新春 1月2日 16:30~18:00 NHK BS で 

『新・爆走風塵~中国・トラックドライバー 生き残りを賭けて~』

が 再放送されます。

 

 

 

番組の紹介から お借りして

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詳細
2017年「爆走風塵」、2020年「絶望のトラックドライバー」に続く第3弾!中国の経済成長が減速し、追い詰められる運送ドライバーたち。借金を抱えるベテランとワケあり新米の2人組が、少しでも良い稼ぎを求めて選んだのは、ハプニング続出の過酷なルートだった!ラオスからチベットまで走行距離3400キロ。悪路で相次ぐ故障、違法燃料の売買、そして新米がやらかす致命的ミス。行く手に待っているのは、天国か地獄か…

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楽しみですね。

 

以前の投稿です。前回は、うろ覚えだった箇所があるので、確かめてみます!

 

 

 

 

 

Levi'sのジーンズ 501

今、愛用というか、普段履きしているのが、

どれくらい履いたかなあ、10年はいってますねえ。

15年くらいいってるかも

 

先日、とうとう膝のところで、横に切れ目が入ってしまいました。

このまま履いていたら、どんどん切れ目が拡がってくるはず。

ダメージジーンズという格好いい代物ではありません。

ダメージジーンズは、破れほつれが拡がらないように、処理をされているはず。

 

前持っていたジーンズも、やはり破れ出し、リフォームショップで補修しながら使っていましたが、

元々の生地はどんどん薄くなり、別のところに切れ目ができて、破れていきました。

とうとう膝のところで切って半ズボンというか、膝より上の丈のズボンとして使っていました。

 

それもいつの間にか捨ててました。

 

今回の501も、同じ道を辿るだろう。

なら、そろそろ新しいのを、とショッピングセンター内の今のジーンズを買った店に行ってみました。

 

Levi'sも、最近流行りのルーズなタイプから、細めのタイプと色々なラインナップがディスプレイされています。

まあ、私はアラカンで、しかもイケオジではないので、

流行りの太めのを買って若づくりしても、痛い!

 

まあ、GUやH&Mくらいの値段なら冒険できるかもしれませんが、

今日見た店の Levi's は、15,000円オーバーです。今の私にとっては安くない。

Levi'sでなくて、別のを選べばってなりますけど、

1985年ころ流行した501とヘインズ (Hanes) の白Tシャツセットの価値観を捨てきれていない私は、

やはり Levi'sで しかも 501 で。

 

で、試着をしました。

今の 501 は ”W32 L34” です。

なので、ウェストW32(32インチ)を選んで、試し履き

 

しかし、えらく腹がきつい。

おかしいなあ。

W33 を履くも、まだきつい。

うーん、で W34 でちょうどよい。

 

見間違えていたのか。もしかして W34 で L32 だったのか、、、

家に帰って、タグを確認すると、やはり ”W32 L34”

 

同じ W32 でも全然違うんですね。

買うならジャストサイズのW34かなあ。

でも、洗ったら縮むって、そういえば言っていたよなあ、、、

 

ネットでみると、ワンウォッシュしていないタイプは1インチくらい縮むとあります。

となると、W34は自信がないなあ。

W35って店になかったです。

陳列している商品は、W34の次は、W36だった。

そして、36がMAXでした。

 

いやいや、しかし、腹が出たこと。

20歳ころ使っていたデザイナーズブランドのベルトが今もありますが、もう全くもってベルトの用をなしません。

穴が届かないどころか、長さが足りない。1周しない。

 

体重の割りに腹が出ている、この体形。

でも、今回は腹が出ているという話ではなくて、

Levi's501 の”前のWのインチ”と”今のWのインチ”が違うという話でした。

 

でも、今のW32を買った時、大きめを買ったのかもしれませんが

未だにまだ入るということは、

それほど腹の出具合いは変わってないのかも、と

 

そんなわけねえよ!

