2014年7月12日、京都・伏見周辺の橋などシバキ回し。この日のネタで記事にしているのは旧・京都電燈変電所と澱川橋梁。今宵ご紹介するのはそれらより前に出会った橋。
実は普通に書き始めたのだが、調べてみると橋梁長寿命化工事でガッツリ改修されてしまったようで…。お蔵入りも悲しいので、先代橋の姿をここに紹介。
まずはこれ。
北側からの正対写真。
道路は京都府道115号伏見港京都停車場線である。場所はコチラ。
お名前は、
「土橋」。
いいねえこの力強い「土」。明らかに「橋」よりも図太く書かれている。こういう「ゆらぎ」は好き。
河川名は
「濠川」。
可能な範囲での、サイドぎみビュー。
橋脚は華奢だが、天然の河川じゃないので、こんなもんか。
この橋は、
普通にバスも通る。やり過ごしてから、橋上へ。
コチラ上流側。
現代ではなんとなく琵琶湖疏水の続きのような位置づけになっている濠川。明治期に琵琶湖疏水ができて、深草のインクラインで濠川と接続することになったためだが、元々は豊臣秀吉が築城した伏見城の外堀として築かれた歴史ある運河である。
それにしても、
この複雑な意匠の欄干、イイね~。2~3種類のデザインを複合したような。
コチラ下流側。
なんかボケちゃった。
渡って、南側より正対。
車が切れたタイミングで撮ってるが、ここ実はけっこうな交通量で、待つのがめんどい(笑)。
右の親柱には
「どはし」。青くなぞってるのは、判読しづらくなったからか?
「ど」は濁るけど「はし」は濁らない、と。ここまでもろもろ見てきて、この橋ぜったい大正橋梁だろう、と思うのだが、
肝心の最後の親柱は、
なんじゃあこりゃあ。
風化したのか、さっぱり判読できず。さっきみたいに色付けでなぞってくれたらわかったのに。つうか、最初に見た北側親柱の銘板とは石材のテイストが違いすぎる。こんな風化しやすいやつ、使っちゃダ~メ~。
まあそれでも、
琵琶湖疏水筋の大正橋梁たちと似たテイストを感じる。記事にしてる中だと上板橋とかススハキ橋とか。
だが…やっぱこういう交通量の多い橋はイカンな。状態が悪いと判断されたら、もうそのままではいられない。もちろん当然の話なんだが…。
改修後、現在の土橋のお姿をストビューより。冒頭の写真と同アングル。
ざ ん ね ん すぎる~。趣味者的にはその一言に尽きる。
最後に、
お隣の聚楽橋からのサイドアングル。
ストビューで見る限り、これも失われてしまったらしい、
橋脚の謎めいた刻印。
琵琶湖疏水筋の橋梁群には、あの位置に六芒星型の刻印があしらわれているものが多い。
この写真は野田橋のもの。
土橋の刻印はこれを簡略化したものに見える。ちなみに濠川の他の橋にも、同様の刻印を持った橋脚が見られる。総じて、水道の「水」を図案化したものではないかと思ってるのだが、まだ確証が得られていない。のだが…
あーあ、こういうのもろとも全消去しちゃうんだからもう。仕方ないことではあるが、やるせない。
以上。