2月8日夜、入院加療中でありましたうちの父親が、人生の幕を閉じました。
伴いまして、一週間ほどブログを休ませていただきます。
申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
2月8日夜、入院加療中でありましたうちの父親が、人生の幕を閉じました。
伴いまして、一週間ほどブログを休ませていただきます。
申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
【前篇】より続く。
橋の真ん中より、
望む伊賀市側、つまり三重県側。
真上から見た橋脚。
ははあ、これ石積み橋脚をコンクリで巻いてますな。
名張川の、コチラ上流側。
向こうに見える赤い橋は、名阪国道の新五月橋である。
で、コチラ下流側で、
現在ではすぐ横に並行して新橋が架かっている状況だ。
こうして見ると、やはりコンクリ補強されているのが明白。
最上部がガッツリ巻き足されている意味はなんだろう?
やがて、
伊賀市側へと。
渡りましての~
正対。
山添村側と唯一違うところは、オベリスク親柱の手前に袖高欄を備えている点。あれ?アッチにもあったんだろうか、気付かなかっただけで?
左の親柱には
平仮名で「なばりがわ」。
そして、その裏面に、
わたくし見つけてしまった、隠し銘板を!
そこには興味深い情報があった。
上部に登場する波多野村は現・山添村の、花垣村は現・伊賀市のそれぞれ一部で、架橋当時のこの橋の両岸の自治体であった。
興味深かったのは下部右端の「請負人」。市村市松という名前を調べてみたら、昭和8年に完成し、近代名建築のひとつとして評価されている「奈良県立畝傍(うねび)高等学校校舎」の施工も手掛けた人物だった。
右の親柱には、
これまた平仮名で「さつきはし」。
いま気付いたが、オレンジの反射板の取り付け位置が違ってるなあ。細か。
いや、かえすがえすも
モッタイナーイ(笑)。
余命短し五月橋。そういえばコチラの五月橋といい、近年この名前の名橋は受難が運命づけられているのか?
最後におまけ動画を二本。
まずこちらは記事と同じ2014年10月11日に撮った、
山添村側~伊賀市側への渡橋動画。
そしてコチラは、2017年1月4日に通りかかった際に撮った、
伊賀市側からの動画。
手前の双川橋から撮り始めてるっていう、よくわからない構成である(笑)。
つうわけで、くどいようだがこの橋の余命は短い。気になる方はお早めに訪ねるがよろし。
以上。
2014年10月11日、奈良県北東部徘徊の際に訪れた橋をご紹介する。この日のネタで記事にしているのは、序盤のせきれい橋旧廃道とこの後に見つけた向山橋。
まずはこれ。
国道25号の「旧型焼きおにぎり」がデリシャスなこの景。
現在地コチラ。当然ながらここは奈良県側、山添村遅瀬地内である。
ここでくるりと真後ろを振り返ると、
ドーーン!と重厚感溢れる橋が。
オベリスクの如き巨大な親柱。そこにあるお名前は
「五月橋」。
土木学会選近代土木遺産Cランク、下路平行弦鋼プラットトラスの前後にポニートラスを配した、国道25号、いわゆる「非名阪」の三重/奈良県境を結ぶ名橋である。
ウチからめっちゃ遠いわけではないけれどずっと訪ねそびれていたこの橋、初訪問がこの日叶ったのだった。いや~感激。
五月橋が跨ぐ県境の川は
名張川。
山添村側からの、サイドぎみアングル。
このくらいが精いっぱい。
この五月橋、現在架け換え工事が進められている。すでに新橋である「五月橋」が下流側(上の写真だと現橋の左隣り)にほぼ完成している(ようだ)。
「新」と付かない名前からも判断できるように、この「旧」五月橋は新橋の供用を持ってその役目を終え、撤去される見込みだ。事業計画によれば、撤去は20~21年度とのこと。
これこそがこの橋を急きょ採りあげた理由。もし未訪問で興味のある方は急ぐ必要があるから。すでにほぼ完成した新橋、いよいよ待ったなしである。
それにしても、
勿体ないな~、やむを得ないとは言えども。
向かって左のポニートラスに、
有名な銘板がある。
そこには(ウッ…ビミョーにピンボケ)
「昭和二年
株式會社 横河橋梁製作所
大阪工場製作」。
現・(株)横河ブリッジの前身であり橋梁製作の名門である横河橋梁製作所の「作品」である。
もはやコメント不要じゃないかと思うので、以下写真のみで。
【後篇】に続く。