多角化は万能薬ではない

多角化に成功する条件は、市場、技術、価値観の一致である。組織は、多角化していないほどマネジメントしやすい。単純であれば明快である。全員が自らの仕事を理解し、自らの仕事と全体の業績との関係を知る。活動も集中できる。

マネジメント 基本と原則 p 245 P.F.ドラッガー



組織には、もはやマネジメントが出来なくなるという複雑さの限界がある。トップマネジメントが事業とその現実の姿、そこに働く人、経営環境、顧客、技術を自らの目で見、知り、理解することができなくなり、報告、数字、データなど抽象的なものに依存するようになった時、組織は複雑になりすぎ、マネジメントできなくなったと考えてよい。

マネジメント 基本と原則 p 246 P.F.ドラッガー



多角化には、内的な要因と外的な要因がある。


欲求がある。同じことの繰り返しでは飽きる。違うことをしたくなる。働くことが退屈になる。この欲求はふまじめではない。いかなる組織といども、柔軟性を保ち、新しいことを試み続けるべきである。さもなくば変化の能力が委縮する。小さな変化さえできなくなる。かならずそうなる。

マネジメント 基本と原則 p 246 P.F.ドラッガー



通常は、規模の不適切さに対処するためには、経済連鎖における後方つまり原材料方向への一貫化、あるいは前方つまり市場方向への一貫化という形の多角化が必要とされる。事実いずれの一貫化も、規模の不適切さへの対策として行う時に限って効果がある。

マネジメント 基本と原則 p 246 P.F.ドラッガー



「娘の相手を探すときは、誰がよい夫になるかを考えるな。誰のよい妻になるかを考えよ。」ということわざがある。

マネジメント 基本と原則 p 253 P.F.ドラッガー



長期にわたる高度の成長は不可能であり、不健全である。あまりに急速な成長は組織を脆弱化する。マネジメントを不可能にする。緊張、弱点、欠陥をもたらす。それらの緊張、弱点、欠陥のゆえに、ちょっとしたつまずきが致命傷となる。今日の成長企業が明日の問題時になるという宿命には、ほとんど例外がない。成長そのものを目標にすることは間違いである。大きくなること自体に価値はない。良い企業になることが正しい目標である。成長そのものは虚栄でしかない。

マネジメント 基本と原則 p 260 P.F.ドラッガー



成長が必要であるとの結論に達しながら、自らの行動を変えることを欲していないことを自覚するにいたったトップには、一つの道しかない。身を引くことである。法的には企業を所有していても、他の人間の生活まで所有しているわけではない。組織は子供ではない。子供でさえ、独立させらければならなくなったことを認めざるをえない時が来る。組織とは人間の成果である。同時に、その法的な所有関係に関わらず負託である。責任あるトップは、自らが変化を望まないことを自覚する時、それまで育ててきた組織を窒息させ、いじけさせ、抑圧するであろうことを悟る。自らの成果たる組織の要求にこたえられないのであれば、身を引くことが自らの組織に対する責務である。

マネジメント 基本と原則 p 263 P.F.ドラッガー







ゴールデンウィークになると、道が混むので、ついつい外に行きたくなくなり、ドラッガーを読みたくなるというのが一年の行事になりつつあります。


運営することで、さらにしみいるドラッガー


こんなきっかけの言葉をもらいました!

ありがとう!


組織は目的でなく手段である。したがって問題は、「その組織は何か」ではない。「その組織は何をなすべきか。機能は何か」である。

マネジメント 基本と原則 p 9 P.F.ドラッガー



存続と健全さを犠牲にして、目先の利益を手にすることに価値はない。逆に、壮大な未来を手にしようとして危機を招くことは無責任である。今日では、短期的な経済上の意思決定が環境や資源に与える長期的な影響にも考慮しなければならない。

マネジメント 基本と原則 p 10 P.F.ドラッガー



真のマーケティングは顧客からスタートする。すなわち現実、欲求、価値からスタートする。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」を問う。

マネジメント 基本と原則 p 17 P.F.ドラッガー



イノベーションとは、人的資源や物的資源に対し、より大きな富を生み出す新しい能力をもたらすことである。

マネジメント 基本と原則 p 19 P.F.ドラッガー



利益の持つ機能とは何か?


