いつかは自分で自分のチームを作るのだろうな・・・・・・


おぼろげにそう考えていたものの、


”どうしても作らなきゃいやだ”というところまでなかなか高まらないのが自分だった気がします。


それは自分が悪いとか、そうではないという問題ではなく、


ただ潮が満ちてきていなかったので、そうならなかっただけのような気がしています。




今は、潮が満ちてきたから、自分に与えられた場所で、与えられた使命を実践することが


もっともわくわくするのです。



気がついていたら、始めていた・・・・・


という感覚に近いので、不思議な感じです。



・・・・・・・ということで、はじめてみてわかったこと。




自分で組織を作り、始めることは、

無理やりやることでなく、

ある日、卵の殻が破れて、誕生するように始まることだった


という自分の体験。



2009年4月1日から訪問診療を行うクリニックを立ち上げました。


話せば長いことになるので省略しますが、


1997年に作成した人生イメージ図通りといえばそのとおり。



ワタミの社長さんの本を読んでいて見つけた言葉


”自分は、自分の存在による効果を、最大限にすることが楽しいのだ”・・・・・・




うなずいてしまいました。



まさに、自分のいる意味を最大限にするために、今ここに自分がいる気がしています。



すべてのプロセスは、一つ一つが意味をもち、その総和としての自分が今ここにいる。


とてもありがたいことです。



PS:ここしばらく留守にしていた間に特に影響を受けた本を紹介しておきますね。


松下幸之助 経営100話(CD)

ローマ帝国の興亡についての本:塩野七生

長らく・・・・・・・・・といっても2年ほどブログを休憩していました。


なんと友達のブログで、僕のブログが紹介されているのを発見し、

http://koji.jobweb.jp/


逆に思い出してしまったページです。


またつらつらと始めようかな。



ひたすら動く時期と、


ひたすら動かない時期があるのだと思っています。



友達達のブログを見ると、とっても刺激されます。


3年近く毎日本を読んでいる

http://retz.seesaa.net/


ひたすらに、道を究める友達に感謝。



頭が下がります。




現代版 孫子の兵法(注釈③)

孫子の言葉に

「人に致して、人に致されず」

(ひとにいたしてひとにいたされず)

という言葉があります。

孫子は自分が絶対勝てる戦場をまず規定し、そこに相手がでてこざるを得ない状態を形成することを目標としています。

自分で能動的に決めた”主戦場”で戦うことを誘導する。

これは”先”という概念ですが、自分がまず主導権を持つことを重要だと思っているのです。

自分の有利な体制に導くため、徹底的に調べ上げ、それに布石を打っていく。

これがほとんど戦国時代に名を残した武将のやっていることです。

自分の主戦場を定義する。(自分の生涯やっていきたい事を決める)

有利な体制を作る。(キャリアプランを考える)

障害物をどかす。

先手必勝というと早い者勝ちという風にしか聞こえませんが、自分の主戦場を意図しつつ先手が取れることが重要ですね。

孫子の言葉に

「先ず勝ちて、しかる後に戦う」
(まずかちて、しかるのちにたたかう)


というのがあります。

絶対負けない状態にしておいた後に戦いを始めるということですが、現代社会においても有用だと思います。


例えば商売で言えば、まず注文を受けてから商品を作ること。
(注文を受ける=勝つ、商品を作る=戦う)


企画で言えば、まず参加を決めてもらってから企画を考えること。
(参加=勝つ、企画を考える、作る=戦う)


就職で言えば、まず採用を決めてもらってから資格を取る。
(採用=勝つ、資格を取る=戦う)


ということです。

理想形だと思いますが、当然そんなこと簡単にできるはずがありません。

ただし、もっともリスクが少ない道(成功しやすい)で、努力が報われるのはこういう形ではないかと考えるのであればここをめざすべきでしょう。


(そしてこの体制は歴史的にも多くの事例で成功することが証明されています:
→例えば、豊臣秀吉が合戦するときに、敵の兵力の2倍を持つことを心がけていたということなど・・・・)


ここで”まず注文を受ける、まず参加してもらう、まず採用してもらう”ということは、実際相手に出会って、現状を教えてもらうという行為です。

これは”マーケティング=市場を知る”ということにあたるのだとおもいます。


職探しで言えば採用してもらえるためには、どのような条件が必要なのかを明らかに、その上で努力をしていくこと
(相手がいないのにむやみに資格を取らないこと)が大事なんじゃないかと思っています。


