こんにちは。
先週の金曜日から有休を取って、6歳の娘と一緒に、島根〜鳥取を巡る山陰の旅をしてきました。
私たちは初春に、母と娘の二人旅をしているのですが、行き先はさしていつもと変わらないのが特徴です。
(去年も同じ場所でした)←やっぱり
と、と、ところが😅
大寒波が日本海側を襲いかかり、木曜日の夜の時点で、松江道、国道54号線、中国道が大雪で閉鎖。
上も下もぜーんぶ封鎖ですよ。
おまけに大雪警報が出ておる😅
え?
どこから島根に入るの??←広島市民
と、私は前日の夜に茫然としましたが、そこは旦那。
「もう諦めろ」とかつまらないことは言いません。
「浜田道から島根に入れ!」
という指令の元、道を確認していくと…。
し、島根まで4時間もかかるんだぜ…😅
「え、他に道はないの?」
と東日本の皆さまは思ったと思いますが、島根県と言うのは山脈に囲まれているため、侵入経路が限られているのです。
あの事故の多い魔の中国道は鉄壁の強さを誇るのに、まさか閉鎖されるなんて…。
ちなみに、私が移住してきた13年ほど前に、広島と島根を結ぶ松江道と言うのが、私のために作られたのですが。
※あなたのためではない。
この松江道が、まっすぐな高速道路で、おまけに無料❗️
年末年始の大寒波でも封鎖されなかったのに。
水曜日から視界不良のために閉鎖されてしまうなんて😅
何とか浜田道とやらで出雲大社まで辿り着こうと、朝一で出ようと準備をしていたら、珍しく朝にブログの投稿をしてしまい、出発が遅くなってしまったのです。
すると、家を出る直前に携帯を確認すると、松江道が二日ぶりに解除されると予告が…❗️
ら、ら、ら、ラッキー‼️
と言うわけで、松江道を使ってぴゅーんと島根に着きました😅
カーナビやGoogleマップはまだ認識されておらず、「通行止め」になっていましたよ。
何て神々しいのでしょうか。
しかし、山陰地方の高速道路はスリップして危なかったです😅
強風で道路が凍結されてしまうのですよ。
松江道は銀世界で山々がキラキラしておりましたよ。
このように、島根県は数日前から完全にロックダウンされておりましたので。
そう、まさかの。
出雲大社の境内に人がいない…‼️
こ、これ新たな人払いかしら😅
私、神楽殿前に誰もいないのを初めてみましたよ。
もちろんこの日だけで、翌日から気温がぐっと上がり、土曜日はたくさんの観光客が来るのですが。
前回の1月の参拝が、緊急事態宣言を受けて、参拝客が少なかったわけなのですが、それを大幅に更新してしまいました。
なので、せっかくなのでのんびりと滞在しましたよ。
帰り際に修学旅行生が来てくれました❗️
警備員さんまでもが、写真を撮る時に遠慮して避けてくれました😅
拝殿前では、娘がやっぱりケンケンパッと遊んでいます。
え、知らない?
私も知らなかったのです😅
自分が持っていた文献に書かれていたのを、先日発見してしまったのです😅←おい
では、宍道湖(しんじこ)は湖ではなく、やはり日本海だったのですね。
どうりでどこからどう見ても海だと思っていたわ…❗️
斐伊川が氾濫するたびに泥が埋め立てられ、いつしか陸地を造形していき。
やがて奈良時代には、島根半島は陸続きになったのです。
つまり、かつて古代出雲大社は離島に存在していた、と言うことです。
宮島みたいなものだったのですね。
ちなみに斐伊川=ヤマタノオロチだと言われております。
ヤマタノオロチの氾濫は時に人々を苦しめ、時に人々を神へと近づけていったのです。
なるほど、その他に、佐太神社、美保神社と言ったものも、この島に存在する、というわけです。
と言うことで、神の島を巡る旅をしよう❗️と思い立ち、今回旅の日程を立てたわけです。
(まさかのここまで前置き)←えええ😅
さて、人払いの敷かれた出雲大社を散策していくと、私はとんでもないものを見つけてしまったのです。
こちらの青銅の鳥居です。
漢字で書かれているのを写真を撮って、大国主さまの隣で解読しておりました。
誰が寄進したのだろう、と思って調べてみると、まさかの毛利輝元の名前が‼️
出た、ここにも毛利家‼️
最近、毛利家に何かと縁があるのです、わたし😅
このブログの読者さまにも、毛利家と関わりのある方がいらっしゃったり。
この青銅を寄進したのは、毛利輝元の孫の綱広です。
ちなみに毛利元就、毛利輝元は戦国大名ですよ。
そして、ここに刻まれている文字には、古代出雲大社の最大の謎とされているミステリーが潜んでいたのです。
そう、出雲大社の主祭神は素戔嗚命(スサノオノミコト)であった、ということです。
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