1 利益は成果の判定基準である。

2 利益は不確定性というリスクに対する保険である。

3 利益はよりよい労働環境を生むための原資である。

4 利益は、医療、国防、教育、オペラなど社会的なサービスと満足をもたらす原資である。

マネジメント 基本と原則 p 21 P.F.ドラッガー



「われわれの事業は何か」を真剣に問うべきは、むしろ成功している時である。成功は常に、その成功をもたらした行動を陳腐化する。

マネジメント 基本と原則 p 25 P.F.ドラッガー



大きくなると懸命でないという上限もある。市場を支配すると惰眠をむさぼる。自己満足によって失敗する。市場を支配すると、組織の中に革新に対する抵抗が出てくる。外部の変化に対する適応が危険なまでに難しくなる。市場の側にも独占的な供給者に依存することにねづよい抵抗が出てくる。

マネジメント 基本と原則 p 30 P.F.ドラッガー



市場の8割を占めることは気持ちのよいことかもしれない。だが、1008割は2505割よりも小さい。供給者が一社の場合、市場は100でとまる。製品の用途を勝手に決め込む独占的供給者の想像力不足によって限界が設けられる。供給者が複数の時、一社では想像もできない市場や用途が発見され、開発される。市場は急速に250へと拡大する。

マネジメント 基本と原則 p 31 P.F.ドラッガー



市場において目指すべき地位は、最大ではなく最適である。

マネジメント 基本と原則 p 31 P.F.ドラッガー



良質の人材と資源を引き寄せることが出来なければ、企業は永続できない。産業全体としても、その衰退の最初の兆候は、有能でやる気のある人間に訴えるものを失うことである。マネジメント 基本と原則 p 32 P.F.ドラッガー



人にとって、働くことは重荷であるとともに本性である。呪いであるとともに祝福である。それは人格の延長である。自己実現である。自らを定義し、自らの価値を測り、自らの人間性を知るための手段である。未来学者がユートピアとして描く労働のない社会は本当に実現するかもしれない。しかしそのとき、人は人格の危機に直面する。労働の必要がなくなるとの予想を裏付ける兆候が皆無であることは幸運とすべきである。

マネジメント 基本と原則 p 59 P.F.ドラッガー



今日のところ、連邦分権組織に勝る組織構造はない。最大の利点は、明日を担うマネジャーの育成にある。連邦分権組織だけが、やがてトップマネジメントの責任を担うべき者を育成し、テストできる。この一事だけでも、連邦分権組織は他のいかなる組織構造よりも優れている。

マネジメント 基本と原則 p 210 P.F.ドラッガー



物体の表面積は直系の2乗倍、容積は3乗倍の割合で増加する。・・・この表面積と容積に関する法則は、規模と複雑さの間に密接な関係があることを意味する。組織が大きくなれば、その中身の大部分は外部環境から遠ざかる。そのため、組織の生命に不可欠な栄養素を供給すべき内部機関が複雑になる。こうして規模は複雑さを左右する。逆に、複雑さもまた規模を左右する。

マネジメント 基本と原則 p 236 P.F.ドラッガー



小さな組織は、大きな組織には出来ないことが出来る。小さな組織は、小さいだけでなく単純である。反応が早く機敏である。資源を重点的に投入できる。

マネジメント 基本と原則 p 236 P.F.ドラッガー


一人の人間が本当によく知ることのできる人間の数が、最大限12人から15人である。

マネジメント 基本と原則 p 237 P.F.ドラッガー

















出来事への固着は、じつのところ人類進化のプログラムの一端である。サバイバルできる穴居人をデザインしようとする場合、宇宙について沈思する能力は優先される基準ではあるまい。大切なのは、サーベルタイガーの姿を左の肩ごしにとらえ、すばやく反応できる能力である。皮肉なのは、今日、われわれの組織および社会の生き残りにとっての中心的脅威は、不意の出来事からではなく、徐々にゆっくり進行するプロセスからくることだ。例えば環境破壊、公的教育システムの腐朽、物的資本の衰退、設計ないし製品品質の低下・・・・これらはどれもゆっくりした漸進的過程である。

