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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
8月初旬ごろ、左目の視界に微妙な違和感を覚え始めた。視界の下のギリギリのあたりに、なにか異物が写りこんでいるような。まぶたが腫れたりした経験のある方ならわかると思うが、視界の隅っこ腫れたまぶたが写りこんで見えたりするじゃないですか。あんな感じ。
 
でも今回は視界の下、そして腫れるでもなく、また痛い、かゆい、涙が出るなんていうあらゆる自覚症状がなかったので、なんだこれ?と思いながら放置してたんですね。
 
仕事にかまけて放置すること約10日、気づけば視界の違和感は大きくなってきていて、なんかこれ…よろしくないよなあ、と思った時には、医療機関はお盆休みに入ってしまってました。
それでもちょっと足を延ばせば、お盆中でも開いている医療機関はあったので、まあいわばこの時点でも甘く見てたわけですな。
 
で、8月17日の朝イチ、近所の眼科の再開とともに検査してもらった結果…

こういうことでしたのよ。
 
申し訳ないけど、自分の目よりも大事なものは現時点でナッシング。検査を終えて仕事に行ったら、すぐさま自分が休めるように手配しましたよ。スタッフさんや同僚の温かい協力のおかげで、とりあえず今月いっぱいは出勤せずに済むことになりました。
 
この記事が公開される8月19日に、改めて紹介状を携えて別の医療機関へ行くので、本記事公開時にはもう手術日程が決まっているはず。見込みとして1~2泊の入院とその後に1~2週間の自宅安静期間が必要と聞いてますが、ネットでいろいろ見ていたら、自宅安静期間がもっと長くなる可能性もあるのかなと。
 
急いで仕事復帰した挙句に再剥離して、結局めっちゃ長引いた!みたいな経験談を見るにつけ、わたくししっかりと先生の言うことを聞いて、拙速な仕事復帰はすまいと決意しております。そこまで仕事への情熱があるわけでもないんで(笑)。
 
 
そんなわけで、網膜剝離になりました。これを書いてる現在、左目の視界下半分がない状況で、いやおうなしに心ざわめく(笑)。いやあ、もうこのトシになったら、違和感を感じたらさっさと受診するに限りますわ、ホントに。
 
マジですよ、ご同輩のおっさん、おばはんの皆様(笑)。
 
 
 
眼のことはともかく、連日過酷な残暑が続いております。皆様もどうか、ご自愛ください。
 
 
 

【前篇】より続く。

 

 

 

つうわけで、現橋へ。

こちらは宇陀市道、路線名は小和田本線。で、こちらもそれなりに年季の入った橋。そして今の目で見れば「あの特徴」があるなあ。当時は気にしなかったけど。

 

 

 

 

 

左側の親柱は

「四郷川」。

 

 

 

 

 

で右側の親柱に…ようやく!

「神縄橋」。お名前キターー!

 

 

 

 

 

その名も神縄橋、上流側からのサイド気味アングルで。

先ほど書いた「あの特徴」…おわかりだろうか?

 

 

 

 

 

それがこちら、

箱型ガードレールの欄干…と旧橋のツーショット。

 

 

 

 


当時は(実は今もそれほど…)箱型とかのっぺりとかって意識してなかったので、現場でおおっ!となることはなかったのだが、

この神縄橋、なかなか端正でいのじゃないか。

 

箱型ガードレール、けっこうレアなようだが上記のとおりあまり意識してこなかったので、記事にしてない橋を含め、改めてよく見たら箱型だった、って橋がいくつかあった。…のだが、また忘却してしまった(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、この橋の読み方だが、

「かんじょうばし」というのだった。

 

結局お誕生日情報がなかったのだが、Q地図によれば1970(昭和45)年完成とのこと。

 

 

 

 

 

てことで当然、

この旧橋(でいいのよね?)はそれより古いわけで、見た目的には戦前…もしかして大正橋梁もあるかな、という印象。

 

 

 

 

 

