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横浜美術館開館30周年展覧会「Meet the Collection」行ってきました。

 

須々木です。

 

 

先日、横浜美術館で開催されていた展覧会「Meet the Collection ―アートと人と、美術館」に行ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年が開館30周年にあたる横浜美術館。

 

今回の展覧会は、美術館の全展示室を使ってコレクションを紹介するものです。

 

 

 

 

 

 

 

ところで、現在のみなとみらいを思い浮かべると、「30周年」という言葉と結構ギャップがあります。

 

実際、30年前のみなとみらいってどんな感じだったのかと調べてみると・・・

 

 

 

横浜市の六大事業の一つとして再開発構想が出たのが1965年。

事業名が「みなとみらい21」に決定したのが1981年。

事業着工が1983年。

 

 

そして、ちょうど30年前の1989年。

横浜市制100周年、開港130年に当たる年であり、その節目に「横浜博覧会」が開催されました。

 

「横浜博覧会」に合わせて開館した施設(パビリオン)のうち、横浜美術館と横浜マリタイムミュージアム(現・横浜みなと博物館)は恒久施設として今も残ります。

今回の展覧会でも書いてありましたが、「開館当初、新たに開発されたみなとみらい21地区には、林立する高層建築はまだなく美術館から海が一望できるほどでした」とのこと。

なかなか想像できないです。。

 

他にも、当時世界最大の観覧車だった「コスモクロック21」は、博覧会後に移築して今に至ります。

桜木町から博覧会の桜木町ゲートまでを結んだ「動く歩道」は、現在は、当時の桜木町ゲートの場所にできたランドマークタワーへの動線となっています。

博覧会閉幕後、現在のみなとみらいにある多くの施設が整備されていきます。

 

※余談ですが、平成に公開されたゴジラシリーズで「シン・ゴジラ」(2016年公開)に抜かれるまで最多動員を誇った「ゴジラvsモスラ」(1992年公開)は、最終決戦の地が横浜みなとみらいです。昔の位置にあるコスモロックが結構見せ場で使われます。

 

 

 

 

つまり、30年前は、横浜美術館開館だけでなく、みなとみらいが現在のように形作られていくスタートラインの年だったわけですね。

 

さらに言えば、1989年は昭和が終わり平成が始まった年。

そして、開館30周年にあたる2019年は平成が終わり令和が始まった年。

 

今回の展覧会期間中にちょうど元号が切り替わりました。

もちろん、ただの偶然ですが、時代の節目にうまく被せてきています。

 

 

現在では、みなとみらいのシンボルとしてイメージされるのは、ランドマークタワー、赤レンガ倉庫、パシフィコ、インターコンチネンタルホテルなどだと思いますが、実は、それらより前に横浜美術館はあって、日々移り変わっていく新しい街を眺めていたんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで、2019年。

開館30周年の展覧会のお話です。

 

個々の作品について、いろいろ書き始めるとキリがないので、エッセンスだけ軽く触れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、超ざっくりした感想ですが・・・
横浜美術館を俯瞰しつつ、そこに新たなコンセプトを付加していて、なかなか見ごたえがありました。

 

収蔵品からインスパイアされたもの、収蔵品の数々を要素として取り込んだ作品、美術館の展示空間そのものを要素として取り込んだ作品など、単に額縁やケースに収まって並べるだけではない面白味がありました。

単なる見た目の美しさではなく、発想の面白さをより感じるという感じ。

もちろん、ヨコハマトリエンナーレとも関連が深い美術館なので、そちらの文脈も感じられました。







エントランスホールに展示されていました。一般の方も協力して制作されたようです。






今回の展覧会は、「LIFE:人のいとなみ」「WORLD:世界のかたち」という二つの柱を設けて、美術館のコレクションを並べるだけでなく、複数のゲスト・アーティストを呼び、コレクションの新たな解釈と空間構成に挑戦しています。

 

 

 

「LIFE:人のいとなみ」は、さらに以下のようなセクションに分かれていました(観覧順序に従って掲載)

