26th anniversary “THANKSGIVING”starts on 18.9.2024 by M.
交響詩『コスモス』其の一 『私的なスーダラ節』其の二 『別“巻” 日本史「はじまりの物語」』其の三 『秋桜(コスモス)』其の四 『明治の男風 宣言』其の五 『明治の男風失脚』其の六 『“関白”宣言?』其の七 『拝啓 竹馬の友より』其の八 『冬の蝉〜晋作へのオマージュ〜』其の九 『拝啓 まだ見ぬ君へ』其の十 『新・東京物語 2014-24』其の十一 『“浅草じゅうろく”の歌』其の十二 『花』(令和版)其の十三『コロナ禍での思い出』其の十四 『夏ノ三景〜中秋』其の十五 『新たな人生へ〜“The” Life』其の十六 『三軒豚を歌う』其の十七 『絵日記風 四コマ劇場』其の十八 『酒場の昼の夢』其の十九 『浅草 “水口ソナタ”』其の二十 『街の名店 行ってみて』其の二十一 『公方様をモノローグ@浅草』其の二十二 『“四季” 〜自作で二種の味わい』其の二十三 『格言で討ち入り⁉︎ “令和の忠臣蔵”』其の二十四 『myサラダ記念日』其の二十五 『2023年の端午の節句に寄せて』其の二十六 『“浅草ときわ食堂”の歌』其の二十七 『オレの“ドレミの歌” MOSTLY ASAKUSA』其の二十八 『私家版 “蛍の光”』其の二十九 『オレの七月革命』其の三十 『“myトキワ荘” 着工‼︎』其の三十一 『22世紀デパートの“アベコンベ”』其の三十二 『“さんま味噌”の味』其の三十三 『myプラチナ記念日』其の三十四 『“浅草ときわ食堂”は天下一』其の三十五 『“天空の城”はかくて崩壊せり...』其の三十六 『“今様”を“自分様”で流れてみる』其の三十七 『震災から復興へ〜オレの宝物とおもちゃ箱』其の三十八 『浅草の酒右衛門とお岩さん』妻らに寄す2024年9月18日が“鯛の昆布〆”(🍀)であるように
其の一『私的なスーダラ節』〜ハナ肇とクレージーキャッツの『スーダラ節』をもとに〜流れ流れて 生きてただけで出したチリ屑 山となる気がつきゃ 互いに後には引けぬこいつは失敬 そういうもんだ相手にされりゃ もうけもんア ホレ スイスイ スーダララッタお手紙 飛んでいけ!スーラ スーダララッタ歌でも なんでも ホイっ!スイスイ スーダララッタあっちに こっちにな!スイスイ スーダララッタどちらも ありがとさん生きてた稼業は 勤めただけさお前さんの世界は 見当つかぬ世の中出るとて 月金 9時5時まそいつが リズムにちがいはしねぇこいつは失敬 かまわねぇア ホレ スイスイ スーダララッタ背広で 電車乗り!スーラ スーダララッタそいつが 父さんだぃ!スイスイ スーダララッタ稼ぎは 欲しいがな!スイスイ スーダララッタ炊事は できんよな!今まで誰にも 相手にゃされぬだから お前を 信じるさ生きてく家族が できたりすればそいつが 生きてく喜びさありがと 大好き よろしくなア ホレ スイスイ スーダララッタ昇って 願ったぞ!スーラ スーダララッタお前に まちがいない!スイスイ スーダララッタいつかは 一緒にな!”カースイ” スーダララッタスーダララッタ...文責・味酒 ふびと 拝
其の二『別“巻”日本史「はじまりの物語」』これは、或る学び舎の中での実話である。平成に至っても、激動の昭和という時代の雰囲気が終わらない模様に苛む若者たちは、豊島区の上池袋の巣鴨学園の生徒である。巣鴨の経営者堀内政三先生は、毎週月曜日の朝に演説を行っている。各種様々な話題を取り混ぜながら、話が進んでいくことが多い。その中に含まれるものには、大正時代竣工の本館校舎についての自慢話などもある。若者たちが入学した当時の90年代は、すでに古惚け始めていたが、その校舎にもれずして古惚けた男、堀内政三先生は、今日も若者たちに発破をかける。その演説は月曜日の朝8時から始まる、全校朝礼のようなものである。その内容は、戦前の課程に基づいた若者の徳育であり、しかし、その割には、当人は、自慢話を多分に散りばめるのが、スタイルとなっている。日本男児というものを想起すれば、本人の徳育こそが怪しいものを感じるが、とりあえずは、まぁいい。それにしても、「本館校舎は、関東大震災と東京大空襲に耐え忍んだんだぞ!」などと。幾度となく聞かされてきたことか。しかし、そう言った自慢話に触れるたびに、若者たちは、悩みの世界に落とし込まれるのである。若者たちの心の中で、言葉が動き始める。----------言葉が動きが始めると、すぐに行き当たるのは、疑問である。若者たちは疑問を感ぜざるをえない。徳育を持ち出し始める割には、自らもまだまだ身につきもせずのに、何が自慢なんだろうな?などと考え始めるからなのである。若者とは、そういったものである。若者たちの気持ちの中に、敬老の精神は、まだない。まずは、思い返してみる。毎週聞く演説ではあるが、それにしても、建物に対して、知識やら識見があるものは、思い出すものの中にない。なのに、自慢のネタには、たびたび用いる。本人が、識見を持たない領域についての話である以上、本館校舎の優秀性を表現するということは、それ即ち、自らの功績としての自慢話にはならない訳であり、である以上、本館校舎の建物としての優秀性は、単に、腕のいい大工さんの働く姿をイメージするのみである。取り立てて、かえすがえすほどの自慢話に役立てるほどの識見はない以上、自らの功績を表す自慢話としては、相当しない。だから、若者たちは、他には、掴める流れはないのかと?次の進め方の方向性を検討するしかなかろう。すると、糸口に行き当たる若者がおる。耐え忍んだ災害の種類を基に考えてみるという方法論だった。このアイディアにより、改めて言葉が流れ始めるそうな。つまり、耐え忍んだ災害の種類に基づき、「“耐震性能自慢”と“防火性能自慢”」だろうなと。然りである。若者たちの目が輝き始める。きっかけは、ここだろうと。ここから進むだろうと。若者たちとて、建物の知識も識見もなかろうが、どうも言葉の持つ雰囲気が、幾分、進めやすくはなっているだろう。----------だからまず、言葉の流れより、“耐震性能自慢”から行くのである。自慢の内容に基づき、建物を眺めてみると、なるほど、古惚けてはいるが、確かに石造りである。やはり、当時の日本は東京の街中でも、木造建築物が多かった。しかも、関東大震災は、首都という建物が密集する環境と、昼時の震災だけに、大変大きな火災にも見舞われた。その中で、本館校舎は崩れ落ちず、おまけに焼け落ちなかったことは間違いない。それは、古惚けた男の背景に答えが聳え立っているのである。これは、外見のイメージより、やはり素材のお蔭だろうと思われるが。いや、でしかない気分である。本館校舎は、当時としては、かなり丈夫だったかもしれぬが、関東大震災では、そもそも江戸城の石垣が崩れた話を聞かぬだろう。江戸城は二つ前の時代よりの将軍家の居城であり、数百年の先達たりとも、石組みは弛まぬ。よりて、自慢話にはならぬ。先達が語っているのである。ならば、それは、そういうもんであるという、程度の理解の範囲である。----------然れども、さらに、繰り返される同じ自慢話に辟易してみたりし、ふと経営者の背後の件(くだん)の本館校舎を眺めていると、ふと不備に気づくときもある。どうも、視界に映らぬのは、災害避難用の滑り台である。災害発生時に、かなり大切なものが、見当たらないのである。日本国は古来よりの地震国である。大地震に際しては、火災も伴おう。されば、そんなはずはあるまいと繰り返し繰り返し、目をこすり眺め、或いは目を細め、時に片手をおでこにあてながら、眺めたりもするのだが、何度見ても、視界に滑り台らしき設備を捉えることができない。だから、内部に何か、格納式のようなスタイルのものを探してはみるが、それもない。設備不良は明らかである。いや、これは、むしろ不良建築である。自慢話ができる状態ではないだろう。