mid night.
ここ数日、絶賛五月雨中だ。
そうは言ってもまだまだ暦通りに地球は周っているんじゃないかと、四面楚歌よろしく日増しに上昇していく太陽に比例するような心底憂鬱な気持ちと、名残惜しくもだらだらと冬服を仕舞い始める未練がましさもちゃんと吸収すべきなのだ。
しかし1日でも早く夏が終わって欲しいと毎年、夏の予感だけで既にそう思ってしまっている始末。
五月雨っていう言葉の響きが好き。
画板とばれいしょに続いて割と声に出して言いたくなる日本語だと思う。
そろそろ色々一新したい。
部屋も身なりも。
マックイーンの後任が決まって、養老天命反転地へ行こうと思っていた矢先に荒川修作さんが亡くなって、絶対に友達にはなれないタイプなのだけれど相変わらずYOUの著書は時間の差を感じさせずタイムレス且つ先輩的であり貴重なアイテムの一つで、岸田繁の美徳だと思うオタク気質とジャストな頬の筋の具合を含めるちぎれそうな立ち振舞いは観る毎同じくらいざわざわと感激するし、やっぱり「食べるものは身体を造り、文化は 精神を造る」というのはまんざらでもないのだ。
先々週の汗まみれでは鈴木さんがテレビ局の人たちと対談していた。
多分、若い世代は鈴木さんたちが思っている以上にもう多様化してしまっていて割とメディアなんて当てにしていないのだ。
情報発信の媒体が多様になるのと同じ分だけ、個々人の思考も多様化して主流なんてあって無い様なものだと思う。
ものの判断はもっと主観的にされるようになる、というより多様化が主観的にならざる得ない状況を後押ししていくのだろうとも思う。
そんなことだから「テレビを観ないと鬱が治る」なんて囁かれたりするのだ。
まあその理由は自分を相対的に見る機会が必然的に減るからというわけで、私は何だかここ数年でめっきりテレビを観なくなって、それはそれで凄く楽なんだけど、世の中のことがいまいち上手く掴めなくっていつもタイムリー感とか皆無で、全部別の次元のことみたいで、それも含めた上で楽で、そのことに関して思い患うことは何も無いのだけれど、相槌ですらギリギリだ。
知らないことが多過ぎる。とたまに思ったりする。
消費と生産について、日本というレベルで見ても、個のレベルに還元して見ても、割と岐路だと思う。
どんな形であれ、ものを造るならば見て過ごせぬ議題だ。
サルトルさながら「実存は本質に先立つ」わけで、多分私たちは選び続けなければならない宿命なのだ。
鈴木さんのライフワークは裏も表も人情的であり叙情的で、いつもぴったり手品のように的確で、そういうの親しめるかどうかは別として嫌いじゃない。
歴史に残る人なのだろうと思う。
いつか、恐らく私が生きている間に無情にもいづれその時は訪れてしまうのだろうけど、彼らがいなくなった日本を想像するのは辛い。