楽に生きる。楽生きマスター’むらけん’の「楽生きズム」 -27ページ目
こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになる
ストーリー」
をつづっていきます。
本日嫁様を眼鏡屋さんに
強制連行
してきました。
あ、ただ、メガネ買っただけですがw
嫁様が最近疲れが取れない、
マッサージに行っても変わらない、
とのことでコンタクトの更新もあって
先だって眼科を受診してもらいました。
近眼は進んでいないのだけど、
老眼が入ってきているとのこと。
彼女は仕事で精密機器の組み立てを
しているのでそういう点で
目から来る疲れやストレスが
たまっていたのでしょう。
わたしのほうが老眼のパイセンです。
経験上老眼の初期の頃って
老眼鏡をかけると見えすぎてしんどい。
でも、なければそれもしんどい。
という状況です。
そして、あんまり老眼鏡をかけていると
進行も早いので厄介です。
で、その時わたしは
通常の遠近よりもゆるい老眼の入った
メガネを作って、快適に過ごせました。
なので嫁様にもおすすめしたのです。
ですが、
嫁様は「しんどい、つらい」と言うのに
メガネを作りに行くのは
「面倒くさい」らしいです。
先日は、「面倒くさい」を
優先して、行きませんでしたw
「しんどい、つらい」は体の声。
「面倒くさい」はこころの声。
わたしも嫁様のように
体よりやりたいことを
優先する時期がありました。
この場合
体をケアする、はマイナスをゼロに、
心をケアする、はゼロをプラスに、
と考えます。
繰り返して学んだことは
ゼロをプラスにする
(やりたいことをやる)より
マイナスをゼロにする
(体をケアする)
ことの方が幸福度が上がる
とわかりました。
マイナスは、どうやっても
ゼロに戻ろうとします。
体の違和感は、先延ばしにしていても
いずれは対峙しないといけないことになります。
であるなら早めにその芽を
摘んでおいた方がいいのです。
体は無意識に、24時間365日
自動的に動いてくれているということを
わたしたちは忘れています。
どれだけの人が毎日、
自分を構成する細胞のひとつひとつに
感謝を持っているのでしょう。
健康は、無くなったときにしか気づかない。
波風経たない日々の健康に
感謝している人こそ賢者なのです。
そして、そういう人が
本当の幸せを感じられる人なのです。
わたしは「今」の気分に
こだわります。
良い気分が望むような
現実を創るからです。
今日嫁様を眼鏡屋に連れて行ったのは
彼女が「しんどい、つらい」と言うのを
聞いてわたしは気分を害しはしませんが、
そのような言葉を聞かない環境のほうが
自分にとって望ましい、と感じたからです。
わたしは、わたし自身が幸せであることが
ファーストです。
利己的な意味でも何でもなく、
自分が幸せになって、
そこからあふれた幸せを他人にわける、
という順番が一番自分や周りの人にとって
正直なのです。
自分を大切にせずして、
他人を大切にすることなんて
できないのです。
もちろん嫁様に楽に過ごしてほしい
という気持ちは大前提としてありましたけどねw
行くのを渋っていた嫁様は
メガネを調整してもらって
「思ったより楽かも」
ということで満足してそうです。
できあがりまで1週間かかりますが
気分が上がって結果オーライです。
心のままに生きる、ということと
本当の自分で生きる、ということは
似てるようで、少し違うかもしれません。
心より、体を優先する、ということは
後者に当たるのだと思いいます。
みなさんもぜひ、
体に感謝して、体の声を聞いて、
本当の自分で生きてみてください。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
わたしは
楽に生きる
ということをテーマに生きて、発信をしています。
めちゃくちゃ心の学問に関して
特別にこのフィールドで
アカデミックに研究してきました!
というのではなく、
いろんなことを
「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう
組み合わせて紹介しています。
自己受容、量子力学、心理学、開運方法、
神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
ということです。
このブログを通して、
わたしにそのお手伝いをさせてください。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、
さらにその周りの人たちを
幸せにすることが
わたしのねがいです。
最後までご覧いただき
本当にどうもありがとうございました。
よければフォローください
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楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになる
ストーリー」
をつづっていきます。
授業で当てられたら困る。
会議で当てられたら困る。
だから、手をあげません。
あなたは、そんな人ですか?