(となると、デニム生地が伸びるたんでしょうか、、、)

日経新聞の連続コラム”私の履歴書”で、今、元サッカー日本代表監督の岡田武史さんのが連載されています。

 

岡田さん、なかなか小中学時代から、破天荒だったのが驚きでした。

まじめな児童・生徒と思いきや、なかなかの反骨精神の持ち主だった、と。

お父様もおじい様も医者の家系で、私立の小学校に在籍していたのですが、気風に合わないと、

地元の公立中学に進学、なかなかのやんちゃな校風だったようですが、

そこで、サッカー部に入ったのが運命だったんですねえ。

(シンクロナイズドスイミング 現アーティステックスイミングの名コーチの井村雅代さんが、体育教師時代に赴任していた中学で、やんちゃな生徒が多く、そこで相当鍛えられたことが、後のコーチ業に生きている、と言うと、その中学は僕がいた中学ですよ、といった逸話も挿入されていました)

 

中卒で海外に行こうとして、止められ

大学も早稲田大の教育学部を受けたら合格できるからと言われても、従わずに政治経済学部を受けて浪人、

浪人中もなかなか勉強に身が入らないときに、きっかけがあり、一念発起して勉強に集中、

見事、政治経済学部に合格するなど、集中力はさすがです。

 

サッカーを、眼鏡をして、プレーをしていた、というのも考えられない。ヘディングはどうしてたんでしょうか。

眼鏡にボールが当たらないように、うまくやってたんですかねえ。その辺りは言及されていませんでしたが、

途中から、監督の指示で、コンタクトレンズにしたらしいです。

 

大学時代に学生結婚し、古河電工に入社。入社も、サッカー部監督から1社しか受けるなと言われて、古河電工しか受けずに、そのまま入社してサッカーを続けた、とのこと。

 

1998年日本が初出場したワールドカップの予選や本戦での、監督になった経緯や、三浦知良(カズ)選手と北澤豪選手をメンバーから外した経緯にも触ってました。中田英寿頼みのチームで、中田が怪我をした場合の控えとして小野伸二を抜擢した。

自分が、年齢がいっていれば、違う選択があったかも、と書いておられるので、ワールドカップを指揮官として経験するなかで、今思えば、世界を知っているカズを残しておけば、と後悔を匂わせる書き方でした。

いろいろ裏事情が書かれているので面白いです。

 

連載は今日で28回目。最近はFC今治の株式を51% 取得してオーナーになってからの話です。

トレーニング方法、育成方法をスペインのも参考にして、独自のメソッドを作り、それを外部に教えることで収益に結び付ける。

以前、監督をしていた中国のチームと提携して、コーチを派遣し、そのチームが中国で1位になるなど成果を出している。

(中国のクラブチームの監督を引き受けたいた時のも、なかなか面白かったです)

 

今治の地元に溶け込むのに、チームのスタッフ・社員に、終業を夜8時にし、各人まず友達を5人作ろう!の合言葉に、地域に人脈をひろげ、地元の人たちに本気度を理解してもらった、と。

そして、2017年に3.8億円で5000人収容の民設民営のサッカー専用スタジアムを作り、

2023年には42億円かけて本格的なスタジアムを作った。

 

日経新聞の朝刊を取り出しのは、日経の夕刊がこの下関地区で廃止されて、ネットで夕刊を見るために日経IDを取得、朝刊も朝日新聞から日経新聞に変えたのですが、

今は、吉田修一氏の連載小説「タイム・アフター・タイム」と岡田さんの”私の履歴者”を、朝一番で必ず読むのが楽しみで仕方がありません。

 

吉田修一氏の小説は、映画「国宝」のヒットで、原作を読もうと買ったのですが、これが読み始めると止められない。

本は寝る前に読んでいるのですが、「国宝」は目が余計に冴えて、寝る前に読むのは止めてます。

すっかり吉田マジックの術中にハマっています。この人は凄いですね。

 

