【前篇】より続く。
橋の真ん中より、
望む伊賀市側、つまり三重県側。
真上から見た橋脚。
ははあ、これ石積み橋脚をコンクリで巻いてますな。
名張川の、コチラ上流側。
向こうに見える赤い橋は、名阪国道の新五月橋である。
で、コチラ下流側で、
現在ではすぐ横に並行して新橋が架かっている状況だ。
こうして見ると、やはりコンクリ補強されているのが明白。
最上部がガッツリ巻き足されている意味はなんだろう?
やがて、
伊賀市側へと。
渡りましての~
正対。
山添村側と唯一違うところは、オベリスク親柱の手前に袖高欄を備えている点。あれ?アッチにもあったんだろうか、気付かなかっただけで?
左の親柱には
平仮名で「なばりがわ」。
そして、その裏面に、
わたくし見つけてしまった、隠し銘板を!
そこには興味深い情報があった。
上部に登場する波多野村は現・山添村の、花垣村は現・伊賀市のそれぞれ一部で、架橋当時のこの橋の両岸の自治体であった。
興味深かったのは下部右端の「請負人」。市村市松という名前を調べてみたら、昭和8年に完成し、近代名建築のひとつとして評価されている「奈良県立畝傍(うねび)高等学校校舎」の施工も手掛けた人物だった。
右の親柱には、
これまた平仮名で「さつきはし」。
いま気付いたが、オレンジの反射板の取り付け位置が違ってるなあ。細か。
いや、かえすがえすも
モッタイナーイ(笑)。
余命短し五月橋。そういえばコチラの五月橋といい、近年この名前の名橋は受難が運命づけられているのか?
最後におまけ動画を二本。
まずこちらは記事と同じ2014年10月11日に撮った、
山添村側~伊賀市側への渡橋動画。
そしてコチラは、2017年1月4日に通りかかった際に撮った、
伊賀市側からの動画。
手前の双川橋から撮り始めてるっていう、よくわからない構成である(笑)。
つうわけで、くどいようだがこの橋の余命は短い。気になる方はお早めに訪ねるがよろし。
以上。