わたしはそんな人
でした。
過去形です。
手をあげられないのは
間違ったり、答えられなかったりして
能力がないことがバレるのが
イヤだからです。
自分なんて「そんなもん」なのに
自分を誇張しているというそのセコい考えは
思いあがり
です。
バッサリいきましたw
わたしはそこまで自分に言わないと
わかりませんでした。
自分を大きく見せようとすると
疲れます。
だって本当の自分じゃないから。
わかるかわからないかあやふやな質問に
答えられたからといって
実は誰からも褒められないものです。
答えられなかったからといって
他人はなんとも思っていない。
他人はあなたに興味はない。
あなたに興味があるのはあなただけ。
誰もあなたに期待してない。
期待しているのは、あなた自身だけ。
なのに、バカにされたかも、と
勝手に思い込むw
自分でドキドキしているだけの
コントなのです。
おじさんになったわたしに
授業はないですが会議はあります。
質問で当てられてわからなくても
悪気なく「わかりません」
といいます。
それが1回言われたことでもw
だってわからないんだから。
その状況を、とにかく認める。
わからないことは、悪くない。
大切なのは、
そこからどうしていくか
だけ。
意見を求められれば、手をあげます。
見当違いのことを言ってもいい。
ただ、思いを、伝えればいい。
真剣に向き合った、忌憚のない意見は
必ず人の心に届きます。
授業にも、会議にも
その場の「気」というものが
あります。
水は流れずに、澱むと腐ります。
「気」も澱むと波動が下がります。
せっかくの人生、時間です。
積極的に参加することで
自分でその時間を有意義なものに
できるのです。
どんなときも楽しむ姿勢
って大切なのです。
先日、娘の授業参観に行きました。
待てども待てども
手をあげませんw
で、授業終盤、100%わかる問題で
やっと手をあげて、
先生にあててもらえました。
その後、彼女は1度も
手をあげませんでした。
帰ってからその理由を聞いたら、
普段は積極的に手をあげているけど
その日はいいカッコをしたかった、
とのことでした。
娘には娘なりの考えがあります。
それはそれでいいと思いますが
わたしはこう思うよ、と伝えました。
「できる人」は
そのままで生きればクールです。
が、そうでない人間は
ただの「ええかっこしい」
です。
「ええかっこしい」は
最終的に「ダサい」に行きつきます。
それなら、力を抜いて
わからないことをわからないと言える
「ダサカッコいい」
の方がよっぽどクールです。
娘や、過去のわたしのように
現代人は自分が思う以上に
無意識に力を入れて生きているものです。
わたしたちは余計なことを考えずに
どうしたら楽しめるか
ということを考えたほうが
人生を楽に生きられるのです。
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わたしは
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「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになるストーリー」
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わたしはパソコンには疎い。
でも、買うときは納得して買いたい。
だから店員さんに教えてもらったのです。
大きくは
①OS②メモリ③記憶媒体
に分かれます。
①OS
人間でいうところの頭脳です。
iOSやwindowsなどがあります。
②メモリ
作業するための「台」だと考えてください。
台が広い(大きい)ければ
作業効率は良くなります。
③記憶媒体
ssdやHDDなどがあります。
大きければ記憶量が増します。
簡単に言うとこんな感じです。
わたしは楽に生きるためにはまず
自己受容
が大切だと考えます。
ありのままを、ありのまま受け入れる。
わたしたち人間は
自分自身のことを客観的に知ることで
自己受容が身近なものとなります。
で、自分を棚卸して、知るためにこの
パソコンスペックをあてはめてみるのです。
パソコンになくて、人間にあるもの
それは体です。
このスペックに「体」という
カテゴリーもプラスして考えます。
例えばわたしは
①OSは、良くはないけど悪くもない
②メモリは、かなり広いほう。
③記憶媒体は、極めて小さい。
④体は、体力はそんなにないけど健康
というスペックになります。
わたしの得意とするのは②です。
どんな仕事でも他の人に比べて昔から
圧倒的に処理スピードだけは速いのです。
そのかわり、
①難しく考える仕事は苦手。
③記憶に関しては
マッサマンやマツダマン(from ドッキリGP)
よりもおそらく低い。
④休みはしないが体力仕事が苦手。
これがわたしのスペックです。
これには良いも悪いもありません。
だから慢心も、がっかりもありません。
ないものを、ないと認めて
あるものを、あると認める。
そこに良い悪いは、ないのです。
自分も、他人も、凸凹。
そういう特徴なのです。
だからイキらないし、ひがまない。