Q地図様…てか地理院地図を見ていただきたい。

旧橋を渡った四郷川右岸には点線道が描かれている。【前篇】最後にご紹介した、旧橋と現橋たもとを結んでいたはずの道はその一部なわけだが、その道は南に向かって現橋のたもとで二手に分岐している。

 

いつもどおりに単なる推測だが、これらの道が県道、市道よりも古くから存在しており、旧橋はその世代の橋なのではないかな…という、そのまんまやないかーい(笑)。

 

 

 

 

 

まあとりあえず、

少し離れて並列する新旧の橋、その雰囲気は大変宜しかった。

 

本記事執筆時点で確認したところ、2023年7月のストビューではほぼこの訪問時と同じ様子で健在。でもこの手の物件はいつどうなるかわかったもんじゃないので、機会があればしばらくぶりに会いに行きたくなってきた。

 

 

 

以上。

 

 

 

2018年10月14日、川上村に残した宿題ふたつ(「林道中奥線の端点を目指して」「大鯛木馬道探索記」)を一気に片付けた帰りに立ち寄った物件から印象深かったものをご紹介。

 

 

それは事前にはまったくノーマークで、

奈良県道135号宇太三茶屋線を北上中、通りすがりに発見して緊急停止。現在地こちら

 

 

 

 

 

県道側から正対。

一見してわかる、古い橋。橋上はもはや、舗装されてたのかどうかさえも判別できない。

 

 

 

 

 

親柱をチェックするも、

木製の銘板は朽ちかけで文字などはまったく読み取れない。

 

 

 

 

 

右側の親柱には何も残っておらず、

お名前もわからず。

 

 

 

 

 

どうやら位置関係的に、

向こうの橋の旧橋ではないかと思われたので、後で向こうも調べよう。

 

 

 

 

 

ちなみに川の名前は四郷川で、

こちら下流側。

 

 

 

 

 

渡りきって振り返り。

雰囲気イイねぇ~。

 

 

 

 

 

こちら側も親柱は、

この感じ。

 

もう一方の親柱にも情報なく、撃沈。でも木製銘板がこんだけよく残っているのもある意味極めて珍しいな。

 

 

 

 

 

下流側よりサイドアングル。

いや~雰囲気イイねぇ~。

 

 

 

 

 

そして道は明らかに、

現橋と思われる橋を擁する市道へ合流する方向にのびていた。

 

 

 

 

 

やはり旧橋か。ならばこのまま現橋へと回ろう…と思っていたら。

あららら、獣害フェンス的なものでシャットアウト。しかも現道との間には別の川が流れていて、こっからでは行けない。

 

かつてはもう一本の橋があったのか?でも橋が二本も必要な道の付け方をするかなあ。それは不自然か…。

 

 

 

まあとりあえず橋を渡り返し、上流側の現橋へ行ってみよう。

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

 

 

 

春以来のこのシリーズ、今回は夏っぽくこんなホラー系を。

全然人里離れた山奥でもないんだけど、えらい「醸して」ますなあ~。

 

 

 

 

 

これがどういう建物だったかというと、

(ほぼ写ってないけど)内部の様子からして、集合住宅だったとも思われたが、はてさて?

 

 

 

 

 

こっちから見たら、

大きめの農業倉庫みたいにも見えるけど。

 

 

 

 

 

この廃墟だが、残念ながら?現存しない。

 

もと所在地の近況をストビューから。

一枚目写真とほぼ同アングル。

 

これが2023年6月の映像で、切り替えられる2013年10月の映像ではその禍々しい姿が写っている。わたくしの撮影は2016年3月なんだが、それ以降いつ撤去されたのかはわからない。でもまあ、これはもう撤去されてしかるべきだったと思うな。

 

かつて琵琶湖の遠~い対岸に存在した幽霊ホテルに比べればめっちゃ小さいものだが、ここも雰囲気はなかなかのもんだったと思う。もちろん弊社業務範囲外につき、内部潜入などは行わなかった(怖くて無理)。