「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p32 ピーター・M・センゲ




人は経験からじかに学ぶのが一番身に着く。たしかに、食べることも歩くこともコミュニケーションも、直接の試行錯誤を通じて人は学ぶ。ある行動をとり、その結果を見て、次に新しい行動をとるのである。しかし、行動がもたらす帰結を観察できないとすればどうなるか?われわれの行動の帰結が、遠い将来に、あるいは自分を含む広大なシステムの遠い場所にあるとすれば?人はそれぞれ「学習地平」をもっている。これは時間・空間における視野の幅で、その枠内でわれわれは自分の働きを評価するのだ。しかし行動の帰結が自分の学習地平を超えたところにある場合、直接経験から学ぶことは不可能になる。

「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p34 ピーター・M・センゲ




生体組織は一体性を持つ。その性格は全体のありようしだいだ。同じことは企業組織にも言える。経営管理をめぐる難題を理解するには、その問題を生むシステム全体を眺める必要がある。この点に光を当てるのはイスラムのもう一つの寓話だ。3人の盲人が一頭の象に出会って、それぞれが声を上げる。「象は大きくてざらざらしたやつだ、幅が広くて絨毯みたいだ」と最初の男が象の耳をつかみながら言う。二番目の盲人は象の鼻をつかみながら、「真実をつかんでいるのは私だ。象はまっすぐで空洞の管だ」。三番目の盲人は前足を抱えながら言う。「象は力強くどっしりしていて、柱のようだ」と。イスラムの寓話はしめくくりにこう語っている。「彼らのようなやり方では、象を知ることは決して出来まい」「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p88 ピーター・M・センゲ




例えば管理職は、自分の期待がどれほど部下の実績に影響を及ぼしているか見過ごしがちだ。ある人物に高い潜在能力を認める、その人物に特別に注意をh来、能力を開発する。そしてその能力が開花すると、自分の最初の評価は正しかったのだと感じ、さらに支援する。逆に低い能力しかもっていないとみなされた人物は、なおざりにされてやる気をなくくし、無関心な業務態度をとるため、心の中で気にかけなかったことを正当化する。この現象は、心理学者ロバート・マートンが最初に「自己実現の予言」と名づけたものである。

・・・これは「ピグマリオン効果」としても知られる。ギリシャローマ神話の登場人物ピグマリオンから取っている。ピグマリオンは自作の彫刻の美しさをあまりにも強く確信したため、その彫像が人間になったという神話である。

「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p105 ピーター・M・センゲ




最初は池の片隅にたった一枚のスイレンの葉があるだけだ。ところが毎日葉の枚数は2倍に増える。池の水面が覆い尽くされるには30日かかるが、28日までは誰一人気付かない。29日目になって池の水面が半分おおわれてはじめて村人は心配し始める。しかしすでに打つ手はほとんどなく、翌日最も恐れていたことが現実となる。

「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p108 ピーター・M・センゲ




成長を無理強いせず、成長を制限している要因を取り除くことと成長限界

構造の理解と活用

成長限界の構造は組織のさまざまな段階に見られる。例えば、あるハイテク企業は新製品を次々と出すことができたため急速に成長する。新製品の売り上げが伸び、収益がアップし、研究開発の予算が増加し、技術者および研究者の数も増える。ところがついに技術系の人数が急増して組織が複雑化し、管理が困難になる。多くの場合、上級技術者が管理責任をおうことになり、エンジニアリングに費やす時間が少なくなる。こうして、最も経験豊富な技術者をエンジニアリングから話してマネジメントにあてることにより、製品開発に要する時間が長くなり、新製品導入ペースがダウンするのである。

「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p120 ピーター・M・センゲ




学習障害

時間的に隔たりのある原因と結果の因果関係は、学ぶことが困難である

「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p140 ピーター・M・センゲ




目的意識とは、一種の方向性、あちらの方向に行くと決めることが。一方ビジョンとは、一つの目的地であり、望ましい未来の映像だ。目的式は抽象であり、ビジョンは具象だといってもいい。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p177 ピーター・M・センゲ




結局、ビジョンとは本質的に固有のものであり、相対的なものではない。本来の価値を求めて欲するものであり、他人との関係で自分がどこにいるかという問題ではないのだ。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p179 ピーター・M・センゲ




ミスは大切な出来事である。そこにはたくさんの利益が隠れているのに、まだ利用できていないということだ。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p185 ピーター・M・センゲ