自分が5年後、10年後にいたい場所があるとする。


そこに採用されるためにゆっくりと準備するのがいいんじゃないかと思います。

そして複数から内定をもらうように努力することがいいと思います。

国盗り物語

国盗り物語を読みました。“盗り”というだけあってなかなか登場人物は曲者。

司馬遼太郎の本なのでそれぞれに脚色を加えつつ、人としてのふくらみが持たされ生き生きとかかれていて読み応えがあった。

歴史の時間に学んだような通りいっぺんとうな知識ではなく、人物としてよく理解できた。

道三について

博識と胆力を最大限に設定した性格

悪名を物ともしないがゆえに成功したが、その悪名のため後年成長を阻害された。

商売人としての道に明るく、実行力を持っていた。

乞食からはじめたから、全国制覇までに時間切れとなった。

守りに入った時から、運が落ちた。

自らを強く律し、自己鍛錬に力を注いだ。

信長について

“責める管理”で規律の高い軍隊を調教せしめた。

情に疎く、無駄な殺生が多かった。

美的感覚重きを置いていた。

自分の思想を表現しうる言葉を持ち合わせなかった。

強運の持ち主で、常に天は味方にあった。

小大名からはじめたが、性格が災いして暗殺された。

自らを強く律し、自己鍛錬に力を注いだ。

秀吉について

環境適応能力に優れ、政治感覚に富む天下人であった。

常に明るく、陽の気を発し続けた。

上司に対しての常に付加価値を提供せしめた。

政治的駆け引きの奥行きをもつほど苦労してきた。

家康について

信義を重んじ、待つことができた。

弱小大名に生まれ政治的駆け引きの奥行きをもつほど苦労してきた。

光秀について

自らを頼む気持ちが強く、その気持ちは能力向上に貢献する反面、ついに信長を討った。

形式主義で、優等生から離脱できなかった。

明るさに欠け、ユーモアがなかった。

政治的駆け引きの奥行きをもつほど苦労してこなかった。

以上から導き出した天下人にどれだけ迫れるかの期待値は以下のようになるような気がしました。

もっとも大事なのは、寿命×(明るさ、人徳、政治的駆け引き)というもので、現在同様生誕した境遇はこの時代には大きく影響しにくかったようです。

天下人値=寿命×【生誕した境遇 +[明るさ]×[人徳]×[駆け引き]】

日本の歴史本を読むときに至っても、孫子的な不利・有利の判断基準(以下)を加味して考えるべきだということを再度確認しました。さすが孫子ですね。

道徳・法的に正しい道か?

時代の流れにあっているか?

局所の地形に適しているか?

人的に優れた人を集められるか?

規律統制の取れた集団でいるか?

司馬遼太郎にいよいよはまって来ました。


「俄・浪華任侠伝」×2

「新太閤記」×2

「峠」

「坂の上の雲」

「竜馬がゆく」


を読みました。(×2は2回読んだの意)


通勤の合間に読むのですが、これは実に楽しい。

電車のなかでくすくすわらってしまうのが時に恥ずかしいです。


全体から感じられる共通点を考えるとすれば


○ 人としての価値を決定しているものは”覚悟”である。

すべての人の営みはその覚悟という因子を掛け合わせることで、かぎりなくゼロにも無限にもなる。

「俄(にわか)・浪華任侠伝」「竜馬がゆく」


○ 人間として愛すべき人のみが最終的に選別されていく。

賢い人がごまんといる中で、誰を選び、誰を選ばないかと言う選択が常にさまざまな人によってなされている。みんなから選ばれ続けた人が最後に残っていく。

「新太閤記」「竜馬がゆく」


○ 人と異なることを徹底的に磨いた人のみが、大衆に埋もれない。

「新太閤記」 :秀吉の諜報戦略

「俄」        :万吉の覚悟

「竜馬がゆく」  :海外の情報入手と海軍、北辰一刀流免許皆伝


○ 生れ落ちた場所、境遇によってさまざまな心理的初期設定がなされ、それが無意識のうちに多くの決定事項に反映される。

「竜馬がゆく」  :竜馬が身分の低い郷 士の出身で、土佐藩に取り立てられなかったがゆえに、藩よりむしろ国という立

場を第一に考えることができた。

「峠」       :長岡藩に生まれ、江戸・京都から遠いというだけで精神的にも、物理的にも圧倒的に不利な役回りになってしまった現実。


○ 司馬遼太郎の脚色もあるだろうが、全体を貫く大和魂の清廉さ、人としての”道”を極めようとする日々の営みに取り組む先人の様子。日本人(同郷人)としての感嘆すべき実績をしることができる。


○ 国と言う概念は何かを考えさせる。


おそらく、

縄文・弥生時代には村が自分の生活圏

江戸時代には藩が

明治~昭和時代には国が


自分の生活圏であり”味方”とは誰かを規定する範囲であったのであろう。


それは、交通手段の発達と、生活圏外の集団と自分達がいかに異なるかによって規定される。


こんど宇宙人が攻めてくれば、世界は一つになるってことだな。(江戸時代に、外国船が日本に来た時と同様)


歴史は繰り返しそうですね。

本はまとめてどかんと読みます。

基本的に気に入った人がいれば、その人の本はことごとく読むよう心がけています。


大抵繰り返しになってきますが、意外なことに初期のころの作品ほどその人の本当にいいところが凝集されているような気がします。


さまざまな引用をのせているので、大体読んだ本はわかると思いますが、僕自身の人生の分岐点とその意味を含めて書いてみたいと思います。


高校時代

「ゆたかさへの旅」 森本 哲郎

:職業選択にあたって”ゆたかになりたい”、”しあわせになりたい”とみなはいうが、そもそもゆたかとは?、しあわせとは?が定義されない限りそうはなれまい・・・・と思って手にとった本です。

哲学者である著者が、インドで考えた”本当のしあわせ”について書いています。

まさにここが原点であった気がする。


大学時代

① 「人脈術」 中谷 彰宏

:面接の達人で有名な中谷さんが比較的はじめの方に出した本。これは先輩から薦められて読んで感動しその後200冊ほど中谷本を買い占めるきっかけとなった本。200冊読んだなかから得にいい本を選び、僕はこれを”中谷教”と勝手に命名し自分で買っては、人に配って歩いたりしました。

特によかった本を順に述べると


第一位 「運を見方にする達人」               =留学して苦しかったとき毎日拝んで読んだ本。

第二位 「入社3年目までに勝負のつく77の法則」   =研修医の時のこころがけの元になった本。

第三位 「大学時代にしなければならなり50のこと」  =学ぶことの姿勢を得た本。

ですね。(3/200という難関です。まだほかにも時に応じてよりよい本がありますよ。)


② D.カーネギー 「道は開ける」「人を動かす」

この本は究極です。

人間とは何たるかを指し示し、人間関係で起こりうるトラブルすべてに一定の見解を示しているまさにベストセラー。世界中の多くの経営者が読んでいる代表的な本の一つでしょう。