 

 

 

 

ロケ地:滋賀県米原市某所(現存せず)

 

 

 

 

 

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

短い隧道だが、まずは振り返っての

鉄板の構図。

 

坑口部分、激しく水が滴っているのが…いまいち伝わらんな~。何しろ大雨洪水警報の出ていたこの日、けっこう強めなシャワーだったんだが。

 

 

 

 

 

隧道の先までずっと続く礫岩の壁も圧巻だが、

洞内に堆積した大小さまざまな石もまた凄まじい。これ間違いなく、波が運んできたものだろう。

 

 

 

 

 

で、隧道の先は…

何がある?と問われれば、

 

 

 

 

 

何もない。

単なる、狭く荒々しい浜だけ。

 

 

 

 

 

今では存在意義が見えない隧道だが、

実は、このまま磯伝いに進み、南側の島田集落へと至る道があった(ある)というのである。

 

 

 

 

 

この航空写真をご覧いただきたい。

内迫漁港の外海、周防灘(伊予灘)に面して隧道があるわけだが、確かに磯伝いに500mほども進めば島田集落へとたどり着ける。現代の車道とくらべても段違いのショートカットルートだ。

 

この訪問時はほぼ満潮に近い状態で、干潮時にはじゅうぶんに歩いていけるだけの余地はあるよう。てっく氏ご自身も、この隧道を通って何度も島田集落へと行ったことがあると書いておられるし、そういう意味では今も使う人はいる、つまり現役の隧道であるはずだ。

 

 

 

 

 

そしてもうひとつ、にわかには信じがたい証言が。

なんとこの狭く荒れ果てた浜に、畑があったというのである。

 

こんな場所にどのくらいの期間畑を維持できたものかわからないが、間違いなく「あった」そうで、その耕作も含めた生活道の隧道であった、というのがこの隧道の真実なのだそうである。

 

 

 

 

 

それにしてもねえ…

オーバーハングした頭上を見上げれば、怖すぎるのよここ。

 

 

 

 

 

特にこの日みたいな大雨の日とか、

ゆるんだ岩が落ちてきそうじゃないの。ヘルメットごときじゃ屁のツッパリにもならんような岩が。

ァァァァ。

 

 

そうそう、この隧道だが、やっぱりというかなんというか、明治隧道らしい。やっぱ掘るよね~昔の人は。

 

 

 

 

 

いやはや…凄いな。

隧道も道も、なにもかも。

 

 

 

 

 

…という感じで堪能して車に戻ったのだが、そこで事件が起こった。

 

車に乗り込んで、次のターゲットへの道順を確認していたら、なんかすぐ背後で…パラパラパラ…って音がして、続いてずぞぞぞz…ガラガラゴットン!という鈍い音。もうエンジンはかけていたので、反射的にこれはヤバイ!と車を動かしてその場を離れた。

 

改めて戻ってみたら、

あわわわ…崩れてる。けっこうデカい岩が落ちてきてんじゃないのよ!

 

おわかりだろうか?前篇で載せた到着時の写真(↓)と見比べていただきたい。堤防と山が接するあたり、真新しい崩土と落ちてきた岩があるのが確認できると思う。

 

 

この程度の小規模な崩落でも、それなりに恐ろしい音がした。マジで車のすぐ背後だったんで、車に当たるような可能性もじゅうぶんにあったはず。

 

ていうかそれ以上に、先ほどのオーバーハングした岩壁に埋め込まれていた無数の岩たち、この日はまさにリアル・デストラップだったんだなと改めて思い返し、背筋が寒くなった。マジでアカンわ。こういうコンディションは。

 

 

 

ドキドキしながら、次のターゲットへ向かった。

 

 

 

 

最後に改めて、ネット初となったてっく氏のレポがこちら。地元民最強!をまさに地で行く、短いながらも濃厚なレポである。ぜひご覧いただきたい。

 

 

 

以上。