Welcome to world of mine. -7ページ目

superstar.



某ファーストフード店の店員の質が悪過ぎる。
生まれて初めて、クレームの電話を掛けてしまう。
間違いを責めることで快感を覚える趣味はない、ただ理不尽な扱いに耐えきれなかっただけ。



『THIS IS IT』を観に行く。
やっぱりパフォーマンスには魅入ってしまう、しなやかで情熱的でフェミニンでプロフェッショナル、余談はいらない。
マイケルはもう完全にエンターテイメント。
ミッキーマウスのような人だと思った。
きっと私生活まで、完全を望んでしまったのかも知れない。
エンターテイメントを演出するのではなく、自身がエンターテイメントになろうとしてしまったのかも知れない。
映画を観ているとつい錯覚しそうになるけれど、ミッキーマウスとシンデレラ城はドリーム、マイケルとネバーランドは生きたリアルだ。
寿命というものが身の丈に合った必然性でプログラミングされているならば、どうしてマイケルは今死んでしまわなければならなかったんだろう。
意味のある死だったはずだ。
摂理はいつも私たちが思っている以上に合理的だから、生まれる意味があるのなら、命尽きる意味だってあるんだ、考えろ、脳味噌絞れ、考え続けるんだ、何年も何十年だって。
背負うわけじゃないけど、その死の重さに比べれば、私が考え続けることくらい簡単だ。

生き残された私に先人の死に対して出来得る報いとは何だろう。
おこがましいね、でもいつも考える、真ん中と、片隅で。
私が小学生だった頃描いていたマイケルジャクソンのイメージを思い出す。
いつの時代も、情報は真実をねじ曲げ、意識を操作する、残酷で容易すぎるね。
ごめんね、馬鹿だった。
過剰なメディアの反応にはいつも辟易しているよ。
そんな酷薄さに対峙する術は、報道番組を見ないことでもなく、朝の電車でスポーツ紙の一面に舌打ちすることでもない、本質を見抜く目を養うことだ。


彼は誰よりも謙虚で、誰よりも優しい。
loveだ。
「エル、オー、ブイ、イー」その言葉をずっと待ってた、マイケルの声で。
愛は正しさではない、でも愛が言い訳であってはいけないんだ。
あなたは、死んでも死なない。






play.



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するすると通り抜ける秋の風は瞬きしている間に寒さに変わってた。

土曜日のアルコールは歯痛を再沸させたけれど、漬けてある手作りの果実酒は見た目も味も理科室みたいにメラメラしていて合法ドラッグの名に相応しい。


どこに行っても雨だった日曜の大阪で、あと2割でコンプリートというオタク少女な30分を過ごしてしまう、これもマゾヒスティックな娯楽の内。
生産性なんて無くても私の時間は私のモノ。


UNDER COVERのたべっ子どうぶつを買って、友達が描いた絵を枕元に飾って、TOGAの反則を見たから、今日は幸せ。
永遠のhide氏にキャーキャーして幕を閉じる。

たべっ子どうぶつは忘れていた味がして、友達の絵は部屋に良く馴染んだ。
ポスターはいつまでも飾るよ。



言いそびれたことがある気がするのはきっと気のせい。
my roomの条件は、帰りたくなることだと思う。

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Quiet.



受動で生きることはとても容易く、何も考えず単に生きるだけなら知らなくていいことは多過ぎた。
還元しなければ意味はない。

誰とも共有し得ない感情が増えていくのは必然で、それは寂しいことなんだろうか。

極彩色と焦燥と倦怠と熱と淘汰と誕生日、とほんの僅かに、指輪もマニキュアもない手元が頼りない。


あくまで理論でしかないけれど、もしも淘汰し続けられるのなら最後には一番いいものしか残らないでしょう?





脳内ではspangle call lilli lineがエンドレス、終わらない、言葉がもの凄く好み。
患う泉は煩う泉だったし、卑劣は比率で、家は内だった。
もう空耳アワーも一人でしちゃう。
sugarは帰り道に想起したくなる。



dreams.



なんじゃらほいアワーが終わってしまう。
関西圏で聴けないからpodcastでちまちまと聴いていたのに…。
「絶対にこの人と一緒にいたら何が起こっても幸せなんだろうな。」と思わせてくれる女の人に時々出逢う、遊穂さんも私の中ではその内の一人で。
あの2人のやり取りがもう聞けないと思うと寂しい。


ラジオからは珍しく、甲本ヒロト氏の歌う声ではなく話す声で思わず聞き入る。
私の中では昔から、客観的な情報だけが先走っちゃっているけれど、うん、嫌いじゃないよ、垣間見える愛情と謙虚さが凄く良い。
熱狂的なファンではないけれど、彼が逝ってしまうときが来たら私は必ず泣くと思う、そんな存在。
1963年生まれの人たちが気になるんだ。



『 THIS IS IT 』 が観たい。
絶対に何かしら感化される映画だろうけど、話題性とミーハー的発想だけで観るには弔う気持が足りなさ過ぎる、本当はそういうのあんまり好きじゃない。
こういうテンションのとき、誘ってくれる人がいたら迷わず付いて行くのにと思う。
他力本願ー。



nano.



90分、ぽっかり時間が空いて図書館の生物、地理学、気象学、の書棚を目的も無くうろうろしていると、『雨のことばの辞書』という辞書を見つけてしまう。
私は雨が降るときの空気が好き。
夜中に降る雨が一番好き。
昼間の土砂降りは嫌い。
台風の日の薄暗くてひっそりした家の中でが好き。
湿気を伴う五月雨はあんまり好きじゃない。
時雨は昼夜問わず好きだ。

辞書に載っている雨のことばは殆ど聞き慣れない古い言葉ばかりでドキドキする。
雨佳という言葉が気に入った。
日本語の奥深さにしみじみしながら、こういう趣を楽しむには母国語ではないとなかなか難しいんだろうなと思う、英語は時に分かり易くスマートで、直球で言い当ててくる印象、日本語は回りくどい、そこにもちゃんと民族性が顕われている気がする。

札幌に行って気付いたのは、住所が"北4東2"みたいに東西南北で記されてるということ、同じ碁盤の目の街なのに京都のそれに比べると随分あっさりしていて、友人と「歴史の違いなんじゃないの?」という結論に至った、頭の中で繋がる、札幌だけじゃない、北海道は開拓された土地だ。

そういう勘が少し鋭くなっている気がする、最近、まあ時期的なものだろうけど。
理由も無く疎遠になってしまった人をよく街で見かけるのもその所為。


患う泉、が煩う泉、で嬉しくなっちゃう。