クリエイティブ・テンション(理想と現実の間の適切なチャレンジレベル設定)をマスターできれば、現実に対する心構え全体が根こそぎシフトするだろう。いまの現実の姿は的ではなく、味方になる。はっきりしたビジョンと同じように大事なのは、現実に関する正確で洞察力のある見方なのだ。だが現状を理解する上で、たいていわれわれは、さまざまな歪みを通して見ることになれてしまっている。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p186 ピーター・M・センゲ




心理学者が言うように、人間は物事を選択的に見るのである。

「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p192 ピーター・M・センゲ




実際、彼は自分のビジョンを表現するのが非常にうまく、まわりの人を威嚇してしまう。その結果、かれのビジョンは公に異議を唱えられることがめったになくなる。彼のそばでは、誰もが自分の意見やビジョンは表さない。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p274 ピーター・M・センゲ




真に責任をもって行動するとき、学習する速さは最大になる。逆に、自分の置かれている状況を思い通りにできなという無力感を抱いていたり、だれかに指図されていると思うとき学習意欲はそがれる。人は、自分の運命を左右するのは自分だとわかってはじめて進んで学習するのである。このため、組織の中枢からずっと下位の部門へと、ラーニングオーガニゼーションはできるかぎり権利を委譲して、ますます「分権化」していくと予想される。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p287 ピーター・M・センゲ




分権化に取り組んでいる組織では2つの課題が目につく。ひとつは、経営者が意思決定の権限を各事業単位にゆずるときの心的葛藤をどう扱うか。もう一つは、分権管理をいかにうまく機能させるかだ。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p289 ピーター・M・センゲ




ラーニング・オーガニゼーションが(失敗に)寛大なのは「失敗すること自体が十分罰に値する」からなのである。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p306 ピーター・M・センゲ




オブライエンはこう付け加えている。「年に12件も決断すれば、私にとって重要な年だったということだ。直接報告させる人間の人選や、方向性を定めたりはする。だが数多く判断するのに時間をついやしたりはしない。私の仕事は、組織が将来直面する重要な課題を見極めたり、だれかの判断に協力したり、総括的な義務である組織のデザインをおこなうことなのだ」「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p310 ピーター・M・センゲ




リーダーの目的物語は、個人的なものであると同時に普遍的なものでもある。それはその人のライフワークを定義する。彼の努力は物語によってより高尚になるが、自身の成功や失敗にとらわれ過ぎぬように常に謙遜を持って語られる。また彼のビジョンは、物語によってより深い意味を与えられる。長い旅路の途中で彼の個人的な夢やゴールが目標(ランドマーク)として目立つように、より広い情景が描き出される。・・・・彼の組織の目的と存在意義は「われわれはどこから来てどこへ行くのか」という命題の中で考えられることになる。この場合の「われわれ」とは、組織そのものをこえて、もっと広い意味で人類をさす。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p373 ピーター・M・センゲ




































問題にぶつかったらばらばらにするんだ、世界を細かく分解すればいい・・・幼いころからわれわれはそう教えられる。これで複雑な議題や課題やテーマも一見取り組みやすくなる。しかし、その裏に潜む莫大な代価をわれわれは支払うことになるのだ。なぜなら、行動のもたらす結果をもう予測できないからである。つまり、より大きな統一体とつながっているという実感が失われてしまうのだ。そこでわれわれは「大局を見よう」として、頭の中になる断片を寄せ集め、全部のかけらを項目に分け、意味あるまとまりを作ろうとする。しかし、それはむなしい。割れた鏡の破片を寄せ集めて正しい映像を見ようとするようなものだから。こうして、やがて人は全体をみる努力をすっかりあきらめてしまう。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p9 ピーター・M・センゲ



ラーニング・オーガニゼーションが可能なのは、実際、だれもが学ぶものであるからだ。幼児に学び方を教える必要はない。何も教えなくたっていい。幼児は根っから好奇心旺盛な学習名人である。歩くのも、話すのも、家じゅうを走り回るのもひとりでに覚えてしまう。ラーニング・オーガニゼーションが可能なのは、このように学ぶことがわれわれの本性であるからだけでなく、好きだからでもある。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p10 ピーター・M・センゲ



新しいアイデアは、その有効性が実験室で実証されれば「発明された」と技術者は言う。だが有意義な規模と現実的なコストで安定した複製ができてはじめて、そのアイデアは「イノベーション」となる。それが電話とかデジタル式計算機、商業航空機のように十分な重要性を持つ場合、「ベーシックイノベーション」と呼ばれ、新たな産業を生むか、既存の産業を変容させる。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p13 ピーター・M・センゲ