そして、ねたまない。
「ないものねだりのI Want You」
はC-C-Bだけにしたいものです。
できない、苦手は他人にお願いする。
できることは他人の分まで引き受ける。
自分に対してフラットに考えることができれば
他人に対しても同じように考えられるのです。
それが
自分をリスペクトし、
他人をリスペクトする
ことにつながっていくのです。
そのまま、捉えればいい
だけなのです。
以前、生きるのがしんどい
と感じていたわたしは
ないものを、ないと認めて
あるものを、あると認める。
ことができませんでした。
自分以上の自分を
演じようとしていたのです。
そうすることが、
正しいことだと思い込んでいたのです。
良いも悪いも
思い込みというものは
多方面に、幾重にも積もっています。
その、積もり積もった
思い込みを一つずつ外して、
ありのままの自分を認める、
それが楽に生きることにつながります。
思い込みの外に出るには
恐れがつきまといます。
怖いから、変わらないできたのです。
チャンスは無数にあったのです。
メッセージも無数にあったのです。
ふと目にした風景、
他人から出る言葉、
TVやSNSからの情報…
それを採用しない、ということを
無意識に選択してきたのです。
そんな人にとってこのメッセージは
非常にダイレクトで分かりやすいと思います。
今、この情報を意識できている状況で
選択するか、しないかを決めてください。
怖い、でも、変わりたい。
なら、採用しましょう。
そして起こる現実に責任を持ちましょう。
それは、自分が選択したことだ、って。
無理なら無理でも大丈夫。
変わらない選択をしただけ。
シンプルに、思うように生きればいいのです。
すべての苦しみは
自分が創り出したものです。
わたしはありのままの自分を知って
苦しみから解放されました。
そんな方が一人でも増えることを
心より願っております。
このブログを見た方は必然です。
これはわたしからのメッセージではありますが
自分の真我からのメッセージ
だと捉えてみてください。
なにかのきっかけとなれば幸いです。
最後に、
このスペック論がすべて低かった方、
大丈夫です。
きっと、そんな人は
やさしさ、思いやり
が人一倍あるはずです。
それがその人の特徴です。
それをありのままに
認めてください。
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わたしは
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をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
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毎日を幸せに生きられるようになるストーリー」
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あー、言いたい。
あるある言いたい
byレイザーラモンRG
先週お話しした、
困難は分割せよ
byデカルト
のお話しを短いスパンですが
角度を変えて、
もう一度させてください。
先週の記事はこちら。
↓
本日、嫁様と娘のバトルで
目覚めました。
だからといって
わたしの気分は害されません。
家族といえど、他人です。
他人の気分は、他人の気分。
そうやって人生を楽しんでらっしゃるのです。
内容を聞くとどうやら
片付けもせずに遊ぼうとする
ことが理由みたいです。
子供にとっては
レイザーラモンRGさんくらい
あるある
な出来事です。
嫁様が怒っているのは
それまでにもたまり溜まったことが
あるからなのでしょう。
いつも娘と対峙してくれていることは
本当に頭が下がります。
感謝です。
それはさておき、
力のあるものが力のないものに対して
自分の思い通りにならないことが
あった場合
力でねじ伏せようとします。
で、力のないものはそれに
抵抗する、しないという選択があり
今日は抵抗していた。
ということが顛末のようです。
嫁様は力を使いたくなるくらい
ストレスが溜まっていたのでしょう。
それには一定の理解をしますが
人に動いてもらう、やる気になってもらう
には力というのはある程度の強制力は
ありますが最終的には解決できません。
力で力をねじ伏せるものの代表として
戦争
があります。
世界で起こっている戦争は
いずれ、決着、という形で
終焉を迎えますが
それが最善であるとはわたしは思えません。
人(自分を含む)に
行動してもらうには
感情を動かす
ほかないのです。
今回、娘に必要と感じたのは
やる気
です。
やる気というのは感情の一種です。
それは本人から自然発生的に出てくる場合が
多いのですが、それだけではありません。
やる気をコントロール
することもできるのです。
それでは本日の一件を
わたしがどのようにまとめたか。
ゴールとしては
片付けることを伝える
ということになります。
片付けられないのには
娘にとって何か理由があるのです。
娘に限らず、人間が拒否反応を
示してしまうことは自分にとって