----------ここで、終わらぬ悩みの世界の中で、頭の中を件(くだん)の校舎内に移してみる。思い出すと、ふと気づくこともある。それはいつも使用している本館校舎内の、間取りの配置の不可思議さについてである。職員室が一階にあるのである。つまり、ひとたび揺れれば、真っ先に避難可能な状況の中に教師が居る。まさに“先生”という言葉がピタリとくるであろう。“先に生まれた”特権というやつである。“お先にお先と”。あたかも、生徒が、先生に先を譲るようにして。間取りのおかげで、半ば自動的に、若者たちの徳育が進んでいく。こちらは、若者の特権であろう。そういうもんである。素敵な話になってくる。----------揺れが起きると、確かに我先に逃げる“羊”の群れがごとき先生たちの姿がイメージしやすい。おっと、これは言い過ぎか。若者たちの徳育は全く進まぬ。行きつ、戻りつ。本館校舎の入口より、見上げたところの長い階段から上には、いくつかのクラスルームがある。それは、高校三年生のクラスルームである。舟木一夫さんの名曲はとりあえず、ここでは置いておく。ただ、最高学年の話である。巣鴨学園の教育方針は、サラブレットを育てるものである。確かに三年時の鍛え上がり方には、“駿馬”を感じる若者の姿が散見される。彼らの見事さを考えれば、おのずと知れることもある。つまり、その配置が、動物の足の速さの順をイメージし、或いは、年齢的な衰えなどに配慮したものであることが知れるのだ。しかし、若者の方が罹災の確率が大きいという状況には、やはり、ここで舟木一夫さんを持ち出す必要があろう。「ああ~あああ、高校三年生~♬」。哀愁の味わいがとても良いが、経営者の採用する先生の徳育がさらに怪しい。いや、口ずさむ若者たちの徳育も怪しい。しかし、若者たちが揺れの中で、先生の無事を祈る。ぜひ、何人たりとも、罹災せず。無事に避難されたし!恐怖の中で、若者たちは、けなげに思う。それでも、気分をなんとか保つために、襲い来る恐怖の中で若者たちは、昭和の歌謡曲を浮かべる。もはや、ご両親に感謝して、その時を待つしかないのかもしれない。「赤い~リンゴに唇寄せて~♬」「上を向いて、歩こうおおお。涙がこぼれないように思い出す、夏の日、一人ぼっちの夜〜♬」。どうやら、逃げ遅れは、あと一人である。仲間の無事を祈りたい。その仲間とは、一番韋駄天な“駿馬”であって欲しい。火の回り方次第ではあるが、止まれ、いや、進め。いや、“とまれ”、ん?まぁ、本館校舎には、やはり、明らかな不良が見当たり、避難誘導がうまくイメージできないのである。であればこその、避難用の滑り台の必要性というところに落ち着く。不良状態が、改めて明らかになる。経営者は、本館校舎を背後にして、若者たちに発破をかけている。徳育が最も進まぬは、お主であろう。若者たちは本館校舎の方を一同に向き、そんな老人を冷ややかに眺める。老害が頭から離れず、敬老の精神とは、まことに難しいものである。若者とは、そもそも親孝行すらできぬのが、当然であろうから、敬老などは、遥かに先である。その頃には、目の前の男はすでに、墓の中であろう。----------それにしても、避難誘導に必要なものが背後に視界として入ってこないというのは、やはり、それに関する自慢話をされても、訴えかけてくる力が伴わないのである。当然である。若者たちは、何よりも、ただ一人残る仲間の安否こそが肝心なのである。しかしながら、それは、何組の誰なのか?先に無事に逃げ延びてる先生たちは、点呼もとらぬ。それでも、老害に発破をかけられる中で、若者たちこそが、どうしても、校舎が“破れる”中で、最後の一兵卒となり、柱を支えている仲間の無事を憂慮しているのである。やはり徳育は、若者(に)こそ。“綾”であるが、どちらでも然りである。そもそも、それでは、教育者の自慢話としては、成立しまい。だから、ふと世迷い言のような話に生徒を朝一から、付き合わせやがって!と。軽く、怒りを覚える。ならば、世迷い言は世迷い言で、調子を合せてやらんと。だから、何か世迷いを表すものを一節歌う気分が良かろうとなる。応援歌として、である。ふと思い当たるフレーズをもとに、気分を世迷い言に合わせて、軽く調子を上げていく。「ちょいと一杯のつもりで飲んで。いつの間にやら、はしご酒。ア、ホレ、スイスイ、スーダララッタ、スラスラスイスイスーイ♬」。ん?“はしご”が手に入る。最後の一兵卒の仲間が、降りるための避難用具が手に入るではないか。だから、校舎に向かい、“破れた”窓から手を振り、救出を求める男が手を振る窓枠に立てかける。すると、スーッとは言わぬが、最後の男が、駆け下りてくる姿がイメージできる。降り立った男は、崩れ落ちず、中身だけが丸焦げになっていく本館校舎を後にして、避難完了となる。よりて、全員無事である。大丈夫であろう。----------住めば都というか、いや、足したもので、逃げられたわけだから、“足せば都”というか。暫定的な結論に達してしているイメージもできる。耐震性能も問題ない。改めて、古惚けた老人の背後にそびえ立つもので、確認が取れる。そして、あの時代の先輩方は、かくのごとくして、関東大震災を乗り切ったのだろう。震災が昼時だけに、焼け焦げた校舎内には、幾多の食べかけの焼きオニギリが散見されようが、それはもう食えない。あの時代はやはり、食糧難であったことは、ここでもわかるである。だから、腹の足しはなくなったが、それでも、心の肥やしのために、さらに話の続きを考えていこうという気分にも、切りかわってくる。巣鴨の若者とは、こういう男たちであろう。腹の鳴りよろしく、“グゥ話”のようにして進みゆくが、まぁ、流れていき、やがて必要なものが明らかになれば、構わないものだろう。----------------------------後半に続く by 友蔵----------------------------「お台場は、まだ整備中である。フジテレビは、まだ完成していない(未確認ながら)」。藤村である。細かい話には、こだわらない。男は、かくありたし。気持ちの流れは、次の争点へと流れていく。それは“防火性能自慢”という点になる。それも、すでに明らかになっているものではあるが、しかし、結論には到達していない。よりて、これは、東京大空襲に耐え忍んだということより、進めていかねばならない。すると、やはり、これも進め方がどうなるのか、わからないものは、まずは、外側を眺めてみて、何か手がかりを探すことから始まるわけである。それにしても、耐え忍んだ災害を考えると、やはり、自慢に従い、焼死し、尊い若き命を捧げずばならなかった先輩方は、おらんに違いないだろうと信じたいという気持ちになる。----------ここで、大正時代には、全員無事のイメージがつかめていただけに、昭和の大惨事の場合は、新たな方向性を探る必要性にかられる。それは、いや、焼死者が仮にいたとしたら...キャンパス内で、歴史に汚点を残す大惨事が起こったわけであるから、教育の現場としては、重大事にあたり、自慢話どころではない。自慢話の張本人は、老害認定済みである。だから、必死になり、主に本館校舎のどこか?或いはキャンパス内のどこかに碑(いしぶみ)のような死者の名を彫ったものが形として、残されていないか?ここは、かなり肝心になる。すると、若者たちの中では、早期に動き、確認作業が終了したことが、報告されていた。こういった若者が“駿馬”といえよう。それによると、石造りの本館校舎の建物を活かした形で、あたりに名を彫ったところはなかったそうな。また、自らの三年間の学生生活においても、キャンパス内に類するものは確かになかった。よって、確かに大日本帝國の時代の当時の生徒の尊い命は、守られたことは、なんとかわかるようではある。国民的俳優の渥美清さんは、ちなみに、この時期の生徒だったそうである。あまり、言い方がよろしくはないが、シネマの中の寅さんも、やはり、この時に罹災せずに、戦後の日本を旅し続ける。これも立派な確認作業につながる。