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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

地味にひっそりと、我がデジカメが負傷中です。

 

 
このように、レンズを保護するシャッター(なんて呼ぶのかわからず)が曲がって引っかかり、スムーズに開閉しません(ToT)
 

指で押してやると開閉はできるので、致命的ではないんですが、我慢して使うか、修理をするか、買い替えるか…。

 

 

わたくしの性格的に、「我慢して使う」に落ち着くでしょう(笑)。

 

 

 

このカメラ、2018年冬に購入したのでまだ4年も経ってないんですが、このキズや凹み…。なぜかアクシデントが多く、何度か落としたりぶつけたり(遭難したり)してますので、いずれ先は短いのかも…。

 

 

 

やれやれ…。

 

 

2017年8月22日、福岡出張中の仕事前徘徊のひとコマ。この日のネタは初めて…つうか、実質これが唯一かな。

 

 

 

まずはこれ。

西鉄/JR和白駅から南へ数百m、左折してこの道を進む。すでに何か見えてる。

 

 

 

 

 

まずは、

西鉄貝塚線の踏切。名称を唐の原2号踏切という。

 

左右を見よ、と書いてあるけど、あいにくわたくしの視線は前に吸い付けられていた。もう見えてますな。

 

 

 

 

 

はい~。

JR香椎線の、煉瓦製架道橋!そして背ぇ低ッッ!場所はこちら

 

橋梁なのかもしれなかったけど、ぱっと見じゃ下に暗渠を通しているように見えなかったので、架道橋と判断した。

 

 

 

 

 

アーチ環の巻厚は三層。

非常に低いため、注意喚起のマーキングが5個貼ってある。きっと反射板になってて夜だと光るんだろう。けど日中のことを考えると、もうちょい派手な色のほうがいいような?

 

 

 

 

 

少々腰をかがめつつ、進入~。

LOW IQどものクソみたいな落書きが鬱陶しい。この狭さだけに。

 

 

 

 

 

せっかくの美しい煉瓦製、

汚すんじゃないよ、バカタレが。

 

 

 

 

 

抜けて正対しまして…

何かに気づいた方?

 

はい~、そこに見える看板は、昨日のアレなんですよ~。無関係な記事に見せかけて、まさかの連載だったっていう(笑)。

 

 

 

 

 

側壁部はイギリス積み、アーチ部は長手積みというベーシックな造りだが、

小さい断面なので、スプリングライン(側壁とアーチの境目)も低い~。

 

小粒ながらも楽しめた。拙ブログ的にも煉瓦物件ってこの「鉄道橋梁」テーマくらいでしか最近できてない(気がする)が、やっぱ~イイな煉瓦。

 

 

そうそう、現地には銘板など発見できなかったので、踏切から引っ張って仮称とした。

 

 

 

 

 

最後にこれ。

来た道を戻り、西鉄唐の原駅を目指した。正面にチラ見しているのは、博多湾…つうか、和白干潟。

 

 

 

 

以上~。

 

 

 

手書き看板の魅力と申しますか。

 

 

なんか好きなんすよね~この看板。

犬の後ろ姿の哀愁(笑)。泣いてるやん、かわいそう。

 

 

見逃せないのは、古典的なうんちに、なぜかトンボが一匹たかってるっていう(笑)。これはなんとも…風情あるなあ…(違

 

 

 

うんちに鮮やかな彩色が施されてないのは、配慮なんかしら(笑)。

 

 

 

 

 

ロケ地:福岡市東区某所

 

 

 

 

 

わたくしもつい最近Kさんに教えていただいて知ったのだが、我がホーム・滋賀県の誇る土木遺産Bランク物件である高島市の百瀬川隧道(大正14年建造)が、いよいよ近々に解体撤去されるとのこと。

 

 

 

写真でも伝わると思うが、

明らかに県道のボトルネックとなっていた。(これは2012年4月5日撮影)

 

 

