るものがあるんだということがどんどん確信に近づいているのが自分でもよく分かる。
宮崎駿の社会や文明に対するアンチテーゼの切実さにはいつも胸を打たれる。
どうでもいい振りをして、心の底では全然どうでも良くないのか、
どうでも良くない振りをして、本当はどうでもいいのか、
どうでも良くないから、そのままの熱量でどうでも良くない素振りをするのか、
どれが正攻法なんだろう?
金曜日の帰り道でそんなことを思った。
11月の中旬になると神戸の街には毎年イタリア人がやって来て、ルミナリエの建設にコンコン勤しんでいる、秩序を保ったブランド街のショーケースとそれの組み合わせはまるで異国の様でカラカラした風が吹いている錯覚を起こしてしまう、イタリア人がやってくるその季節がルミナリエ全体として一番好きだ、太陽光を吸い込む真昼間の白いオブジェも悪くない。
主張の強い電光と人ごみにはあまり好感が持てない、綺麗だけれど。
今日はルミナリエ前夜。
pocket monster.
ここ最近、電車に乗ったり、街中に出掛けたりするのが辛い。
明るく変色された髪も、色濃く重ねた目蓋の艶にも、今は嫌悪感しか湧かない。
甘ったるい声と、それに便乗したここぞとばかりの自己顕示欲が、虚構の上で飛び交うのにも、いちいちうんざりしてしまう。
こんな調子だからたくさんの人とすれ違うだけで精神的体力を消耗する、自分が刺々しい、知らない人には会いたくない。
今日は時雨れている。
やっと梨木香歩氏の『f植物園の巣穴』を読み始めた、『家守綺譚』と雰囲気が似ている。
「物語は魂へ続く小怪」という言葉を読みながら何度も反芻する。
丁度一年前、梨木氏の講演会に行く機会があって、その御姿を拝見した、死ぬまでにはお目にかかりたい内の一人だった。
作品の印象からして、芯の強さが全面的に出ている女性を何となく想像していたけれど、実際はこんな小さな身体のどこからあんなに強靭なエネルギーが生み出されるんだろうと思う程、滲み出る優しさのある小柄な女性だった。
突き動かされる様に紡ぎ出されるその姿勢と文字達は憧れであり理想だ。
ただやるべきことをひたすらに、なんだろう、ただひたすらに。
風野さん(沼地のある森を抜けて)が実存したらどんなに素晴らしいだろうと読む度に恋焦がれる、今のところ二次元の世界で風野さんの右に出る人は現れていない。
少なくとも私にとって、梨木香歩氏の存在は福音だ。
しかしそれを崇めることを始めてしまったら本末転倒、元も根も無い、余りにも短絡的過ぎて馬鹿げている、確実に方向性が違う、そこは誰もが意識的であるべきで。
それでも梨木さんになら世界の何%かぐらいは救えるんじゃないか、否もう既に救えているんじゃないかと作品を読んでいて時々思う。
私が何年経っても、梨木香歩には絶対に敵わない。

pamplemoose.
私の偏食癖はいつになったら治るんだろう。
そもそも正す気はあるんだろうか。
大人になったら自然に治ると頑なに信じて生きてきたけれど、食べられないものは食べられないままだ。
食わず嫌いでも味覚嫌悪学習の成れの果てでもない筈なのに。
すっかりspangle call lilli line に夢中な最近、PURPLE購入、ちゃんとレコードショップでCDを買うなんて久しぶりだ。
大坪氏の書く詩のセンスが大好きだ。
共通して「何を言っているのかはっきり聴き取れない曖昧さ、且つ意味深」に魅かれる。
PURPLEはlilli lineの中でも群を抜いてジャケットが良い、買うならこれと決めていた、新譜への期待も二乗、上乗せ。
自覚症状が曖昧なのは錯覚に錯覚を重ねているから。
錯覚で覚醒して、錯覚の中でコンプリート。
零れ落ちるのはいつの日もあっと言う間だ。
「いつか、」は「もう遅い、」になってしまった。
続いていても終わりは来てしまうから、言いそびれたことを全部拾い集めることは出来ない。
時間の経過が温くしている所為で、後悔と呼ぶには大袈裟だけど。
貪欲と不埒さを受け入れるのにはいつだって躊躇ってきた。
本当の気持ちを伝えるのって難しいね。
自分自身の気持ちを正しく物語ってくれる言葉を捜し、選ぶ、けれど何が足りないんだろう。
装った借り物はどこまでいっても借り物以上にはならない、全然、足りない。
そんなこと自分が一番よく解ってるのに。
「あたしは他の子みたいに涙流したりしない割に そのくせ君のゴーストに水を絶やさない」
常にそういう温度で居たいよ。