これで、外見より、必要なことは、とりあえずつかめた。こうなる。----------そこで気持ちの流れは、今ひとつ、内側に切り込んで行こうと、なってくる。そこで当然、校舎内に踏み込むということになる。これはやはり、消火栓等の消火設備を探しておく、ということが一番、手っ取り早い。すると、ここで、普段より生徒として、建物を使用していることを活かす。若者とは、往々にして近道を好むのである。ところが、ここで重大事に気づかされるのである。本館校舎内には、例えば、消火栓のようなホースが格納されている無機質なドアのようなものが、廊下にも部屋にもないのである。大正時代の建築物ながら、トイレはかろうじて水洗である。しかし、それでは足りぬ。やはり、建物の規模を考えれば、こういった設備がない時点で、必要性に当たるものは、またしても、満たしていないと考えるべきであろう。----------そこで、では、外見に戻ると、東京大空襲で、本館校舎が耐えしのいだ大きな理由を改めて、点検すれば、やはり、それも建物の基本構造が、石造りであるというところに戻ってくる。焼けないのは、当然である。ぐるっと回ったわけである。結論的には、まず、外側にきっかけがあった。わかったことを基にして、だから、内側に切り込んだ。そこでわかったことは、結論として、外側に答えがそもそもあったという形である。一回りしてみると、老害とは、若者の頭に遠回りを作っていることを言うのであろうか。それほど、憂慮するものではないのかもしれぬ。しかし、消火に必要なものは、まだない。どうも、“消化”できぬ。であればこそ、それでは、自慢話は成立しまい。足りないものがあるからである。若者たちは、ぐるぐる回りながら考える。堂々巡りにもなりかけ、目が回りかける中で、それでも、老害患者は、若者たちに発破をかけ続ける。演説の言葉が耳に入る。「君たちは馬だ!しかし、サラブレットなのだ」と。今更気づいたようである。若者たちは、すでに高校三年である。しかし、その場には中一もおる。若葉に対する、改めての一言だろうか。やはり、古い時代の男は気がきくものである。----------つまり、生徒を“ホース”に見立てているわけなのだ。そこに合点がある。どうやら、消火設備らしきものが手に入る。ガッテン、ガッテン。ひとりごちてみる。まぁ、とは言っても、まさに独り言よろしく、自らのイメージの中で、“足せば都”という暫定的な結論に従い、足すものを作りながら、話を成立させている。しかしながら、気持ちの中で足したとしても、それを目の前に広がる建物に追加してみたり、あるいは、普段より、校舎を使用することから、当然のごとく見当たる必要性のあるものを言葉のイメージより、成立させて、足るとす。このようにして、自慢話はなんとかかんとかの成立状況に到達しているだけである。立役者は若者たちである。しかし、当の本人が、本館校舎を歩いている姿は見かけないし、そもそも本人は、本館校舎に背を向けて演説しているのである。しかし、自慢話が成立する流れ作りは、なんとかかんとか出来上がった以上、経営者にとっては、見えていないものではあるが、若者たちの気持ちの中では、成立はしていると見るべきだろう。こうして、東京大空襲において、本館校舎は焼け残ったのであろう。古惚けた男の背後に、同じ確認作業を繰り返す建物を見る。----------読者諸賢!いや、それにしても、足していくものを作り、見せかけを作るようにしてまでしても、自慢話を聴衆である若者たちの気持ちの中に成立させるとは。やはり、歴史の中で、権力というものは、そういった類である。戊辰戦争当時の“錦の御旗”が然りである。あんなものはそもそもない。戦を正当化するための演出上の小道具である。つまり、権力や体制とは、小細工を使うものなのだろうと。小手先の荒技のようなものか。しかも、成立させるには、いずれの自慢点も、象徴するものこそをイメージの中で作るしかない始末である。これが権力の正体であり、やはり、戦後は象徴に収まったが、その天皇という存在に大権を与え、そこに国民精神を統合していたのは、やはり、“まやかし”であったということになる。なるほど、大日本帝國の過ちの主因は、やはり、国家神道体制により、昭和天皇を現人神とし、“まやかし”が行われていたものであった。答えはここである。もはや、雲散霧消。発破、いや、木っ端微塵とな!頭がここに到達すれば、結論は、かなりシンプルである。そして、“シンプル イズ ベスト”。簡単の大事さに気づくのだ。ポイントも知れる。----------ところが、到達点が新たな悩みの始まりである。つまり、これがアジア社会を本当に納得させうるのか?という点である。彼らは、“まやかし”に付き合わされたのである。すると、今度はやはり、その時代のアジアの痛みに気持ちを馳せ、確かに同じ大和民族ながらも、怒りがこみ上げてくるのだ。結論が見えてみれば、その程度の話に幾多の尊い命を付き合わせたり、大切な国土環境を焦土化したり。あいつは、特攻隊の生き残りだ!これも、本人の口から出る自慢話の類だが、その自慢話も何が自慢なのか?イマイチ、不明点を感じる。理由は、それならば、特攻兵たちの尊さの何が素晴らしいのか?それを自慢話として、口角泡飛ばすのではなく、語り部になれ!素晴らしさを語り継ぐ男になれよ!いや、なってない。それぐらいのことまで、言いたくなる。それは、アジア社会の痛みを考えれば、当然である。でしかない。よって、本人も、九州の海の向こうの合衆国の軍艦に向かい、飛行機を一機、飛ばしていくイメージ作りをしてやるのが、よろしかろう。いや、本人は、飛ばない男だった。だとすると、「海軍中将、大西瀧治郎立案とされる特攻政策には、明らかに手落ちが見られるだろ!飛ばしてやるべき男を乗せた飛行機が一機、離陸してまい!」。ここでも、特攻政策とは手落ちが見当たるような愚策に違いないだろうと。簡単にしておいたことが、新たな欠陥にも気づく。補うには、飛行機が飛び立つイメージ作りしか、やはりあるまい。----------ふと、我に返ってみる。だいぶ、大日本帝國研究は進み、一旦言いたいこと言ったので、改めて落ち着くようにできるのだ。若者たちの学び舎の経営一族は、時に跡取り息子を演説のピンチヒッターとすることがある。堀内不二夫先生という男だ。昭和22年生まれだそうだ。三学年続いた団塊の世代のトップバッターの学年である。まさに、戦後の象徴天皇制の時代を生きる男である。しかし、やんぬるかな、本人の演説の内容も、近しい頭に基づいた内容だらけである。いや、その近しさが肝心かもしれぬ。いやなにさ、イメージの成立具合がより良くなるではないか。戦後の新生日本は、象徴天皇制に移行し、そして、大権から一部の国事行為を除いて、力を抜いていき、象徴としたからである。であればこそ、仮にイメージを成立させても、そこには力が含まれず、よってここにまさに、アジア社会に対して振りかざしていたものが、伏せられた形作りに成功するのである。こうして、日本国、いや、新生日本とは、平和憲法に基づいた戦後を歩むのである。それは、不二夫先生が、本館校舎の前で、父親に習い、例の自慢話の内容を若者たちに伝える姿を通して、いい絵作りを成立させることで、できあがる。しかし、若者たちの時代、不二夫先生の演説内容に本館校舎の耐え忍んだ災害に関する話はなかった。----------いや、それにしても、頭が何やら、緩むような気分に落ち着くのである。なかなか気づくことはなかったが、実に堀内家では、名教育が行なわれている様子が伺われる。世の中的には、堀内家の家訓のような戦前日本の日本男児のあり方を振りかざす教育とは、時代遅れでしかない。あるいは、時代錯誤という者もおるかもしれない。しかしながら、堀内政三先生の子息である不二夫先生は、父親の世界観を信じ、それを自らの信条として生きているようだ。息子というものが、父親の信条を自らのものとして生きていく。