システム思考

雲が広がり、空が暗く茂り、植物の葉が反り返る・・・するともうじき雨だとわかる。そして嵐が過ぎれは、雨水は何キロも先の地下水をうるおし、空は明日には晴れるのをわれわれは知っている。こうした出来事は、時間も空間もかけ離れた現象なのに、すべてが同じパターンの内部で結びついている。それぞれが残りの部分に影響を与え、その影響はたいてい目には見えない。嵐のシステムを理解するには、パターンの個々の部分ではなく、全体を考慮しなければならないのだ・「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p14 ピーター・M・センゲ



自己マスタリー

高い習熟を身につけた人は、彼らが特にこだわりをもつ結果を安定して実現することができる。要するに、芸術家が作品に向き合うように人生に向き合う。みずからの人生をかけた学習に心から取り組むことによって、それはかのうになる。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p15 ピーター・M・センゲ



共有ビジョンの構築

リーダーシップに関して数千年もの間幾多の組織を導いてきた一つのアイデアがあるとすれば、それは、達成すべき将来のイメージを共有することであろう。・・・(中略)・・・本物のビジョンがあれば、人々は学び、力を発揮する。そうせよといわれるからではなく、そうしたいがゆえに。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p17 ピーター・M・センゲ



共有ビジョンを作るのに必要なものは、お義理ではなく心からの参加と献身を育む共通の「将来像」を掘り起こす技術だ。経営者たちはこれを習得する中で、どんなに善意であれ、ひとつのビジョンの押し付けは生産性を阻害することを学ぶ。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p18 ピーター・M・センゲ



ディシプリン(学習し習得するべき理論および技術の訓練)を実践するとは、生涯学び続けることだ。「ゴールに到達する」ことは決してない。一生かけて修得に励むのである。学べば学ぶほど、自分の無知を痛感するようになる。このように企業は、優秀さの永続する境地に達したという意味で「優秀」であることはできない。いつでも企業は学習ディシプリンを実践している状態に、すなわり、よくもなり悪くもなる状態にあるのだ。「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p19 ピーター・M・センゲ



高邁なビジョンだけでは会社の運命を逆転することはできない。システム思考を持たなければ、ビジョンの種は荒涼たる土壌に落ちる。システムなき思考がはびこれば、ビジョンを育てる第一条件が満たされない。すなわち、自分たちのビジョンを将来実現できるという心からの信念がそれである。「われわれのビジョンは達成できる」と口にはするかもしれない。しかし、今の現実をだれか他人がつくったものとしてみる暗黙のイメージが、その言葉を裏切るのだ。

「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p20 ピーター・M・センゲ



企業自体の繁栄だけでなく、社員の福利と成長にも心を砕くような、分権化し、階層的でない組織「最強組織の法則・・・新時代のチームワークとは何か」 p23 ピーター・M・センゲ










ローマ人の物語・・・・・はまっています。

おもしろかったところを書きぬきました。

シェアさせてください。


イタリアの普通高校で使われている、歴史の教科書

「指導者に求められる資質は、次の5つである。

知性、説得力、肉体上の持久力、自己制御の能力、持続する意思。

カエサルだけが、このすべてを持っていた」「ローマ人の物語(8) ユリウス・カエサル ルビコン以前 上」前文 塩野 七生


ユリウス・カエサル

「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」「ローマ人の物語(8) ユリウス・カエサル ルビコン以前 上」前文 塩野 七生

私個人は先にも述べたように、虚栄心とは他者から良く思われたいという心情であり、野心とは、何かをやり遂げたい意志であると思っている。他者から良く思われたい人には権力は不可欠ではないが、何かをやり遂げたいと思う人には、権力は、ないしはそれをやるには必要な力は不可欠である。ところが、虚栄心はあっても野心のない人を、人々は、無欲の人、と見る。またそれゆえに、危険でない人物、と見る。かつがれるのは、常にこの種の「危険でない人」である。「ローマ人の物語(10) ユリウス・カエサル ルビコン以前 下」p177 塩野 七生



人間だれでも金で買えるとは、自分自身も金で買われる可能性を内包する人のみが考えることである。非難とは、非難される側より非難する側を映し出すことが多い。「ローマ人の物語(10) ユリウス・カエサル ルビコン以前 下」p196 塩野 七生