 

「こころをうつす」(ゲスト・アーティスト:束芋) ・・・日本画など。

「いのちの木」(ゲスト・アーティスト:淺井裕介) ・・・動植物を主題とする作品など。

「まなざしの交差」 ・・・「目」に着目して選ばれた作品など。

「あのとき、ここで」 ・・・写真など。なお、横浜は「日本の写真発祥の地」ということで、当美術館では写真部門が設けられている。

 

※ホワイエに「特集:宮川香山」というコーナーもありました。真葛焼(横浜焼)の創始者である宮川香山の作品が並んでいました。これが陶磁器か・・・という感じで。実物をしっかり見たのは初めてかもしれないです。興味のある人はこちらへ。

 

 

 

「WORLD:世界のかたち」も、以下のようなセクションに分かれていました。

 

「イメージをつなぐ」(ゲスト・アーティスト:今津景) ・・・シュルレアリスムを中心に、ネオダダ、ポップアートなど。

「モノからはじめる」(ゲスト・アーティスト:菅木志雄) ・・・「もの派」など、素材とその組合せを表現の根幹においた作品、オブジェや図像とそれが配される場との関係性に主眼をおいた作品。

「ひろがる世界」 ・・・限られた大きさのカンヴァスや造形の中にも無限のひろがりを感じさせる多様な世界像をもった作品群。

 

※最後にエピローグ的に「横浜美術館のコレクションと展覧会」というコーナーがありました。横浜美術館の歩みやコレクションの情報がまとまっていました。


 

 

 



「いのちの木」。

壁面の額縁に美術館のコレクションが収まっており、それ以外の壁面がゲスト・アーティストによるもの(淺井裕介)。

全体として空間が演出され、空間そのものが一つの作品のようです。




「イメージをつなぐ」。
最奥壁面にゲスト・アーティストの作品(今津景)。

やっぱり、ダリの作品は絵画でも立体作品でも存在感がありますね。

 

 

 

「モノからはじめる」より「環空立」(菅木志雄)。

右側が展示室5、左の開けた空間がホワイエ。

この作品は、展示室の中と外にまたがったもので、展示室の出入口サイズにあわせた木枠が連なっています。

キャプションなど見て、なるほど面白いなと思ったのですが、その感覚を伝える語彙力を持ち合わせていないのでここでは割愛。





「ひろがる世界」。

本展覧会のラストのセクション。







個々の収蔵品をリスペクトしつつ、それらに新たなコンセプトを付加し有機的に配することで、集合体のレベルで新たな視点の作品が成立する。

 

単なる陳列にとどまらない新たな価値の創出。


個と集合がパラレルに成立し、二元的に価値を持ち続ける具体的な例を鑑賞すると、これまた刺激は大きいものです。



これは、まさにRandom Walkが志向する、〈個人と集団の両立〉に近いコンセプトだと思いました。

微視的な個の動きが、繋がりあって巨視的なムーブメントとして解釈できるというのは、SNSが浸透した現代ではもはや日常となっています。

 

このような個と全のダイナミズムに対し、単なる現象として受動的に関わるのではなく、より能動的に課題解決の手段の一つとして活用したいという思想が根底にあります。

それぞれのクリエイターにおける“個”としての領域は保ちつつ、同時に、“集団”としての領域をオーバーラップさせる。


今までもRandom Walkの活動を通じて積み上げてきたこのような感覚に対する、より能動的かつ具体的な産物を今回の展覧会から感じて、変化の激しい現代の荒海を渡り楽しむためのヒントをもらった気がしなくもないと、勝手に思いました。



sho

 

 

 

 

 

プロメアと海獣の子供とアラジンの話。

どうもこんばんは霧島です。

最近じわじわ暑いですね~…!

部屋で作業してると昼頃には頭がぼーっとしてくるので

最近は潔く冷房つけてます。六月ってこんな暑かったっけ?

