こんにちは。

楽生きマスターの’むらけん’です。

 

このブログでは「何物でもない人間がなんでもない毎日を幸せに生きられるようになるストーリー」をつづっていきます。

 

 

 

 

わたしは数年前までありとあらゆることの本質を理解せず、手段にとらわれて生きていました。

結果をすぐに出したい

と思ってあせって生きてきました。

でも、一定の効果はあれど、なぜか突き抜けない。

どこまでいっても、楽にならない。ドクロ

そんなころのわたしの話を聞いてください。

 

 

 

学生時代、勉強はそこそこできる方でした。

暗記できるような基本的なことの理解は他人より早いのですが、考える力が極めて低く、初見の問題へのアプローチの仕方が全く分かりませんでした。

たとえば最も苦手としていた算数、数学では、公式を覚えて、それにあてはめて解を出すことはできるのですが、なぜその公式が成り立つか、ということがまったく理解できなかったためちょっとひねくった問題には手も足も出ませんでした。

そんな頭のレベルにも関わらずプライドは人一倍高く、自分はできる人間だと思い込み、セルフイメージを維持するために必死でした。

 

 

 

考える力の低いわたしは

パターンを暗記する

という学習法で高校への受験勉強に挑みました。

パターンを覚えれば、おのずと点数は上がりました。

ただ、それにも限界があります。

公立高校の比較的やさしい問題で高得点は取れるのですが、私立の独特な問題には対応できませんでした。

 

 

 

大学受験も同じように暗記で乗り切りました。

そしてわたしは勉強の「本質」というものを知らないまま大人になりました。

 

 

 

大学を卒業し、30歳を超えてやっとフリーターをやめて就職してからもキャリアがないということから自己肯定感が低かったので人一倍額に汗して働きました。運も味方して一定の役職には早くなることができましたががむしゃらにやっている自分に対し、涼しい顔で大きなアウトプットをしている同僚がゴロゴロいました。

どうして自分はこんなにやっているのに、やはり才能の違いか・・・なんて思っていました。

 

 

 

そのうちに過労、パワハラが重なり疲弊します。

わたしは仕事の「本質」というのを知らないまま15年務めた前職を辞めました。

 

 

 

今の仕事に就いてからも

ロジカルシンキングはどうだ

マインドマップはこうだ

タスク管理は・・・

などと手段を極めれば成功できると思い込んでいました。

ほんのつい数年前までです。

 

 

 

自己啓発系の本や動画にものめり込みました。

頭がよくなりたい

と心底思っていました。

でも、自己啓発系の本や動画で得られるのは

手段ばかり

なのです。

なぜなら

手段はキャッチ―

だから。

一般的、商業的にわかりやすい。

こうすれば⇒こうなる、みたいな。

そりゃ自己啓発難民は飛びつきますよ、そんなことされたら。

そんな自己啓発の著者や発信者は自分がやってきた手段を声高には言いますがその

マインドは決して言わない。それは

・マインドが大事ということが自分にとって当たり前すぎるから

・マインドのことを話すと論点がブレてキャッチーでなくなるから

のどちらかかなぁとわたしは思います。

きっと「成功してほしい!」と思って情報発信をされているのだと思うのですが最も大切なマインド=本質が語られない、というのは悲しい現実です。

 

 

 

手段におぼれていたわたしは数年前、こころの世界に出会い、そこから徐々に現実が変わり始めました。

 

 

 

わたしは現在特筆すべきお金持ちではありませんが、お金には困っていません。以前は

手段として、金運アップの方法、マネタイズの方法

などを実践していましたが、イマイチって感じでした。ですが

本質は、お金はエネルギーであり循環するもの、社会に還元すれば自分に戻ってくる

という考えで行動し、生きるようになってからはグッとお金が入ってくるようになりました。

 

 

 

手段を目的とするのではなく、本質=マインドを理解してそれに沿った行動をすることでわたしの世界は鮮やかになりました。

 

 

 

楽に生きる、というテーマなら

手段として、ホワイトカラーの企業に就職する、若い頃にがんばってセミリタイアする、自分の趣味に生きる

などが一例ですが

本質は、強さも、弱さも、かっこ悪さも、全部含めてありのままの自分を受け入れて、そんな自分を誇ること

なのです。

 

 

 

