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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。


本日から鹿児島出張です。

いつものように新幹線移動でしたが、今日は基本的に移動のみで夜にホテルで仕事だったので、ちょっと早めに出て、久留米で途中下車して少し散策したのです。

新幹線は博多で降り、久留米までは在来線の快速で。乗車券は鹿児島中央まで買ってあり、もちろん途中下車しても問題なし。博多・久留米間の分だけ特急料金は安くなるので、会社にも迷惑かけないし、バッチリだわ、なーんて思ってたのですが・・・

散策が終わり、久留米から鹿児島中央に向かおうとしたら・・・なんと!鹿児島中央までの乗車券がなくなってるじゃあーりませんか!

少し考えて、思い当たりました。切符はシャツの胸ポケットに入れてたはずですが、歩いてるときにはそこにマスクを突っ込んでたんですよね、もちろん屋外やし、人もほとんどいないので。で、駅に戻ってきた時にマスクを引っ張り出してつけ直したんですが、きっとその時に落としたに違いない!

すぐ現場付近に戻りましたが、メシ食ったりしてたためにそれから小一時間は経ってたので、もちろんなし。駅に届いてないかも確認してみましたが、これもなし。あーーあ。


はい、自腹で買いましたよ、久留米から鹿児島中央の乗車4,830円ナリを。さすがにこれを経費で、っつうのは倫理的見地から問題があろうと(笑)。
まぁ小賢しくいらんことをするとろくなことにならん、という教訓を、久々に味わいましたよ。



でもまあ、いくつかいい感じの橋を拾ったので、悔いはないです(笑)。



良き哉、良き哉(笑)。



 

2018年10月28日、悲報転じて北陸遠征最終日・3日目。この日のネタで記事にしているのは、鬼神隧道谷戸口トンネル旧廃道。本日ご紹介するのは通りすがりに見つけてしまい、急きょ立ち寄った物件。

 

 

これは、

福井県大野市朝日にある下穴馬郵便局。場所コチラ

 

 

 

 

 

 

その郵便局入口のところに、

立派な石桁橋があった。これは…二径間?

 

 

 

 

 

 

サイドアングルで見てみると、

やはり、もともとは二径間の石桁橋だったよう。

 

手前の二枚は折損したのか、取り外されたのか…。でもとりあえず、少なくとも一枚は折損して落ちているように見える。

 

 

 

 

 

逆サイから。

こちらの三枚は、コンクリ桁に置換されているよう。なので、もともとは二径間の十枚橋だったということになる。かなり立派な石橋だ。

 

 

 

 

 

橋脚も、

もちろん石造だ。

 

 

 

 

 

最後に引きで。

建屋の周りが環濠っぽくなっている。

 

この郵便局、なにかの由緒がある場所に建てられたっぽいな。立地から類推すると、番所跡とか村の有力者の住居跡とか、あるいはかつての村役場とか?

 

こんな郵便局、他では見た覚えがない。なかなか面白いものを見せてもらった。

 

 

 

以上。

 

 

 

明日からしばらく鹿児島出張です。またしても与太記事が続きますが、よろしくどうぞ~。

 

 

 

 

なんだか知らんがバタバタしてまして、今宵も手抜き。

 

 

わたくしが音楽ネタをやるときのパターンとして、「昔よく聴いてた曲をふと思い出し、脳内リフレインが止まらなくなったので」ってのがあるのだが、今回もそれ。知る人ぞ知る…いや、知る人も知らない(笑)スウェーデン人ギタリスト、スティーヴン・アンダーソンでございます。まさか知ってる人…います?

 

 

 

1994年発表の、たぶん1stアルバム、「GIPSY POWER」。

マイナーとは言え、一応日本盤も出てましたしね当時。

 

 

同郷のイングヴェイ・マルムスティーンのよう…ではなく、民族音楽の影響やエスニックテイストを強く感じさせるクセの強い作品でして、確かな技術を持ちつつも、単なるネオクラシカル系早弾きギタリストというよりは丁寧にメロディを弾く、って印象です。

 

 

 

ああだこうだ言うよりも、百聞は一聴に如かず。

この“Gipsy Fly”や、

 

 

 

 

“Orient Express”なんて、

 

 

情熱とメランコリーの奔放なランデヴー(なんやそれ)が素晴らしいですよ。そもそも曲名だけでもワールドミュージックのテイストを感じられますでしょ。

 

 

今回は“Orient Express”が脳内ループしちゃったので、まあ久々に引っ張り出して…

 

いやあ、好きだなあボカァ(笑)。

 

 

 

 

いずれもギターインストですが、ぜひどうぞ~。

 

 

 

 

 

今宵は追憶の鉄道ネタ。STAY HOMETOWN@滋賀シリーズが終わったらぜひやろうと思っていたやつでございます。きっかけは、先ごろChinuさんがアップされたコチラの記事でした。

 

 

この記事の中で登場する、今は亡き中在家信号場の痕跡写真。すでに廃止されてたなんて全然知らなかったのですが、実はわたくし、この信号場を現役時代に訪ねたことがありまして、その時の写真を探してみたのでご紹介。

 

 