 

はい、そんなわけで避難も兼ねて映画館に行くことが多かったので

そのことについてぼちぼち書こうかなと。

作品の本筋には触れませんが若干ネタバレもあるかもしれないので嫌な方は気を付けてください。

 

さて、ここ最近上映されてるものは結構気になるものが多い印象です。

まず手始めに「プロメア」。TRIGGERの最新作ですね。

「天元突破グレンラガン」や「キルラキル」の今石洋之監督と脚本家の中島かずきさんが再びタッグを組んでます。

元々キルラキルが好きで、劇場予告を見てから観たいな~!と思っていました。

 

第一印象(まじで始まってすぐの)は「勢いがヤバイ」。

劇場という大画面と音響によって、テレビ画面よりもさらに激しく映像と音楽でぶん殴られる感がすごいです。

と同時に「うわー!これからなんか面白いことが始まるぞー!」というワクワク感も強い。

オリジナル作品はこういう、これから何が起こるんだろう!?とワクワクしながら観られるところがとても好きです。

 

内容に関してはTRIGGER作品が好きな人は間違いなく好きなのではないかな、と思います。

後音楽もめっちゃいい…こちらもキルラキルと同じ澤野弘之さんです。

私は特にASHESという曲が好きすぎるのですが、ぜひ映像と一緒に聞いてほしいです。

これは円盤出たら欲しいな~と思う反面、劇場で浴びるように観るのが良い気もします。

 

これはメインキャラのガロとリオ。

そういえば声優さんには俳優さんの起用が多く、松山ケンイチさんと早乙女太一さんが演じていらっしゃいます。

この二人の他にも俳優さんが出てるのですが、そのあたりもいい味出してて面白かったです。

私はもちろんリオくん推しですね。

 

続いて「海獣の子供」

こちらは五十嵐大介さんの漫画原作のアニメ化ですね。

こちらも予告からやばくてな…そして主題歌が米津さんだし音楽は久石譲さんだしで更に期待大でした。

 

原作は未読で行ったのですが、見終わった時の感想としては「終わってしまった…」と少し茫然としました。

そこからすぐ原作を読まねば…!となったので映画的にも良い作りだったのではないかと思います。

わかりやすい部分でいうと映像の美しさがやばい。鉄コン筋クリートのSTUDIO4℃制作です。

五十嵐先生の独特の雰囲気の絵のまま、色がついて動いている…!という感じでした。

あと個人的に滅茶苦茶ツボなシーンがあってうなったのですが、そこが原作そのままの再現でこれは…!ってなりました。

あのシーンだけなんども繰り返し観たいくらい好きだ…

 

原作5巻分、しかも一冊が結構厚めの作品を2時間にしてるので

キャラクターの役割やそもそもの構成が結構違ったりしてはいますが、

それでも一つの作品としてとても魅力的だと思います。

原作を読んだのでできればもう一度観たいな…!

 

最後はつい先日観てきました。「アラジン」

これはもう子供の頃に何度もみたディズニー映画の実写化です。

先の美女と野獣がとても良かったので今回もかなり楽しみにしていました。

それにしてもストーリー知ってるのにここまで面白いってもうホントに神か???

 

ウィル・スミス演じるジーニーのビジュアルが上がった時どうした???

と思いましたが今となってはもうウィル・スミス以外に考えられませんね…

ちなみに私はいつも洋画は字幕で観る派なのですが今回は声優さん目当てで吹き替えで観ましたね。

だって山寺さんのジーニー好きすぎるからね!!!

あとアラジン役の中村倫也さん、噂には聞いていたけど歌うますぎてうなった。

そして何より耳に馴染んだ名曲の数々が聞こえてくると鳥肌が立ちますね。

加えて今回ダンスがめっっっちゃカッコいい。

その部分だけでもまるでショーを見ているようで楽しめると思います。

私は観ながら自分の顔が笑っているのを感じたぐらいだ。

あと魔法の絨毯…これ4DXとかで観たらめちゃくちゃ楽しいんだじゃないですかね…いいな…

私も魔法の絨毯に乗って空飛びたい…

 

 

はい、というわけで最近観た映画の話でした。

これから夏に向けてまた映画館に通う日々になりそうだぜ…

したらば今日はこの辺で!