手段に簡単に頼ってしまうことは長い目で見ると遠回りです。

わたしが考える幸せに近づく方法は

・本質を理解すること

・本当の自分につながること

・ありのままの自分を認めて、誇ること

です。

これらはすぐには結果がでません。

でも、その先には天井知らずの幸せが待っています。

 

 

 

わたしはまだまだ勉強中の身ですがこころの世界に出会って何が大切なのかを気づくことができました。

だから、今は、いつも、どんな時も幸せです。

 

 

 

このブログがかつてのわたしのように手段におぼれて、グルグル回り続けている人の助けになれば、と思います。ウインク

 

 

 

 

 

本日のお話で皆様が幸せに気づくお手伝いができれば幸いです。


皆様の毎日が幸せにつつまれ、さらにその周りの人たちを幸せにすることがわたしのねがいです。

 

最後までご覧いただき

本当にどうもありがとうございました。

 

よければフォローください照れ

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仕事がつらい、楽しくない、自分が変わりたい

とおっしゃるならちょっと話を聞いていってください。

 

 

 

プロフェッショナル

って言葉、憧れるのはわたしだけでしょうか?

自分の才能で生きている!って感じがしますよね。

特にわたしは若かりし頃プロミュージシャンになりたかったのでその思いが強いのだと思います。

ただ、音楽の道ではないですが、今の生業をさせていただいているのは紛れもなくその道のプロフェッショナルだからなのだと思います。

そう思えば畑は違えど夢が叶っている状態です。

秀でた才能がある人が目立ってしまうものですが、わたしにはそんなのはありません。

でも、プロフェッショナルなのです。

だからわたしは自分を認め、自分のできることを誇りに思います

 

 

 

わたしの考えるプロフェッショナルとは

・再現性があること

・息を吸って、はくようにできること(意識せずにできること)

・傍からはがんばっているように見えて、がんばっていないこと

・それが誰かの喜びになっているということ

・その中で自分を自由に表現できるということ

です。

 

 

 

こう考えると誰もがなにかのプロフェッショナルだと言えます。

・販売員

・草むしり

・ガードマン

・工場の組立工

・子育てするお母さん

などなど。

どれも私から見ればプロです。

みんながみんな、違った才能を持っていて素晴らしいと本当に思います。

何気なくお仕事されてらっしゃる方もいるでしょう。

何気なくできる=それが才能です。

 

 

 

とはいえ一般的にプロといえば秀でた才能をお持ちの方をイメージします。

わたしは音楽を志していたのでイメージするのはプロミュージシャンです。

彼らを見ていて思うのは誰もが

自分のできることにフォーカスをしています。

自分のカラー、特長、引き出しをよくわかっていて、その中で自分を表現します。

だから

仕事に自分を合わせるのではなく

自分に仕事を合わせている

と言えます。

自分を変えずに、目の前の仕事に対してどうアプローチするか

という観点で動いています。

 

 

 

お仕事をされている方でお悩みの方。

自分の力以上のものを出そうとしていませんか?

求められる期待に応え「なければならない」と思っていませんか?

若かりし頃は自分が何者かもわかりません。

経験値がないので単純に経験値アップのためにこれだ!と思うものにがむしゃらに取り組む期間も必要です。

ですが人生も折り返し地点を過ぎれば年数に応じたそれなりの経験があり「何者か」にはなっているものです。ここでいう「何者か」は事業家でも、アルバイターでも、専業主婦でも、なんでもかまいません。

「何者か」=プロは自分の力量を実はわかっています。

が、求められることに自分を合わそうとして無理をされていませんか?

であるなら他人からの期待はさておき、自分に仕事を合わせてみませんか?

断る、やめる、バックレるw

そんな勇気も必要です。

こうしなきゃいけない、というのは思い込みですよ。

 

 

 

秀でた才能があっても、なくても、それぞれのステージで生きたらいい。

他人の芝は青く見えるものです。

どんなちっぽけでも、自分には自分しかない魅力があるのです。

アルバイトで、他の人と同じような働き方をしていても、それでも自分にしかない魅力はあるのです。

自分ができることはちっぽけなことだから誰だってできる、と思うかもしれません。

でも、実際、「ちっぽけだと思っていることのプロ」なのだからそんな自分を誇ればいいのです。

というか、自分を誇らずして何になる?

