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の続編で、
にて述べた史実との対比で話を進めます
なお、関連記事には以下の記事もあります。
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史実を基に検証する藤原摂関家の家庭の事情 忠実-忠通・頼長親子編
※使用した画像はNHKの公式HPや、録画したドラマの
データから抽出して利用しております。
全て批評目的の引用であり、他意はありません。
蟄居中のパパ盛忠盛に届ける着替えを用意していた
宗子さんが、パパが忘れられない
清盛の母舞子さんの形見を見つけてしまいました。
これが後に大問題になるのです...。
平氏の家人である家貞が、蟄居中のミキプルーン忠盛と
清盛に、両人の奥方からの預かり物を届けるシーン。
パパ盛忠盛が着替えているのを見ての清盛と家貞のやり取りは、
深キョン時子さんが演出した素晴らしいギャグでした。
清盛「家定、俺には着替えはないのか」
家貞「ええ、時子様よりは、
これを預かりましてございます」
※画面が暗くて分かりずらいですが、双六盤です。
清盛「なんじゃ~」
家貞「徒然のお慰めにと、いうことでござりましょう」
「あんの馬鹿、何を考えておるのじゃ~」
深キョン時子さんの清盛操縦術、お見事です。
この双六盤が、後で重要な場面を演出します。
それにしても、相変わらず怒鳴り散らすしか能がない清盛です。
画面が変わり、スンゴイ勢いでパクパク食べてる
身重の時子さん。侍女に
「まこと、あれ(双六盤)だけで良ろしかったのでございますか?」
と聞かれて、
「殿にはあれで十分じゃ!まったく、
いつまでも子供のように皆の手を煩わせて!
光源氏でさえ、流された先で
ねんごろとなり、子をもうけたのですから。
まったく、流罪になどなったら承知しませぬ!」
とプンプン怒りながら言った刹那、
産気づいた時子さん。清盛邸が大わらわになる中、
清盛と不仲な忠正が訪ねてきます。
あらすじ
![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
このシーンでは、不自然なまでの、良いおじさんぶりを
清太(後の重盛)
「もし男(おのこ)が生まれたらどうなりまするか?
母上(時子)は私や清次よりも、自分の子供ばかり
可愛がるのではございませぬか?」
忠正(大叔父)
「さようなことは断じてない!誰も好き好んで、
血の繋がりのあるなしで争わぬ!
つまらぬことは考えず、産まれてくる子を
うんと可愛がってやれ!良いな?」
とても微笑ましいシーンではありますが、
当時の時代背景から考えると非常におかしな台詞であります。
継母が自分の子供ばかりを可愛がり、先妻の子には
見向きもしないということは、普通に見られた光景です。
だから清太が不安がるのは当然のこと。
当時の貴族や武士階級での婚姻関係とは、
今のように個人個人の好いた惚れた関係であることなど
ほとんど無くて、大半は家と家との繋がりが重視されたものでした。
夫は自家の勢力の拡大のために有力者と盛んに婚姻関係を結び
(このドラマで義朝がやってることですね)妻の側は、実家の
ためにも婚家に尽くし、両家の橋渡しになることに心を砕きました。
ですから、どうしても自分の腹を痛めた子を優先することになります。
清盛の継母であった池禅尼(宗子)の場合は、彼女が控えめな女性で
あったからか、清盛も継母池禅尼を尊重していました。
ですが清盛の死後に時子の子である宗盛が一門の棟梁と
なってからは、一門の間でも清盛の血筋と池禅尼腹の血筋との間での
温度差が表面化し、池禅尼の子である頼盛は、
平氏一門に背を向けて源氏側につきました。
これには平治の乱で源氏側が大敗した際に、頼朝の命乞いを
したのが池禅尼だったことから、頼朝も命の恩人である
池禅尼の血縁者には寛大だったという特殊な事情もありましたが、
一門でも腹違いの血筋の者達との間には温度差があった
ということの何よりの証であると私は考えます。
それに、清盛との敵対フラグを順調に積み上げていたハズの
忠正叔父が、何故か突然このシーンではいい人になってます。
確かに根っからの悪人であったかどうかまで分かりませんが、
彼は保元の乱で清盛と敵対し、乱の集結後には処刑された
というのが史実の伝える姿です。
清盛との対立関係を描く一方で、こうした不自然なフォローを
入れて、平氏のターンは不自然なまでにいい話にしている
制作サイドの作為が感じられ、一視聴者のワタシとしては
どうもしっくりきませんねぇ。
あらすじ
「やれやれ、またワシの負けか。お前は博打は強いのう。」
無頼の高平太時代からの特殊スキル(?)博打が炸裂しまくりの清盛。
清盛
「父上、父上がなにゆえ私を引き取ったのか
いつかこんな日が、平氏に災いする日が来ると
思わなかったのですか?」
と、珍しくしんみり口調で忠盛に問う清盛
「舞子という名であった。白河院という
巨大なお方に たった一人で盾を突いた
強き女子(オナゴ)。
陰陽師の言う 世迷いごとなどものともせず、
お前を守り抜いた その身を挺して」
第一話ミキプルーン忠盛の若き日の回想シーンに移ります。
この子(清盛)に相応しい名を」
無数の矢に射抜かれました。
ですが、この位置関係でどうやってこれだけの矢を
一斉に放てる武士を配置できたのでしょうか?
あまりにも不自然すぎる描写でありました。
舞子が射抜かれた様子を、言葉一つ発せずに
見つめていたタフマン白河法皇。
参考資料 白河天皇Wiki
白河法皇がご誕生になったのは天喜元年(1053年)。
清盛が誕生したのは元永元年(1118年)ですので、
白河法皇が65歳の時のことです。
白河法皇はお手がついた女性を次々と寵臣に与え、
清盛の母もそうした経緯で忠盛の妻になったとされてますから、
清盛のご落胤説は当時からありました。
でも人間50年よりも前の時代における65歳で子供をつくった
というのは無理がありすぎなので、明確にご落胤説をとって
話を展開している「平清盛」の番組内容に私が不信感を
抱いているのは、第一話と第二話の記事でも述べたとおりです。
なお、Wikiの記載には「白河法皇には男色好みであった」という
記載もありました。白河法皇の色好みは、男女の関係なく
発揮されたようですね。これをみても、このドラマで
クローズアップされた藤原頼長だけがの男色の専売特許では
無かったということが分かります。
でもタフマン伊東四朗が男色シーンをやっても...。
誰も見たくは無いですよねぇ...。
話をドラマの内容に戻します。
目の前で舞子が無数の矢に射抜かれて、
「舞子、舞子!」
「ワシはこの時が来るのを待っておった。
舞子より生まれしお前が、アテにもならぬ
迷信のごときものに立ち向かう時を!
![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
ドラマの筋立てとしては分かりやすい構図でありますが、
六波羅蜜寺にて で掲載した写真。清盛の僧形の坐像が
残っている六波羅蜜寺では、宝物館が見どころであります。
続編に続く
私が述べた「史実の清盛とドラマの描き方は全く違う
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