 

rin

アート界隈の言語表現はなかなか面白いと思う。

須々木です。


先日、第22回文化庁メディア芸術祭受賞作品展に行って参りました。


 

 

 

 

当然、ひと通り見てきましたが、今回は、受賞作品そのものにはあまり触れず、「受賞作品集」の講評から面白いと思った文章を抜き出していこうと思います。

ほぼ自分のためのメモ書きです。






専門性の高い、つまり、ある程度細分化された特定の界隈で、独特な言語表現が発達していくことはよくあると思いますが、アート界隈に関しても例にもれず。

俗に理系と言われる研究界隈だと、「論理的に明瞭であること」、「誤解のリスクを最小限にすること」などを目的とした、ある種、機械的で客観性のみ追求した味気ない表現が多くなります。

当然、誤って解釈されないよう、定義が明確で専門性の高い(その界隈の外の人から見れば「小難しい」となる)語彙も多用されます。


それと並べると、アート界隈の言語感覚は対極にある気がします。

読む人に解釈を委ねる幅のある表現を重ねつつ、観察者としての主観を際立たせることに特化した言い回しが多く、小説などでもうまく取り入れたら面白い気のするものが散見されます。

そして、せっかくなので、そういったものをしっかり残しておこうというわけです。




以下に取り上げるものは、いずれも無料公開されている「受賞作品集」からの引用です。

※改行は勝手に入れています。いずれも、それぞれの講評の一部抜粋。

しかも、メディア芸術祭そのものとはあまり関係ない次元で、「単に須々木が何となくメモっておきたいと思っただけ」という基準でピックアップしたものです。

なお、前後関係も重要なので、誤読防止のため、興味のある人は元の文章を読むことをおススメします。

 

 

◎ 第22回文化庁メディア芸術祭 受賞作品集[電子書籍版] がダウンロードできます! 【公式サイト】








▼ 「狂気性を孕んだアートはどこへ?」(池上高志/p.236)より

現代は強く新しい技術が台頭した時代てある。
インターネットに始まったその流れはプロックチェーン、ピッグデータ、深層学習、 AIと次々に人の理解を超えて作動するシステムが生まれてきた。
そうした先端技術は当然のごとく多くの作品に影響を与えている一方で、作品には技術とは関係のないところで蠢く恐さが必要なのは言うまでもない。
先日Twitterで東京大学教授の稲見昌彦さんがつぶやいていた。
最近は恐ろしい作品には出合わなくなった。
むしろ応援したい作品が多いと。
そのとおりである。
アートは応援されるようでは駄目なのではないか。
今回の審査でも多くの「応援したくなる」作品群に出合った。
そこには既存のアート作品を叩き潰すような暴力性は存在しない。
むしろ技術にひれ伏すか、きれいにまとまった作品が多かった気がする。
2000年くらいのメディアアート、特にサウンドアートのシーンには怖いものがあった。
国内外ともに、狂気の息吹が確かにそこには感じることができた。
最先端の技術はつねに狂気性を孕んでいる。
手懐けるのは容易ではない。
しかし仮に狂気の芽が再びメディアアートに出現するとしたら、それは新たな技術との戦いにしかないと思う。
それを来年以降に期待したい。



「恐ろしい作品」「応援したい作品」という表現がとてもしっくりきました。
僕自身、傾向として「恐ろしい作品」を求めてしまうので、今回の受賞作品展でも、ぬるま湯につかっているようなもどかしさを感じていました。






