【5】より続く。
20分近くもお待たせした後、
先輩お二人も隧道に無事再会。すいませんでした!
狭い洞内で、改めて鑑賞~。
【写真提供:ペッカーさん】
そして、隧道出口のキワが陽当たり良くて気持ちいいので、
お食事ターイム。
食べてるところを
撮られてました~。ガツガツ食ってる(笑)。
わたくし一番キワに座らせていただき…
断崖を愛でさせていただいた。ナントカは高いところが好きとか…(笑)。
ぐるっと振り向いて…
まさかこれ…道じゃないよな…。いやいや、さすがに…。
食べながら、結局この隧道はなんなんでしょうね~?なんて話した。個人的にはやっぱり状況的に…紀伊半島名物(知らんけど)「材木流し用隧道」ではないのかな~と思って現地に行ったものの…うーん、どうも釈然としない点が多くて。
拙ブログでは、かつて林業が隆盛を極めた紀伊半島に点在する材木搬出のための隧道を、これまでいくつか記事にしてきた。一雨の材木流し隧道、大鯛木馬道の隧道、池郷川不動滝の隧道、千人場の滝の隧道、中崎の材木流し隧道などがそうで、いずれも滝や川の屈曲など材木を川に流して、あるいは木馬道を介して搬出する上での地形的制約を克服またはかわすために掘られたものだ。
その意味において、岩屋谷滝・雄滝という壮大なる滝の上流に位置するこの隧道もまた、同じ文脈で語れる立地であることは確か。
で、記事にしている中では、池郷川不動滝の隧道がイメージ的には一番ここに近いと思うのだ。
滝の規模こそ違えど、
断崖絶壁のどてっ腹に開口していて、滝をバイパスしている点は全く同じだ。
ひとつ違うのは、あちらには
断崖絶壁にこの「死亡遊戯的な桟橋」(わたくし命名)による通路がついていたこと。
ただこれは、材木流し用として現役だった時から設置されていたのかについては疑わしいと思っている。材木を流せばいいだけなら、こんな(文字どおり)外道な桟橋は必要ないはずだから。
なので、ここ岩尾谷滝・雄滝上の隧道にそれがなくとも、まあおかしいことではないと思われる。
ちなみにもし、ここに同様な桟橋があったとしたら…絶対に行けないわ。池郷川のやつですでにめちゃくちゃ怖かったし、行ける可能性はなくとも逝く可能性は大だし…言うてる場合か(笑)。
ただ、引っかかっていることがいくつかあって。
ひとつは、ここ雄滝をバイパスしたとしても、その下流には雄滝ほどではないにせよそれでも十分に大きな雌滝がある。ならば雌滝上流側にも同様な隧道があって然るべきだが、滝屋さん、沢屋さんたちによる多くの記録において、そんなものは一切登場しない。
岩屋のような窪みがある、みたいな記述は一部で見たことあるので、もしかしたらそれが閉塞した隧道だったりみたいなロマンの可能性は絶無ではないが、どうもありそうな感じがしない。
もうひとつは、材木流し用だとしたら、開口位置が釈然としないっていうか。この写真を見ていただきたい。
これは岩屋谷の対岸を少し登り、隧道の真正面から撮ったもの。見えにくいが正面の隧道、わかりますかね?
池郷川の隧道は、流れが左へと曲がるところの正面に開口していてスムーズに導流できそうだったが、ここのはとてもそんな位置ではなさそう。そして高さ的にも、いささか流れからの比高が高すぎないか?
さらに言えば、材木流し隧道へは隧道すぐ下流側に堰を組んで流れを隧道へ向けることにより導流するはずで、これも池郷川の隧道付近の岩には、堰を組むためであったであろう孔がたくさん開いていたものだったが、ここにはそういった痕跡は全然見つけることができなかった。
現地踏査によって確認できたこれらのことから、材木流し用であろうと思いながら来たのに、確信が持てなくなってしまった。皮肉なことに。
なので、【5】にいただいたおろろn教授のコメントには、そうかもしれない、という魅力があった。曰く「もしかしたらこの隧道昔は今より長かったかも。滝上の木材資源目当に軌道か木馬道を作って滝横の岩盤を穴で避けて落口の上に達したけれども岩盤が隧道もろとも大崩壊おこして現在の部分だけ残ったとか。」
あると思います。(懐かしの天津・木村ふう)
確かにそうなんだな。隧道開口位置からは、導流のしやすさというよりは、最短距離で岩屋谷から外界へ抜ける位置をピンポイントで突いたような、そんな印象を受けるのだ。おろろn教授の仮説は、この印象と矛盾しない。
はい、結論出てません。だからこそ「謎の隧道」なわけでね。
まあね、これこそまさに「知らんけど」の世界っすよ。
三人で叫びましたよ、「知らんけど~!」って(ウソ
謎は残れども、隧道に関しては観察できるところは見つくした。大満足だ。
わたくしとしては、残るはアレなんだが…。
なにこの、圧倒的オーラ…。
【7】に続く。