ちっぽけな自分を悔やんだり、ひがんだりする暇があれば

今の自分を誇るのです。

ちっぽけだと思う、そんな自分を変えたい、と思うならそこから変わればいいのです。

今日が人生で一番若い日です。

他人に「すごくない」と思われたとしても、気にしない。

昨今はSNSの拡大もあり承認欲求が強い人が多い。

でも本当の幸せは他人に認められることの先にあるのではなく、自分に認められることが根底にあるのです。

 

 

 

どんなに些細でも自分ができることにフォーカスする。

そしてそれを認める。

自分を認めてあげることで、自然と自信がわいてくる。

その自信は人に伝わる。

自分を認めた人は輝きだす。

輝くから人が集まり、たくさんの人からエネルギーをもらってさらに輝くようになってくるのです。

 

 

 

わたしには夢があります。

人生を楽に生きる人を増やすというプロフェッショナル

になることです。

そうなるためにわたしは、息を吸って、はくように、誰かを元気にできるようなブログを書いていきます。ウインク

 

 

 

応援していただける方は「いいね!」お願いします。

あ、これ、承認欲求じゃないんでw💦

 

 

 

 

 

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生きているとうまくいくこと、いかないこと、それぞれありますよね。

うまくいく、いかない、という現象自体には意味がありません。

ただ、そういう事象が起こっているというだけのこと。

それに意味づけしているのはわたしたち自身です。

うまくいっているときは機嫌がいい。

そうでなくなると機嫌が悪くなる。

そんな波が人生をアップダウンさせています。

イヤなことが続くという人はつまるところ、自分が創る波に翻弄されているのです。

 

 

 

できることなら日常を穏やかにすごしたい

と思いませんか?

それはものの見方、捉え方ひとつで変わるのです。

 

 

 

なんかうまくいかない

と思うときは、うまくいかないことにフォーカスしているだけです。

執着している

と言ったほうがわかりやすいかもしれません。

でもそのバックグラウンドにうまくいっていることは万とあります。

うまくいっていることはわたしたちにとって

あたりまえ

という認識になります。

だから普段は気にもとめません。

そのあたりまえの日常がなくなったときにはじめてあたりまえのありがたさに気づくものなのです。

 

 

 

雨露をしのげる家があること。

今日も夕飯を食べられること。

今日も一日健康で過ごせたこと。

空気があること。

生きていること。

挙げだすと、きりがない。

 

 

 

うまくいってないことよりうまくいっていることのほうが圧倒的に多い、というかほぼすべてがうまくいっているということをわたしたちは普段から認識したほうがいいのです。

 

 

 

うまくいかないと思っていることのほとんどは、時が解決してくれます。

うまくいったり、やっぱりうまくいかなかったりw、気にならなくなったり。

時が過ぎれば刻々と変わります。

なのになんとかしよう、なんとかしようともがき、苦しむ。

ならば放っておけばいいのです。

 

 

 

放っておけない、ならわたしたちの意志で変えることもできます。

わたしたちは自分のものの見方、捉え方ひとつで自由に現実をえらべることに気づいていないのです。

 

 

 

幸も不幸も実はコントロールできるのです。

幸せにフォーカスするか

不幸にフォーカスするか

の違いです。

 

 

 

人間は元来、うまくいかない、ということに執着してしまうものです。

また、この人生においてその苦難を乗り越えていくことを楽しみにしており、その経験こそが人生を豊かにするものだと生まれながらにわかっているのです。

ただ、このことを潜在意識ではわかっていても、顕在意識では理解していない人がほとんどです。

わたしたちはなんとなく生きて、なんとなく死んでいくもの。

思考で理解すると、コントロールしようという意識が働きます。

 

 

 

うまくいかないと思う現実をコントロールしたいのなら

今ある、幸せ=あたりまえのこと

にフォーカスして感謝すればいいのです。

 

 

 

苦しみと幸せ、どちらの経験が自分たちの中で濃く印象に残っているかというと圧倒的に苦しかった経験です。感情も克明に覚えているものです。

嬉しい経験は覚えていたとしても感情の記憶は薄いものです。

 

 

 

うまくいかないという現象を意識的にコントロールすると気分が楽になります。

そしてその負の経験が財産となる。

結局経験というのはそれを通して何を学ぶか、ということなのです。

その学びが得られるのなら苦痛でも嬉しさでも、宇宙はどちらでもいいのです。

感情をシフトさせる、という意識があればなおよし、です。

苦しみからフォーカスをずらして、その経験を学ぶこと。

日本人は忍耐力があり、苦しみが美徳みたいなところがあります。

でも、もっと楽にわたしたちは生きていいのです。

 


 

どうしようもなくつらいときは、現実をコントロールしようなんて考えなくていい。

そこから逃げることが最善です。

そんな時は嵐が過ぎ去るのを待てばいいのです。


 

 

あなたはどんな世界を見たいですか?