まことに不利な情勢にあった場合、人は2種に分かれる。第一は、失敗に帰した事態の改善に努めることで不利を挽回しようとする人であり、第二は、それはそのままでひとまずは置いておき、別のことを成功させることによって、情勢の一挙挽回を図る人である。カエサルは、後者の代表格といってもよかった。「ローマ人の物語(11) ユリウス・カエサル ルビコン以後 上」p123 塩野 七生


カエサルという男は、他者を増悪するという感情を拒否した人間だった。増悪とは、対等か、でなければ上位にあるものに対して抱く感情であるからだ。他者に対しての絶対の優位を自負していたカエサルが、憎悪という、劣等者の感情を拒否したもの当然だった。「ローマ人の物語(11) ユリウス・カエサル ルビコン以後 上」p190 塩野 七生

歴史はときに、突如一人の人物の中に自らを凝縮し、世界はその後、この人の指し示した方向に向かうといったことを好むものである。これらの偉大な個人においては、不変と特種、留まるものと動くものとが、一人の人格に集約されている。彼らは、国家や宗教や文化や社会危機を、体現する存在なのである。危機にあっては、既成のものと新しいものとが混ざり合って一つになり、偉大な個人の中において頂点に達する。これらの偉人たちの存在は、世界史の謎である。ブルクハルト「世界史についての考察」より



いかなるシステムにも生命はある。カルタゴを降して地中海世界の覇者になったローマに、勝者の混迷が襲う。理由の第一は、いかなるシステムも避けることのできない動脈硬化現症。第二は、勝者になったが故の、直面する問題の質の変化。それまでプラスに機能していたと同じものが、環境の変化によって、マイナスに機能するように変わったのである。「ローマ人の物語(12) ユリウス・カエサル ルビコン以後 中」p109 塩野 七生


人間にとっては、ゼロから立ち上がる場合よりも、それまで見事に機能していたシステムを変える必要に迫られた場合の方が、よほどの難事業になる。後者の場合は、何よりもまず自己改革を迫られるからである。自己改革ほど、とくに自らの能力に自信を持つのに慣れてきた人々の自己改革ほど、難しいことはない。だが、これを怠ると、新時代に適応した新しいシステムの樹立は不可能になる。「ローマ人の物語(12) ユリウス・カエサル ルビコン以後 中」p109 塩野 七生

(カエサルは)自分にある種の才能が欠けていてもそれ自体では不利ではなく、欠けている才能を代行できる者のと協力体制さえ確立すればよいということを、教えたのであった。「ローマ人の物語(13) ユリウス・カエサル ルビコン以後 下」p159 塩野 七生


一級の司令官ならば必ず退路を考えて戦場に出る。だが、そのようなことはおくびにも見せない。この一戦にすべてを賭けていると思わせなければ、兵士たちを、死につながるかもしれない戦闘に追いやることなどはできないからである。「ローマ人の物語(13) ユリウス・カエサル ルビコン以後 下」p212 塩野 七生


戦士で富は作れるが、富では戦士は作れない。「ローマ人の物語(13) ユリウス・カエサル ルビコン以後 下」p222 塩野 七生



カエサルは、征服された民族が反旗をひるがえすのは、民衆が自主的に蜂起するからではなく、民族の支配層が扇動するからであることを知っていた。そして、支配層が不満をもつのは、他国民に征服された結果、自分たちの権威と権力が失われるからであるのも知っていた。「ローマ人の物語(14) パクス・ロマーナ 上」p85 塩野 七生


経済人ならば政治を理解しないでも成功できるが、政治家は絶対に経済がわかっていなければならない。「ローマ人の物語(14) パクス・ロマーナ 上 」p125 塩野 七生


平衡感覚とは、互いに矛盾する両極にあることの、中間点に腰を据えることではないと思う。両極の間の行き来を繰り返しつつ、しばしば一方の極に接近する場合もありつつ、問題の解決により適した一点を探し求めるという、永遠の移動行為ではなかろうか。「ローマ人の物語(15) パクス・ロマーナ 中 」p31 塩野 七生

