駿河の国で寄り道(62)「薬草園」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

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今回のテーマは「駿河の国の見どころ」

 

一年余り前に「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)

の古地図を見ながら江戸時代に栄えた駿府の面影をたどった。

 

 

今回は旧東海道から少し外れ、静岡浅間神社の門前町「長谷通り沿い」にある「静清信用金庫」

 

江戸時代にさかのぼると、この銀行があった場所の周辺に薬草園があった。

 

 

先日、自転車で長谷通りを通っていると「静清信用金庫」が建て替えられていてきれいに整備されていた。

 

〇信用金庫の門のようなモニュメント

店の前に駐車場が広がり、利用しやすい金融機関になった。

 

「駿府薬園址」の石柱が残されている。

 

門の右脇の通路に入ると薬草園の説明看板が掲げられている。

 

 

〇説明看板

 

説明文を読む。

 

現在静清信用金庫安東支店・横内支店のある長谷通りは静岡浅間神社の中核をなす惣社(現在の神部神社)・新宮(現在の浅間神社)へとつながる参道にあたります。

江戸時代、この通りには惣社・新宮の神主たちの屋敷や寺院そして武士の屋敷、町人たちの住まいが並んでいました。

そしてこの場所には「御薬園」とよばれる幕府の薬草園が置かれていました。この薬草園は、本草学(薬として植物・動物・鉱物などを研究する中国の薬物学)に精通していた徳川家康公が、大御所として駿府城に在城していた頃に様々な草木を植えさせたことが始まりとされます。

また、慶長年間、徳川家康公が駿府城築城の際に職人や町人を分けて住まわせたことが、今も残っている駿府96ケ町の町名の始まりとも言われております。

 

 

〇駿府名勝一覧図

絵図の説明も書かれていた。

 

駿府が幕府の直轄領になってからは、駿府城の刀や甲冑などの粉の武器を管理する武具奉行という幕府の役人がこの薬草園も管理しました。

    駿府名勝一覧図 静岡市立中央図書館所蔵

 

現代版駿府96ケ町

 

携帯のカメラで徳川関係のQRコードを読み込んで、画面をタッチするとリンク先が表示されます。

 

〇薬草園絵図

薬草園の絵図が残されている。

 

薬草園は総坪数4373坪(14,456.19㎡)の面積があったとされます。

静岡県立中央図書館に所蔵されている薬草園の絵図によると入口は南西側にあり、用水を橋でわたった先の門から薬草園へ入ったようです。門の中に入ると、手前側に薬草園を管理するためでしょうか建物が建てられています。建物を抜けていくと敷地全体に薬草が植えられていました。敷地内には草木に水を通すための用水が引き込まれており、また敷地内をくまなく廻るように道も設けられています。

 

〇「駿国雑誌」に掲載された薬草

 

「トリカブト」「シクンシ」「ハクサンシャクヤク」「ウイキョウ」の写真が分かりやすい。

説明を読む。

 

「駿国雑誌」に掲載された薬草

文化14(1817)年に駿府城外を警備する駿府加番をつとめた阿部正信がまとめた駿河国の地誌「駿河雑誌」には、江戸時代に駿府薬園で育てられていた薬草117種類の名前が書かれています。

それによると、駿府薬園には、使君子(下痢止めなど)・茴香(健胃など)・鳥兜(鎮痛作用)・白山芍薬(こむらがえり)が植えられていたようです。

「駿府御薬園絵図面」(静岡県立中央図書館所蔵)では、その配置も確認することができます。

この薬草園のほか久能山東照宮の山下にも薬草園が置かれていました。久能山の薬園にはこの安東の薬園から持ち込まれた薬草もあり、共通した薬草も多く植えられていました。

 

 

 


静清信用金庫が再建される前の「駿府薬園阯」石柱は道路脇に立っていた。

 

〇10年位前に撮っていた「駿府薬園阯」の石柱

 

 

久しぶりに「駿河の国の見どころ」ネタを投稿できました。