それを叶えるのは自分自身なのです。

この世界は自分の向けたフォーカスが拡大されて現実となります。

 

 

 

うまくいかないときは

時間に任せて何もしない

あるものにフォーカスする

つまるところ

考えをそらすこと

で乗り切ることをおススメします。ウインク

 

 

 

 

 

本日のお話で皆様が幸せに気づくお手伝いができれば幸いです。


皆様の毎日が幸せにつつまれ、さらにその周りの人たちを幸せにすることがわたしのねがいです。

 

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昨日わたしの組織に新たな部下がやってきました。

他の部署でトラブルになり、わたしに面倒を見てほしいとのことでした。

連絡があったのはほんの数日前です。

 

 

 

弁護士さんを巻き込んだトラブルだったため周りの人たちは腫れ物にさわるような感じだったのですが、打診され、内容を聞いても不思議といやな感じがしなかったのです。

本人との面識はありましたが数回少ししゃべった程度です。

その時も独特の感じはありましたが、そんな人はたくさんいます。

 

 

人間の思い込み

がこの世を創っているといっても過言ではありません。

そんな世界でわたしはできるだけフラットに物事を捉えたうえで、自分の思い込みを創っていこうというスタンスで生きています。

 

 

 

悪い思い込みは

偏見

と言われます。

生理的に人も、ものも、一定数の「合わない」というものは存在しますが、偏見の多くは最初の少ない情報を、悪いほうに拡大化することによって形成されます

今回のトラブルもこの偏見が重なって、重なって・・・のうえにボタンのかけちがえになったように感じたのです。

 

 

 

人や、ものや、起こる現象、すべてに良い、悪いはありません。

色付けするのは個人の思い込みです。それでこの世が出来上がっているのです。

ネガティブ思考の人は自分だけでなく他人にもそのような思考を反映してしまいがちです。

もちろん、ネガティブが悪いわけではない。

この世は陰と陽が等しく存在しています。

否定的、ということは角度を変えてみれば慎重である、ということ。

楽観的、ということは角度を変えてみれば向こう見ずである、ということ。

陰と陽のそれぞれの中にもさらに陰と陽があって、バランスをとっているのです。

 

 

 

必要以上にネガティブに捉えてしまうと人生がもったいない。

せっかくのいい出会いががっかりするようなものにもなったりします。

どうせなら毎瞬毎瞬がハッピーでいたいものです。

 

 

 

人も、起こる現象も、いいように捉えたほうが世界は開けてきます。

もちろん、今までの経験から簡単にそうは思えない人もいるでしょう。

だまされた

がっかりした

深く傷ついた

という負の感情が大きいかもしれません。

でもその負の感情は過去の物であり、今の自分とは本来関係がないのです。

「今」は「今」に存在します。

そうだった、そう感じた、ということと「今」は関係がないのです。

また、言い換えればその負の感情、経験の上に「今」があるということも言えます。

 

 

 

過去と今を切り離して考える。

その上で「今」を肯定することで過去の負の感情の癒しにもなります。

トラウマ

などと言われますが過去の負の感情を浄化できないのであれば、このように「今」から過去を変えることもできます。

その時の深く傷ついた感情は残っていたとしても、

過去はそういう意味で変えられるのです。

すべては

捉え方次第

なのです。

 

 

 

悪い、と思うから悪いことろが目につく。

そうじゃない、と思えば、そうじゃないのです。

評判が悪い、と言われる人には偏見という認知バイアスがかかっています。

でも、直感的に「なんかそんな感じはしない」と思えば自分を信じてフラットに考えればいいのです。

わたしたちのもつ直感は宇宙からの叡智です。

直感にしたがえば大概のことはうまくいきます。

自分を許して、自分を愛することで自分につながれば、宇宙から応援されるのでその精度はさらにあがっていきます。

もちろんうまくいかない時もあるでしょうが、最終的にはうまくいくようにはなっていますけどね。

変な色眼鏡をかけていると本来の自分につながりにくくなりますので、なるべくならすべての減少に色をつけずに相対したいものです。

 

