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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

本日から開幕する、今シーズンのF1。ここ数年極めていい加減に結果チェックだけしてきたが、今年はちょっとトキメキが違う。なぜならば、2014年にケータハムから出走した小林可夢偉以来の日本人ドライバーがデビューするからである。その名は角田裕毅(Yuki Tsunoda)、弱冠20歳。

 

(画像はネットからお借りしました)

 

 

世界で20人分しかないF1のレギュラーシートを掴むのは、並大抵のことではない。それをこの若さで、しかも「日本人が」辿りついたというのは、まさに快挙。あまり書いてもさっぱりだと思うので書かないが(めんどくさいだけ、という説も)、カートで鳴らした少年時代を経て2016年に四輪レースに転向、2017年に渡欧してから、F4、F3、F2という入門~下部カテゴリを全て1年で通過、恐るべき速さでトップカテゴリに到達した。

 

 

彼がこの若さでここまで来たのは、レッドブル・ジュニアチームという非常に実績ある育成プログラムに加わることができたためであり、そしてそこに加われたのは、まさに実力と運を兼ね備えているから、に他ならない。

プログラムを統括するヘルムート・マルコ氏は、才能の原石を見極める達人であり、苛烈なまでに厳しい人でもあるが、その彼がプレシーズンまでのところ、「手放しで」と言っていいほどに角田のことを評価するコメントを発している。まあこの時期に落ちるようなコメントはしないのは当然だろうが、それにしてもだ。

 

これまでの日本人F1ドライバーと圧倒的に違うのは、先述のマルコ氏だけでなく、パドック内のチーム関係者、OBドライバー、目の肥えた本場のメディアなど多くの「識者」が、下部カテゴリでの戦い方と学習曲線の伸びに基づいて、広くその実力を認識・評価しているところ。本人のメンタルも、日本人離れしているようで、まさに新時代の逸材、という印象である。

 

 

とにかく、「モノが違う」感を漂わせた角田。期待しすぎはよくないと思いつつも、やっぱり期待してしまう。今シーズン、まずは学びの年になるのだろうが、いきなり結果を出すはずだ、という声も多いので、楽しみだな~。


とはいえ、角田が所属するスクーデリア・アルファタウリ、マシンの出来は悪くなさそうでありつつも決してトップチームではないから、いきなり優勝!みたいな話ではない。そもそも、これまで日本人F1ドライバーの決勝最高位は鈴木亜久里、佐藤琢磨、小林可夢偉の3位表彰台。予選最高位は佐藤琢磨、小林可夢偉の2位である。これらをデビューシーズンで塗り替えるなんてのは、現実的ではないんだろう。それでも、荒れたレースやいい巡り合わせに恵まれれば、よもや…。

 

ちなみに、史上初めての、2000年代生まれF1ドライバーというオマケまでついての、鳴り物入りのデビューである。さて、まずこのデビュー戦バーレーンGP、どうなるかな…。おっさん楽しみにしてる。

 

 

 

【8】より続く。

 

 

 

死せるシェッドから取って返し、最初に登って来たところまで戻ってきた。

 

残るは、ここから旧道端点まで。それを今から辿って見る。

こちらはそうヤバイことにはならないと思うが。

 

 

 

 

 

さっそく目に入ったのは、

倒れ臥してなかば自然と同化しつつある金属フェンスガード。

 

 

 

 

 

その先では

排水溝のグレーチングが外されて放置されてたり。

 

その向こうには、何本かの標識が立ってるようだが…?

 

 

 

 

 

回り込んで見ると、

「路肩注意」と「落石注意」と…その手前はなんだ?ゲートの支柱の名残り?

