こんにちは。
ブログを読んでくださり、ありがとうございます♪
このブログは不思議な世界について呟いておりますよ。
さて、今日のテーマはお金と業の関係についてです。
わたしは新卒からずっと経理事務なので、お金の話は本業になります😅
先日、カルマの贖罪という話を書きましたが、人が生きる上で、全てのものに対価が付きます。
※鬼の落涙岩
人からもらいすぎたり、
与えすぎていたり、
お互いにモヤモヤするのは当たり前なのです😅
だから、距離感なしにぐいぐいきて、どんどん搾取していると、人生の落とし穴に落っこちるんですよね。
その逆の言葉があります。
奉仕ですね。
ボランティア、というか親切心とも言われます。
※豊川稲荷
先日、お友達のお寺の娘さんから(僧侶の一族)、
「豊川稲荷でヨルモウデがあるのですが、代理参拝しますよ」
と声をかけてもらいました。
もちろん彼女はお金などは取りません。
この取らない、という行為は「カルマを引き受けない」とも取れますし、
わたしが無償で荼枳尼天へのお参りをさせてもらうという「カルマを受ける」とも取れます。
ここで問題なのは、荼枳尼天とわたしとの間にご縁が発生する、という点です。
無料である分、相応のお礼参りが必要となるのです。
と言うのも、この娘さん、荼枳尼天が守護神なのです。
修行もされている方なので、効果も抜群なのです。
それなのにお礼参りも代理なんて…😅
ゆるされなーい。
この件はただの日常の一コマですが、
こうやってカルマの釣り合いを取れるように、皆さん「無意識に」動いているのです。
※豊川稲荷
例えば、黒魔術などには、全て代償がつきまといます。
他人の気持ちを動かす呪術だと、
それ相応の対価が必要になるそうですよ。
代償だけでなく、エネルギーも吸い取られますしね。
ひえー、怖いですね😅
同じように、神仏へのお願いも対価が付きます。
この対価が祈りだったり、ご寄付だったりするわけです。
そう、お金は対価として代用できるよ、ということです。
当たり前のことを書いてますが、とても大切なことです。
賠償金という言葉もあるくらい、
お金という物質はカルマの贖罪として代用できますよ、ということです。
ちなみに昔はお金が流通していなかったので、
お米や麦だったわけですね😅
五穀豊穣の願いとは、凄まじいのでしょうね。
これを踏まえて…❗️
業の深い神仏に関してのお話です😆
神仏への祈りとご寄付を継続して行うと、何が起きると思いますか?
そう、陰徳となるのです。
目に見えない貯金、ですね😆
わたしはこれがスピリチュアルのゴールなのだと、強く思っています。
例え願いが叶わなくても、
こうやって神仏へご奉仕を続けていくと、
タイムラグを経て、ご加護として神仏と繋がることができるのです。
いつのまにか厄介なものが消えているかもしれませんし、
いつのまにか病気が治っていたり、
長く不妊だった夫婦の元に子供がやってくることかもしれません。
このように、神仏への感謝の気持ちを捧げると、
日常生活が暖かい何かで包まれているような気持ちになります。
感謝の気持ちとお金は同じくらい強いのです。
お金の威力もすごいですが、感謝の気持ちって財力と同等なのですね✨
しかし、
お願いごとが叶ったのに、お礼参りをしないと、没収されるかもしれません…😅
あと、
神仏の名前を使ってお金をたくさん稼ぐと、
代償として強い跳ね返りがあるかもしれません。
どうぞお気を付けてくださいね♪