百瀬川の下を抜ける天井川隧道であったが、百瀬川はすでに流路変更されて久しく、正直なところこうなることは時間の問題ではあった…というか、よくこの令和4年まで生き延びてくれたな、というのが率直な感想である。さすがに、満100歳は迎えられなかったか…。

 

 

 

 

9月上旬時点で百瀬川の堤も切り崩されて隧道だけがぽつんと残っている状態のようで、9月6日を最後に通行はできなくなっているよう。で、本日現地を訪問されたKさんより先ほど画像をいただいたが、「風前の灯火」という言葉を体現したような、壮絶な状態である。

 

 

解体作業の開始は、10月17日からとのこと(地元民と思われる方のフェイスブックからの情報・真偽未確認)。わたくしもここは過去何度も訪れている(記事にこそしてないが)けれど、今月中には最後のお別れをしに行くつもり。後日、追悼記事としてまとめようかと思っている。

 

 

とりあえず興味のある方、お別れをしたい同好の士は急がれたし!ちなみに場所はここ

 

 

 

 

 

Kさん、情報と画像、ありがとうございました!

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

 

では、洞内にお邪魔。

さすがに元国道、しっかりとモルタルで固められているし、もちろん路面は舗装されている。

 

 

 

 

 

幅員もこのとおり。

もちろん地域の生命線となる基幹国道としては狭いが、総合的に、ぱっと見よりは全然「ちゃんとした」隧道である。

 

 

 

道路トンネル大鑑によればこの鞍崎隧道、延長は59m、車道幅員4.5m、限界高3.5m。そして1947(昭和22)年竣工。

 

…となっているが、実はもっと古い、ようだ。こちらをご覧いただきたい。

 

例のスタンフォード大学収蔵の古地図だが、明治四十三年測図・昭和九年修正測図のこの地図に、すでにこの場所にはっきりと隧道が描かれている。

 

当日この後に出会うことになる麒山道の隧道たちは明治20年ものということだが、この鞍崎隧道も明治隧道である可能性が限りなく高い。拡幅されたのが昭和22年、とかそういうことなのではなかろうか。

 

 

 

 

 

で、抜けた先が…うわー。

東側よりも格段に廃化してる!

 

これを見ると、やはり東側は鞍崎灯台の保守などで使われるため、最低限保守されてるってことなのだろう。

 

 

 

 

 

抜けて振り返り。

日陰なのもあり、同じテイストなのに印象は大きく違う。

 

 

 

 

 

坑口前から望む、海側。

平場…というか岩礁というか…あれ、旧々道…ではないだろうな、たぶん。なんか立ってるのが見えたが、見に行くことはしなかった。

 

 

 

 

 

明らかに廃化した旧道…。

しかしそれなりの通行の痕跡は明瞭。我々の同業者、および釣り人によるものかと。

向こうに見えるは、赤島の集落。

 

 

 

 

 

さくさく歩いて、ものの3分ほど、

現道が見えてきた。短い旧々道探索も終わり~。

 

 

 

 

 

抜けて、現隧道前より。

こっちからだと旧道はちょっとわかりにくい感じ。廃のステルス効果、発効中。

 

 

 

 

 

あとは、歩いて現隧道を抜け、戻るのみ。

朝陽の射しこむ方へと戻っていくので、洞内の光加減が実にイイ感じ。

 

 

 

 

 

こんなん撮ってみたり。

けっこうこういうのも好きだったりする。

 

 

 

 

 

いや~間違いない。

今日はいい日になるぞ~(笑)。

 

その予感は的中、この日も充実した一日となった。よかったよかった。

 

 

 

 

 

最後に改めて、新鞍崎隧道と旧道入口を、引きで。

ここを出発してから戻るまで、実は17分しか経っていない。非常にコンパクトでありながらもインパクトある(これ、言葉の遊びね)お手軽探索だった。

 

 

しかし…海沿いのネタなのに、ほとんど海が登場しなかったとか、一体どうなのか(笑)。

 

 

 

 

 

 

以上。