其の六 『“関白”宣言?』

〜流しの音楽哲学書〜

 

MC)この章では、私が、柴又の寅にもなり、

一人二役を務めます。

寅が、様々なマドンナに出逢えるように、

進行していきます。

 

【お題】 “虎の巻”→“腹巻”について

 

MC)人間が、ある程度の状態でできあがる

には、“たんこぶ”が必要です。

“目の上のたんこぶ”(あるいは、

“タンスにゴン”)を活かせば良いのです。

 

それを含めた教育論、

その“虎の巻”を、歌合わせで学びましょう。

 

幕末の開明思想家、佐久間象山の塾にて、

そのための歌合わせが行われ、

柴又の寅は、ふらりと通りかかり、

その席をたまたま傍聴させてもらっている。

 

その“虎の巻”とは、

自らの腰回りの“腹巻”のようなものだと、

寅が“棚ぼた”式に理解するイメージを

拵えてみるのです。

 

於: 「五月塾」(佐久間象山主宰 銀座6丁目)


(三名の男が着座する)

 

壱)象山先生、高弟にまず唱う

 

授かれば 子らに望むは “運”慶や

き“ちん”と考え “満”開に咲く

 

弐)長州の寅次郎、応えて曰く

 

ひとはみな たけ(竹)くらべとは 知りつつも

塩ばい(梅)心得 まず(松)ひと殴り

 

参)越後の虎三郎、次いで曰く

 

さりとても うま味を出すとは 常ならざる

夫婦のはぐくみ 書への親しみ

 

まとめ)象山先生締めて曰く、

 

寅や、虎や、見事である。

今宵の歌合わせは、まことに“象印”であった。

 

ともに子が生まれし折には、

今宵の“虎の巻”を活かし、

厳しくも、また、子をくるんでやり、

“腹巻”をしてやるようにして、育てよ。

 

肝要である!

 

※ 吉田寅次郎松陰と小林虎三郎は、

佐久間象山の高弟。

ともに塾内において、抜きん出た俊才で

“象門の二虎”と形容された。

 

※ 象山先生のまとめにより、

子供を教育する上で、その“虎の巻”とは、

親の存在が、自らの腰回りの“腹巻”のような

意味を持つことが、“象印”の教育論だと、

柴又の寅は理解することができた。

 

MC)後日譚。

 

柴又の寅は、あの夜の歌合わせにて

習いしことをもとに、

頼母子講の席を設けるイメージ。

 

あの夜の象山先生は偉大であり、

寅は、自らは、まだまだ小僧に過ぎぬ

と理解した。

だから、象山先生も、

寅の“小僧の神様”であった。

 

依りて、“象印”の“虎の巻”こそが、

様々なマドンナに出逢うための、

大きなヒントと、寅は感じたのである。

 

その頼母子講の席は、

巷では“六歌仙”と名高い、

小公女らとともに催された。

 

そこでは、“象印”の“虎の巻”を学び合い、

寅は、様々なマドンナを探す機会になる。

その場は、あたかも狂言の舞台であった。

 

その夜、柴又の寅は、

太郎冠者のようであった。

 

はじまりはじまり。

 

(静かに幕が開く)

 

太郎冠者)我は、“象印”の“虎の巻”を授かる。

依りて、お題は、我が腰回りの“腹巻”とす。

“御手元”、いや、“お手並み”拝見。

 

壱)小公女1曰く

 

意を得たり やがてわらわら 母となる

其の要(かなめ)とて 二話(庭)こそ大事

 

弐)小公女2が歌を返す

 

然りにて 庭にて運慶 はぐくみし

わらわは求む さらなる駿(はやお)

 

参)小公女3がさらに歌で応じる

 

知りたきは 殴りの加減 いかにして

生まれしときは みな“竹”千代にて

 

肆)小公女4が珍句を歌う

 

ゾウさんの 慕いし兄は キリンさん 

バンビを育てし 楽園のごとく

 

※ 佐久間象山の妻は、幕臣勝海舟の妹。

勝海舟の嫡子は、勝小鹿(かつころく)

という名であった。

 

これらの事実より、成立した一句。

 

太郎冠者)我、実に感嘆す。簡単である。

いやはや、あの時分の歌合わせは

“五月塾”にてであった。

 

トトロな歌心である。

“楽園”という言葉に惹かれる。

 

“象印”の“虎の巻”とは、

自らにとって、拾い物のようではある。

 

しかし、照らしてみれば、ここまでの流れ、

皆が長年探せし、マドンナに違いない。

 

伍)小公女5が珍句を継いでいく

 

さかりつく 犬がきばむく たまたまに

深傷(ふかで)を負うても われ西郷に見(まみ)ゆ

 

太郎冠者)これは愉快。

上機嫌である。成果なり。

麟太郎少年の股間に注目せし点、実に見事!

 

日本は、ご一新をなすに違いない。

“象印”の“虎の巻”、真骨頂はそこにあり!

 

陸)小公女6が歌で問う

 

われ望む キリンの庭の 子守唄

バンビを育てし そのわらべうた

 

太郎冠者)であろうな。

ならば、バンビを“組み立て”し、

わらべうたを御伽草子のごとくして、

我がミツバチになり、舞い歌わん。

 

ぶん ぶん ぶん』(村野四郎作詞・ボヘミア民謡)

 

ぶんぶんぶん はちがとぶ 

だいじにはぐくみ ほんよみたいせつ

“たこやき”に ならぬかも

 

“あかし”はね だしじると

こかんのあたりに なやみをあたえる

パパママの “おこのみ”ね

 

 

太郎冠者)“こんなもん”であろう!

“腕白”をしてしまった。

いや、我は“関白”、太閤秀吉なり。

 

それにしても、

このように御伽草子にまとまれば、

教育論とて構えずとも、よろしかろう。

 

皆、マドンナである。

お団子を一本ずつ差し上げよう!

 

いや、これはいかん。

団子屋育ちの性分が、つい出る。

 

あくまで、“棚ぼた”に過ぎぬ。

依りて、”ぼた餅”一個ずつである!

 

今宵の頼母子講は、実に趣深い。

浪漫チックである。

 

これにて、一件落着!

 

(人違いの“関白”宣言に、

拍子木が鳴り、拍手喝采の中、幕が閉じる)

 

MC)それでは、最後にまとめです。

 

1) “象印”の“虎の巻”を、

絵文字一つにまとめると、♨️になる。

 

湯(家庭)の中で、

湯気三本(昆布・育み・読書)が、ベスト。

 

このマーク♨️ こそ、

まさに“象印魔法瓶”のイメージなり。

 

2) 六歌仙のアイディアより、

♨️とは、“かぼちゃのポタージュ”を

お鍋の中で、コトコトと煮込んでいく

イメージなり。

 

ということでした。

ご参考になさってくださいね。

 

文責・味酒 ふびと 拝