それは、やはり、家庭の中で、父親の愛情がなんらかの形で、息子に伝わる家庭の様子があろう。それは、名教育を生み出す基になることは、やはり不二夫先生を通して、確認できる気分である。----------話は落ち着きかけたやに思えるが、翌週になり、再び、当の父親が登板する。いつもの調子で演説を始めると、それが定まらぬ気分にもなる。いや、しかし、若者たちは信じたい。必要なものは見えた。“まやかし”の構図にも、気づき得たのである。であれば、ここをとっかりにしたのだ。はじまりは簡単な方が、積み重ねやすい。はじまりの複雑さは、流れを大いに縛る。だからである。簡単で構わん。と思いつつも、若者たちの頭には、毎週、手を替え品を替え、ネタを変えつつも、悩みの種を政三先生は放り込み続ける。しかし、若者たちの頭は、簡単の大切さをすでに覚えたのである。だから、そこにポイントを置いて、政三先生の話を聞くようになるのである。耳に繰り返し放り込まれる言葉の中で、ピックアップが進んでいくのは、“硬教育”、“巣園健児”、“生生(せいせい)○○”、などの標語類のようなもの。----------それを基に簡単に頑張ってみる。その研究スタイルはあたかも“三語で理解、大日本帝國”ともいうべきか。もはや、“せいぜい”そんなもんになっている。いや、それでも、翌週には、また新たな悩みネタ幾種。さらにその翌週も。すると、軽やかな研究スタイルには、テンポ感が乗ってくる。その様は、“大日本帝國を五分で、さっと理解”。“せいせい”してくる気分である。濁りが取れてきたりする。そして、研究がスカッとしてくる。それでも、悩みは終わらぬ。なにせ、学園生活は三年間である。時に頭が再び複雑化しかけ、抱え込みかけるときもある。くそー、何回考えても、各種様々に悩みを盛り込みやがって!煮ても焼いても食えぬ。ええいっ!大日本帝國何て、あんな国家は、煮てやればよかったのか?焼いてやればよかったのか?アジア社会が団結して煙でもたいて、燻してやればよかったのか?とにかく、どこに突破口ありや、と。しかし、結論に従ったポイントを思い出せば良い。簡単にしてみようと努める。よりて、その中での選択制という手に気づく。であれば、どの調理法でいけば良いのか?頭の中では、“大日本帝國を政三先生の演説を素材に、お手軽クッキング~♬”などと、もはや、サバサバした気分に基づいたようにもして進めていく。サバか?などと、思うたりもするが、この時代の若者たちは料理の心得を持たないものが多い。だから、ここで大きく進むわけではない。とは言うものの、よくわからないが、随分気楽にもなる。この辺りで、バース、掛布、岡田!バックスクリーンに三連発!すでに、“ぜいぜい”ものの吹き出し感である。よりて、若者たちは、楽になった気分を基に、肩を組み、六甲おろしでも歌うようである!おろし?大根おろしか?それなら、若者たちでも、すりがねさえあればできる。若者たちなりにやってみると、器の中には、淡雪のようにして、雪どけがイメージできるように、おろしができていく。春は、そろそろである。飛行機はまもなく、飛んでいく。文責・味酒 ふびと 拝
其の三『秋桜(コスモス)』~さだまさしさんの『秋桜』をもとに〜(※ デュエット形式の歌です)女)遅咲きのひまわりと コスモスが何気なく 草むらで 肩寄せるそよぎ そよぐ 風に揺れる 想い互いに 重ねて 想う日日に思い出の中の あなたとは綴りの中で 語りかけてくるいつでも 気持ちの中で 浮かぶ慕う私への 踊る言葉こんな小春日和の 穏やかな日はあなたの 優しさが 浸みてくる明日逢えるあなたに 苦労はしても笑い話に 時が変えるよ心配いらないと 笑った男)あれこれと 思い出を たどったらいつの日も ひとりでは なかったと今さらながら わがままな私に唇かんでいます明日への荷作りに 寄せるのはあなたの 面影を信じながら突然 涙こぼし 元気かと心配で 心配で つぶやく言葉ありがとうの気持ちを かみしめながら生きていきます ともにこんな小春日和の 穏やかな日はもう少し あなたの子どもで いさせてください文責・味酒 ふびと 拝
其の四 『明治の男風 宣言』~さだまさしさんの『関白宣言』をもとに~愛宕の誓い 果たすまえに伝えておきたい ことがある基本的には 書状のとおりだがあらためて本音を 聞いておけ朝の早起き できればご一緒に風呂の順番 その日の流れにてメシは“まごわやさしい” 取り組み頼みたい家族の健やかさ お前にまかせたい忘れてくれるな ふたつのオレの姿勢たのもしく ふさわしく そばにはいつもお前約束した3つの文字 努める 労う 緩やか手をかけ 築けば そのうち 子も授かるお前の両親 オレの両親子らにとりては どちらも祖父母になる親戚付き合い おそらく有益さお前らしく 努めればいい旅に出よう 四季のおとずれ夏はもぐり 冬はすべろう春や秋には 史跡や社にて学習しつつもな 温泉目当て天気は晴れでも 向かい風もあるわけでそれでも 手をとり 生きることが なによりふたりは結ばれ 家庭を築くのだからめぐるのは 大きな笑顔と 福やら そのほか子どもが 生まれ はぐくむときにともに悩み がんばろうな贅沢は言わない まずは健やか優しさ身につけば やってはいくのだろう本音をいえば それも贅沢とにかくそばに お前がいてなお前とオレが幸せ感じれば 何にもいらないただそれだけだ恋愛不向きな オレのような男は愛する女は 生涯お前ひとり忘れてくれるな オレの愛する女は愛する女は 生涯お前ただひとりLa la la...(気分で口ずさむ)文責・味酒 ふびと 拝
其の五『明治の男風 失脚』~さだまさしさんの『関白失脚』をもとに~オレの気持ち 伝えたけれどいつもと同じ 空振り状態打席に立つ姿 その日を信じながらスタンド席からの 視線を意識してまたたびの成果 満悦状態にまともに聞いてると 廃人にされるオレの望みは 団子を配りたい国民のために アジアの和のために忘れ物 落とし物いっこうに直せぬオレ晩酌は控えめにしてんだよのんあると トリスでLa la la...正直にいうと 美術科の成績どんなに努めても 3どまり(バカにすんなよ!)日本史だけは 巣鴨でNo.1幾度もNo.1 全国模試でも一桁クラスアジアのために 彼ら(Europe)も理解して大切な和を築き 夢見てる日があるお前の力は ホントに頼りだぞイロイロ世話になる よろしく頼むななかなか浮上せぬ 男のサブマリン人生たとえのイメージは “イエローサブマリン”かそして今日もみんなが笑顔を 手にするために近代という海原と向かい合う山積みの本 からっぽの財布だからといって稼ぎにならず歴史の中にはオレの友がいるお前と生きてく幸せのためなら机に向かう日日 むしろ望みたいなかなか上手く描けないけど心は本当なんだよ今まで浮上せずに 知られもせぬままにそれでも頭の中は日本の男で 生きてきた望みが叶う その日がきたら気持ちの中に浮かぶのはありがとう 好きです世話になったな そして ずっとよろしくな!がんばれ がんばれ がんばれ みんながんばれ がんばれ がんばれ みんながんばれ がんばれ がんばれ みんながんばれ がんばれ がんばれ みんながんばれ文責・味酒 ふびと 拝