自由と秩序は、互いに矛盾する概念である。自由を尊重しすぎると秩序が破壊され、秩序を守ることに専念しすぎると、自由が失われる。だが、この二つは両立していないと困るのだ。自由がないところには進歩はなく、秩序が守られていないと、進歩どころか今日の命さえ危うくなるからだ。「ローマ人の物語(15) パクス・ロマーナ 中 」p32 塩野 七生


公正を期して作られるのが法律だが、そのあまりにも厳格な施行は不公正につながる。「ローマ人の物語(15) パクス・ロマーナ 中 」p32 塩野 七生



無理強いは永続にとって最大の敵なのである。「ローマ人の物語(15) パクス・ロマーナ 中 」p88 塩野 七生


アウグストゥスは、後継者への引き継ぎを支障なく実現する最上の方法は、その人物が後継者であることを万人が事前に知っていることであると考えていた。協力者から共同統治者への格上げは、その意図でなされたのである。「ローマ人の物語(15) パクス・ロマーナ 中 」p142 塩野 七生

政治とは、小林秀雄によれば、「ある職業でもなくある技術でもなく、高度な緊張を要する生活」であるという。消化器系が弱くうまれなくても、弱くなるほどのプレッシャーの連続なのだ。この状態を生き抜くのに必要な資質は、第一に、自らの能力の限界を知ることも含めて、見たいと欲しない現実までも見すえる冷徹な認識力であり、第二には、一日一日の労苦のつみ重ねこそ成功の最大要因と信じて、その労をいとわない持久力であり、第三は適度の楽観性であり、第四は、いかなることでも極端にとらえないバランス感苦であると思う。「ローマ人の物語(16) パクス・ロマーナ 下 」p34 塩野 七生





昔から読みたいと思っていたローマ人の物語を読み始めています。

全34冊のうち、7冊目まで来ています。

おもしろかった文をご紹介。


天才とは、その人だけに見える新事実を、見ることのできる人ではない。誰もが見ていながらも重要性に気付かなかった旧事実に、気づく人のことである。

塩野 七生 ローマ人の物語 4 ハンニバル戦記 中 p127

いかに巧妙に考案された戦略戦術でも、それを実施する人間の性格に合っていなければ成功には結びつかない。人はみな、自分自身の肌合いにもっとも自然であることを、もっとも巧みにやれるのである。

塩野 七生 ローマ人の物語 4 ハンニバル戦記 中 p130

・・・ハンニバルは答えた。「多くのことは、それ自体では不可能事に見える。だが、視点を変えるだけで、可能事になりうる。」

塩野 七生 ローマ人の物語 4 ハンニバル戦記 中 p164


高齢者だから、頑固なのではない。並みの人ならば肉体の衰えが精神の動脈硬化現象につながるかもしれないが、優れた業績をあげた高齢者にあらわれる、頑固さは違う。それは、優れた業績をあげたことによって、彼らが成功者になったことによる。年齢が、頑固にするのではない。成功が、頑固にする。そして、成功者であるが故の頑固者は、状況が変革を必要とするようになっても、成功によって得た自信が、別の道を選ばせることを邪魔するのである。ゆえに抜本的な改革は、優れた才能はもちろんながらも、過去の成功には加担しなかったものによってしかなされない。しばしばそれが若い世代によって成し遂げられるのは、若いがゆえに、過去の成功に加担していなかったからである。

塩野 七生 ローマ人の物語 5 ハンニバル戦記 下 p22


優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思われることに成功した人でもある。持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。

塩野 七生 ローマ人の物語 5 ハンニバル戦記 下 p53


ローマは、これでギリシア問題も解決したと思ったのである。お灸も、十分にすえた。ギリシアの諸都市問題も、マケドニアの脅威に怯えることはなくなった。しかし、介入とはそれが政治的であれ、経済的であれ、また軍事的であろうと何であれ、相手とかかわりをもったということである。しして、かかわりとは、継続を不可避にするという、性質をもつものでもあった。

塩野 七生 ローマ人の物語 5 ハンニバル戦記 下 p110


スキピオ・エミリアヌスは、眼の下に広がるカルタゴの都市から長い間目を離さなかった。建国から700年もの歳月を経て、その間ながく繁栄をきわめていた都市が落城し、がれきの山と化しつつあるのを眺めていた。・・・人間に限らず年も、国家も、そして帝国も、いずれは滅亡を運命づけられていることに想いをはせずにはいられなかったのである。