解決が難しい大きな問題
という認識があるものです。
でも、大きな問題として見えることも
小さな問題の集まりであることが
ほとんどです。
糸が複雑に絡まっている状況です。
その絡まった糸をほどく、というのが
困難を分割する
ということになります。
感情で判断せず、
俯瞰で状況を見る。
娘は何から手を付けたらいいか
わからない状況です。
わからない人に強制力を行使しても
わからない、ままなのです。
それでは感情は動かないのです。
ありとあらゆるものが
テーブル、床の上にありました。
わたしは娘に
①元の位置に戻そう
②元の位置がないなら捨てよう
という2つを伝えました。
それから、
「これはどう?これはどう?」
と一つずつ確認して
整理と整頓
を行いました。
ちなみに整理と整頓の判別が
よくわからない方もいらっしゃると思います。
整理は
「いらないものを処分する」
整頓は
「いるものを場所を決めて置く」
ということです。
娘も
「大切なものが捨てられるかも」
という気持ちがあったのか
すぐに行動し、片付きました。
脅迫や強制はしていません。
彼女の
やる気スイッチ
がオンになっただけです。
その後、娘は宿題に取り組んで
家族はお出かけをするのですが、
一回片付けたはずなのにもかかわらず
帰ってくると、また散らかってますw
その状況でクリスマスの飾りつけを
進めようとする娘に
嫁様はまた怒り出しますが
わたしはそんなことでは怒りません。
またか、とw
ではさらに違う角度から。
娘に
「出入口の法則」
を教えます。
これは
「すべては出るものが先で
入ってくるものは後」
ということです。
例えばわかりやすいのはお金です。
世のため人のために使った
お金は必ず戻ってくる。
囲い込もうとすればするほど
その貧しい心が現実化する、
というものです。
でも、こんなこと
小学生には理解が難しい。
だから
「引き算してから、
足し算する」
ということにしました。
「テーブルの上が何もない状況を
ゼロとしたら、今はすでに
足し算がされた状態だよね。
そこからなにか始めると
さらに足し算される。
その状態からいらないものを
引き算するには、ものが
たくさんあるから、やりにくいよね。
だから最初に引き算をしたほうが
楽だよね」
って。
そうするとものの数分で
片づけが終わったのです。
どちらも
困難は分割せよ
を角度を変えて用いた事例です。
考え方の参考になれば幸いです。
今はいろいろな物事に落ち着いて
対応できるようになってきましたが
元は感情にまかせて部下を恫喝したり、
上司からパワハラを受けたり、
いじめを受けたり、
と落ち着きとは真逆の人生を歩んできました。
感情の対極を経験したことで
今のわたしの人生観があります。
時に物事を進めるためには
パッション、という感情が必要です。
でも、他人を怒る、という感情は
誰もが幸せにならない結末が
待っているような気がします。
だからわたしは採用しなくなりました。
もちろん、時と場合により
例外はあるとは思いますけど。
「たまには(娘を)叱ってよ」
と嫁様には言われますが、
それは嫁様の世界観です。
家族であれ、違う魂。
わたしはわたしの世界を生きるのです。
そして、わたしの世界を
嫁様には強要できないのです。
この世は捉え方で
いかようにも変わります。
どんな色眼鏡をかけて見ているか、
それこそが自分の世界なのです。
日によって気分が変わる、
という人は少なくないと思います。
でも、その気分にも理由があります。
丁寧にその理由に向き合い、
小さなひとつひとつをケアすることで
やる気は出てきます。
やる気はコントロールできるのです。
もちろん、気分が乗らないときは
あってもいい。
でも、ちょっとした心がけや
捉え方を変えるだけで
ハッピーになるなら
やってみてはどうでしょうか。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
わたしは
楽に生きる
ということをテーマに生きて、発信をしています。
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特別にこのフィールドで
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神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
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皆様の毎日が幸せにつつまれ、
さらにその周りの人たちを
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楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになるストーリー」
をつづっていきます。
本日は自分自身の魂のステージが
上がったということを認識できた
出来事のお話です。
大概はバリアフリーで
魂は成長していくものでしょうが
この時だけは違いました。
昨年の11月1日、忘れもしません、