其の六『“関白”宣言?』〜流しの音楽哲学書〜MC)この章では、私が、柴又の寅にもなり、一人二役を務めます。寅が、様々なマドンナに出逢えるように、進行していきます。【お題】 “虎の巻”→“腹巻”についてMC)人間が、ある程度の状態でできあがるには、“たんこぶ”が必要です。“目の上のたんこぶ”(あるいは、“タンスにゴン”)を活かせば良いのです。それを含めた教育論、その“虎の巻”を、歌合わせで学びましょう。幕末の開明思想家、佐久間象山の塾にて、そのための歌合わせが行われ、柴又の寅は、ふらりと通りかかり、その席をたまたま傍聴させてもらっている。その“虎の巻”とは、自らの腰回りの“腹巻”のようなものだと、寅が“棚ぼた”式に理解するイメージを拵えてみるのです。於: 「五月塾」(佐久間象山主宰 銀座6丁目)(三名の男が着座する)壱)象山先生、高弟にまず唱う授かれば 子らに望むは “運”慶やき“ちん”と考え “満”開に咲く弐)長州の寅次郎、応えて曰くひとはみな たけ(竹)くらべとは 知りつつも塩ばい(梅)心得 まず(松)ひと殴り参)越後の虎三郎、次いで曰くさりとても うま味を出すとは 常ならざる夫婦のはぐくみ 書への親しみまとめ)象山先生締めて曰く、寅や、虎や、見事である。今宵の歌合わせは、まことに“象印”であった。ともに子が生まれし折には、今宵の“虎の巻”を活かし、厳しくも、また、子をくるんでやり、“腹巻”をしてやるようにして、育てよ。肝要である!※ 吉田寅次郎松陰と小林虎三郎は、佐久間象山の高弟。ともに塾内において、抜きん出た俊才で“象門の二虎”と形容された。※ 象山先生のまとめにより、子供を教育する上で、その“虎の巻”とは、親の存在が、自らの腰回りの“腹巻”のような意味を持つことが、“象印”の教育論だと、柴又の寅は理解することができた。MC)後日譚。柴又の寅は、あの夜の歌合わせにて習いしことをもとに、頼母子講の席を設けるイメージ。あの夜の象山先生は偉大であり、寅は、自らは、まだまだ小僧に過ぎぬと理解した。だから、象山先生も、寅の“小僧の神様”であった。依りて、“象印”の“虎の巻”こそが、様々なマドンナに出逢うための、大きなヒントと、寅は感じたのである。その頼母子講の席は、巷では“六歌仙”と名高い、小公女らとともに催された。そこでは、“象印”の“虎の巻”を学び合い、寅は、様々なマドンナを探す機会になる。その場は、あたかも狂言の舞台であった。その夜、柴又の寅は、太郎冠者のようであった。はじまりはじまり。(静かに幕が開く)太郎冠者)我は、“象印”の“虎の巻”を授かる。依りて、お題は、我が腰回りの“腹巻”とす。“御手元”、いや、“お手並み”拝見。壱)小公女1曰く意を得たり やがてわらわら 母となる其の要(かなめ)とて 二話(庭)こそ大事弐)小公女2が歌を返す然りにて 庭にて運慶 はぐくみしわらわは求む さらなる駿(はやお)参)小公女3がさらに歌で応じる知りたきは 殴りの加減 いかにして生まれしときは みな“竹”千代にて肆)小公女4が珍句を歌うゾウさんの 慕いし兄は キリンさんバンビを育てし 楽園のごとく※ 佐久間象山の妻は、幕臣勝海舟の妹。勝海舟の嫡子は、勝小鹿(かつころく)という名であった。これらの事実より、成立した一句。太郎冠者)我、実に感嘆す。簡単である。いやはや、あの時分の歌合わせは“五月塾”にてであった。トトロな歌心である。“楽園”という言葉に惹かれる。“象印”の“虎の巻”とは、自らにとって、拾い物のようではある。しかし、照らしてみれば、ここまでの流れ、皆が長年探せし、マドンナに違いない。伍)小公女5が珍句を継いでいくさかりつく 犬がきばむく たまたまに深傷(ふかで)を負うても われ西郷に見(まみ)ゆ太郎冠者)これは愉快。上機嫌である。成果なり。麟太郎少年の股間に注目せし点、実に見事!日本は、ご一新をなすに違いない。“象印”の“虎の巻”、真骨頂はそこにあり!陸)小公女6が歌で問うわれ望む キリンの庭の 子守唄バンビを育てし そのわらべうた太郎冠者)であろうな。ならば、バンビを“組み立て”し、わらべうたを御伽草子のごとくして、我がミツバチになり、舞い歌わん。『ぶん ぶん ぶん』(村野四郎作詞・ボヘミア民謡)ぶんぶんぶん はちがとぶだいじにはぐくみ ほんよみたいせつ“たこやき”に ならぬかも“あかし”はね だしじるとこかんのあたりに なやみをあたえるパパママの “おこのみ”ね太郎冠者)“こんなもん”であろう!“腕白”をしてしまった。いや、我は“関白”、太閤秀吉なり。それにしても、このように御伽草子にまとまれば、教育論とて構えずとも、よろしかろう。皆、マドンナである。お団子を一本ずつ差し上げよう!いや、これはいかん。団子屋育ちの性分が、つい出る。あくまで、“棚ぼた”に過ぎぬ。依りて、”ぼた餅”一個ずつである!今宵の頼母子講は、実に趣深い。浪漫チックである。これにて、一件落着!(人違いの“関白”宣言に、拍子木が鳴り、拍手喝采の中、幕が閉じる)MC)それでは、最後にまとめです。1) “象印”の“虎の巻”を、絵文字一つにまとめると、♨️になる。湯(家庭)の中で、湯気三本(昆布・育み・読書)が、ベスト。このマーク♨️ こそ、まさに“象印魔法瓶”のイメージなり。2) 六歌仙のアイディアより、♨️とは、“かぼちゃのポタージュ”をお鍋の中で、コトコトと煮込んでいくイメージなり。ということでした。ご参考になさってくださいね。文責・味酒 ふびと 拝
其の七『拝啓 竹馬の友より』~『初恋』(島崎藤村・作)をもとに~向かひ合いても われを見つめず寡縁にありながらも われを信ずるわずかなりとも 娘らしゅうもせず花ある君と思ひけり慮ることもない 自らながらも信濃の林檎を 君にあたへして生まれし わずかな縁(えにし)にその日を待つ 君は美しきすでにわが心は 失われりまぶたに残るは 君が姿独りなりとも 詮なきこと寄せられし想いは 宝にせん日のささぬ わが書林のもとにて君はいつまでも 静かに眠らんたとひ 千の風に守られしとも自らの責にて 君は安らかにせん敬具文責・味酒 ふびと 拝
其の八『冬の蝉〜晋作へのオマージュ〜』~さだまさしさんの『冬の蝉』をもとに~生まれいずることは やむなく歩むこと定めし時代(とき)の中の 冬の蝉のようにけれど身をふと思い 暮れることなしに倦(う)まずに生きつくれたなら真実(まこと)は身にめぐる夢は故郷(さと)を駈けめぐる童(わらしべ)のまなこで過ぎ去りし日日は めぐりゆきて帳(とばり)に 日はさすああ 朝陽は昇り 浜はかがやき駈けていく“わが身”は 風のままながめの向こうに うたかたの翳(かげ)と咲き匂うこともある 早い春のたより時の流れのことは 偲(しの)びやかに継ぎそれでも語る身とて 錦まごう故郷(さと)と空に昇る朝陽を信じて高く舞いあがれいつか時の流れを越えて実を結ぶ日も来るああ 静かに咲く花 寒椿散らしはせぬ故郷(さと) 誉(ほま)れとて夢は故郷(さと)を駈けめぐる童(わらしべ)のまなこで過ぎ去りし日日は めぐりゆきて帳(とばり)に 日はさすああ 朝陽は昇り 浜はかがやき駈けていく“その身”も風のまま文責・味酒 ふびと 拝【画像のクリックで、iTunesにとびます。】
其の九『拝啓 まだ見ぬ君へ』君がこの世に生を受けし報に接し我は静かに悦びにけり母者と君が息災これに勝る悦びはなし母者の乳をたくさんに大きくなりなされよく泣き よく笑いそして よく寝るようにやがて 我まぶたに刻まれる君が姿を ただ心待ちにせん君が眼(まなこ)に我姿が映る日を楽しみにせん呉々も賢く母者に苦労をかけぬように君がそう育つことを今は ただ祈らん父者は その務めに従い街を歩き 品を求めにけりその折の一句は君とその母者に捧げん自らを“福寿草”と例えたものなり。“年の瀬に 浅草そぞろや 福寿草手にせし宝 まま悦ばせん”-----(上の句)暮れも押し迫るころに、やや落ち着かない感じもありながら、私は浅草を歩いていた。(下の句 ①)親の務めを果たし、何とか我が子を悦ばせたい、そんな気持ちだった。(下の句 ②)ようやく逢えるであろう君を何とか悦ばせたい、そんな気持ちだった。※ 福寿草は、“元日草”或いは、“朔日(ついたち)草”とも呼ばれる花である。黄色い花を咲かせ、新春を祝う花である。短信 私より敬具文責・味酒 ふびと 拝