▼ 「バイオロジーがメディアアートの次なる課題となる理由」(ゲオアグ・トレメル/p.237-238)より

私たちは刺激的な時代を生さています。
コンピュータと情報技術が20世紀をかたちづくったように、21世紀はバイオロジーとその応用の世紀になる、または、すでになっているといわれています。
しかしこれは、メディアアートとどのような関係があるのでしょうか。
身体とメディア、感覚と装置の距離は着実に縮まっています。
映像を例に挙げると、映画に始まり、テレビを経て、コンピュータやスマートフォンの画面へと、どんどん体に近くなってきています。
しかしこういった「人間の拡張」は、サイボーグやオーグメンテッド・ヒューマン、VRといったテクノファンタジーにおいて、自然の限界を超えていくでしょう。
同時に、生物料学は急進的な変貌を遂げています。
つい最近まで、生物科学は厳密には分析料学であり、解読し、観察し、分類することしかできませんでした。
つまリ、読むことしかできないメディアだったのです。
しかし、CRISPR/Cas9といったゲノム編集ツールの登場により、現在では、根本的なレベルにおいて生命を「書く」にとが可能になり、生物の「読み書き」ができるようになりました。
読み書き操作が可能になったことで、生物学そのものが、最新であり最古でもあるメディアになリました。
こういった新たなテクノロジーが引き起こしている、社会やモラル、倫理の問題に批判的に取り組むことがアーティストの役割であると、私は強く信じています。



メディア芸術祭にバイオロジカルな作品が出てきたとき、何とも言えない違和感を覚え、同時にそれが何かの取っ掛かりのように感じましたが、この文章を読んで、かなりしっくりきました。
そもそも、膨大な遺伝情報を抱えるDNAは、極めて優秀な記録媒体だし、より安定的に活用できるのであれば、未来のコンピューターはDNAの仕組みを組み込んだものになっているかもしれません。
科学技術の進展により「読み書き」が可能になり、条件は整った感があります。
中国の研究者が、ゲノム編集を用いて世界初とされるヒト受精卵の遺伝子操作を行ったとする報道がされて物議をかもしましたが、このようなデザイナーベビーの問題も含め、確かに、メディアアートにおいて「次なる課題」というに足るものと思えます。
というか、メディアアートに留まらず、ありとあらゆる場面において、それこそ日常の何気ない光景にまで侵食してくるであろう、回避不可能な重い課題と思えます。





▼ 「特異点を超えて、ふたたび」(森山朋絵/p.239-240)より

メディアアートが「現代美術の一分野か/むしろ従来の現代美術と遮断されているか」、「独立すべきか/包合されるべきか」という議論はアンビバレンツである。
「メディアアートの民主化」の一方で、過去の作品は時に聖遺物としての運命を辿る。
アートミュージアムを離れ乗り物を変え、エフェメラルな魂はどこへ向かうのだろうか。
もはや「現在の美術」ではない戦後美術としての現代美術に対して、それはダークマターのように厳然とそこに在る。
メディアアート/メディア芸術は大きな流転のなかにある―では「わたしの戦いはいつ終わるのだ…… ?」流転のただなかにあって、一体どこが特異点だったのか―今は誰にもわからないそれを、やがて視る日を楽しみにしている。



比喩や引用を巧みに並べて、何とも表現しがたいものを、何とも表現しがたいという質感を削ぎ落とさずストレートに書いているように感じました。
「ダークマターのように厳然とそこに在る」(ダークマターは、正体不明だけど確かに“ある”とされる)というのは象徴的で、もはや「現在の美術ではない」現代美術という宇宙に対して、メディアアートは確かに在る。
というか、「在るとしか言いようがない、よく分からないけれど」という感じか。
ダークマターの正体が明かされる日がいつか来るように、その姿が明快に記述される時が来るのか。






他にもいろいろありましたが、とりあえずこんな感じで。。


自分の手持ちにない概念や表現に触れるのは、純粋に楽しいものです。
サイエンスもアートも好きですが、結局はこの点の楽しさ故かもしれません。




sho

 

 

 

 

 

 

 

 

映画「海獣の子供」を見て来ました!