感動して、買って配っていたとき、父親に薦めてみたことがありました。


そうしたら父親いわく

「おお、お前のこの本がわかるようになったか。おれも配って歩いていた。」

と言われて笑えてしまった。

親子2代で配って歩いています。


③ 「Flow theory」 Mihaly Csikszentmihalyi

留学中にとった心理学の授業で扱ったフローセオリーの元本。

このブログに簡単な概念だけは紹介しています。

この”飽きる”という事象と”成長する”と言う概念を結び付けて考えたことがえらい。

多くのことがこのセオリーにより単純化されて考えられると思っています。


社会人になってから

① 田坂広志 「仕事の報酬とは何か」
働くことの意義をつまびらかに説明し、いきかたとしての”仕事観”を解説します。

古い概念であるのに、新しく感じられること。

また、一言ひとことにこもる言霊に感動します。


② P.F.ドラッガー 「ネクストソサイアティ」

知の巨人ドラッガーの名声は聞いたことがあるものの、その難しそうな名前から敬遠しておりましたが、読んでみると単純明快、流れるような論理展開に心躍る話でした。

世界のきしかた、ゆくすえをつまびらかに明らかにし、現代の潮流の中で幸せに生きて行きたい人が、なにを準備するべきかを示す指針と思っています。


かなり読みました。


③ 司馬遼太郎 「俄 浪華遊侠伝」 「峠」 「新史太閤記」 「坂の上の雲」

人の一生をコマ送りして読む。

これらの本を読むにはそういう趣がある。

そのいきかた、生き様、粋・無粋など千差万別であるが、そのいちいちの考え方、行動などがどのようにその後の人生に影響するのかがおどろくほど俯瞰できる。

やくざものの話から、侍の話まで。

共通するのは、自分の信条、周りの人にどのように接しているかの2要素によってさまざまな人生のイベントが形成されていくこと。

司馬遼太郎のいわゆる”司馬史観”という歴史の視点から書いてあるとはいえ、自分の生きているこの時間の上流に、この本たちの登場人物が本当に存在していたということが一層真実味をもって登場人物と対峙できる気がする。


④ 孫子

2000年以上前の兵法家の本であるが、農民から転用したような兵しかいなく、しかも自軍の軍勢が少ない時にどうたたかうべきかと書いた本。

感動的。

野中 幾次郎 「失敗の本質」という第二次世界大戦の日本軍の負けた理由とあわせて読むと、日本軍が痛々しいほど孫子が”負ける”といったやりかたをやってしまっていることに気がつく。

武田信玄、曹操、ナポレオンなど名だたる策士が研究し尽くしたのちさらに洗練されて現代に生き残った名著中の名著。

生き残った長さがその価値の高さを示しているような気がします。


その他で魅力的な本

中野孝次 「人生を励ます言葉」    古今東西の人生にまつわる英知が一冊に詰まった珠玉の本

ミヒャエル・エンデ「モモ」         現代人が忘れてしまったしあわせを再度見つめなおす本。

P.Fドラッガーを読んで考えたことを書いてみます!

読むきっかけいろいろな人の薦める本の一覧を見ていたとき、ドラッガーの名前が多く出てくるのに興味が引かれ読んでみました。

サイバーエイジェントの藤田さんが読んで感動し、起業のもとにしたと言われる「ネクスト・ソサイエティ」を含め20冊程度買って読みました。 そして例によってまた“写経”がてら入力、自分なりの解釈をつけました。


そもそもドラッガーは1909年ウイーンに生まれ、2005年11月11日に95歳でなくなりました。多くの経営者に影響を残し、かのイギリスの宰相ウインストン・チャーチルをして、“ドラッガーの魅力は読者の頭脳を刺激することである”と言わしめた人です。いろいろな混沌としたものを明快なメッセージによって体系化させてくれる数少ない実地哲学者だと思います。


自分的には、ど真ん中にヒットしている人です。


事を成すには選択と集中が不可欠

「仕事ができる者は、多くのことで成果をあげなければならないことを知っている。だからこそ集中する。集中するための原則は、生産的でなくなった過去のものを捨てることである。第一級の資源、特に人の強みという稀少な資源を昨日の活動から引き揚げ明日の機会に充てなければならない。昨日を捨てなければ明日をつくることはできない。 意識して体系的に廃棄をしないかぎり、組織は次から次へと仕事に追われる。行っていてはならないこと、もはや行うべきではないことに資源を浪費する。そのため、せっかくの機会を利用するうえで必要な資源、とくに有能な人材が不足する。 あまりにもわずかの企業しか昨日を捨てていない。あまりにわずかの企業しか明日のために必要な資源を手にしていない。」

P.F.ドラッガー 「明日を支配するもの」


「まだ行っていなかったとして、かつ今知っていることをすべて知っていたとして、今これを始めるかを問わなければない。答えがノーであるならば、次の反応は、それでは何を行うかでなければならない。」

P.F.ドラッガー 「明日を支配するもの」


「いかなる組織といえども、多くの分野において卓越することはできない。しかし、一つの分野において卓越することはできる。成功するには、この一つの分野における卓越性に加えて、多くの分野において並以上でなければならない。」

P.F.ドラッガー 「創造する経営者」


「自らの中核的能力をいかに識別するか。強みの向上や低下をいかに知るか。強みは適切か、変える必要があるかといかにして知るか。 そのためには、自社および競争相手の仕事ぶりをフォローし、予期せぬ成功を見つけ、さらには予期せぬ失敗を見つけなければならない。予期せぬ成功は、市場が高く評価し、喜んで支払いを行ってくれるものを明らかにする。それはリーダーの地位を得るために必要な優位性の存在を教える。他方、予期せぬ失敗は、市場の変化、あるいは自らの能力の低下を教える。」

