今宵ご紹介するのは、まぢトンネルの次にやってきたトンネル。地図で見ると林道的な道に描かれた長そうなトンネル表記、ちょっと楽しみに現地へやってきたのだが…
おおっ!
殺風景なポータルだが、予想にたがわぬ長さじゃないの!
現在地コチラ。地図のポイント位置でわかる通り、志子部側から登ってきた。
扁額が示すお名前は、
本谷隧道。
特に意味なく、
ポータル脇に登ってもう一枚。
そして、ノートさん見下ろし。
路面にうっすら付着した苔で察しがつくとおり、この道そう使われてはいないようだった。とはいえ、これよりもずっと廃道っぽい現役道路はなんぼでもあるから、さほど酷いってわけではない。
なんでこんなこと書くかというとね。
帰ってから知ったことだが(そしてさほど意外でもなかったが)、この隧道は鳥取県で有名な心霊スポットだそうで(知らんけど)、検索すればいくつもその手のレポが出てくる。そういう記事でお約束のように道が酷いとか廃道同然とか書かれているのだが、いやいや、盛り杉でしょ。
当然ながら、いろんな表現で気持ち悪いとか嫌な感じがしたとか、口をきわめて並べ立ててるけど、
あたしゃあ全然なんとも。これまたいつもどおり。
見る人が見れば(そう見たい人が見れば)、なんか写ってんのかね、この写真も。知るかそんなん(笑)。単なる静かなトンネルであり、それ以上でも以下でもなかった。むしろ無照明っぽいのが逆にポイント高し。
しかし改めて、長さはなかなかあるな。これも帰ってから調べたところ、延長は673mだった。うむ、なかなか。ちなみに昭和47年建造。
鉄板の構図。
びっくりするほど全然怖くない(笑)。夜に来ればそりゃあ怖いでしょーが。
では、乗車して通り抜け。
洞内の志子部寄りは、断続的に素掘り区間が登場。このあたりは案外広いな。
大江側に抜けて正対。
印象が違うが、よく見れば志子部側とほぼ同じ仕様だ。
扁額もまた、ほぼ同じ。
なぜなら、同じ揮毫者だから(笑)。「船岡町長 福田耕蔵書」とある。
ちなみに船岡町は、2005年の合併で八東町の一部となってその名が消えた。
アンポン…
じゃなくて安本、若気の至りやな…(笑)。
大江側の
鉄板の構図。
ところで、ノートさんが停まってるところだが、
そこは、唐突な感じで
「大江隧道公園」なる公園となっていた。
こんな山奥に公園?と違和感ありあり。地図で見ると大江の集落もさほど近いわけでもないし。
それでも、さほど荒れ果ててるふうでもないのは、定期的にお年寄りたちがゲートボールでもやりに来てるんだろうか(笑)。
この後隧道を抜けて引き返したのだが、その際の動画を撮ってたのでどうぞ。
隧道からの林道もけっこう楽しかったので、ふもとの分岐まで少しだけ長くなっております。対向車一台あり(笑)。
以上。