其の十 『新・東京物語 2014-24』~O.ヘンリー『賢者の贈りもの』をもとに~街が一番華やぐのは、クリスマスの頃であろうか?しかし、その華やぎも裏通りにまでは届かない。その日、男は上野にあった。郵便局へ向かう袂には、一通の封書。決意めいた足取りであったが、気持ちはいく分楽ではあった。何かの運びにでもなるのか?あてがあるというほどではなかった。しかし、まずは送ってはみようかとの決意だけは、自らの中にあっての話だ。男は仕事がうまくいってるとはいえなかった。いや、生き方がうまく運んでいかない。気持ちの中では行き止まりを感じている。だからといって、女からの便りに望みがあるということもない。ただ、話は通ずるだろう。それがどう動くのか?動いたら、考えるだろう。しかし、動くことはあるまい。時は流れる。あてもなく流れる。人生というものは、たかだか35,6年ほどしか生きてなくとも、月日の流れというのは、まるで味気ない。生き方にも色味などなくなり、ただただ毎日は過ぎていく。男は生き方に色味を添えたくなっていた。男の場合は、そのためには同じ色味の女しかなかろうと思うのだ。自らの色味は、本来強い。しかし、白色でできている。その色味は男の内側まで染めきっているわけではない。いや、むしろ内側には、ほかのいくつかの色味を持つ。男は外側を白色でまとっている色味なのである。男が探しているのは、そのさまざまな色味を活かせる女である。----------今、窓口で封書を投函したが、宛名には女の名が書いてある。候補の女である。同じ色味に違いない女である。男には目星のつけ方があるのだ。しかし、とはいっても、ことが運ぶイメージは何もないのだ。はじまりは、それだけであったのだ。やはり、何も運ばない。暦は年が明け、春先から新緑のころへと。男はふたたび、封書を送りはじめる。6月になると、しばらくは封書を定期便にしてみる。運びは何も生まれない。労してみることが、かえって徒労を生む。----------ことが動く。男が一年半ほど努めたのちである。しかし、思い通りにはならぬ。女というのは難しい。だが、秋になり、月日の流れの中で、ひとたびは女を眺めることができた。運びのきっかけであった。やはり美しいものである。整った顔立ち。褐色の肌。髪はそれに似つかわせるようにして、茶色に染めているらしい。ライトの中でも映えるが、女は太陽に照らされると、その美しさが際立つはずである。健康的な印象である。遠目で見ていても長身であるのはよくわかる。2016年9月18日、日本橋の劇場で目にした舞台上の女の姿は、このような印象であった。造形として眺めていた心持ちである。カーテンコールのとき、女は一度だけ男を見やる。刹那の中に確信が生まれる。まちがいなかろう。女は大きな手がかりを男にのこした。その夜、男は一人で女を待ってみたが、思い知らされていた。ことの運びとは、容易ではありえぬ。今宵はきっかけにはなろうが、届かぬところにおるのは、変わりはしない。努めることでしか、道は生まれぬ。開けたものはある。しかし、道のりは依然、長いらしい。----------気持ちが追い込まれる。定まらぬ。いえ、なにさ、女のことを申しているのではない。仕えて生きるとは、気持ちに波を生む。波浪に苦しむ。心の中のよしなしごとども。疲れも重なる。それでも信ずる道には時間をつくる。動いてみる。女に対する気持ちには、足でかせぐ。男は歩いた。歩いてかせいだ。男の目にやがて見えたのは、愛宕の石段。たゆまぬことしか、示せぬ自ら。そうでもせねば、伝わりはしまい。男は知ることになる。愛するとはかくのごときものであると。容易なものではなかろうものには、努める姿が、生み出すカギと信ずるようにして、男は歩く。次の年が明け、愛宕の石段を昇る頃には、男の気持ちは固まりゆく。妻にすべきであろうと。男にとりては、月日を要した。月日の証しに手元にのこした、あの日の切符。男はやがて、女に寄せた。男は女にすべてを寄せた。それでも感ずる、つづく道のり。男にとりては難しきこと。愛することとは、難しきこと。しかし、9年半ほどの月日の中で、女にたいし、時を重ね、努める姿の証しを確かにのこしたであろう。----------女ははじめ、わからぬ男として考えていたにちがいない。しかし、女にはやがて、やむにやまれぬ事情が生まれたらしい。女は男を信ずるようにしてみたようだ。何がどう転ぶかなどは、まったくわからぬ。人を愛するということとは、道理の中の世界とは、異なるものかもしれぬ。男は女に知らぬ世界へと誘(いざな)うようにして、力を与えた。女は努め、稽古を重ね、頭の中は、ずいぶん変わった。女はやがて大蛇(オロチ)を退治。男に対し、気持ちを寄せた。しかし、女にとりては、理解がすすまぬ、男の部分。そんなに長く歩む必要はあるまいと。女は悩む。しかし、女の悩みが調和を生む。はじまりは友や姉と。幼きころよりの、馴染みも加わる。女は友の中にある。本当の友らしい。互いの色味が出し合えるもの同士らしい。それは男が長い距離を歩むことにより、生まれた調和。女は男に似つかわしくなるよう、髪を黒くしてみた。男に色味を合わせる姿勢を示してみた。感謝の気持ちも感ずる毎日。女は幸せだった。しかし、男は本当に長い距離を歩いている。----------男も悩んでいる。自らの手元には何も残さなかった。すべてのものは女のもとに寄せたのである。自らはいまだに一人である。いや、それは構わないのかもしれないのである。男とは与えることで喜びを感じるものである。女は受け取ることに大きな喜びを得るのであろう。やはり基本原理はそうであり、男と女は、そうできているのである。そして、生命体とは、かくのごときして成立しているのである。しかし、その中において、人間は脳を発達させたのである。言葉というのは、やりとりを生むための道具である。男は感じているのである。一方通行な気分を。いや、それは女とて、同じやもしれぬ。互いに努め合っていても、終わらぬやりとり。それは互いの気持ちの一方通行によるものであろう。ならば、互いに、気持ちを込めた贈り物をすればよい。それが労(ねぎら)いになろう。男は手元にのこった唯一のものを、だから女に寄せた。男は急いていたのであろう。女はまだ、なにも寄せてはいない。----------男ははじまりのところにおる。話のはじまりでも明らかにしてある。そして流れを生み出してきた。女は流れの中に身を寄せればいいのである。そこに身を寄せることは、女に力を与えるのである。家庭を築き、広がる未来を、である。女には未来が待っている。それは男からの贈り物である。女からも何かは贈られるだろう。互いは緩め合う存在にちがいないのである。男は信ずる。そして、長い時を経たのち、男の女を愛する気持ちに対して、女も愛を送り返したのだった。----------読者諸賢、お察しいただきたい。和の国では昔からこのように言う。“転ばぬ先の杖”と。つまり互いに贈りあうものとは、例えば、男のそれは修養の精神であり、女のそれは、自らの信ずる友らであろう。男は歴史を学びの場とする。男が信ずる三人の次郎とは、いずれも女と寡縁の生き様であった。長州の寅次郎は、女を知らぬ男だった。柴又の寅次郎は、フラれてばかり。鶴川の次郎は愛妻家で、女遊びをせぬ。しからば、自らも女遊びもせずに、机に向かい、役割意識に基づく生き方を誓いとして、女に捧ごうと。男は信ずる。女は嫁取(めと)らば、尽くすに違いないと。内助の功という、それを。----------仏国では、このように言うらしい。“C’est la vie.”(ままにならぬのが人生よ)と。男の贈り物を受け取った女は、やはり、最良の友らを用意するようだ。男はもはや、『暗夜行路』を歩いているのではない。むしろ、“エンヤ~コ~ラ~”っと!気分を弾ませているのである。志賀直哉である。学習院にて学び、乃木院長の教え子であった。かといって、男は院内におるのではない。娑婆に暮らしている。いや、今は放浪暮らしにより、うわの空である。しかし、男は右巻きである。気分を弾ませた男に対して、同じくして気分が乗った女の友らも協力的である。とまれ、愛するというのは、かくのごとくして、交わし合うことなのであろう。まもなく男は、すでに寄せし切符に記されしこと(11列22番)をもとに、女とともに生きる、覚悟を決めるだろう。男はどこまでも、女を信ずる。だから、男は懸命になる。女は、『小僧の神様』に違いないのである。