P.F.ドラッガー 「明日を支配するもの」


結果としてある個人にとっては選択と集中のみが成果につながる。突き詰めれば“一隅を照らす”ことが生涯のアウトプットとして評価されると言うこと。すなわち


[私が13歳のとき、宗教の先生が“何を持って憶えられたいかね。”と聞いた。誰も答えられなかった。すると、“答えられると思って聞いたわけではない。でも50歳になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ。”と言った。 私は、いつもこの問いを自らに問いかけている。これは自己刷新を促す問いである。自分自身を若干違う人間として、しかし、なりうる人間としてみるように仕向けてくれる問いである。 運のよい人は、若いころに誰かにそうといかけられ、一生を通じて自ら問いかけつづけていくことになる。」

P.F.ドラッガー 「非営利組織の経営」


自分の活動を“選択”し“集中”するにはまず目標が必要となる。

その方向を決定するものが、“価値、使命、ビジョン”である。

選択するためには、まず捨てるものを決めなければならない。その選択(優先順位)には、


価値:絶対的な価値観、ものさし

使命:おかれた環境、状況の中で自分たちが果たさなければならない役割

ビジョン:価値、使命を達成するために組み立てられた道筋、手はず


をそれぞれ定義しなければならない。 あらゆる活動にははっきりとした、価値、使命、ビジョンが必要である「第二次世界大戦後の半世紀間、企業はその経済的側面、すなわち富と雇用の創出において成功を収めてきた。しかし、ネクスト・ソサイアティにおける企業の最大の課題は、社会的な正統性の確立、すなわち価値、使命、ビジョンの確立である。他の機能はすべてアウトソーシングできる。」

P.F.ドラッガー 「ネクスト・ソサイアティ」


「組織は、自らのために存在するのではない。組織は手段である。それぞれが、それぞれの社会的な課題を担う社会のための機関である。組織の目的は、人と社会に対する貢献である。したがって、活動の評価基準は自らの外にある。あらゆる組織が、自らの成果とすべきものを知らなければならない。 あらゆる組織が、自らの目的とするものを明確にするほど力を持つ。評価の基準となる明確な尺度を持つほど成果をあげる。自らの存在の正統性の基盤を成果におくほど正統性を高める。「実りによって彼らを知れ」との言葉こそ、多元社会の原理とするべきものである。

P.F.ドラッガー 「ポスト資本主義社会」


「自らの事業は何かを知ることほど、簡単でわかりきったことはないかに思われる。鉄鋼会社は鉄をつくり、鉄道会社は乗客を運び、損害保険会社は火災のリスクを引き受け、銀行は金を貸す。しかし実際には、われわれの事業は何かとの問いは、ほとんど常に答えることの難しい問いである。正解は決して明らかではない。 事業は、社名や定款や設立趣意書によって定義されるのではない。顧客が満足せせる欲求によって定義される。顧客を満足させることが、企業の使命であり目的である。したがって、われわれの事業は何かとの問いは、外部すなわち顧客と市場の観点から見てはじめて答えることができる。顧客が見、考え、思い、欲しがるものを客観的な事実として、セールスマンの報告、技術者の実験、会計士の数字と同じように正面から受け止めなければならない。 顧客の心を読もうとするのではなく、顧客自身から直接答えを得るべく意識して努力しなければならない。」

P.F.ドラッガー 「マネジメント-課題・責任・実践」


「顧客は誰かの問いこそ、企業の目的と使命を定義するうえで、最初に考えるべき最も重要な問いである。やさしい問いではない。まして答えのわかりきった問いではない。だが、この問いに対する答えによって、企業が自らをどう定義するかが決まってくる。 最終需要者たる消費者は常に顧客である。しかし、ほとんどの事業が2種類の顧客を持つ。その両方が買ってくれなければならない。生活用品のメーカーは主婦と小売店と言う2種類の顧客を持つ。主婦に買う気を起こさせても、店が品をおいてくれなければ何にもならない。店が目につくよう陳列してくれても、主婦が買ってくれなければ何もならない。一方だけでは売り上げにつながらない。」

P.F.ドラッガー 「マネジメント-課題・責任・実践」


「目的と使命に取り組むうえで答えるべき問いは、顧客にとっての価値は何かである。これが最も重要な問いである。しかし、最も問うことの少ない問いである。答えはわかっていると思い込んでいるからである。品質が価値だという。だが、この答えはほとんど間違いである。顧客は製品を買っているのではない。買っているのは、欲求の充足である。彼らにとっての価値である。 10代の少女にとって、靴の価値はファッションである。はやっていなければならない。価格は二の次であって、耐久性などまったく意味がない。ところが数年たって母親になると、ファッションが絶対でなくなる。流行遅れは買わない。しかし、重視するのは耐久性、価格、はき心地である。10代の女の子にとって価値のあるものが、その姉には価値がない。何を価値とするかは、顧客だけが答えられる複雑な問題である。推察してはならない。顧客のところへ出かけて行き、聞かなければならない。」

P.F.ドラッガー 「マネジメント-課題・責任・実践」


結局、誰に、何を提供したいのかを決定する事がすべての、価値、使命、ビジョンを定義している要素である。それには実際に提供される受け手の声がもっとも重視されるべきである。


そして次にくる目標設定は、最大でなく、最適を目標としなければならない。

「第一に、社会的機関は明確な使命を持たなければならない。何をしようとしているのか。なぜ存在しているのか。社会的機関は、個々のプログラムやプロジェクトではなく、目的そのものに焦点をあわせなければならない。プログラムやプロジェクトは目的のための手段である。一時のものであり、しかも短命のものと考えなければならない。 第二に、社会的機関は現実的な目標を持たなければならない。目標は、空腹の根絶ではなく、飢餓の減少でなければならない。社会的機関は、実現可能な目標を必要とする。やがて目標に達したといえる現実可能な目標を必要とする。最大ではなく、最適を目標としなければならない。われわれは目標を達成したといえなければならない。 第三に社会的機関は、いつになっても目標を達成させることができなければ、目標そのものが間違っていたか、少なくとも目標の定義の仕方が間違っていた可能性があることを認めなければならない。何度努力しても達成できない目標は、目標として間違っていると考えなければならない。目標を達成できなければ、目標の妥当性を疑わなければいると考えなければならない。これは今日、ほとんどの社会的機関とは逆の考え方である。」