 

ここの標識もまだまだ新しそうで、被災直前に更新されたばっかりだったんじゃ?と思わせる。

 

 

 

 

 

よく見ると、山側斜面にもなんか緑色の標識が落ちてる。

「退避所」。ははあ。確かにここ、ちょっと広くなってるような。

 

 

 

 

 

目につく遺構はこんなもので。

この薮を抜けると…

 

 

 

 

 

いきなりこの景。

ここからは大きく手が入り、左下に見える現道に削られ始めてしまってる。

 

 

 

 

 

その結末は、こう。

ここで完全に削り取られて、路盤は潰える。そのキワに一本、デリニエーターが横たわってるのがいじらしい…。

 

 

 

 

 

これを踏まえ、【1】の冒頭の写真に、改めて補足線を入れてみる。

このように旧道は続いていたはず。最初の直感は当たりで、完全に削られちゃってたんですな。

 

 

 

 

 

端点からの振り返り。

いや、ネタとしては小ネタだと思うが、わたくし非常に楽しんだ。まさか9回もの連載になるとは思ってなかったけど(笑)。

 

 

 

 

 

最後にひとオチ。

ノートさんを停めてた広場の隅に、木製のでっかい看板があった。遠目には書かれてたものがすっかり消えてるように見えてたのでスルーしてたのだが、

 

 

 

 

 

去り際によくよく見ると…マジか!


ほぼ判読不能だと思うが、青線のところには「しでのき橋」と書かれている。先ほど渡橋を断念したあの吊り橋だが、

 

 

 

 

 

それよりもその右上、赤線のところには

(拡大しても判読困難だが)「とりこし橋」(高さ40m)と書かれているではないの!

 

 

書かれている地図全体はなんとも判然としないのでアレだが、きっとしでのき橋からの道をすぐ引き返してしまったのをもっと辿ればこの「とりこし橋」があったんだろうな~とプチ後悔。

 

けど、なんかこの場ではやたら満足してしまってたので、見に行くことなく立ち去った。うーん、変に淡泊なとこあるよね、この人(笑)。

 

 

 

 

 

 

さて。最後に。

 

連載初めに書いたように、ここに気づいた当時には、ネット上では情報がなかった。が、今回探索後帰ってから改めて調べてみると…あららら!?

 

 

なんと、ブロ友の山神さんがけんさん(改めとん平さん)と訪問し、2017年に記事にしておられた。

 

それはいいのだが、記事中で「こんなん誰が興味持ちます???w」と書かれており、数年越しの念願かなって訪れたわたくしみたいな人間にとっては人格否定に等しい(爆)書かれようだが、案外楽しまれたご様子(笑)。

 

 

あとは、岐阜県のトンネルといえばこの方、と当時調べたものの載せておられなかった十二屋さん、いつの間にやら、(仮)西股谷洞門として掲載しておられた。

 

ここの見つけ方が同じだったので、やはり同業者だなあ、と勝手にシンパシィを感じちゃったり(笑)。

 

 

 

 

てな感じで、念願かなって訪れた廃道、大いに楽しんだ。現地で情報もハッキリと得られ、大変すっきりした気持ちでこの場を後にした。

 

 

 

以上、完結。

 

 

 

【7】より続く。

 

 

 

見えた。

死せるロックシェッドの、その先が。

 

シェッド自体は、入ってきた方に比べれば平穏そのもの。それ以外の景色が、異常すぎる。

 

 

 

 

 

この切り取り方とか、

健全性と異常性の織りなすハーモニーがエグイ(笑)。

 

 

 

 

 

 

洞外ときたら、

遠望で見たあの絶望的な景が、まんま展開している。まさに、ザ・壊滅。

 

 

 

 

 

 

ここで、重要…かもしれない発見。

唯一ここだけで露出していた路面は…アスファルト舗装されていた。

 

洞内だけだったのか、あるいは前後の道も舗装されてたのか…もはや知るすべはない。

 

 

 

 

 

さて、洞外で迎えてくれるのは、

ガードレールが必死に踏ん張って支えてる、巨大な落石。もはや我慢の限界…?