しかし、まだ、女はままにならぬ。ならば、鮨でイメージしようではないか。めぐり、めぐる。----------その日、男は約束の街に向かうだろう。そして、男はそこで、女に逢うことができよう。その時の男の気分は波に乗り、“軍艦巻き”のようである。長い距離を歩いた男の気持ちを察するべきであろう。“刺身”は辛い。我は“巻物”なり!“手巻き”なり!酸いも甘いも、飯は“酢飯”で。侘びも“さび”も、“さび抜き”ご勘弁!“しょうが”ないではないか、“ガリ”は必ず。“ツマ”は、お前だ。“握り”、いや契りはできている!男の気持ちの流れは、“寿司桶”の中で成立している。そして、鮨というのは、食らうにあたり、“醤油”は“むらさき”と表現すると、通がわかるそうな。同じものを言い換えてみただけだが、オツな表現である。お後がよろしくなった頃合いで、本稿はまもなく、“上がり”である。いや、それはまだ先であったか。いやはや、それを言っちゃあ、おしまいである。男の巻きは、時に左に転ず。----------中華の国では、こうとも言う。“人間万事、塞翁が馬”と。何がどう転ぶか、人生はまったくわからぬ。そのようなものでしかなかろう。然りである。男の巻きは左右に転ずる。右に、左に。転ぶ男の足元は、不確かである。まもなく、男の手元には、杖が届くであろう。思えば、ひと夏の思い出のような、いい恋だったと互いに思う。『ミッドナイト・サマー・ドリーム』とも言える。ウィリアム・シェークスピアである。骨折には至らなかったが、骨折りではあった。エックルバーグ博士のはなむけのまなざしにも、大いに感謝したい。今度は、『グレート・ギャツビー』である。男が歩いた長い距離は、話題を満載にする。女は、長い距離を歩き、自らを信じた男に対して、憩いを贈るらしい。それは、“感謝祭ウィーク”という憩いのとき。男の頭は、アンタイディ(UNTIDY)なものになっているからであろう。骨接ぎだらけになりかけている。その週、二人はともに過ごし、そして、やがて、旅の空にも出よう。二人は家族になり、新たな命も築くであろう。されば、互いに、友らに約束せしことなども、贈るにちがいない。男は転ばず、女は母になる。幸せというのは、かくのごときものにちがいない。右に巻きながら、男は思う。二人はまもなく出逢うことになるだろう。結ばれることにもなるだろう。古(いにしえ)の賢者は、こう思う。互いの未来に幸あらんことを、祈るのみである。文責・味酒 ふびと 拝
其の十一 『“浅草じゅうろく”の歌』〜『おべんとうばこのうた』にイメージを借りながら〜#浅草じゅうろく お任せコース 品良く盛られた先付八寸丹波の黒い 豆からつまむ 神谷と同じ 縁起の豆サ#続いて出るは ゆらゆら湯気の 出汁巻玉子おろしとともに できたて楽しむ#小腹を満たす 穴子も登場江戸前一の 季節の味覚 こいつは美味サ#佳肴の品に お供を果たす ビールにぬる燗 菊正宗サついでについつい 手が出る冷酒 山形地酒の栄光富士ダイ#お手元休めに 酢の物一品さっぱりいただく 茗荷の旨味#気さくな人柄 大将女将洋楽流れる 小粋な空間#最後に主役 二八が登場 十割まがう 最高美味サこいつでばっちり 〆は完了 おしまいおしまい#お店の方々、美味しい品々を、本当にありがとうございました。文責・味酒 ふびと 拝
其の十二 『花』(令和版)〜武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲の『花』をもとに〜1)小々(さざ)に綾波や 揺ら揺ら流る隅田薫りゆく 潮波と吾妻賑わい 朗らかと降り立ちめざす 神谷ブラン2)たもと聳ゆる 目映きなりとわれは下りゆく 駒形や美(うま)し縁(えにし)や ほほ緩め花咲きまねく 福人や3)われは上りゆく 吾妻のもとへ水面はかがやき 小春雲季(とき)の便りと 風そよぐ鳥啼き木立燃ゆ 葉桜かP.S. はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざりぢっと心許ない財布を見る(石川啄木『一握の砂』より)ありがとう‼︎ toS.A,K.A,A.D,W.S,C.K,M.M,M.Y.文責・味酒 ふびと 拝
其の十三 『コロナ禍での思い出』2020年からのコロナ時代😥最初の緊急事態宣言はその年の4月のこと🌸中3進級の甥っ子は高校受験生📖姪っ子は中学進学なのに😅でも🤔仕事が休みになった伯父さんには👱♂️思いがけない贈りもの🎁食事当番をはじめたのも👨🍳コロナ禍あっての話☝️今では週2回をこなす💪そんな中🤗2020年5月のとある日に🌱木組みのパズルで🧩T.エジソンがもっとも愛した発明品の🤴蓄音機作りを🎶真剣そのものの甥っ子に🐔飽きっぽい姪っ子🐭ついつい写す手が進み📸そんでもって💁♂️コロナ禍での思い出アルバム🎞吹き出しの声は黄色と黒で🐯寅次郎おじさんみたくして🗣ひとつできました✌️文責・味酒 ふびと 拝
其の十四 『夏ノ三景〜中秋』《第一席》 『夏ノ三景』長梅雨モ明ケ隅田川ノ向コフノ空ヲ眺メル浅草“の“夏ノ便リ長梅雨ニモマケズ立派ニ成長シテ花盛リ母ノ手“による“夏ノ便リソノ昔幼ヒ子ラニ伝ヘシ味長梅雨ニモマケズ自転車デ中学ニ通ヒ切ッタソンナ子ラノ“のための“夏ノ便リ《第二席》酷暑厳しい夏の或る日、目の前にひらひらと現れた一羽の揚羽蝶。花の蜜を吸う姿を写してみると、右の羽根が欠けていた。美しき姿を失いつつも小さな命の生きる力に密やかな感動を覚えた。そんな蝶の姿に一句献上。“何処より たくまし揚羽 陽の盛り“《第三席》立秋も過ぎた或る日、銀座通りの並木が桂並木に変化していることを知った。オリンピックへ向けての景観整備が理由とのこと。以下、銀座の並木の略史である。---1877年(明治10)ころ柳が並木として植えられるその後、三度の変遷を経る---1968年(昭和43)銀座通りの改修で柳並木が姿を消すシャリンバイなどが代木に---1999年(平成11)西銀座通りに柳並木が復活---2004年(平成16)試行的に銀座通りにイチイが植えられる---2018年(平成30)ころ銀座通りに140本の桂が植えられる---銀座の並木とは明治以降、本来は柳だった。1968年に消えた柳並木は、その後に一部は蘇った。令和という新しい時代以降は銀座通りの景観は桂並木となる。しかし、桂と柳ではその姿に差異がある。そこで古き佳き銀座を思慕し、三十一文字を仕立てることにした。“秋立ちぬ カツラの木立 その木陰木漏れ日偲ぶ その昔のやなぎ“《第四席》古来より、菊の節句とされた、重陽(9月9日)も過ぎた。風が吹けば秋風が薫り、宵の口には虫の音が心地よい。しかし、つづく残暑。日中の陽射しはまだ強く、食事に行くも、旬の膳は夏の名残のままに。本格的な秋が待たれる中での、佐渡の味わい。生憎の雨模様。心配する勿れ。箸を取り、味わってみると、夏の名残りをすっかり楽しむことに。そんな事から生まれた三十一文字。“秋待たる 拝みほころぶ かの佐渡や雨とて囃子 鼓ぞよろしき“《末席》9月も半ばすぎ、稔りの季節。田んぼは黄金色敷きの絨毯に。頭を垂れた稲穂は刈り入れどき。刈り入れが済むと、秋の田はすっかり寂しく。お役御免の案山子だけが残される。村は秋祭りへ。村の鎮守では秋空のもと村人たちが一年の労苦を癒すことに。田植えの季節からこの日まで、案山子も立派な村人のひとりなのだが...“遠鳴りと 案山子やひとり 暮れなずむ““田守しや 我も人並み 捨(すて)案山子“文責・味酒 ふびと 拝
