大切なのは縁結びではなく、縁切りである。 | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは。
ぶっそうなタイトルですみません。


今日は縁切りについてのお話です。



人のとか、神さまのご縁だとか、縁というものに導かれ、私たちは今日も何かに遭遇していますよ。



ですが、実は生きる上で大切なのは縁結びではなく、「縁切り」の方だと私は強く思っています。



何故なら、不幸に陥る背景には、不幸にさせる人物が潜んでいるからです。


過去に厄介な人たちという記事を書きましたが、この、厄介な人たちとは実は、敵対する人たち、という意味ではありません。



むしろ私たちと共に人生を歩んでいきたいと望む人たちのことだったのです。



そう、つまり一見して「危険な人」ではなく、真の敵とは、ニコニコと笑顔で近づいてくるのです。


そこに人生の大きな落とし穴があるのです。



この世の私たちの悩みは人間関係である、と心理学者アルフレッド・アドラーも言っております。



そう、縁を切るべき厄介な人たちとは、人生を乗っ取ろうとする人たちなのです。



私たちになろうとする。

私たちを道具のように扱いたい人。

私たちの人生と自分の人生を繋ごうとする人。



そう言う人たちが、厄介な人たちなのです。



境界線が弱いが故に、自分が世界の中心になってしまい、客観性がありません。

「相手にも感情があってそれは個人の自由なのだ」ということが、本当の意味で理解できていないのです。



他人は自分の道具である、とどこかで思っています。



立場を使い、相手の罪悪感を操って、ニコニコと巧みに近づいてくる。



強力な自己中心的な目線になってしまうその背景には、その周囲にも責任があります。



迎合です。



迎合とは、気が合わないのに、その場をやり過ごすために意見を合わせることです。

(これが一番安全ですので、間違っているとも言い切れません)



これを周りが彼らたちにやってしまうと、その厄介な人たちが強い愛情飢餓感に襲われます。



他人と本当の意味でが持てないからです。



よって、次のターゲットを探し求めます。



私は旦那の転勤で四国から広島に移住してきたのですが、まさかこんなモンスターに一気に3人も囲まれるとは夢にも思っていませんでした。



自分の意思を奪われる、ということは恐ろしいことです。



この場所にいるべきではない、というシグナルは、自分の身を守る最善のサインかもしれませんが、それをするともはや離婚するしか道は無くなります。



よって、一気に開眼しました。



(それこそ禰󠄀豆子のように)



私は出雲大社の力を借りましたが、やはり人生の突破口を開くには、間違いなく不幸がきっかけなんだな、と実感できます。



人を見る目、予感、予知する能力はそれだけ大切なのです。



基本的に、自分の気持ちを抑えるような場所は空気が合っていないんですよね。



よって、人生で大切なのは、厄介な人を追い払う縁切りが必要となります。



縁切り=必ずしも絶縁とも限りません。



物との縁切りは断捨離になります。

断捨離が何故良いかと言うと、古い念が染み付いたものを捨て去ることで、エネルギーが循環するからですね。



人との縁切りは、物理的な距離を置くことが最適になりますが、家族だった場合はとても難しいです。

義務が生じてきますから。



よって、実は一番効果的なのは、その人のことを思い出さないようにする。

つまり、思念を頭の中から追い払う、ことだったりします。



(念を祓うのは、けっこう難しいです)



過去記事にも何度か書いたことがありますが、その人のことを思い出すと、念を飛ばしている状態になります。

よって、相手に生霊を飛ばして向こうも思い出していたりすると、いつまでも縁が切れないのです。



だから、思い出さないようにする。

その人の話題は出さない。

いつまでも恨まない。

生活空間を掃除して、エネルギーを整えていく。



境界線をしっかり引いて、付き合う人を選別すること。

特に今からは、境界線が侵入されるのを最も嫌う風の時代が始まります。



縁の数は本数が決まっていると言われてますので、もう関わり合いたくないな、と思う人とは縁を切り、良縁を引き寄せてください。



以上、しみじみと縁切りでした。



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