余談でしたが、FC今治も専用スタジアムを作って、それを核にいろいろなものを付随させて、人口14万の今治市に還元、繁栄に寄与というか、起爆剤になっているようです。

過疎化がすすむ 下関市 や 山口県。下関市は平成の大合併で人口が一時的に30万人になったのですが、今は24万を切っている。

J2のレノファ山口は、J3に降格しそうですが、山口にはなくてはならないチームになっています。

今季の当初、ホームの維新記念公園陸上競技場で観客10,000人計画をやってました。

下関の陸上競技場のセービングスタジアムでも1試合ホームゲームをしました。

 

FCバレイン下関も、下関市の乃木浜公園のサッカー場周辺を盛り上げられればいいですね。

乃木浜は、公共の交通機関の便が極めて悪いところですが。

便が悪いので、広い土地にいろいろなスポーツのコートが造営できたんですけどね。

あそこの巨大な滑り台は、小さな子どもにとっては非常に魅力的です。よく子どもが小さい頃は連れて行ってました。

テニスコートは、照明付きで日曜でも夜22時まで使えるので、重宝します。

サッカーコートはメインもサブもあって、環境はいいです。

 

宇部にはバスケットのプロチーム 山口パッツファイブがあります。B3リーグでしたか。

ACT西京のバドミントンチーム、

長門市には女子ラグビーチーム ながとブルーエンジェルスがあります。

 

スポーツは応援する人たちの気持ちを一つにし、地域を盛り上げる大事なコンテンツです。

メダカを飼ってます。

JAでミックスとして、色々な種類や大きさのメダカが混じっていたのを1000円か500円くらいで買ったのが、

たぶん去年だったと思います。

それまでも飼ってたのですが、残り1匹になったので、寂しかろうと思って、新しいのを睡蓮鉢に入れると、何日かして、ひと際大きかったその最古参メダカは死んでしまいました。

三年は生きたであろうメダカでしたが、寂しいと思ったのは、人間のほうで、メダカはそんなことは感じていなかったようです。

かわいそうなことをしてしまいました。

 

それまで餌はイトミミズの乾燥したのを入れていたのですが、新しいミックスたちは、そんなに大きくなかったので、口も小さくイトミミズでは食べにくそうだったので、粒タイプの水面に浮きやすいタイプに変えたのです。

 

それがいけなかったのでないか。最古参のメダカは、小さい粒を餌と認識できなかったのかも。

それとも、呑気に一匹で過ごしていたら、いきなり多くのメダカが来て、みんな若くて元気がいいのが、ストレスになったのでしょうか、、、

反省しました。

 

それ以来、餌はイトミミズと粒タイプを両方入れるようにしました。

 

この夏、腹が膨らんでいるメダカを見かけます。卵を産みそうだなと思い、水草に似せた採卵用の浮草もどきを、鉢に入れました。

それに卵を産み付けているのを見つけては、2リットルのペットボトルを切って作った容器に入れていたら、どんどん孵化して、通算でこの夏に20匹くらい生まれたと思います。

 

孵化したてのメダカは針子と呼ぶというのも知りました。

本当に針の先のような稚魚です。

表情はわかりませんが、小さくて、ちょろちょろ動き、なかなか可愛いです。

 

餌も針子用のがありました。水に溶けて、見えなくなりますが、よく見るすごく小さい粒子が水面に浮いています。

これくらい小さくないと、確かに針子は食べられないですね。

 

しかし、日を追うごとに、針子が少なくなっていきました。

 

そして、とうとう4匹に。

まあまあの大きさまで成長したら、成魚の鉢に放したのですが、最初の①は、いなくなったんですよねえ。

成魚に食べられたのか?

