ちと現在多忙であり、のんびりブログの更新をしている暇もなかなかないのであるが、凡そ今回の尖閣諸島問題についての論評も出揃ってきて、中国のアジア外交における綻びも概ね衆知のところになってきたのは一応触れておきたい。

 フジタの社員も釈放されているが、実質的なところで言うと、今回はどうやら、中国政府が尖閣諸島問題の値段を吊り上げたわけではないということがおぼろげながら分かってきたような感じである。

柳条湖事件と盧溝橋事件の比喩性
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/09/post-4077.html
「中国の漁船は中国軍の手先」とNYTが報道
http://d.hatena.ne.jp/zyesuta/20101010/1286721448
 仔細は省くが、要するに「安全保障」と「為替操作」と「人権問題」とが、いままでの中国外交が稼いできたポイントをすっかり失わせる結果になりつつあるということで。

 欧米の見方をすれば、ソビエト連邦に続く西側諸国の価値観や権益を脅かす偉大なニューエネミーの出現という見え方になるし、経済の観点からすれば資源外交の延長線上に新重商主義、新植民地主義のアプローチを喚起する。中国がアジアにおけるモンロー主義を実現しようとしているともいえるし、「真珠の首飾り」だって平たく言えば中国のシーパワー膨張のグラウンドデザインのひとつに過ぎない。

 問題は、アジアにおける局地的なゲームが始まっている割に、ずいぶん細やかな事件が外交上の問題へと発展し、ユニラテラルな外交課題であるはずの事案をあっという間に地域間の外交ネタにリンクさせ発展させてしまうというあまり余裕のない各国の国内情勢にある。これが中曽根政権だったら、あるいは海部政権だったらと思うと、いろんなことを思い描いてしまうわけだが、やはりポスト冷戦から少し時代が動いて、ごく具体的に米中対立の状況に陥りつつあるという分析を誰もが否定できなくなってきている。

 中国の場合は、今回の一連の流れでいうならば一番外交的に負けた形になっている。本来ならば、局地的な安全保障の問題については(とりわけ南沙諸島などへの)リンクを絶対に防がなければならないし、中国の挑戦的な経済覇権に対する警戒感は間違っても表出してはならなかった。国内に対して弱腰であるように見えたとしても、実際には中国に実益上失うものはなにもない。謝っておけ、という話である。

 ところが、そうはできなかった理由というのは、実は漁船に仕立てた軍人を送り込む活動は必ずしも中国政府の統制のもとに行われているわけではない、という点だ。まず間違いなく、中国政府は地方の軍閥を統制できていない。軍事関連での冒険的な物言いや領土問題での過激な態度は、本来の中国政府の取りたい態度からは隔絶しており、いままでの中国の外交姿勢との一貫性を欠く。

 どうであれ、中国はもうすでに外へ向けてボールを蹴った以上、落としどころについても本来ならば考えておかなければならないのであろうが、中国国内では情報を統制し、外に対しては一枚岩に見せるやり口はかなり無理が出てきており、手の打ちどころをあまり考えずに各地域各軍閥が好き放題やった挙句、中南海だけが失点しているというゲームが続いている。

 ダルフールやマグロの件での中国外交が取り繕う「善良な新しい大国」というアプローチが、近隣外交の突発的な事象であっという間に崩壊するのは何とも物悲しい。ベトナムが日米に急接近してみたり、ロシアがとりあえずの中ロ親密化をアピールしてみたり、とても分かりやすい動きがメッセージつきで出ていて興味深いことこの上ないのである。