P.F.ドラッガー 「イノベーションと起業家精神」


「社会的機関の多くは、自らの使命を道義的に絶対のものとし、経済的な費用対効果の対象とはしない。経済の世界では、より大きな成果を得るために常に資源の配分を変える。すべてが相対的である。しかるに社会的機関においては、より大きな成果などというものはない。より大きな善もない。目的を実現できないと言うことは努力を倍加すべきことを意味するだけである。・・・・ しかし、目標が最大化にあったのでは、決して達成されることはない。それどころか達成に近づくほど一層の努力が求められる。なぜならば、最適値を超えるや、得られる成果は指数関数的に小さくなり、必要とされるコストは指数関数的に大きくなるからである。こうして社会的機関は、目的の達成に近づくほど不満を感じ、より一層活動に力を入れることになる。」

P.F.ドラッガー 「イノベーションと起業家精神」


「いかなる権力も、正統でないかぎり永続しない。」

P.F.ドラッガー 「産業人の自由」


企業としての機能には2つある。顧客の創造(価値の創造)には

マーケティング:実際上のサービスの受け手の存在確認

イノベーション:提供するサービスの質の向上である。


「目的が顧客の創造であることから、企業には2つの基本的な機能が存在する。マーケティングとイノベーションである。この二つの機能こそ、まさに起業家的機能である。」

P.F.ドラッガー 「現代の経営」


提供するサービスの質の向上(イノベーション)の方法論

「イノベーションのためには、7種類の機会を調べなければならない。最初の4つは、組織の内部あるいは産業の内部の機会である。第一が予期せぬこと、すなわち予期せぬ成功、予期せぬ失敗、予期せぬ出来事である。第二が現実にあるものと、かくあるべきものとのギャップである。第三がニーズである。第四が産業と市場の構造変化である。 残りの三つは、組織や産業の外部の機会である。第五が人口の変化である。第六は認識の変化、すなわちものの見方、感じ方、意味の変化である。第七が発明発見による新知識である。 これら7つのイノベーションの機会はお互いに重複する。角度の違う壁に取りつけられた7つの窓に似ている。窓から見える景色は隣の窓とかなり重なる。だが、部屋の中央から見える7つの景色は異なる。

P.F.ドラッガー 「イノベーションと起業家精神」


「予期せぬ失敗が要求することは、外へ出て、見、聞くことである。競争相手の予期せぬ失敗も意味を持つ。予期せぬ失敗は、イノベーションの機会の兆候として受け止めなければならない。分析するだけでは不十分である。調べるために出かけなければならない。たしかに、予期せぬ失敗の多くは、間違い、物真似、無能の結果である。しかし、綿密に計画し、設計し、実行したものが失敗したときには、失敗そのものが、環境の変化すなわち機会の存在を示すことが多い。 予期せぬ失敗は、顧客の認識や価値観の変化を示す。製品、サービス、市場、戦略が前提としているものは、あっという間に陳腐化する。顧客が価値観を変える。同じものを異なる価値観で買うようになる。フォード社は、新型エドセルの失敗によって、自動車市場がもはや所得によって細分化できなくなったことを知った。ユーザは、所得ではなくライフスタイルに合った車を選ぶようになっていた。」

P.F.ドラッガー 「イノベーションと起業家精神」


「コップに半分入っているのと半分空であるのとでは、量的に同じである。だが、意味は異なる。とるべき行動も異なる。世の中の認識が、半分入っているから半分からであるに変わるとき、イノベーションの機会が生まれる。 予期せぬ成功や予期せぬ失敗は、消費者側の認識の変化によるものであることが多い。認識の変化が生じても、事実は変わらない。起こるのは意味の変化である。」

P.F.ドラッガー 「イノベーションと起業家精神」


「知識社会の特殊性ネクスト・ソサイエティとは知識社会である。知識社会とは、第一に、知識は資金より容易に移動するがゆえに、いかなる境界も存在しない社会である。第二に、万人に教育の機会が与えられているがゆえに、上方への移動が自由な社会である。第三に、万人が生産手段としての知識を手に入れ、しかも万人が勝てるわけではないがゆえに、成功と失敗が並存する社会である。 これら3つの特徴にゆえに、知識社会は、組織にとっても一人一人の人間にとっても、高度に競争的な社会となる。 ネクスト・ソサイエティの一側面にすぎないIT(情報技術)が、すでに重大な影響をもたらしつつある。ITのおかげで知識は瞬時に伝えられ、万人の手にわたる。その伝達の容易さと迅速さが、企業、学校、病院、政府機関に対し、たとえ市場と活動はローカルであっても、競争力はグローバルであるべきことを要求する。 インターネットが、世界中のユーザーに対し、何を、どこで、いくらで手に入れられるかを教える。」

P.F.ドラッガー 「ネクスト・ソサイエティ」


「専門化した知識は、それ単独では何も生み出さない。仕事に使われて、はじめて生産的な存在となる。ここにこそ知識者会が組織社会になる原因がある。組織の機能は、共有する目的のもとに、専門化した知識を統合することにある。知識労働者が成果をあげるうえで必要とする継続性をもたらしてくれるものは組織だけである。知識労働者の専門化した知識をして成果をあげさせるものも組織だけである。 知識人は組織を道具としてみる。組織のおかげで、彼らは彼らのテクネ、すなわちその専門化された知識[を生かすことができる。他方、マネジメントは知識を道具としてみる。いずれも正しい。両者は対照的である。しかし、対立ではなくて対極の関係にある。両者が両立するとき、創造と秩序、自己実現と使命達成が可能となる。」