戻すのが早かった、と思いました。

ネットで見ると、1㎝くらいに成長してから成魚と一緒にするといいとありました。

 

次の子どもは黒メダカ②。1㎝くらいになって、親と一緒の鉢に入れてからも

順調に育ってます。

 

③と④は、②の後に孵化した黒メダカ③と白メダカ④です。

これも1㎝くらにはなったであろうタイミングで鉢デビューさせました。

 

2週間くらい経ったでしょうか。

本日、朝、餌をあげるときに、白メダカ④はいません。

元気なメダカは、餌をあげる気配を感じると、皆、一斉に水面に上がってくるのに。

④も昨日まで上がってきたのに。白いので目立つし。

 

よくよく見ると、今日は底のほうで壁をつついてました。腹が減って壁の藻をつついていたのでしょうか。

 

一緒に鉢デビューさせた黒メダカ③に比べると、白メダカ④は細く痩せている。あまり大きくなってないんですよねえ。

 

鉢の餌やりは一日一回です。これだと稚魚では少ないようです。

 

今日は、昼過ぎにも餌をやることにしました。

鉢を見ると、白メダカ④がいないんですよねえ。

今朝、底のほうにいたのは、弱っていたのかもなあ。

底で横になっていると、巻貝の小さいやつ、スネールと呼ばれているのに、食べられたのか。

はたまた成魚に食べられたか。1㎝くらいでも食べられるのだろうか、、、

 

うーん、残念

 

結局、20匹くらい生まれた稚魚で、今、生き残っているのは2匹。そして2匹とも黒メダカ。

 

なかなか難しいです。20匹くらい増えてしまったらどうしよう、新しい鉢か水槽がいるなあ、と思案してたのですが、杞憂でした。

 

20匹孵化の後、鉢の中で模擬水草に、卵を産み付けているのを見つけては、ペットボトルを切った器に移しても、その後孵化しないんですよねえ。一緒に巻貝がついてきたり、なかにはヒルのような伸びたり縮んだりする生物が混じっているんですが、それらが卵を食べてしまうのでしょうか?それともそもそも無精卵だったのか。ネットによると黄色っぽい卵は有精卵らしいのですが、黄色っぽいのもあったんですけどねえ。

 

 

 

映画「豹変と沈黙ー日記でたどる沖縄戦への道」_公式HP

 

 

 

マイクロソフトのニュースというか、見出しバナーに、興味を惹かれて、クリックした内容です。

「豹変と沈黙」原義和監督

 

「日中戦争」で従軍した兵の日記を扱った映画!

これは、見たい!と思いましたが、近辺では予定がありません。

 

福岡市のKBCシネマか、山口市のYCAMか、でしょうか。

 

KBCシネマは、遅れて上映することがあるのか、知りませんが、ワンショットシネマという形式で、1日1回限定で上映することがあるそうです。ただ、これは週末でないと、行くのは難しい、、、

 

YCAMは遅れて上映しますので、可能性があります。

期待しましょう。

なかなかの衝撃の内容のようです。

 

 

10月13日(月,祝*スポーツの日)

午前中に、近所のドラッグストア コスモスまで行きましたら、なんと、備蓄米が売られていました。

 

コスモスさん、ずーと、入荷したら備蓄米を5㎏ 1980円で販売しますよ、っていうポップ、嘘じゃなかったのね。市内では大型の部類に入る秋根東町店だけでなく、割と小さなうちの近隣の店舗でも品揃えされ始めたようです。

 

小泉進次郎議員は、自民党総裁選に負けてから、備蓄米が出だしたので、このタイミングでの販売開始は、小泉さんを総裁にさせたくない派の陰謀論では、というのもSNSでちらほら見かけます。

 

そうかあ、と妙に納得してしまいました。

都会や東日本では、もっと早くに備蓄米、出ていたと報道されていましたけどね。

 

小泉さん、まだ若いのでチャンスはありますよ。

 

地元の林芳正さん、総裁選3位 でした。惜しかった。

テレビでの討論会などでは、すごく落ち着いている。

林さんの説明する政策は、ごもっともと思ってしまう。右でも左でもない、一番中庸な考えなのでは。

派手さはありませんが、いつか、内閣総理大臣になって、日本をいい方向に導いてもらいたい、と地元民の私は思います。

 

長らく安倍晋三さんがいらしたので、林さんは、地元下関から衆議院で出られなかった。

でも、才能のある政治家と思います。

 