 

 

 

 

 

そしてその先には、

全てを押し流す、山抜けの現場が広がっている。

 

 

 

 

 

見上げてみれば…うわぁ~…

見えないほど上の方から抜けちゃってる。怖ァァ~。

 

遠望で見たとおり、崩壊斜面には植生が見られない。それってつまり、未だ安定してないってことだと解釈したわたくし、危険を冒すのはやめてここまでとした。

 

 

 

 

 

先ほどここを見ていた、西股大橋。

やはり、先にあそこから全体を観察できたのは良かった。

 

 

 

 

 

ようやくの振り返り…しかし、

ちょっと離れると、もうこんな見え方にしかならないシェッド。

 

 

 

 

 

入ってきた方では木っ端みじんだった坑門、こっちでは完全体で残っているので、

ちょっと(かなり?)特異なビジュアルがしっかりと拝める。こんなピラスター的?な支えが付いてるロックシェッド、見たことあったかなあ。

 

 

 

 

 

堪能した。

 

 

これより撤収を開始。久しぶりの走馬灯ヴァージョンで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シェッドを後にして13分。

まだ、終わりじゃない。

 

 

 

【9】に続く。

 

 

 

【6】より続く。

 

 

 

ついに来た、核心部分。

肉眼では、既にこの前からその断片を捉えていた。コンクリ構造物の断片を。

 

 

 

 

 

…が、見えてきたものをきちんと認識するのに、数秒を要した。

 

正対して、しばし凝視。

コンクリート製ロックシェッド…の、なれの果ての姿。

 

これは凄まじい…。ロックシェッドの坑口から5mほどが、木っ端微塵に破壊されており、天井部が完全に叩き潰されて無くなっている。

これが、地理院地図に残された穴表記の正体なんだろうか。あるいはこのシェッドの奥に、隧道が!?まあ望み薄ではあるけどな。

 

気ははやるが、まずは観察だ。

 

 

 

 

 

 

山側に、

辛うじて残った坑口のスパンドレル部。これもバッキバキにぶちのめされて、なんとか自立してるに過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして谷側には、

一段と凄まじい、シェッドの側壁部の残骸。

 

まるで針金のようにぐにゃぐにゃになった鉄筋が、皮膚を突き破った骨のように露出。一体、どんだけの力が加わったのか…。ちなみに写真右下は、絶壁だ。

 

 

 

 

 

 

 

スカーンと見晴らしのいい(その意味を考えると怖い)この場所からは、

西股大橋がよく見える。

先ほどあそこからこの惨状を遠目に観察していたわけで、改めて「あの場所」に立っているという実感がこみ上げてくる。

 

 

 

 

 

 

 

ここで、実験的パノラマ写真を。

横長パノラマを縦に貼っているので、スクロールしてお楽しみください(笑)。

なんとなく、臨場感がアップする(ような気がする)ので、お試しあれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、ここにはあとひとつ、目を引くものが。

 

二枚目の写真でも中央やや左下に写ってるのだが、

コンクリートにはめ込まれた?あるいはくっつけられた?長方形のパネル?みたいなものが転がっていたのだが…これなに?

 

 

 

 

 

 

最初は、すわ、扁額か!?といきり立ったのだが、

文字が書かれているように思えない。

 

よく見ると、パネル?部の周囲は銀色の金属帯で巻かれている。何だろうこれ…。けっこう観察したが、わからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

さて、ではいよいよ、

シェッド内部へ進んでみる。ねじくれた鉄筋が禍々しい…。

 

それにしても、この天井って一撃でぶち抜かれたんだろうか。相当な巨岩が直撃したってことか…。

 

 

 

 

 

 

 

そうだとするなら、

よく残ったなあ、この側壁部。板チョコみたいにバキーンと割れちゃっているが…。

 

 

 

 

 

 

探索時で、放棄されてから16年。

暴虐の限りを尽くされたその痕跡も、徐々に遺跡めいた風合いを纏い始めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、

