【8】より続く。
死せるシェッドから取って返し、最初に登って来たところまで戻ってきた。
残るは、ここから旧道端点まで。それを今から辿って見る。
こちらはそうヤバイことにはならないと思うが。
さっそく目に入ったのは、
倒れ臥してなかば自然と同化しつつある金属フェンスガード。
その先では
排水溝のグレーチングが外されて放置されてたり。
その向こうには、何本かの標識が立ってるようだが…?
回り込んで見ると、
「路肩注意」と「落石注意」と…その手前はなんだ?ゲートの支柱の名残り?
ここの標識もまだまだ新しそうで、被災直前に更新されたばっかりだったんじゃ?と思わせる。
よく見ると、山側斜面にもなんか緑色の標識が落ちてる。
「退避所」。ははあ。確かにここ、ちょっと広くなってるような。
目につく遺構はこんなもので。
この薮を抜けると…
いきなりこの景。
ここからは大きく手が入り、左下に見える現道に削られ始めてしまってる。
その結末は、こう。
ここで完全に削り取られて、路盤は潰える。そのキワに一本、デリニエーターが横たわってるのがいじらしい…。
これを踏まえ、【1】の冒頭の写真に、改めて補足線を入れてみる。
このように旧道は続いていたはず。最初の直感は当たりで、完全に削られちゃってたんですな。
端点からの振り返り。
いや、ネタとしては小ネタだと思うが、わたくし非常に楽しんだ。まさか9回もの連載になるとは思ってなかったけど(笑)。
最後にひとオチ。
ノートさんを停めてた広場の隅に、木製のでっかい看板があった。遠目には書かれてたものがすっかり消えてるように見えてたのでスルーしてたのだが、
去り際によくよく見ると…マジか!
ほぼ判読不能だと思うが、青線のところには「しでのき橋」と書かれている。先ほど渡橋を断念したあの吊り橋だが、
それよりもその右上、赤線のところには
(拡大しても判読困難だが)「とりこし橋」(高さ40m)と書かれているではないの!
書かれている地図全体はなんとも判然としないのでアレだが、きっとしでのき橋からの道をすぐ引き返してしまったのをもっと辿ればこの「とりこし橋」があったんだろうな~とプチ後悔。
けど、なんかこの場ではやたら満足してしまってたので、見に行くことなく立ち去った。うーん、変に淡泊なとこあるよね、この人(笑)。
さて。最後に。
連載初めに書いたように、ここに気づいた当時には、ネット上では情報がなかった。が、今回探索後帰ってから改めて調べてみると…あららら!?
なんと、ブロ友の山神さんがけんさん(改めとん平さん)と訪問し、2017年に記事にしておられた。
それはいいのだが、記事中で「こんなん誰が興味持ちます???w」と書かれており、数年越しの念願かなって訪れたわたくしみたいな人間にとっては人格否定に等しい(爆)書かれようだが、案外楽しまれたご様子(笑)。
あとは、岐阜県のトンネルといえばこの方、と当時調べたものの載せておられなかった十二屋さん、いつの間にやら、(仮)西股谷洞門として掲載しておられた。
ここの見つけ方が同じだったので、やはり同業者だなあ、と勝手にシンパシィを感じちゃったり(笑)。
てな感じで、念願かなって訪れた廃道、大いに楽しんだ。現地で情報もハッキリと得られ、大変すっきりした気持ちでこの場を後にした。
以上、完結。