林芳正さんを、福岡から出馬していた古賀誠 元議員が、応援しているらしく、古賀誠さんと麻生太郎さんは福岡でバチバチやっていて、麻生さんの影響力が強いうちはなかなか難しいかもしれないですが、

林さんは今回はダメでしたけど、存在感は示せたんじゃないでしょうか。

 

高市さんが総裁になってから、公明党は自民党から離れました。国民民主党の玉木さんは、自民党からも、立憲民主党からもラブコールが来て、さあ、これから政局はどうなるでしょうか。

高市さんが内閣総理大臣にならないこともありうる、ということが現実に起きるのでしょうか、、、

国民民主の手取りを増やし178万円の壁へ これって実現させるには、財源が15兆くらい足りないので、実現は難しいと思いますけど、と総裁選予想番組内で、経済学者か評論家の方が言ってました。15兆って、1億で割ると、15万円。だいたい一人15万円年間に税が減るということ。まあ、確かに、、、

 

石破首相が、戦後80年談話を、発表には反対論のあるなかで、発表されたそうです。ラジオ「日本全国8時です」森本毅郎さんの番組で、取り上げられていました。石破さんのお父様が、戦争反対論者だったと。戦前戦中は官僚で、戦争を経験され、その後政治家になられてますが、そのお父様の影響を強く受けているだろう、と。中国や韓国は、今回の石破談話を評価している、と。

 

 

 

 

下関駅近くのミニシアター「漁港口の映画館 シネマポスト」で、映画【私たちが光と想うすべて】を観てきました。
この作品、2024年の第77回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞!
(最高賞はパルムドールなので、いわゆる2位という感じですかね)
グランプリはインド映画としては初だと。
監督は、女性でパヤル・カパーリヤ。ちょっと、すぐには憶えられそうない、、、
 

 

インドの大都市ムンバイが舞台
 
「サラーム・ボンベイ」という映画を昔、見ましたが、ボンベイという名称は英語で、現地語ではムンバイだと。この映画は、第41回カンヌ国際映画祭で新人賞を受賞してます。1988年の映画で、日本公開は1990年でした。映画のストーリーはすっかり忘れてしまいましたが、子どもが主人公で、切なかったという記憶があります。
 
ところで、この『私たちが光と想うすべて』は、アパートをルームシェアしている二人の女性が主人公で、二人は同じ病院の看護師として働いています。歳は少し離れているように見えます。
年下の女性が年上のルームメイトを「おねえさん」と呼んでいましたが、実際の姉妹ではないようです。「おねえさん」と呼ぶことは一般的なことなのでしょう。また、彼女たちが「おばさん」と呼ぶ人もいました。親戚の「叔母」かと思いましたが、これも違っているのかも。親しい人たちと、家族親戚との枠組みを線引きしていない、親しい人は家族親戚同然という文化のように感じました。まだ、インドには、そういう文化が大都会にも残っている、と。日本でも、おねえさん、おばさん、と呼ぶことはありますが、どちらかというと名前を知らない場合。親しくなると、名前(名字や下の名前)で呼ぶようになります。そこは単純に文化の違いなのかも。もしかするとインドでは、年上の人を名前で呼ぶのは失礼にあたるのかもしれないですね。
 
ムンバイは、経済成長著しいインドを象徴する大都市、エネルギーに満ち溢れています。二人やその周辺の人たちは、近代化する社会に、結婚や家族制、宗教の伝統や縛り、考え方・あり方に翻弄され、悩み、時に抗いながら生きていく様子が描かれています。インドは、国土が広いだけに、言葉の違いがあることも表現されていました。経済成長し、豊かになっていく面を光とすると、やはり陰が存在することも。
最後は、希望が持てる象徴的なシーンは、なんとも美しい。そのままエンドルールへ
 
インドの普通の人たちが、どういう風に暮らしているのかも、わかる映画になっていると思いました。
 

 
 

シネマポスト支配人の鴻池さんをインタビューしているポッドキャストを発見しました。おもしろかったです。鴻池さんがシネマポストを開館するにいたった経緯がよくわかりました。リンクを貼っておきます。

 

 

 

 

10月5日(日) 夕方

なかなかお目にかかれなかった備蓄米

ドラッグストアのコスモス秋根東店(新下関駅から徒歩10分くらい)で初めて見ました。

 

これ買っとく?という別のお客さんを見て、これって何?と思って見るとお米。

値段は1980円

これが、備蓄米か!

