こんにちは。
昨夜も今日もお祭りで大忙しです😅💦
娘が会場でダンスを踊るので、その舞台裏が忙しいのですよ。
まーみなさん化粧や髪型がお上手で…😅
※花火
これが終わると涼しくなって夏が終わ…りません😅
昨日はおかしいくらいの暑さでした。
乙女座火星29度、本気を出してサインを移っていきますよ❗️
さて、今日は古代の神々がやってきた、南方ルートと北方ルートについてお伝えいたします。
なんじゃそりゃ、という感じですが、
日本はもともと、朝鮮半島の一部だったのが、ゆっくりと島国になり、海ができて、人々が大陸から渡ってきたのです。
このルートは九州にあります。
いわゆる出雲神話は、島根の神々のことですが、朝鮮半島と近いにもかかわらず、なんと、南方ルートになるのです😅
そんな南方ルートというのは、
沖縄地方〜南九州
となります。
そう、出雲の神々は、琉球王国がルーツなのですね。
そのさらにその古いルーツは、
古代インド🇮🇳
となります😅
インド〜東南アジア〜琉球〜九州へ到達したものと思われます。
だから、仏教と神道は習合できた、のかもしれないですね😅
お釈迦さまは紀元前563年の弥生時代生まれですが、南方ルートの神々はもっと前、縄文時代から日本に住んでいらっしゃいますよ。
なお、出雲と沖縄はDNA型でも証明されております。
つまり、
出雲の神在祭とは、
琉球の海神と共通がある、
のですね。
つまり、龍蛇は、ポセイドンの龍神でもある、ということですね🐍
だから出雲大社のご神体は西を向いているのかしら、とわたしは去年に思いました😅
インドは西方浄土の信仰があるのです。
この南方ルートの祖神は、神魂神(カミムスヒ)となりますよ。
出雲大社の摂社として祀られておりますね✨✨
ちなみに女神さまでございます。
さて、北方ルートをご紹介します。
そうです、こちらは今の中国🇨🇳、朝鮮半島のシナから到達したのですね。
シナは紀元前221年に、秦の王がシナ統一をなしとげ、秦の始皇帝を名乗りました。
この秦の始皇帝が、ムーで有名な古代ユダヤの失われた十支族だと伝えられておりますね。
この秦から亡命してきた渡来人が、多くいらっしゃいます。
これぞのちの秦氏であり、応神天皇の代にさらに続々と渡来をしてきたのですね。
この北方ルートの祖神は、高木神(タカミムスヒ)となりますよ。
これが、のちの物部系となります。
なお、南方ルートも北方ルートも、起源を辿ると、古代エジプトとなります。
ギリシャ神話と古事記に共通項が多いのは、そのせいなのかもしれないですね😆
さらに起源を辿ると、おそらく、アフリカになるのでしょうか。
せーかいーはひーとーつー😆✨✨
せーかいーはまーるーい😆✨✨
のに、争っていてもったいないですよね。
「そうか、南方ルートと北方ルートは気質が違うのか」
と肌で感じてもらえれば嬉しいです😅
なお、あくまで渡来のルーツなので、日本の神々は日本生まれでございますよ🇯🇵
※わたしたち北方ルートの日本生まれよ♪
さて、南方ルートと北方ルートは、気質以外にも、大きな違いがありました。
それが、
母系家族か、父系家族か、
ですね😅
母系家族は、子供を産んだ母親が優遇され、子供たちは一生、母親のもとで暮らしていたのです。
父親は夜だけ妻の家に通う、妻問婚(つまどいこん)だったのですが、哺乳類も母系家族なのです。
北方ルートは父系家族でした。
シナは男性優位社会なのです。
なお、母系がとても珍しかったのか、三国志にも日本の家族の様子が書かれております👀
さて、南方ルートは黒潮に乗って、日本の北陸〜東北(北陸や東北)に移り住んでいます。
だから、東北と琉球の言葉は似ている、のです。
そして、もともと東北に住んでいた人々は北海道に移り住みます。
これがアイヌの人々なのですが、アイヌは南方ルートとおもに混血しているので、アイヌと琉球はどちらも日本最古の血脈であるのです。
そして、縄文時代後期になると、寒冷化を受けて、ふたたび南下します。
こうやって人々は混血を繰り返したのが、今の日本なのですね。
弥生時代というのは、北方ルートからの移民によって、文明開花が進んだのかもしれません。
それくらい高い技術を持って日本にやってきたのです✨
縄文時代の南方ルートの最古の神が、サルタヒコだと思います。
鼻が長く、天狗のモデルとなっているのは、ガネーシャ神から来ているのかもしれないですね😅
※インド雑貨
サルタヒコ=サダ
となり、各地の佐田地方などは、サルタヒコの名残でもあります。
島根県にも佐太神社がありますが、こちらもサダ神を祀っているのですが、
このサルタヒコは天孫降臨のニニギノミコトたちに押されて、
伊勢で亡くなります。
これが、伊勢津彦伝説であり、内宮の隣の猿田彦神社で祀られておりますよ⛩️
なお、日本の中央部(博多〜関西〜東京)は、出雲系→物部系になったところですので、どちらの神も祀っておりますよ。
そんな物部氏も、
祭祀権を奪われて、
日本の歴史から消えてしまいました。
※物部系の最初の大王
そんな物部系の忘れ去られた大王は、こちらの写真の祭神です。
スサノオというのは、この北方と南方の両方の起源を持っているのです😅
おそらく、別神だったのを、古事記や日本書紀がまとめてしまった、のかなと思われます。
北方ルートは星を信仰しており、おもに北極星を大切にしてきました。
今の佐賀県〜福岡県は、ハタ族が武力に優れていたので、勢力を拡大して、九州の北端部を支配し、「築秦国(ちくしんこく)」を名乗ったのです。
だから、
築秦国→筑紫(つくし)
なのですね。
この中央部が、吉野ヶ里となりますよ。
なお、神々のなかで、混血である方が大勢いらっしゃいます。
分断されし北方ルートと南方ルートの神々は統合しており、そういった神々の子孫が、わたしたちなのですね。
ということで、縄文時代から弥生時代にいたる日本の神々のルート、その痕跡が残っているのは、
ひっそりと神社のすみに佇む末社、
なのかもしれません。
ちなみに、
すごいのが、
北方ルートの物部系の神さまが、出雲の母親のもとで、出雲育ちとなっていることです😅
ほら、出雲は母系家族だったので…
こういった神が、和平派になっているのです✨✨