 

 

新しく部下になった彼と最初に話をしましたが今後はうまくやっていってくれそうです。

彼には業務だけでなくこんな考え方も含めて一人の人間、社会人として成長できるようサポートしていこうと思います。ウインク

 

 

 

 

 

本日のお話で皆様が幸せに気づくお手伝いができれば幸いです。


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前回のブログで人間の悩みの多くは

人間関係

だと申し上げました。

その中で一番近いコミュニティが

家族

です。

 

 

 

家族というテーマのなかでもこの世界で親になる経験をする人、独身で生きる人、それぞれもって生まれたプログラムにより道は分かれます。

親になることを選んだ方のテーマで外せないのが

親子関係

です。

今回は「親子関係」についてお話しします。

 

 

 

子供の成長こそがわたしの生きがい

なんて方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そう思うのは個人の勝手なのですがお子様は迷惑されてないでしょうかね?

 

 

 

わたしは

子育てという哲学は不要

と考えます。

子を持つ親は子供を育てているのではなく

「親になることを学ばせてもらっている」

ということを知らない人が多すぎるのです。

 

 

 

自分が「導いている」という傲慢さ。

子供を「なんとか困らないようにしてあげよう」というおせっかい。

すべて

反対ですよ。真顔

おこがましいです。

自分の価値観を押し付けるなんてもってのほかです。

小さい頃、親からそういうことをされた経験ありませんか?

その時にどんな思いがしましたか?

 

 

 

確かに社会的弱者である子供の命を必要最低限としてつなぐ責任はあると思います。

それも学びの一環としてですが。

そして、人生を選べる自由を提供できればなおいいと思いますが、別にそれができなくても構わないっちゃあ構わない。

なぜならその子はそういう状況を「選んで」生まれてきたのだから。

そういう意味で親子の関係は何もしなくても完全なのです。

ピッタリ合うことも完全、毒親も完全なのです。

 

 

 

うれしさも、悲しみも、楽しさも、くやしさも、すべてが今の自分にちょうどいい

のです。

 

 

 

見目形は子供であっても一つの魂であり、親も一つの魂、それぞれがリスペクトされるものです。

子供に対しては、何歳であっても「人として」向き合うことが大切です。

違う魂なのだから生まれる前には過去世で自分の知らない経験をしているはずです。

わたしは子供のもっている感覚を教えてもらうというスタンスで向き合っています。

 

 

 

それは理想論だ。

そんなの現実的じゃねぇ。

男だからそんな無責任なことを言えるんだ。

という声もあるでしょう。

そう思ってらっしゃるならそういう世界に生きればいいと思います。

どんな世界を見るのも、信じるのも、自由です。

 

 

 

この世界は自分が思い描くものが現実となります。

現実が出てきて、それを感じているのではありません。

自分のコンフォートゾーンで思い描いたものは、知っているような現実となり、自分の枠から出たところで描いたものは、未知なる現実となる。

「現実的でない」と思っている現実を創造するには枠の外にある「理想論」「非現実的」「無責任」を開放する、許すことです。

自分の枠の外への扉を開くことで新しい価値観が生まれるのです。

 

 

 

他人の子や家庭と比較してしまう方。

他人と自分、よその子とわが子は

1ミリも関係ありません。

比較ばかりをしていると、子供は自分という存在が素晴らしいということに気づかずに大人になってしまいますよ。

 

 

 

どんな子でも

子供として接するから、親として接してくる。

バイアスがかかっている状態です。

バイアスがかかるからお互いに期待をし合って、関係がうまくいったり、こじれたりとややこしくなるのです。

子供に1人の人間として接するなら、親を1人の人間として接するようになる。

人は写し鏡です。

リスペクトすれば、リスペクトされるのです。

 

 

 

子供を「子供扱い」するのはよしましょう。

その人はわたしたちの

先生

なのですから。ウインク

 

 

 

 

 

 

本日のお話で皆様が幸せに気づくお手伝いができれば幸いです。


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