 

うちの近所のコスモスでは、ずっと、備蓄米が入ったら1980円で販売します、というポップが貼ってあるのですが、一度も備蓄米を見たことがありませんでした。

 

秋根東店は、大型で、同じコスモスでも商品によって安く出しているのがあります。

森永のエネルギーインという 以前はウィダーインゼリーの名前で売られていた商品です。

だいたい他のコスモスでは158円なのですが、秋根東店だけ148円です。

 

そういうのがあって、時間がある時は、秋根東店まで足を伸ばすようにしています。

 

そこで、初めて見た備蓄米。意外と売れていない。

新米が並んでいるこの時期。

 

妻は、備蓄米、近所のリブホール(以前のマルショク 名称変更)でも見かけ、そんなに珍しくはない、それにあまり売れていない、と。

 

以前は、コメはイオン系のザ・ビッグで、10Kg 3500円くらいで買っていた思います。

なんか、ビッグでコメは陳列していないなあ、と思ったら、一気に価格が高騰していました。

令和の米騒動!

 

今、新米は5Kgで4000円超えです。

 

農家が、やっていける価格設定が日本のコメ自給のためには必要、というのはわかりますが、それが今の価格なんでしょうか。

 

備蓄米放出で、救世主のように見えた農水大臣の小泉進次郎議員、自民党の総裁選で高市早苗議員に負けてしまいました。

備蓄米が、意外と売れ残っていて、新米の価格もそんなに下がらなかった、というのも関係しているんですかねえ。

全国の自民党員の票は、小泉さんより高市さんのほうが多かった、、、

2025年9月28日(日) 山口市のYCAMまで、映画「黒川の女たち」を見に行ってきました。
高速代を節約して、国道2号線を使って、1時間40分くらいで着きました。
 
 

 
衝撃の映画でした。大変な力作です。
YCAMには何度か、行ってますが、私のなかでは過去一、観客が多かった。
なんで?
上映前に責任者の方から説明があって初めて知ったのですが、
監督が来場されて、映画の説明をしてくれるトークイベントがあると。
なんとも、偶然!これが、よかった!本当に制作の過程の詳細が聞けました。
 
映画は、岐阜県賀茂郡の黒川村(今は白川町に統合されているようです)から、
満蒙開拓団として、満州に移住した集団のドキュメンタリーです。
 
当時の映像はニュース素材や写真を使うしかありませんが、
証言をする人たち、現代の人たちの映像は、今であり、非常にリアルであり、重い!
 
日本は第二次世界大戦に負けると、満州の現地の中国人たちから、責められる、
攻撃を受けるようなったと。
そりゃそうでしょう。現地で農業を生業に暮らしていた中国人の家や田畑を
無理やり安く買いたたいて、開拓団の人たちの所有にし、
中国人たちを安い労働力として、小作人として働かせてた、のですから。
 
しかし、敗色濃厚になり、ソ連兵が日ソ中立条約を破棄して、満州に進撃、
関東軍は、日本から移住してきた住民を残して、すでに南下退却していた。
もう、守ってくれる日本軍はいない。
ソ連兵も来た。
ソ連軍は、満州のどこに、日本のどこから来た、どれくらい人がいるなど、
詳細に把握していた、と。
 
多くの村では、日本人たちが集団自決をしている。
黒川からの開拓団では、中国人からの攻撃から守ってもらうために、
ソ連兵に守ってもらうしかない、という結論に。
団の幹部が、ソ連将校にかけあうと、ソ連軍からは若い女を差し出せ、と。
幹部は、未婚の若い女性たちに、ソ連軍の接待役をしてくれ、と頼む。
 
