こんにちは。
今日は二十四節気でいう雨水(うすい)で、空から降るものが雪から雨に変わると言われています。
が、広島県は雪です😅
朝の渋滞もひどくて、遅刻してしまいました😅
皆さんも凍結や足元には気を付けてくださいね。
さて、今回のお話は実体験を持ってお話する、「死ぬ間際の体験」ですよ。
皆さんは何度か死にかけたことはありませんか?
一回あるよ!という方。
何回もあるよ、という方。
まだ未経験なんだ、とおっしゃる方も多いはず。
さて、私は幼少期から重い気管支喘息を患っておりました。
10代の記憶は常に病気と隣り合わせでした。
ちなみに、喘息は発作さえ起きなければ、超健康ですので、何とも落差の激しい病気なんです😅
放課後は外遊びをして、元気いっぱいでしたよ。
さて、そんな私でも何度かやはり三途の川を渡りかけたことがありました。
死ぬ間際は一体何が起こるのでしょうか?
幼少期の発作の原因は、寒暖差だったり、家庭内の心因性ストレスが原因でした。
が、この「予兆に気が付かない」、これこそが最大のトリガーだったのだと思っています。
最小の記憶で6歳くらいです。
病室のベッドにいました。
救急車で緊急搬送されたのだと思います。
さて、喘息は気管支が塞がるため、呼吸困難に陥るのが原因です。
よって、死ぬ時は脳内酸素が低下するため、一刻も早く気管支を拡張しないといけません。
それをしないと、急激に「その瞬間が」きます。
よく「三途の川が見える」と言うじゃないですか。
あれは脳内の酸素が低下して、血流が一気に流れるために、錯覚を起こすのですって。
その仮死状態の視界が水流に見えるらしいですよ。
しかし、私が見えたのはグルグル点滅する大きな光でした。
あれはもしや、迎えに来てくれた阿弥陀如来さまだったのでしょうか。
その光が包み込んだとき、ハッと目を見開いたのを覚えています。
医師や看護師さんたちに囲まれて、わっと笑顔になりました。
どうやら、「まだ早い」と思ってくれたようですよ。
ただ、悲しい記憶もあります…。
クラス全員からお手紙が届いたのです。
みんな、早く良くなってね、とかまた遊ぼうね、と書かれていました。
こうやって特別扱いされるのが、私は嫌いでした。
コンプレックスだったのかもしれません。
何故なら、発作さえ起こらなければ、私は本当に健康だったからです。
画用紙にイラスト付きでまとめられていたのですが、一度めくった後にゴミ箱に捨ててしまいました。
そして私は病気を隠すようになりました。
それが一番古い記憶で、次に死にかけたのは何と一気に飛んで、高校3年生です😅
ちょうど今頃で…大学受験を控えて、ストレスが溜まっていたのだと思います。
軽い喘息ぎみで、咳き込んでいました。
トリガーは何と、風邪薬❗️
そう、多分副作用を引き起こしたのだと思います。
侮るなかれ、副作用😅
こちらは何とテールランプのように赤い光がグルグルと音を立てて回っていました。
完全なるシグナルです。
危険だ危険だ❗️
って😅
脳って賢いですよね。
私よくブログで「頭で考えちゃいけない」とか偉そうに書いてますが、ちゃんと脳の素晴らしさを認識しているつもりです。
目が覚めると病室でした。←定番
医師から「二酸化炭素が何パーセントだったよ」と言われましたが、数字をすっかり忘れてしまいました。
「受験があるので退院させてください」
と言うと、医師はなぜかめちゃくちゃ怒っていましたが、
「自分の命と受験のどっちが大切なんだ」といわれて「受験です❗️」と答えたときのあの医師の冷たい眼差し😅
二日後に退院できて、もちろん大学にも合格しましたよ。
私、本当によく頑張ったのです。
そして、もう二度と経験したくない、あの赤いシグナル😅←それだ
さて、次に死にかけたのは、ぐっと身近になって平成23年度の年末です。
こちらは喘息ではありませんでした。
器質化肺炎にかかってしまったのです。
両肺の右と左が、それぞれ別々の肺炎になってしまって、高熱に侵されて下がらなくなったのです。
ちょっと前だったら、不治の病だったヤバい肺炎です。
問題は、あらゆる病院の先生がそれを見つけられなかったことです。
どうも、CTでしか見つけられない、難しい肺炎です。
この時は臨死体験はなく、意識がずっとありました。
このままでは命がヤバい‼️というお告げが常にありました。
私の水星ちゃんはすごい😅
ちゃんとメッセージを送ってくれるのです。
多分、空の上で必死にタウンページめくってくれていたんだわ。←想像すると笑える😅
よって、解熱剤を使い、熱を下げたときに、とにかくご飯を目一杯食べて、エネルギーを保つ、という荒技で、半月間命を保っていました。
絶対に生き抜いてみせる、という強い意志がありました。
総合病院でようやく病名が判明して、即入院。
今でも覚えているのが、ステロイドを点滴したその夜から咳がすっと収まり始め、まさに身体の内部から熱が冷めていったのを覚えています。
許された、と思いました。
生きることを許されたのです。
「あと三日遅れてたら、年末は葬式だったよ」
と医師から言われました。
すごすぎる現代医学、と私は息を飲みました。
苦しみ抜いて死んでいった方たちの屍の上に立っている、と私は思いました。
ここでもまた生きのびたのです。
現代に生まれて、私はなんてラッキーなんだろう。
皆さんも遠慮せずに、ぜひ医療に身を委ねてくださいね。
と言うわけで、私の臨死体験でした。
最後の肺炎はおまけです😅
私は割と死が身近にありました。
よって、この世とあの世の境界線と言うものが分かっています。
皆さんも興味本位でゲートが開いても、向かわないようにしてくださいね。
よく言われる幽体離脱や、三途の川の向こうで手を振っている、といったことは一切ありませんでした。
ただ、死の淵から甦るたびに、「また生かされた」という思いがずっとありました。
生きること、時間が与えられているってなんて素晴らしいのでしょうか。
皆さんもいざと言う時、必ず「生きる!」という強い意志を選んで掴み取ってくださいね。
必ず、その選択は天から尊重されるはずですよ。