わたしは仕事中、
鉄の重い扉に小指を挟んで
閉め切ってしまいました。
確実に骨折していることは
その瞬間わかっていました。
ドアを戻して指を出しましたが
怖くて直視できません。
わたしは本当に外傷が苦手なのです。
複雑骨折、
指が欠損していないか、
いろいろ思い巡りました。
そして止血のため小指を圧迫した状態で
同僚を呼んで近くの救急病院に
連れて行ってもらいました。
レントゲンを撮って骨折が判明。
幸いにも複雑骨折ではない。
指もちゃんとついている。
でも小指の第1関節の裂傷が激しく
5針縫合することになりました。
以前のわたしなら
狼狽していたでしょう。
どうしてこんなことになるんだ、
あー、こうしとけばよかった、
なんて憤りをきっとどこかに
ぶつけていました。
ですが、事故直後に
この出来事は自分への試験だ
と感じたのです。
わたしは
ものの見方を変えることで
幸が不幸にもなり、
不幸が幸にもなる、
ということを理解して
そのように生活してきました。
何気ない日常は
意識していればコントロールできます。
そこがクリアできれば
思考より圧倒的に感情が優先される
状況をどう捉えるか。
それこそが試験です。
人は魂のステージが上がる際に
お試し=アクシデント
が来ると言われています。
わたしはこれをお試しだと
直感的に理解しました。
「来たぞ、これは、
チャンスやーー」
と痛みや怖さに向き合いながら
わたしは冷静に感じていたのです。
痛い…じゃあ、どう捉えるか?
普段なにごともなく
生きているということに感謝。
指が動かなくなったら…
それも人生、すべてはうまくいく。
指がなければないなりの人生がある。
そんなことにも感謝が湧いてくる。
・
・
・
と
うかんでくる思いに対して
すべてを感謝でとらえることが
できるようになっていたのです。
起こるすべての現象を
自分にとって
都合のいい解釈をすることで
気分が良くなります。
そしてその良い気分が次の
幸せを作っていくのです。
これが、現実創造の仕組みです。
車で運んでくれる同僚に感謝。
病院があいていて感謝。
対応する看護師様に感謝。
縫合してくれるお医者様に感謝。
本来なら嘆き、悲しみ、憤る
状況なのにも関わらず、
自然に感謝ができる
自分に泣けてきたのです。
ああ、ここまで長かったなぁ、
自分が見たかったのは
こういう景色なんだと。
まだまだ道半ばではありますが
少し感慨に浸りました。
その日は帰ってからこの一連の内容を
嫁様と娘に伝えました。
「全然腹が立たない」
「むしろ感謝しかない」
というと2人からは
「頭おかしい」
って言われましたw
まぁ、そうなりますよねw
いいんです。
捉え方は、人それぞれですから。
その後回復まで1か月を要しましたが
その間もたくさんの気づきを
いただきました。
小指って、使えないとこんなに
力が出ないものなんだって。
親指や人差し指を良く使っている
認識がありましたが、
そうではないのです。
一見光が当たらないもの
のように見えるものでも
実は、どれもが
大切なものなのです。
この社会は成果主義をうたう組織が
多くなってきました。
でも、成果を出す人材だけで
組織はまわりません。
いろんな人がいて、
それぞれの役割がある。
表立ってはわからないけど、
誰もが誰かの役に立っている。
誰もが宇宙の分け御霊であり、
なにが欠けても
この宇宙は成り立たない。
この世界はそんな風にできているのだと
この怪我を通して深く理解できました。
わたしは
「楽生きマスター」
と名のっています。
これは
「楽に生きることを達観したもの」
という意味です。
この名前はわたしが考えたものではなく
宇宙からいただいたものです。
この怪我から数か月して
ある日、この名前をいただきました。
もちろん、まだまだマスターとは
言い切れないところも多々ありますが、
「そうなるように」
との思いもあるような気がして
おこがましくも
名のらせていただいています。
以前の自分なら恥ずかしくて
言えなかったと思いますが、
この一件を越えたことで
「そうなろう」
と決意し、ブログも始めたのです。
ブログを始めて4か月。
フォロワー様も1000名を超えて
皆様には感謝しか
ございません。
もちろん、宇宙にも。
いつもお読みいただき、
また、いいね!していただくこと
本当に本当に、ありがとうございます。
励みになっております。
マスターというには
まだまだ稚拙な文章、
内容かもしれませんが
たくさんの人を元気づける、
本当のマスターになるように
自分らしくブログを更新していきます。
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わたしは
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こころの世界はつまるところ
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ということです。
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