洞内の様子は…と。

 

 

 

 

 

 

 

 

しでのき大橋と西股大橋、二つの橋からの遠望でわかっていたことだが、

洞内にはおびただしい土砂…(土石流だなこれ)が流れ込んでいて、中と外の境目が無くなりそうな状態。

 

ここで確信した。やはり地理院地図の穴表記は、このロックシェッドそのものだったと。シェッドに続いて隧道があるかも、という希望的観測は外れた。

 

 

 

 

 

 

振り返りで改めて伝わるだろうか、

おっそろしいほどの落石の惨状が。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、

土石流の流入っぷりが。

 

 

 

 

 

 

 

 

この見え方…。今いるのは、まさに

左から二番目の「窓」のところ…ですな。

 

 

 

 

 

 

流入した土石流は、しかし洞内を埋め尽くすことはなく、

無事(とは言わんか)貫通している…。明るすぎる外界に向かって。

 

 

果たして、どんな光景が待ってるだろうか。

 

 

 

 

【8】に続く。

 

【5】より続く。

 

 

 

たぶん、歩き始めて100mも来てるか来てないか。

ここで、道が無くなった。この先が平成16年にこの道に引導を渡した、まさに被災区間ということになるんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

6分後に撮ってるこの写真。

今見ると何なんだかよくわからない(笑)。完膚なきまでにぶちのめされたガードレールのなれの果てか?

 

なにしろ、路盤が復活したところにコイツがあったんだ、確か。要するに、6分かけて攻略してきたわけだが、この間の写真はなし。

 

 

 

 

 

 

その突破してきた区間を振り返り。

わかりにくいが、区間すべてが山抜けの現場。しかし、崩壊斜面全域に植生が繁茂してるってことは、崩壊からの16年間(探索時)、基本的に安定している(大きく崩れていない)ってことだろう。むしろ崩壊斜面での藪漕ぎがトリッキーな姿勢を余儀なくされたりで、そっちが危険だった。

 

写真を撮る余裕がないほどではなかったが、ここは慎重にね。

 

 

 

 

 

 

 

路盤復活後には、

しっかりした土留めも登場。

 

 

 

 

 

 

 

が、ほんの30m足らず、

丸石積みに変わったところで、また上からの崩落痕が。

 

 

 

 

 

 

 

ここで上を見上げると、

古い治山工事の土留め工があって…おっ、何か立ってるぞ?

 

 

 

 

 

 

 

 

ズームしてみたら、

「昭和六十●年度 西股(シデノキ)復旧治山工事」。

 

一の位が遮られて見えないが、この旧道の放棄から遡ること約18年前後の昭和60年代に行われた治山工事の標柱。やはり何度も修繕を重ねて維持されてきた道、放棄されるというのはそれだけのことなのだということを改めて思わされる。

 

ところで、ここまで連載を重ねてきてアレだが、ここで見た「シデノキ」という表記を根拠に記事タイトルを決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

その先はいよいよ…明るい場所が目前に。

落石が路盤を埋め、惨状への前奏曲が始まった感があるが…またなんか立ってる?

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、まだ設置したばかりに見えるこんな看板。

山地災害危険地区

 

この地区は、異常降雨等による

山地災害が発生する恐れがあり

まずので、注意して下さい。

 

中部森林管理局

 

 

…このきれいさ、これまさに、被災からそう遡らない時期に設置されたばかりだったんじゃないだろうか。

恐ろしいほど正確にこの危険が現実となった結果の現在を考えると、スルーしがちなこういう看板ってけっこう的を射てるんだな…と身につまされる。

 

 

 

 

 

 

この場所から路外遠くには、

西股大橋が見えた。ということは…

 

 

 

 

 

 

 

ということは?

…ということだ(笑)。

 

 

 

 

 

ついに来た、

核心部分に。

 

 

 

 

【7】に続く。