ローマ人の物語・・・・・はまっています。

おもしろかったところを書きぬきました。

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イタリアの普通高校で使われている、歴史の教科書

「指導者に求められる資質は、次の5つである。

知性、説得力、肉体上の持久力、自己制御の能力、持続する意思。

カエサルだけが、このすべてを持っていた」「ローマ人の物語(8) ユリウス・カエサル ルビコン以前 上」前文 塩野 七生


ユリウス・カエサル

「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」「ローマ人の物語(8) ユリウス・カエサル ルビコン以前 上」前文 塩野 七生

私個人は先にも述べたように、虚栄心とは他者から良く思われたいという心情であり、野心とは、何かをやり遂げたい意志であると思っている。他者から良く思われたい人には権力は不可欠ではないが、何かをやり遂げたいと思う人には、権力は、ないしはそれをやるには必要な力は不可欠である。ところが、虚栄心はあっても野心のない人を、人々は、無欲の人、と見る。またそれゆえに、危険でない人物、と見る。かつがれるのは、常にこの種の「危険でない人」である。「ローマ人の物語(10) ユリウス・カエサル ルビコン以前 下」p177 塩野 七生



人間だれでも金で買えるとは、自分自身も金で買われる可能性を内包する人のみが考えることである。非難とは、非難される側より非難する側を映し出すことが多い。「ローマ人の物語(10) ユリウス・カエサル ルビコン以前 下」p196 塩野 七生


まことに不利な情勢にあった場合、人は2種に分かれる。第一は、失敗に帰した事態の改善に努めることで不利を挽回しようとする人であり、第二は、それはそのままでひとまずは置いておき、別のことを成功させることによって、情勢の一挙挽回を図る人である。カエサルは、後者の代表格といってもよかった。「ローマ人の物語(11) ユリウス・カエサル ルビコン以後 上」p123 塩野 七生


カエサルという男は、他者を増悪するという感情を拒否した人間だった。増悪とは、対等か、でなければ上位にあるものに対して抱く感情であるからだ。他者に対しての絶対の優位を自負していたカエサルが、憎悪という、劣等者の感情を拒否したもの当然だった。「ローマ人の物語(11) ユリウス・カエサル ルビコン以後 上」p190 塩野 七生

歴史はときに、突如一人の人物の中に自らを凝縮し、世界はその後、この人の指し示した方向に向かうといったことを好むものである。これらの偉大な個人においては、不変と特種、留まるものと動くものとが、一人の人格に集約されている。彼らは、国家や宗教や文化や社会危機を、体現する存在なのである。危機にあっては、既成のものと新しいものとが混ざり合って一つになり、偉大な個人の中において頂点に達する。これらの偉人たちの存在は、世界史の謎である。ブルクハルト「世界史についての考察」より



いかなるシステムにも生命はある。カルタゴを降して地中海世界の覇者になったローマに、勝者の混迷が襲う。理由の第一は、いかなるシステムも避けることのできない動脈硬化現症。第二は、勝者になったが故の、直面する問題の質の変化。それまでプラスに機能していたと同じものが、環境の変化によって、マイナスに機能するように変わったのである。「ローマ人の物語(12) ユリウス・カエサル ルビコン以後 中」p109 塩野 七生


人間にとっては、ゼロから立ち上がる場合よりも、それまで見事に機能していたシステムを変える必要に迫られた場合の方が、よほどの難事業になる。後者の場合は、何よりもまず自己改革を迫られるからである。自己改革ほど、とくに自らの能力に自信を持つのに慣れてきた人々の自己改革ほど、難しいことはない。だが、これを怠ると、新時代に適応した新しいシステムの樹立は不可能になる。「ローマ人の物語(12) ユリウス・カエサル ルビコン以後 中」p109 塩野 七生

(カエサルは)自分にある種の才能が欠けていてもそれ自体では不利ではなく、欠けている才能を代行できる者のと協力体制さえ確立すればよいということを、教えたのであった。「ローマ人の物語(13) ユリウス・カエサル ルビコン以後 下」p159 塩野 七生


一級の司令官ならば必ず退路を考えて戦場に出る。だが、そのようなことはおくびにも見せない。この一戦にすべてを賭けていると思わせなければ、兵士たちを、死につながるかもしれない戦闘に追いやることなどはできないからである。「ローマ人の物語(13) ユリウス・カエサル ルビコン以後 下」p212 塩野 七生


戦士で富は作れるが、富では戦士は作れない。「ローマ人の物語(13) ユリウス・カエサル ルビコン以後 下」p222 塩野 七生



カエサルは、征服された民族が反旗をひるがえすのは、民衆が自主的に蜂起するからではなく、民族の支配層が扇動するからであることを知っていた。そして、支配層が不満をもつのは、他国民に征服された結果、自分たちの権威と権力が失われるからであるのも知っていた。「ローマ人の物語(14) パクス・ロマーナ 上」p85 塩野 七生


経済人ならば政治を理解しないでも成功できるが、政治家は絶対に経済がわかっていなければならない。「ローマ人の物語(14) パクス・ロマーナ 上 」p125 塩野 七生


平衡感覚とは、互いに矛盾する両極にあることの、中間点に腰を据えることではないと思う。両極の間の行き来を繰り返しつつ、しばしば一方の極に接近する場合もありつつ、問題の解決により適した一点を探し求めるという、永遠の移動行為ではなかろうか。「ローマ人の物語(15) パクス・ロマーナ 中 」p31 塩野 七生

自由と秩序は、互いに矛盾する概念である。自由を尊重しすぎると秩序が破壊され、秩序を守ることに専念しすぎると、自由が失われる。だが、この二つは両立していないと困るのだ。自由がないところには進歩はなく、秩序が守られていないと、進歩どころか今日の命さえ危うくなるからだ。「ローマ人の物語(15) パクス・ロマーナ 中 」p32 塩野 七生


公正を期して作られるのが法律だが、そのあまりにも厳格な施行は不公正につながる。「ローマ人の物語(15) パクス・ロマーナ 中 」p32 塩野 七生



無理強いは永続にとって最大の敵なのである。「ローマ人の物語(15) パクス・ロマーナ 中 」p88 塩野 七生


アウグストゥスは、後継者への引き継ぎを支障なく実現する最上の方法は、その人物が後継者であることを万人が事前に知っていることであると考えていた。協力者から共同統治者への格上げは、その意図でなされたのである。「ローマ人の物語(15) パクス・ロマーナ 中 」p142 塩野 七生

政治とは、小林秀雄によれば、「ある職業でもなくある技術でもなく、高度な緊張を要する生活」であるという。消化器系が弱くうまれなくても、弱くなるほどのプレッシャーの連続なのだ。この状態を生き抜くのに必要な資質は、第一に、自らの能力の限界を知ることも含めて、見たいと欲しない現実までも見すえる冷徹な認識力であり、第二には、一日一日の労苦のつみ重ねこそ成功の最大要因と信じて、その労をいとわない持久力であり、第三は適度の楽観性であり、第四は、いかなることでも極端にとらえないバランス感苦であると思う。「ローマ人の物語(16) パクス・ロマーナ 下 」p34 塩野 七生