P.F.ドラッガー 「未来への決断」


「知識社会における上方への流動性には高い代償がともなう。競争にともなう心理的な圧力と精神的なストレスである。敗者がいるから勝者がいる。昔の社会はそうではなかった。・・・・失敗に対する恐怖が社会の隅々にまで浸透したことを意味する。しかもそのような競争の後では、ますます多くの成功した知識労働者、すなわち企業のマネージャー、大学の教員、美術館の幹部、医師たちが、40代にして燃え尽きることになる。そのとき、自分にできることが仕事しかなければ問題が生じる。したがって知識労働者たるものは、仕事以外の関心事を育てておかなければならない。」

P.F.ドラッガー 「ネクストソサイエティ」


「知識労働の生産性についての研究は始まったばかりである。だが、すでにかなりのことがわかっている。答えのわからない問題が何かもわかっている。 知識労働の生産性向上の条件は、大きなものだけで6つある。第一に、なされるべきことを考えることである。第二に、働く者自身に生産性向上の責任をもたせることである。すなわち自らをマネジメントさせることである。自律性をもたせることである。第三に、継続してイノベーションを行わせることである。第四に、継続して学ばせ、かつ継続して人に教えさせることである。第五に、知識労働の生産性は、量よりも質の問題であることを認識させることである。第六に、知識労働者をコストでなく資本財として扱うことである。何にもまして知識労働者自身が、組織のために働くことを欲しなければならない。」

P.F.ドラッガー 「明日を支配するもの」


「肉体労働では、なるべき仕事は決まっている。家事労働者が行うべきことは、家の主が言う。工場の肉体労働者が行うべきことは、組み立てラインや機械が規定する。 これに対し知識労働者では、何を行うかが第1の、しかも決定的な問題になる。知識労働はプログラム化されていないからである。なるべきことを決めるのは知識労働者本人である。なぜならば、最も高価な生産手段すなわち教育を手にし、最も重要な道具すなわち知識を持っているのは、知識労働者本人だからである。」

P.F.ドラッガー 「明日を支配するもの」


「成長するには、相応しい組織で相応しい仕事につかなければならない。基本は、得るべきところはどこかである。この問いに答えを出すには、自らがベストを尽くせるのはどのような環境かを知らなければならない。大きな組織か、小さな組織か。人と一緒か、一人か。締め切りは必要か、必要でないか。 得るべきところはどこかとの問いかけへの答えが、今働いているところではないということであるならば、次の問いは、それはなぜかである。組織の価値観になじめないからか。組織に緊張感がないからか。そのようなとき、人は確実にだめになる。組織の価値観が自らの価値観に合っていないならば、人は自らを軽く見るようになる。 あるいは、上司が利己的なことがある。上司としての役目、部下を育て、引き上げる役目を果たさないことがある。こうしたとき、あるいは成果が認められないときには、組織を辞めるのが正しい道である。 」

P.F.ドラッガー 「非営利組織の経営」


知識労働者を惹きつけとどまってもらうにはどうするべきか?

「知識労働者を惹きつけ留まってもらうことが、人事の中心課題となった。ここにおいて何が役に立たないかは明らかである。金で釣ることである。アメリカではこの10年、20年というもの、多くの企業が知識労働者を惹きつけ留めておくために、ボーナスとストックオプションを使ってきた。そして、失敗してきた。業績が悪化すればボーナスは減り、株価が下がればストックオプションに意味がなくなる。そのとき、本人もその配偶者も裏切られたことを知る。 知識労働者にとっても報酬は大事である。報酬の不満は意欲をそぐ。しかし、意欲の源泉は別のところにある。 知識労働者はいつでも辞められることを知っている。働く場を変わる能力をもち、自信を持つ。したがって、ボランティアのように扱い、マネジメントしなければならない。知識労働者にとっては重要なことは、第一に、組織が何をしようとしており、どこへ行こうとしているかである。第二に、責任を与えられ、かつ自己実現することである。そのためには適した仕事に配置されることである。第三に、継続学習と継続訓練の機会をもつことである。第四に、敬意を払われることである。とくに、自らの専門分野が敬意を払われることである。第五に、その専門分野では自らが決定を行うことである。」

P.F.ドラッガー 「ネクスト・ソサイエティ」


「知識労働者は生産手段を所有する。それは頭のなかにあり、持ち運びができる膨大な資本財である。知識労働者は、生産手段を所有するがゆえに自由に移動する。肉体労働者は、仕事が彼らを必要とする以上に仕事を必要とした。もちろんあらゆる知識労働者について、彼らが組織を必要とする以上に組織が彼らを必要とするわけではない。しかし彼らの多くは、組織との間に、お互いを必要とするという共生関係にある。 組織に委託された資産の保全こそマネジメントの責務である。このことは、知識労働者のもつ知識が資産となり、しかも、それがますます主要な資産となりつつある今日、何を意味するだろうか?人事管理上、いかなる意味を持つか。最高の知識労働者を惹きつけ留まってもらうには何が必要か。彼らの生産性を高め、組織の業績に結び付けるには何が必要か。 」

P.F.ドラッガー 「明日を支配するもの」


教育

「組織は人を変える。否応なしに変える。成長させたり、逆にいじけさせたりする。行うべきでないことは・・・第一に、不得意なことで何かを行わせてはならない。礼儀、態度、スキル、知識は学ぶことができる。だが、個性を変えることはできない。第二に、近視眼的に育ててはならない。身につけさせるべきスキルはある。だが人を育てるということは、それ以上のことである。キャリアと人生にかかわることである。仕事は人生の目標にあわせなければならない。第三に、エリート扱いしてはならない。重要なことは実力であって見込みではない。要求は厳しくしなければならない。 人材の育成にあたっては、強みに焦点をあわせなければならない。そのうえで要求を厳しくしなければならない。そして、時間をかけて丁寧に評価しなければならない。向かい合って、約束はこうだった、この一年どうだったか、何をうまくやれたか、と聞かなければならない。」