塩野 七生 ローマ人の物語 6 勝者の混迷 上 p16

・・・収穫物は多数の奴隷を使う大規模農園の収穫物に価格競争で敗れ、売れないか値をたたかれるかして苦境に陥っている。その苦境を乗り越えようと借金をする。だがそれも、所詮は無駄なあがきにすぎない。問題はローマの農民の勤労意欲になったのではなくて、ローマの農業の構造の変化にあったからである。

塩野 七生 ローマ人の物語 6 勝者の混迷 上 p47

失業者とはただ単に、職を失ったがゆえに生活の手段を失った人々ではない。社会での自らの存在理由を失った人々なのだ。・・・多くの普通人は、自らの尊厳を、仕事をすることで維持していく。ゆえに、人間が人間らしく生きていくために必要な自分自身に対しての誇りは、福祉では絶対の回復できない。職を取り戻してやることでしか回復できないのである。

塩野 七生 ローマ人の物語 6 勝者の混迷 上 p48

狭い視野しか持たない人が、政治上の理由でなされることでも私利私欲によると思い込んでしまうのは、今にはじまったことではないのである。

塩野 七生 ローマ人の物語 6 勝者の混迷 上 p62

同じ権利を持たないものに、同じ義務を求めることはできない。もしも同等の義務を負わせたいならば、同等の権利も与えねばならなかった。

塩野 七生 ローマ人の物語 6 勝者の混迷 上 p75

人類史上初めて法治国家の理念を打ち立てたローマ人は、法というものは永劫不変なものではなく、不都合になれば変えるべきものであると考えていた。その変え方も、法の改正というやり方ではしない。従来ある法を改めるとなると、どうしたって及び腰になるからだ。及び腰になっては、法を改めるときを逸する。それでローマ人は、従来ある法の改正ではなく、原状に適合した新しい法を成立させ、旧法の中でそれに触れる部分は自然解消するというやり方をおとっていた。

塩野 七生 ローマ人の物語 6 勝者の混迷 上 p96

ゲシュタルトセラピーという心理療法があります。


自分が調子が悪いのは、自分のせいだと知ることからはじめます。



なんかむしろ自分を批判するようで調子が悪くなるのではないかと一見思ってしまうのですが、さにあらず。




自分のせいであるからこそ、自分が変えることができると信じることが可能になります。


すべてが他人のせいであったら、自分の変化させることのできる余地がありませんから。



多くの経営者、偉人はむしろ自分のせいを信じています。


だから、変えることの苦難に対して”耐性”を持ちうるのです。



他人のせいにして無力感を感じること


vs


自分のせいにして、新しい可能性を見つけること




これが、現在を変化させる糸口になるということは、多くの先人が指摘するところだと思っています。

マトリックスという映画を見直して見るといいというお話を聞き、見直してみました。



曰く


”早く動こうと思うな、動けると知れ”



という言葉が出てきます。




動こうと思う・・・・・・と願うことそのものの奥には、それが難しいと思う気持ちも同時に作ってしまうという点を指摘しているのです。


むしろ”知っていること”の方が大事という指摘です。



曲げようと思うな、曲がると知れ

やろうと思うな、やれると知れ


一流とそうでないものを分けるものはわずか


そのわずかなところに、心が関係しているとすれば


そういうわずかな心持ちの及ぼす影響が、あるのです。



クリニックを立ち上げる時、不思議と背伸びする感じはなかった。


”時が満ち、自らが前に進む”


無理ではなく、ある日脱皮する日が来ているのを知る



そうして1年がたちました。


はじめてよかったと実感する日々です。




理念=自分が決めた自分の役割



ここにどれだけ愚直になれるかが、組織の


そして自分の人生に大事だなとこの2ヶ月間で気がつきました。



スタートした直後、とっても収入的に有利なお話をいただきましたが、

理念に照らし合わせた末、お断りすることにしました。



自分達の本業は何か?

自分達が果たしたい役割は何か?



それが実践できたかどうかだけで決まってしまうのであるのだから、

他の人がやってくれることは、その人にお任せしたい。



そして、自分たちのありったけの力を、

自分達の一つ一つの行動、あり方、結果につなげていけるように


細部に神が宿るように


祈るようにして、


磨くようにして、


そして、注意深く


かつ、元気に明るく


できたら、


さぞ満足いく人生が送れるのではないかと


期待しているのです。