 昨日は大雨に振られて若干体を冷やしてしまった米原です。しかし、ここ数日は5月の異常気象が嘘の様に気温が低く過ごしやすくて助かっております。 

 

 今年は見たい映画が沢山公開される中、本日は「海獣の子供」を見てきまいた!原作は読めていませんが、「鉄コン筋クリート」で有名なSTUDIO4℃が制作しているということでとても楽しみにしておりました!

 

 昨今の「クライアントから『「君の名は。」っぽいアニメ映画作って!』て依頼されて作りました。」的な、君の名は派生アニメ映画量産の世の中の流れはなんとかならんか…、と思っていたので、かなり期待してた面もあります。一応書いておこうと思いますが、私は「君の名は。」はかな~り好きです。新海監督作品の中ではずば抜けて分かりやすいし、物語の構成も秀逸だし、ボーイミーツガールの話は基本好物なので。ただ売れた商品の類似品を量産してるだけになってる流れが生理的に無理なだけです。はい。まぁ私の愚痴は置いといて感想書いて行きます。

 

 基本、公開直後の作品に関しては「感想だけ読んで見た気持ちになって欲しくないのでストーリーのネタバレは基本無しで」と思って書いてます。が、どの道「海獣の子供」はストーリー説明するのはちょっと難しいですね!!!公式サイトで紹介されてるストーリー見てもどういうことだってばよ!て感じです。でも「色んなモノを感じることができる作品」だったかと思います。私が「考えるな、感じろ」ていうと、なんかすごい薄っぺらくなってしまうのが難点ですが…。

 

 STUDIO4℃の手がける作品は「アート」を見てる感覚がします。圧倒的表現力と映像の美しさというの点でも、もちろん芸術的ではあるのですが、「製作者側は確固たるテーマがあるんだな」「表現したいモノがあるんだな」と感じたとの同時に、「見た側がなにを感じたかどう感じたかを委ねる」という構成になってるのが「アート」に寄ってると感じる要因かなって思います。ポスターのキャッチコピーにも「一番大切な約束は、言葉では交わさない」とあるくらいなので、物語の明確な説明はないんだろうな!というは察してました。でも、それぞれのシーンの中で、すごい色んな「見る側が『なにかを感じる』為の素材」が散りばめられているというか、ある意味ですごく「多弁」だったようにも感じました。それを私が理解できているかは別問題ですががががが…。とにかく、それらの描き方や表現の仕方に芯が通っているというか、ぶれない筋が通っている感があるので、謎の安心感と安定感を感じて見ていられました。

 なので、物語に詳しい解説や説明が無くても、なんとなく納得できてしまう説得力というパワーが作品にある気がします。「パワー」って強すぎるとそれを受けた時にすごい疲れちゃう時が多いんですが、私は今回「とても心地良い」と感じたのが不思議でした。「水」や「海」の表現があるなら「息苦しく」感じることが多くなるかな?となんとなく思っていたのですが、メインの3人がすごく気持ち良さそうに水の中を泳いでるからなのか感覚が引っ張られてたかな?結構2時間あっと言う間に感じました。尻は痛くなりましたが。「アート」て聞くと腰が引けてしまう人もいるかもしれませんが、美術館で見るアート作品よりは情報量は圧倒的に多いですし親切で手厚く分かりやすいと思うので、是非!あと単純に大画面で見て欲しい作品だなと思いました。まる。

 

 定期的に「宇宙」「海」「人」を関連付けたテーマの作品が世に出て来て、その作品に触れる度に「すごいな~好きだなぁ~」て思ってる気がします。「人や生き物の中に宇宙を感じる」という感覚を持っている人たちが、世界でも大勢いるんだろうなぁ、と思うと不思議な気持ちになります。これらの「テーマを繋げるテーマ」として「命」(性・誕生・死)を思わせる表現に結びつくのは必然なんだろうなと感じます。それらの要素と、多感な時期の子ども達や、日本の気怠くでもなんか不思議なことが起きそうな雰囲気とが合わさって、この作品独特の空気感になっていてとても良い感じでした。…急激に語彙力が下がった気がする。