娘のなかには、接待役とは、お茶を出したりするだけと思っていた者もいた。
しかし、その実態は性接待であった。
皆が避難している建物の直ぐ隣にある建屋が接待場所。
 
呼び出し係が来ると、誰誰行ってくれとなって、1日に複数人の相手をする。
 
終わると、病気や妊娠を予防するために、膣内に消毒液を入れる。
消毒係は、まだ性接待には年端がいかない少女の役目。
 
4人が病気になり、満州で亡くなり、日本に帰れなかった。
 
黒川村の人たちは、日本に戻ってこれたが、
未婚の女性に性接待させたことを話すのは、タブーに。
団の大人の男性たちは、自分たちがそういう状況を強いたことに負い目もあっただろう、と。
村のために、身を犠牲にした女性たちは、帰郷しても、
嫁のもらい手がいない、ということで、他の村に移住せざるをえなかった。
 
村は、亡くなった4人の女性の鎮魂のために「乙女の碑」を建立したが、
碑文はなく、なんのための碑がわからない。
このままでは、事実を知り受け継ぐ者が途絶えてしまう。
 
接待係の一人の佐藤さんは、この映画の前から、新聞や月刊誌などに、性接待の実態を告白していた。
なんとか、世に知らせて、後世の女性たちに、もう自分たちのような経験をさせまいと。
 
遺族の会の代表の方が中心となって、碑文を建立しようと動く。
碑文には、なぜ黒川村から満州に開拓団として行ったのか
そして、なぜ未婚の若い女性がソ連兵の性接待役をすることなったのか、
などが書かれている、とのこと。
 
この映画の素は、もともとTBSのドキュメント番組(たぶん報道特集)で取り上げていた、と。
   ※テレビ朝日 でした。完全に勘違いをしていました
でも、私は知らなかった。朝日新聞でも取り上げていたようですが、知らなかった。
ソ連兵が来て、女性が犯された、というのは断片的に見知ってはいましたが、
(福岡近辺には、ソ連兵に犯されて妊娠した女性たちに中絶手術をする医療機関が設置されていた、とか)
 
村ぐるみで組織だって性接待を若い女性たちに強いていたというのは、知りませんでした。
 
映画にした、ということで、私のような無知の者にも、事実を知らしめることができた。
よくぞ松原文枝監督、そしてTBSテレビ朝日、映画にしてくれました!
監督はまだ若いのに、凄いなあ、やり手だなあ、と思っていたら、同年代でした。
若!

 

松原監督は、本も書いています。

「刻印 満蒙開拓団、黒川村の女性たち」

KADOKAWA社から出版されています。

※リンクがうまく貼れません、アマゾンも楽天ブックスも。

 

黒川村のことは、他の人も書いているようです。

「ソ連兵へ差し出された娘たち」2022/1/26 平井 美帆 (著) 集英社

 

 

調べると、NHKのアーカイブスにも、佐藤ハルエさんの証言が載ってますね。全然、知らなかった。

実に力強く、私たちは団を救うために犠牲になった、
何も恥ずべきことはない!と佐藤さんは証言されています。
映画の中でも中心人物です。
ただ、映画ほど詳細には掘り下げていないし、佐藤さんの人柄もあってか、悲壮感がそれほど伝わってこない。
ここは、是非、映画を見て欲しいと思います。
 
今、BS-TBSで、土曜の昼の12時から放送している、
「関口宏の一番新しい近現代史」がいよいよ昭和に入ります。
なぜ、日本は戦争に突き進んだのか、、、
私たちは学んで、同じ過ちは繰り返してはならない!
 