P.F.ドラッガー 「非営利組織の経営」


制約:人的資源

「あらゆる生産手段のうち、人的資源ほど効率の悪いものはない。この人的資源の活用に成功したわずかな企業が、生産性と産出量の飛躍的な向上を実現する。人的資源こそ生産性向上の主たる機会である。したがって、今日関心を集めている設備や技術のマネジメントではなく、人材のマネジメントこそが最大の関心事でなければならない。 しかもわれわれは、人的資源の生産性をもたらす鍵が何であるかを知っている。報酬や手法ではない。考え方としてのマネジメント的視点である。仕事と製品をマネジメントの目で見ること、すなわち、それらのものを全体との関連において見ることである。」

P.F.ドラッガー 「新しい社会と新しい経営」


経済的制約

「経済は絶対的な決定要因ではなく、制約要件にすぎない。経済的な欲求や満足は、重要であっても絶対ではない。そして何よりも、経済活動、経済機関、経済合理性は、それ自体が目的ではなく、非経済的な目的のための手段にすぎない。」

P.F.ドラッガー 「すでに起こった未来」


利益とは

「未来のコスト、企業存続のコスト、創造的破壊のコストを賄うのに十分な資本形成を行っているか。」

P.F.ドラッガー 「すでに起こった未来」


「価格設定の唯一健全な方法は、市場が払ってくれる価格からスタートし、その価格にあわせて製品を設計することである。価格を出発点としてコストを削りこんでいくことは、当初からかなりの苦労を要する。だが、スタートを誤り、何年も損失を続けるよりはいい。」

P.F.ドラッガー 「未来への決断」


成功するほど財務見通しの欠如が命取りになる。

「財務志向の欠如は、ベンチャーの成長期における最大の問題である。とくに急成長しつつあるベンチャーにとって命取りとなる。・・・第一に、今日必要な現金がない。第二に、事業拡大に必要な資本がない。第三に、支出、在庫、債権を管理できない。」「利益よりもキャッシュの方が先に問題になる。キャッシュがなければ、利益の数字も虚構に終わる。目の前の利益など一年から一年半で消える。成長には栄養が必要である。成長するということは、キャッシュの余剰ではなく、キャッシュの不足を意味する。ベンチャーの成長が健全であって早いほど、より多くの財務上の栄養を必要とする。」

P.F.ドラッガー 

「イノベーションと起業家精神」


「起業家戦略は4つある。総力戦略、二番手戦略、価格戦略、ニッチ戦略である。これらは互いに相容れないものではない。二つあるいは三つの戦略を組み合わせて一つの戦略にすることもできる。しかし、これらの4つの戦略にはそれぞれの特質がある。適合するイノベーションと適合しないイノベーションがある。それぞれが起業家に対し異なる行動を要求する。特有の限界をもち、特有のリスクを伴う。」

P.F.ドラッガー 「イノベーションと起業家精神」


「あらゆるニッチ戦略に共通する弱点が永続性の欠如である。 第一が、技術上の変化に足がすくわれることである。第二が、専門市場が大衆市場に変わることである。」

P.F.ドラッガー 「イノベーションと起業家精神」


リーダーシップ

「リーダーシップとは、人のビジョンを高め、成果の水準を高め、人格を高めることである。そのようなリーダーシップの基盤として、行動と責任についての厳格な原則、成果についての高度な基準、人と仕事に対する敬意を日常の実践によって確認して行く組織の精神に勝るものはない。」

P.F.ドラッガー 「非営利組織の経営」


「リーダーと普通の人たちとの差は一定である。リーダーの仕事ぶりが高ければ、他の人の仕事ぶりも高くなる。集団全体の仕事ぶりをあげるよりも、リーダー一人の仕事ぶりをあげるほうがやさしい。したがって、リーダーの地位、すなわち標準を設定し基準を定める地位には、基準となるべき仕事を行うことのできる強みを持つ人をつけなければならない。そのためには、その人がもつ最大の強みに焦点を合わせ、その強みの発揮の妨げとならないかぎり、弱みは関係ないものとして無視しなければならない。重要なことは人を変えることではない。人のもつあらゆる強み、活力、意欲を動員し、そうすることによって全体の能力を増大させることである。」

P.F.ドラッガー 「経営者の条件」


「リーダーによって最も重要な仕事は、危機の到来を予期することである。回避するためでなく備えるためである。危機の到来を待つことは責任の放棄である。暴風雨を予期し、先手をうたなければならない。災厄の到来を防ぐことはできない。だが、それに対処すべき態勢の整った組織、すなわち士気高く、とるべき行動を知り、自信に溢れ、お互いに信じ合う組織を作ることはできる。 訓練において重要なことは、将校への信頼を兵士にしみ込ませることである。信頼なくして戦うことはできない。」

P.F.ドラッガー 「非営利組織の経営」


「・・・・・・・(GMの役員会では)・・・経営政策に不釣合いなほど小さな人事に、かなりの時間を費やしていることに気がついた。ある日には、ラインのはるか下のポストの人事に何時間もかけていた。わたしはCEOのスローンに「あのような下の人事に、よく4時間もかけられるものですね」といった。 彼の答えは、「GMは重要な決定を行うためにかなりの報酬を私に払っている。デイトンのあの職長の人事が間違ったら、たくさんの決定が絵に描いたもちになる。決定を具体化するのはあのポストだ。時間がかかることなどなんでもない。正しい人事のために4時間かけなければ、あとで400時間とられる。そんな時間はない。本当に重要な決定は人事だ。何でもこなせる優秀な人間を手に入れればよいという人がいる。そうではない。われわれにできることは人事だけである。成果をもたらすのは人事である。」というものだった。」