 「海」と「命」を関連付ける作品はそれこそ何百年も前から作られて来ていて、私も知識や感覚としてはなんとな~くわかるものの、まだ実感や体感として強く感じられたことは無い様に思います。水族館は好きだけど水中で目が開けられないから海は苦手だし…ブクブク…。なのでその感覚持ってる人は羨ましいなぁ~!と思います。もう少し早く映画を見ていれば、昨日土砂降りに遭遇したついでに「映画シーンの再現できる!」ってちょっと痛い人になりながらもずぶ濡れてそれっぽい感覚を体感できたかもしれないのに…悔しいです…。

 

 まぁ、なんか色々書きましたが、個人的に「滅茶苦茶好き」な作品でした!という感想に集約されますね。はい。パンフレット売り切れてた悔しみ…他の映画館も回ってみよ…。「ついて来れない奴は振り落としてくぜ!!!!!」て感じのジェットコースターみたいな作品に頭を殴られる感覚は良い刺激になります。なんか絵を描きたくなった。RWメンバーの遊木さんは年間パス持つ程の水族館好きでこのブログにもいっぱい写真UPしてるし見返したくなりました。

  自分で見て感想書こう!てなっても、「なんか、良くわからないけど、なんかすごいこと起こってる!」みたいに知能が著しく低下した感想しか浮かばないのが残念すぎる。もうちょっと自分の感覚を上手く言語化できないものか…。もうしばらくすればもっと文章力が半端無い人の感想が上がってくると思うので楽しみに待ってます。(他力本願)

 

 蛇足ですが、「宇宙と人」をテーマにした作品では映画「コンタクト」がすごい印象に残ってるので、折角なのでオススメしておこうかと。子どもの頃見たきりでタイトル忘れちゃってる映画作品も多いのですが、これは珍しくハッキリ覚えてるんですよね。あれは「人の中の宇宙」というよりは「自分の中の宇宙」といった感じだったと思いますが、気になった方は是非。私も見直したい。

 

 それでは今回はこの辺で!また次回。

 

noz

5月が無事終わります。やったー!

 こんばんは、5月生まれなのに寒暖差に弱く5月に体調を崩すことが多い米原です。なので本当に毎年毎年5月は憂鬱なんですよ…。しかし、今年の5月は比較的に元気だった気がします!少し鼻がやられてましたが春はいつものことなので割合。でもあれだ、RWメンバーで小田原旅行へ行く少し前に、急激な気温差による気圧の変化?で2日くらい頭痛?の様な症状が出て寝ることしかできない、みたいな日がありましたが…。頭痛って怖いね…ないも考えられないからなにもする気が起きない…思考が完全に停止する…。でもそれ以外ではかなり平和だったように思います。良かった。本当に良かった。さらば5月!また来年!がはは!

 

 今月は色んなプロットを同時進行で進める作業に没頭してた気がします。ひたすらWordとにらめっこして、こっちのプロットが詰まったらあっち、あっちが煮詰まったらそっち、頭が煮詰まったら少し手を動かして絵を描いてみる、みたいな感じでした。

 プロット考えるのは楽しいし、プロットさえ決定してしまえば後は完成に向けての作業がスタートできるのですが、プロットが決まらないとスタートすらできないっていうのはちょっと焦りますね。でも基礎体力がないのにスタートはできないので焦りは禁物。でも確実に進めないといけない作業なので頑張りましょ。

 

 で、プロットとネームが決まった作品に関してはそろそろペン入れに入れそう!て感じです。公開できるものがない時は、この「ネームのスクショ」だけでもあると助かるなぁ。「とりあえずなんか作ってるんだな」というのが視覚的にわかるので。米原、引き籠ってるけど創作やってますよ!

 

 

 ずっとプロットや物語考えてると絵が描きたくなるし、絵を描いてると物語考えたくなるので、今の創作サイクルは結構良いのでは?と思っております。

 

 それではこの辺で。来月もまたもりもり創作頑張るぞ~。画像の作品は完成させてたいぞ~。

 

noz