記録を辿った結果、訪問したのは昭和57年10月11日、わたくし15歳の秋でございます(笑)。

 

 

 

 

 

加太駅から歩きでやってきました。まずはこの写真。

ここは「加太の大築堤」。SL全盛期には、超有名な撮影地だった所でございます。

 

 

 

 

 

 

 

ここで撮った、

DE10とDD51重連の貨物列車。

 

撮影地として有名だったのは、この撮影位置左手前の斜面を登ったあたり。大築堤をゆく列車を俯瞰で撮れるポイントでしたが、今どうなってるのかは不明…。

 

 

 

地図を貼っときます。「加太中在家」と表記されてるところが上の写真の撮影地点付近でございます。

こうして見ると、大崖川橋梁のすぐ近くなんですな。

 

 

 

 

 

 

 

で、そっからまた線路際をえっちらおっちらと…ようやく信号場付近へと到達。

 

この写真は信号場手前で撮ったもので、

交換待ちするため、待避線に入ってきた貨物列車。

 

つうか、めっちゃ短いっすなこれ。前後にDD51がついたプッシュプルながら、タンク車2両と車掌車だけとか。珍しくないですか?

 

 

 

 

 

で、しばし後。

亀山方面行き普通列車が通過して行きました、と。

 

 

 

 

 

 

そしてそして、この写真が、1982(昭和57)年当時の中在家信号場の様子。

これも記録を辿ると、通過中の急行「志摩」(たぶん下り、すなわち鳥羽行き)のようです。

 

客扱いはしていなかったものの短いホームがありまして、詰所含めて建屋が二~三棟。写真が荒くてわかりにくいですが、ホーム上には職員の方が見えます。そう、国鉄時代、この信号場には職員さんが詰めておられたんですな~。

 

 

で、実はこの日、線路際を歩いて信号場までやってきた中学生が珍しかったのか、職員さんが温かく迎えてくださいまして、なんとわたくし、信号場の詰所で休憩させていただいたんですな。確か、お茶とかも淹れていただいたように記憶してます。凄い話でしょ?

 

今ならさしずめ見つかった時点でこっぴどく叱られるでしょうし、それ以前にまず見つからないように必死だと思うんですけども、まあ時代ですね~。

わたくし中学生~高校生のころに乗り鉄として全国を旅しましたが、まあいろんなところで今では考えられないような手厚さでお世話になりましたよ。ここ中在家信号場での出来事もそんな思い出のひとつですが、いやあ、国鉄時代の鉄道マンたちは大らかでした。

 

 

 

 

 

証拠写真…とか言ったらナニですが(笑)。

さっきの貨物列車が待避線から出て行くところですが、これ信号場のホーム上から撮らせていただいてますね~。

 

向こうに見えるは名阪国道。今はこんなに丸見えじゃないと思います。

 

 

 

 

【2022年1月3日追記】 もう一枚写真を発見したので追加します。

そしてこれが、


ホーム上にあった駅(信号場)名標。

 

ボケボケで残念ですが、既存の駅名標とは異なる内容となっております。その内容は、

 

中在家信号場

NAKAZAIKE

スイッチバック

海抜 251m

三重県鈴鹿郡関町加太

 

そして下部には、「つげ」「かぶと」と。

 

 

これきっと、職員の方の手づくりですよね~。いいなあ…。

【追記終わり】

 

 

 

 

 

 

発掘した写真は以上で終了なんですが、わたくし思い出したのです。

 

 

あの日詰所に入れていただいて休憩してる時に、事務机にあった業務用のハンコ類に興味を示したわたくし、どういうやりとりをしたかの記憶は定かではないですが、持ち歩いてたスタンプ帳に押させてもらったんですよ。

 

 

 

 

つうわけで、

当時のスタンプ帳を引っ張り出しまして…

 

 

 

 

 

 

 

探すことしばし、

アッターー!

しかも同じページに現住している草津のスタンプがあるとは、運命を感じますな(笑)。

 

 

 

 

 

 

ちょっと今見ると恥ずかしい(笑)。

これ、そこにあったハンコをひととおり手当たり次第に押しただけで、職員の方のお名前と役職なども全然一致してないのです。ただ、この氏名が当時中在家信号場に勤務していた職員の方々のものだったのだとは思うんですが。

 

とりあえず、こんなハンコまで押させていただけて、どんだけ好き勝手させてもらってんねん、って話でね。もろもろ、さすがにもう時効でしょう(笑)。ほんと、感謝感謝でございます…。

 

 

 

 

 

ウィキ先生によると、信号場の設備が撤去されたのは割と最近のことらしく。航空写真で見てみますと、

ホームと詰所基礎だけが残ってますね…。

 

 

 

 

 

38年前のここでの出来事、写真を見返して、なんだかウタカタの夢のような。偲ぶきっかけをいただいたchinuさん、ありがとうございました~。

 

 

 

 

 

 

ノートさんの復活を記念しまして、久々の真正手抜き記事。

 

 

あの方が大好きな(笑)神看板。そういえば神看板って、全国津々浦々にあるんだろうか?けっこうどこ行っても見かける気はするけど。そもそも皆様ご存じ?

 

 

これは滋賀県高島市某所にて見つけたもの。