先日、北九州市小倉の昭和館に行って、

映画「どうすればよかったか?」を観てきました。

 

 

小倉の昭和館は老舗の映画館ですが、旦過市場の火事で令和4年(2022年)8月に焼失

令和5年(2023年)12月に再建、とのことです。

 

再建された昭和館に来たのは、初めてです。

前のちょっと暗い場末な感じは全くないです。

あれはあれで好きでしたが。そんなに行っていた客ではないので、偉そうなことは言えませんが。

新しい映画館に生まれ変わってました。スカッとした感じで、いいですね。

 

「どうすればよかったか?」

監督・撮影・編集:藤野知明

製作・撮影・編集:淺野由美子

製作:動画工房ぞうしま

 

藤野知明監督が、実姉が精神の病(統合失調症)を発症したと思われたのに、ご両親が精神科の受診をさせないようにして、

後年、映像制作を学んだ監督が、姉の発症後18年経った頃から20年にわたって撮影をし、その映像を101分に編集したドキュメンタリー映画です。

 

素晴らしい渾身のドキュメンタリー映画です。

 

エンドロールが終わって、はからずもあったラストシーンに、私は嗚咽を止められずに、

前列の入り口に最も近い席に座っていたにも関わらず、最後のお客さんが出ていくまで席を立つことができませんでした。

私の顔は溢れる涙を止めることができずに、そのまま外に出ることが憚れた状態だったので。

 

藤野監督は1966年生まれと私と同世代です。

そしてお姉さんは8歳年上。

ご両親二人ともが医師であり、研究者という家庭で育っています。

 

お姉さんは医学部に進学、在学中に発症しているようです。

ご両親は、知り合いの医師には診てもらったけれど、精神病ではない、ということだったと、お父さんが説明していたシーンがあったと思います。

 

監督は北海道大学を卒業後、家族から距離を置きたいという監督自身のナレーションが映画内であったと思いますが、関東で就職、

その後、日本映画学校に入り、映像制作の勉強をして、その練習という理由をつけて、

お姉さんやご両親の撮影を始めてます。お姉さんが発症してから18年が経っていました。

 

お姉さんが自宅から出ていかないように、玄関には内側から鎖と南京錠で、出ていけないようにしているシーンもありました。お姉さんを守るため、と。

 

そのうちお母さんに認知症の症状が出始めて、高齢のお父さんにお姉さんの世話の負担が一気にのしかかってしまい、とうとうお父さんもお姉さんの精神科への受診を認めた、というのが転機でした。

 

精神科を受診し、3か月の入院の後、自宅に戻ったお姉さんは見違えていました。

あれほど妄想に影響されていた言動は、冗談を言ったり、お茶目なところもある素敵な女性になっていました。

長く社会とは隔絶されて暮らしていたお姉さんは、直ぐに仕事をする、というわけにはいきませんが、

弟である監督は、お姉さんが出掛けたいところにできるだけ一緒に行き、お姉さんは社会を楽しんでいるように見えました。

花火を一緒に見上げるお父さんとお姉さん、とてもいいシーンです。

 

お姉さんが発症したであろう約40年前、統合失調症はまだ精神分裂病と呼ばれ、今ほど薬も進化していなくて、社会的なリハビリテーションも進んでいなかったので、入院しっぱなしになるとご両親は考えていたのかもしれません。

入院患者が虐待されるという報道は、昔からありますが、最近も東京の病院の映像が明るみになり、職員が逮捕されてます。そういう環境に娘をおきたくないと考えたのか。

 

医師法には

(免許の相対的欠格事由) 第4条 次の各号のいずれかに該当する者には、

免許を与えないことがある。 

心身の障害により医師の業務を適正に行うことができない者として厚生労働省 令で定めるもの 

 

とあり、ご両親はお姉さんが医師国家試験に合格して医師免許を取るまでは、精神の病という診断を受けさせないようにしていたとも考えられます。

 

どうすればよかったか?

 

早く精神科に受診して治療を受ければよかったのに、と簡単には言えませんが、

治療を受けたお姉さんが、笑顔をみせるようになり、生活を楽しんでいる様子に見え、

ほっとしたというか、よかったと私も思いました。

 

それが最後のシーンに象徴されているなあ、と

 

福岡市のKBCシネマでは、今まさに上映されていますし、自主上映も各地で企画されそうな映画です。

藤野監督の過去作品も機会があれば、見たいと思います。淺野由美子さんとタッグでアイヌのドキュメンタリー作品が4本あるとのことです。