其の十五 『新たな人生へ〜“The” Life』小津安二郎監督の作品を10本視聴した。小津監督は家族をテーマにして、さまざまな物語を世に送り出してきた。どれも味わい深く、考えさせられる。一連の名作群を通して、小津監督が社会に送るメッセージとは...下町歩きで出会ったご自身の箴言の中にあると思う。【写真①】江東区古石場文化センターのエントランス付近にて---“なんでもないことは流行に従う重大なことは道徳に従う芸術のことは自分に従う“(by 小津安二郎)---これを私は自分の表現に焼き直し、生きていく時代も加味することにした。それに際しては下地を明かす。サントリーの中興の祖として知られる佐治敬三氏の提唱した“3C“である。(Culture, Community, Create)---“Current, Classic, Create,This is The Life ‼︎“(by 味酒 ふびと)※ 敢えて品詞混同とした。“共生“を謳うためである。【写真②】JR柏駅前の飲食店“THE LIFE“の店内より---新たな人生のはじまりに向けて言葉を挙げておく。“一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如く“(by 福沢諭吉)私はこの言葉より、文章家として“味酒 文処(うまさけのふびと)、詠う際には“蜩晏(ちょうあん)“と号する。---《ペンネームの由来》味酒 ... 大学時代の空海の師、味酒浄成より。処 ... とりはからう、しかるべくする。部首は几(つくえ)、旧字は處。【写真③】司馬遼太郎の『空海の風景』---《雅号の由来》蜩 ... セミのヒグラシのこと。夏の終わり、日暮れの頃にカナカナと鳴く。晏 ... ゆったりと落ち着いている様、心が穏やかな様。長安 ... 唐の時代の都。長安〜京都までの道は“ブックロード“という。遣唐使が築いた道。【写真④・⑤】浅草“伊麺処“店内にて。“空“の文字を背景にボンゴレ・ジャポネーゼに“海“を見立てて。文責・味酒 文処 拝
其の十六 『三軒豚を歌う』〜ラップ風にリズムを感じながら〜神谷の近所で“豚三昧“🐽ブヒー、ブヒー📣はいりは“いり豚“🐷“水口”名物🌟カレーの風味で具合よし🧝♂️神谷の明治🎞商売はじめはにごり酒🍶“しろうま”味わう昼酒場✨お次は“カツ煮“🐷和洋の蕎麦前🤠相性よしはおなじみ七色🌈こちらの“やぶ”は向こう岸🤹♂️トリは“とん皿“🐷すき焼き風🐣庶民の街の皿にも感覚👨🔧都内のかしこに🌿“ときわ”はあるが👨🍳巣鴨の店がNo.1🏆働きながら耳学問🐴てな感じで...神谷の近所で“三軒豚”🥩🥩🥩文責・味酒 文処 拝
其の十七 『絵日記風 四コマ劇場』《第一幕》2019年7月13日(土)☁️小日向文世さんのナレーション🗣土曜の朝のぶらり旅で知って📺都電荒川線に揺られ🚃オオムラサキを鑑賞に🦋荒川自然公園へ🚶♂️残念ながら...季節的にオスはおらず🥺メスのみで😞鮮やかなものを見られず😭記念品だけもらい🤣隣りに移りカブトムシ鑑賞🤗すると...オスカブトの争いを目撃👀“やせ蛙負けるな一茶これにあり“そんな視点で幕開けとな👏《幕間》 2019年8月26日(月) 🌤甥っ子は中2で姪っ子は小6の👨👧👦夏休み🌻地元の駅前でCoCo壱ランチ🍛辛さやサイズはちがうけど💁♂️いつも3人で同じオーダー🙋♂️せっかく夏休みだから🤗食後にかき氷🍧2人でひとつだけど☝️仲良くやってもらえました😆伯父さんうれしくて🥳パシャパシャ📸《第二幕》 2021年1月31日(日) ☀️仕事で昼飯の休憩中🐶吾妻橋のたもとで🌉IQOSを一服🚬つがいの鳩に出会う🍀仲睦まじい様子はヒシヒシと👩❤️👨昭和30年代🎞トキワ荘に集った才能たちを知って👨🎨そんな頃だったから💁♂️ついつい四コマを😾素人モンにすぎないが🤡なかなかのが撮れたから🤳お遊び程度で終幕に🤹♂️文責・味酒 文処 拝
其の十八 『酒場の昼の夢』〜俵万智さんの『サラダ記念日』にリズム感を借りながら〜昼のお酒で賑わう下町酒場そんな風景は渡世のなかで日日のことだから休みになると馴染みについついふらっと酒飲みの性分なんですそういえば...すてきな串カツに出会いました真ん中に豚肉がひとつ両脇のねぎははさみ役をお供をするのはどちらさんでも玉ねぎ、ですよねそのお役が長ねぎに丸っこいんじゃなくてすらっとしたやつでその塩梅は男の憧れの両手に華、そのもの男冥利に尽きますよね行方のことは...ご想像にお任せしましょうねここは歓楽街浅草六区の“水口食堂”っていうんです母の生まれた昭和25年より繁盛しているようでいいところなんですよねだって...好きな酒に昼の夢もついたりそんなお店屋さんですフランス座は近くにあります色ものを催す演芸場なんですその昔は三友館で今は東洋館と申しますほんと、不思議な街でもとっても魅力的でそうそう、お皿の中のこと三度もの夢の世界艶っぽ〜いものや刻まれたもの甘酸っぱ〜いものなんかも少しずつ、添えに見えてますか?すっかりこれだけでなんだかお腹はいっぱいに十分、ですよね話のタネは神谷の常連さんよりいただきました地元の方で両親と同じような年の頃のお客さんですふらっときてすらっとをなんてお蔭さんでじんわりと神谷のピカイチをこんな風にいいお酒でしたS木さんありがとうございました。文責・味酒文処拝
其の十九 『浅草 “水口ソナタ”』〜古典派のソナタ形式に基づいて〜《提示部 A》浅草六区の“水口食堂”は前作の舞台、いや三軒豚の作品のときにも🎶その時に紹介したのが看板メニューの“いり豚”🐷神谷の常連さんでアナウンサーの先生Yさんより🎤当店をご指南いただいた際に早速紹介していただき🙇“水口”びいきの芸能人もテレビでオススメする📺そんなメニュー🍽しかし来店重ねる中で、個人的に越えた魅力を💡だったらと...江戸時代の俳人、与謝蕪村の句を下地にして🤔川柳捻ってみる🤗“菜の花や 月は東に 日は西に”1774年(安永3)に蕪村が六甲山地の摩耶山を訪れた際の一句🌼名句につき、こそばゆいが、自分の好みがうまく伝わればと😉“イチオシや 巷いり豚 オレ漬焼”漬焼とは“まぐろの漬焼”というメニューのことである🐟漬けまぐろを焼いたアイディアがなんとも光っている💡添えの大根おろしと合わせるのがなかなかオツである😋《展開部 B》“水口”に何度となく通う中で、朝イチの常連さんの顔も何人か👨🦰👨🦳必ず大テーブルでやり、自分の位置に座るようだ☺️最初の酒が決まっていて🍺肴は酒が届いたときに伝えたりして🙋♂️そんな常連さんの話が届きやすい大テーブル🗣そこに自分も、端っこでお邪魔したり🙂そしたらある時、耳寄りが...両親とさして変わらぬ世代、そんな印象の常連さん👨🦳子どもの頃はまだ江戸川の土手によもぎが自生していたとか🌿近所で摘んだよもぎを使い、柴又では名物の草団子を🍡知らない時代の話は耳に心地よく👍ふと気づいてみれば、“とらや”のもうけの仕組みを💴聞いたようなもんで✌️ならばと、石川啄木の名句を捻って🧐なんて思いついた次第🕺“ふるさとの 訛りなつかし 停車場の人ごみの中に そを聞きにゆく”耳寄りを得た上で、捻った歌はこんな風に💁♂️“ふるさとの 商いひさし 門前の居ながらにして なりたちを知る”賑わいの中で自然と耳学問が進む酒場🎓“水口”の魅力新たな気分はなかなか一興である✨《再現部 A'》はしご酒を楽しむ趣向が多種あるのは浅草の魅力🪜しかしながら、“水口”でやってそこで〆る🍙上手く〆になるメニューも探してみたい👀候補はミートソース・ナポリタン、チキンライス或いはエビピラフ☺️渉っていくと、浮かび上がるのは...“自家製ミートソース”🍝〆にちょうどいい量、くたくた茹でのパスタ👨🍳ペスト菌が猛威をふるった中世ヨーロッパ🇪🇺当時のパスタ料理も、くたくた茹でだったとか🇮🇹それも衛生による、自衛手段だったのだろう💉食べていると、ふと懐かしさを覚える🎞思い出すのは小学生のころ👦給食の人気メニューだったソフト麺のこと🥰記憶の箪笥の引き出しから、あの味わいが出てくるよう🤤水口で〆る時はミートソースが良かろう💪定まったところでまた川柳ひと捻り✍️“水口麺 思い出灯る 蛍〆”約100種あるというメニューの品々😃そして賑わいの心地よさ、その時々の風景など🤣まだまだ魅力には尽きないものがあろう😍長年の常連さんの前では極々ひよっこに過ぎないが🐣覚えた味わいの中でソナタをひとつやってみた🎼下町酒場の魅力が少しでも伝わればと🌞文責・蜩晏 拝