P.F.ドラッガー 「傍観者の時代」


組織の精神はトップから生まれる。

「真摯さを絶対視して、初めてマネジメントの真剣さが示される。それはまず人事に表れる。リーダーシップが発揮されるのは真摯さによってである。範となるのも真摯さによってである。 真摯さはごまかせない。ともに働くものとくに部下には、上司が真摯であるかどうかは数週でわかる。無能、無知、頼りなさ、態度の悪さには寛大かもしれない。だが、真摯さの欠如は許さない。そのような者を選ぶ者を許さない。 このことは、とくにトップについていえる。組織の精神はトップから生まれるからである。組織が偉大たりうるのは、トップが偉大だからである。組織が腐るのはトップが腐るからである。「木は梢から枯れる」との言葉どおりである。 範とすることのできない者を高い地位につけてはならない。」

P.F.ドラッガー 「マネジメント-課題・責任・実践」


言葉集社会的な事象の中で、真に意味あるものは定量化になじまない。

“定量化”とはものを数字に置き換えて表現することである。

たとえば、売り上げが20%増えた、とか雨の降る確率は50%とかである。

ところが、一見このような定量化によって世の中の事象がなんでも説明できるかのような錯覚に陥るが、良く考えてみるとそれは本当ではない。 むしろある臨界点があってそれを越えた時に劇的に変化することの方が多い。

たとえば信用、安心などはむしろゼロか一かというモデルの方がよりフィットするような気がする。

中途半端に安心しているという状況はむしろ少なく、絶対信頼、ほぼ信頼からほぼ不信、絶対不信までの距離は非常に遠い。 このことを理解していることの重要性は意外に多い。

シーソーのバランスをいい方に傾かせるためのわずかな努力が、多くの利益をもたらすという結果になるからだ。これこそが臨界点の存在の認識である。


「私が定量化を行わない最大の理由は、社会的な事象の中で真に意味あるものは定量化になじまないからである。」

P.F.ドラッガー「すでに起こった未来」


「自由とは楽しいものではない。幸福、安心、平和、進歩のいずれでもない。それは選択の責任である。権利ではなく義務である。真の自由は何かからの自由ではない。それでは特権にすぎない。 自由とは、行うことと行わないこと、ある方法で行うことと他の方法で行うこと、ある信条をもつことと逆の信条をもつことからの選択である。楽しいどころか重荷である。それは、自らの行動と社会の行動にかかわる選択の責任である。」

P.F.ドラッガー 「産業人の自由」


「何が受け入れられやすいかでなく、何が正しいかからスタートしなければならない。誰が正しいかなどは論外である。そもそも何が正しいかを知らなければ、正しい妥協と間違った妥協の区別がつかない。 妥協には二種類ある。一つは古い諺の「半切れのパンでも、ないよりはまし」であり、もう一つはソロモン王の裁きの「半分の赤ん坊は奪われるよりも悪い」である。前者では、半分は目的を満足させる。パンの目的は食用であり、手にした半切れのパンは食用となる。だが後者では、半分は目的を満足させない。それは命あるものとしての子供の半分ではない。死骸の半分にすぎない。」

P.F.ドラッガー 「経営者の条件」

僕なりの意見を・・・・・・・


やはり医療界には大きな枠組みでの変革が必要でしょうね。

医師としての立場からするともう少し違った問題が目に付きます。


2030年には、65歳以上が人口の半分を占めると言われる日本では、絶対的に医療にかける予算が不足します。そこで診療報酬を削減するわけですが、診療報酬の削減はすなわち大病院での医師に賃金カット、超過勤務などに跳ね返ります。

また情報の流通により訴訟のリスクが集中し多くの人が危険を伴うような難しい手術をやりたがらなくなるでしょう。
そしてこれまで地方の基幹病院に勤めていた勤務医は、それを嫌ってどんどん開業していくでしょう。
特殊技能を持った人が、開業して風邪ばかりを見るので、勤務医は相対的に未熟な医者が多くなり、さらに不信がまして行くと思われます。


これは未来のことではなく、現状起こっていることです。

すなわちここ数年でこの傾向は全体のながれになってしまうところまで来ています。


”おぼれていない人にしか、おぼれている人を助けることができない”
と常々おもっています。

すなわち、医師、医療従事者が不十分になることは、国民全体に跳ね返るデメリットですね。


おぼれていない医者を作るためにはどうすればいいか?
1 確かに診療報酬を決める権利は国にあるということになっています。それは、レストランで出される料理の値段を国が一律に決定していることと同じです。


提案1
難易度の高いものにはより高い診療報酬をつけて、医者が技量を磨くように誘導すること。


2 専門家をそれなりに処遇していかないと、最後にみんな重症患者を見れなくなってしまう人ばかりになるでしょう。それは日本医療の横並び主義、がんばった人とがんばらない人を同じに扱うところから問題が生じているのだと思います。


提案2 
みんながやりたがらない科の給与を相対的に高くすることで均衡をはかる。(今は5じぴたで帰る皮膚科医と24時間働く心臓外科医では給与が同じ)


3 医師・看護師以外でもできる事務作業を徹底的になくす&秘書的な人にやってもらい最終医師がチェックしサインする。


提案3
”ザ・ゴール”的アプローチ。

ボトルネックはすべて医師の診察、指示なので、そこに触媒をかける。


提案4
医師の数を増やす。
足りないものを増やせば、淘汰がおき、いいものだけがのこる。

そうして燃え尽きている先輩を見るにつれ、つらい科に行く人はどんどん減っていくでしょう。


以上を速やかに行った方がいいと思います。

どの科でも人では不足しているわけですし、医者を育成するスピードは、おそらく患者総数の増加より遅いです。